第2回 予感と予測

天気・体・社会。そこに関わる予感と予測の力。農家も流通業者も病気の人も、天気の恵みにあずかりながらも、ときに荒ぶるその流れにいかに沿うか腐心してきた。天気は予測できるのにコントロールできないという点で身体に似ている。どうやったら私たちは、天気とともに暮らし、社会を営むことができるのか。天気・体・社会の三者の関係を考える、天気の身体論/身体の天気論。

どんな人でも多かれ少なかれ、その日の天気によって体調が変化するのを感じます。しかし障害や病気の種類によっては、その影響はよりシビアになります。よりダイレクトに、よりダイナミックに、天気の変化に巻き込まれてしまうのです。

天気との強い結びつきは、人の時間感覚に影響を与えます。なぜなら、天気に巻き込まれやすい人は、そうでない人が気づかないような天気の変化を、一足先にキャッチするからです。「ない」はずのものが「すでにある」。「今ある」は「かつてあった」。天気に引っ張られることによって、在/不在、過去/現在/未来の境界がゆらぎます。

ずっと毎日が2日前

たとえば、森一也さんは、カレンダーが示す通常の日にちから、2日ずれた時間を生きていると言います。「ぼくの場合は(…)ずっと毎日が2日前なんです」[1]

一昨日のうちに今日があり、昨日のうち明日があり、今日のうちに明後日がある。いったいどんな時制で語ったらいいのか混乱してしまいますが、森さんは、実際にやってくるよりも2日早く、その日を経験しているのです。

時間の感覚そのものがおかしくなっているわけではありません。この2日間のタイムラグには、森さんの「幻肢」が関係しています。幻肢とは、手や足など体の一部を切断した人や麻痺のある人が、切断したり麻痺して感じないはずの手や足を、あたかも存在するかのように感じる現象のこと。その存在は、しばしば「幻肢痛」という強い痛みとして感じられます。

森さんは30年以上前にバイクの事故で左腕神経叢引抜き損傷を経験し、現在でも左腕半分と指に麻痺があります。はたから見ると腕は物理的に存在していますが、完全に動かすことはできません。

幻肢の痛みはかなり強いものです。火鉢に手を突っ込んでいるような熱さや、氷の針で刺されているような冷たさ、あるいは圧迫されるような痛みが、10段階の5〜6くらいで常にあると言います。しかも天気が悪くなると、これが7、8、9と強くなってくる。今はVRを用いた幻肢痛緩和システムと出会ったことで痛みを感じない時間もあると言いますが、事故を起こした当初は生きたまま棺桶に入れられたようだった、と森さんは振り返ります。

関西人だから、つらい時にこそめちゃくちゃ面白いことを考えようとして自分で大喜利をしたりとか、テレビを見て笑ったりして。そうこうしているうちに、ふと痛いのを忘れてたって思う。

でも痛いことは痛いですよ、ずっと。圧迫痛でしんどいしもう内臓まで疲れていて、昼間に寝られてるって言うけど、それはもうボコボコにボコられた後にどうしても2日3日に寝る、みたいなレベルの話なんです。

30年という長い時間、森さんは自分の体を実験台にしてさまざまな研究を進めてきました。その間に気がついたことの一つは、幻肢痛の痛みの度合いと、気圧の変化が関係しているらしいということ。一般に、気圧が変わると体調を正常に保とうとして自律神経の働きが過敏になります。その結果、頭痛などの不調を訴える人が増えます。それと同じように森さんの幻肢痛も、気圧の大きな下げに連動して、痛みが強くなると考えられます。

タイムラグを生むのは、森さんの幻肢が気圧の変化を予見する早さです。森さんは大阪在住ですが、仮に大阪の上空が晴れていたとしても、幻肢は2日後にやってくる低気圧の気配を、すでに感じているのです。

いわば、幻肢が2日先の未来を予見している。興味深いのは、この「2日後」が森さんにとって「予測」ではなく「予感」である、という点です。

確かに一般にも、「夕焼けが見られると翌日は晴れ」など、そのときの空模様から未来の天気を推測する、ということは行われています。しかし、それはあくまで「夕焼け」と「翌日の晴れ」の関連を知識として知っているというだけであって、「感じている」というのとは少し違います。つまり「予測」です。

予測は知識ですから、テクノロジーの発達によってその範囲は飛躍的に拡大します。天気に関しても、衛星写真やアメダスのデータによってかなり細かい予測が可能になりました。体についても、毎日の生体データを記録しているマラソン選手は、レースを走る前から、かなりの精度でその日のタイムが分かると言います。

一方、「予感」はどうでしょうか。これは「空気中に湿気が多いから雨が降りそうだな」のような、体に感じられる、今と連続した未来です。確かにそのようなことが私たちの体にも起こりますが、分かるのはせいぜい数時間先の変化にとどまるのではないでしょうか。確かに経験や専門知によって予感の範囲は拡張しますが、森さんのように2日後の未来が分かるというのは、幻肢を持たない者からすると、まるで占い師のようです。しかし、森さんに限らず、多くの幻肢痛当事者が、こうした感覚を口にしています。

精神科医の中井久夫は、予感を「非在の現前」と定義しています。「それはまさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である」[2]。「まだ存在していないもの」を「すでにあるかのように」感じる。幻肢そのものが「ないのにある」という曖昧な存在ですが、だからこそ予感という「まだないもの」を強くとらえるのかもしれません。

時計的な時間を基準にすれば、時間は過去から現在、そして未来へと直線的に流れるものです。しかし私たちの時間は、必ずしも一方向に進むわけではありません。予感のように未来が現在形をとったり、余韻のように過去が現在にも残っていたりする。天気という動的に変化するものに引きずられるようにして、当事者たちの時間が折れ曲がり、重なり合います。

大阪からフィリピンを感じる

気圧の下げを2日前に予感する。それは別の言い方をすれば、感じられる天気の範囲が空間的にもかなり広いということを意味します。

低気圧の平均時速は、季節によって異なるものの、およそ3〜40キロメートルと言われています。この数字をもとに2日間の移動距離を計算すると、およそ1,440〜1,920キロ。低気圧はおおむね西から東に移動していきますから、2日前というと大阪から西に1,440〜1,920キロの位置に存在していたことになります。

これは具体的には、フィリピンあたりに相当します。つまり森さんは、体は大阪にありながら、フィリピンにあるものの気配を感じ取っているのです。

多くの人は、目、耳、鼻などの五感によって天気をとらえています。空といえば目に見える頭の上の空だし、雨の匂いといえば自分の身にふりそそぐ雨を指します。雷は離れたところにいても感じますが、それにしたってせいぜい数十キロメートルでしょう。「大阪にいながら東京の風で肌寒く感じる」ような人はいません。

これに対して、森さんは幻肢を通して天気を感じているために、1000キロ以上離れたフィリピンの空模様までをも感知しています。もちろん幻肢は感覚器官ではありませんが、五感の知覚する距離の近接性に比べると、この距離は圧倒的です。五感で天気をとらえている人からすれば、フィリピン上空の低気圧は「存在しない」ものです。ところが森さんにとっては、確かに「存在する」ものになっている。大きな台風になると、今度は赤道上にあるものまで感じるという幻肢痛当事者もいます。こうなると、体が知覚する範囲はさらに広がります。

実際にそのつながりを見てみましょう。Facebook上に、「幻肢痛カレンダー」というMission ARM Japanが運営するプライベートグループがあります。参加者は主に幻肢痛の当事者で、「カレンダー」という名のとおり、投稿のほとんどは、各メンバーのその日の幻肢痛の状態や痛みの度合いを記したものです。いわば「みんなで書く日記」といった感じ。しばしば天気図や気圧の変化を表すグラフが添付されていて、まさに天気を中心にした当事者たちの生活が記された貴重な内容です。

たとえば「幻肢痛カレンダー」の2021年4月20日を見ると、森さんが自身の体調についての投稿を残しています。痛みの強さが10段階で「9」とあり、かなり苦しそうな様子が分かります。

興味深いのは、「痛み9/耐えがたし。/灼熱痛、圧迫痛、薬効かず。士気下がり気味。」と自身の体調を記したあとで、森さんがすぐにフィリピン付近の天気について記していることです。「カテゴリー4台風依然としてフィリピン諸島東側にあり、気温差、気圧不安定」。「2日前」という時間的な予感が、「フィリピン付近」という空間的な予測と一致していることを、森さんはここで確認しているのです。予感が予測によって裏打ちされています。

実際にこの投稿があった20日前後の天気図を見てみると、確かにフィリピン諸島東側に、中心気圧が900hPaという強い台風が存在していることが分かります。この台風が、1000キロ以上の距離を超えて、森さんの幻肢に影響を与えていたのです。

投稿のコメント欄を見ると、東京に住む猪俣一則さんからの書き込みが残されています。「18日日曜の午前様から月曜昼にかけて、小指が鮮明な痛さで耐えがたかった。滅多というか年一回あるかないかの小指に痛みが。」18日というと、森さんの投稿よりさらに2日前です。

猪俣さんのコメントに対して、森さんはこう答えています。「18日から月曜の夜中ってほぼ台風発生時です。あと大陸からの冷たい高気圧も同時に。この春はこんな感じです。」確かに天気図を見ると、まさに18日に台風が発生していることが分かります。

感じている痛みそのものを共有することはできないけれど、生じている痛みの原因はみんなが共有している。これが天気を介したコミュニケーションの興味深いところです。しかもこの原因は、晴れたり、曇ったりと刻々と変化していく。「ひとつ空の下に」と言うと陳腐ですが、動的に変化する天気の波のもとで、全員がゆるやかに同期しているのです。このリアルタイム性は、他の当事者研究や患者会のコミュニケーションにはあまり見られないものです。

「ひとつ空の下」という感覚を実感するのは、幻肢痛カレンダーの投稿にしばしば見られる「大阪府河内エリア/痛み9」「東京 +4 声が出て顔が歪む」といった表現です。つまり、投稿者の現在地が付記されているのです。コメント欄でも「こちら」「そちら」といったお互いの空間的位置を意識した表現がよく見られます。

現在地が記されると、各地に住む当事者たちの痛みの報告が、まるで全国に配置された観測所からの観測データのような性格を持ち始めます。当事者たちはこれを天気図などの客観的な情報と照らし合わせて、各地の痛みの原因をともに探り合っていく。投稿の列が、バラバラな個人の日記ではなく、相互に関連づけて読み取られるべきデータの集合になるのです。

このとき痛みは、「体の症状」でありながら、同時に「天気の症状」であるかのようです。「体が不調を起こし、それが症状として出ている」というよりも、「天気の不調が、あちこちの体の上に、症状として出ている」。コメント欄でのやりとりを読むと、天気という巨大なひとつの体を、みんなでケアしあっているかのようにさえ感じられます。

もちろん、天気は体以上に思うようにならない存在です。できるのは、これからどう変わるか「予感」ないし「予測」することだけであって、雨を晴にしたり、夏を冬にしたりすることはできません。人間はそれに「沿う」しかない。

そしてケアとは「沿う」ことに他なりません。森さんの「この春はこんな感じです」という一言は、まさにこの「沿う」態度を作り出しているように思います。当事者たちが行っているケアとは、まさに「ともに沿う」ことであるように思います。

雨と沢蟹

「天気に沿う」とはどういうことか。森さんがその重要性に気づいたきっかけは、山での大量の沢蟹との出会いでした。

怪我をしてしばらくは家に引きこもる生活をしていた森さんですが、10年くらい経った頃、こんどは家の外で長く時間を過ごすようになります。行った先は山の中。まだ痛みとの付き合い方が分からなかった時で、家族や他人の目を気にせず、山で座禅をしたり瞑想をしていたりしていました。

僕は川と山があれば苦しみ放題だから、とにかく自然があると大丈夫なんですけどね(笑)。たぶん、僕なりにロゴスとピュシスのバランスを取りに行ってたと思うんですよ。そしたら、なぜ雨が降ると痛いんだっていうことに気づき出して。 すごく雨を嫌っていて、雨がザーザーと降ってくる鉄砲水が危ないので、とりあえずその川から上がって農道というか山道に入るんですよ。そしたら沢蟹が、もうここぞとばかりに移動するわけですね。クリスマス島のようなレベルで道が真っ赤になってるんですよ。それを見て「ああ、雨って生物に歓喜の行進を与えるんだ」と思って、その瞬間に雨が悪いわけじゃない、何が悪いんだろう、と。それで気圧に注目するようになりました。簡易の気圧計を自分で買って、値をノートにとっていくことで、やっぱり気圧が低いときに痛いんだ、ということが分かりました。じゃあ、気圧をサーフィンすればいいんだ、と。そのサーフィンの仕方はこれからどんどんわかっていくんだろうなとは思っていましたけど、20年近くかかったかな。

当初、森さんは雨が降ると幻肢痛がひどくなると思っていました。だから雨を嫌っていた。けれども、雨の降りしきる山道を真っ赤な沢蟹が大勢で移動するのを見て、「雨が悪いわけじゃない」と悟ります。「雨は生物にとって喜びであるはずだ」と。

幻肢痛のメカニズムは、アカデミックな研究レベルでも、まだまだ分からないことだらけです。森さんの中には常に「学問以上のことをしなければならない」という思いがある。そんな中で、沢蟹との出会いが、森さんに野生のひらめきをもたらします。

そして行き着いたのが「気圧」でした。自分で気圧計を買って記録してみると、確かに痛みのタイミングと連動している。となれば、この気圧の波とどう付き合うか、つまりどう「沿う」かが問題になってきます。

森さんは、この沿い方を「気圧をサーフィンする」と表現しています。サーフィンする人は、やってくる波の動きに対して、うまくタイミングを合わせながら自分の体を乗せ、勢いを得ていきます。同じように、幻肢を持つ人も、やってくる気圧の波を読み、いいタイミングでそれに自分の体を乗せて、生活をしていけばいい。

実際、森さんと関わっていると、タイミングを合わせるためのさまざまな工夫を感じます。インタビューの約束をすると、気圧の変化が不安定な時期でも、必ず予定どおり参加してくれるのです。「絶対、今日に合わせるつもりだったんで」と森さんは笑います。聞けば午前中に病院で点滴を打ってもらって、寝てきた、と。

約束した側としては感謝の気持ちでいっぱいになりますが、そんな手を事前に打てるのも、森さんが気圧の波をサーフィンする技を、20年かけて開拓してきたからでしょう。「常にストラテジーを立てている」と森さんは言います。「オートマじゃなくミッション運転をしている感じ」。「今日こんな痛みだからこういう運動をするのがいいとか、今日はマジ痛なので寝ることにして悪夢の6本立てにしよう、とか。それを決めるのは〔毎朝、体を起こすための日課である〕唸った時にようやくわかるんですよね。」

最近でも「五千歩歩くと6時間、1万歩歩くと12時間痛みが出ない」という研究成果を教えてくれました。大腿骨の付け根から出るエンドルフィンに注目していると言います。

興味深いのは、気圧の波にタイミングを合わせることが、森さんの社会生活の可能性をひろげている点です。天気をケアすることで、森さんは社会とタイミングを合わせることが可能になっている。天気・体・社会。そこに関わる予感と予測の力。

もちろん、天気も体も社会も複雑な要因がからまっていて、一筋縄ではいきません。特に痛みの場合は、事前に痛みがやってくると構えることが、かえって痛みを増幅させてしまう可能性もあります。痛みとは、つきつめると、予測と出来事が区別できない、つまり「まだ存在していないもの」と「すでにあるもの」がかぎりなく等価であるような現象だからです。となると、前もって天気図を見て予測することはせず、「うずく→気圧チェック→あーやっぱり」の順番が吉の場合もある。でも、それだと社会とタイミングをあわせて自分を調整することはできません。

どうやったら私たちは、天気とともに暮らし、社会を営むことができるのか。三者の関係を引き続き考えていきたいと思います。


[1] 森さんの発言は筆者が企画したチョン・ヒョナンさんとの対談から引用したものです。以下に全文が掲載されている。
http://asaito.com/research/2021/03/post_77.php
[2]「世界における索引と兆候」『中井久夫集3』みすず書房、2017年、224頁

 

東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。現在、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。リベラルアーツ研究教育院教授。主な著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)などがある。

第1回 偏頭痛と田植え

天気・体・社会。そこに関わる予感と予測の力。農家も流通業者も病気の人も、天気の恵みにあずかりながらも、ときに荒ぶるその流れにいかに沿うか腐心してきた。天気は予測できるのにコントロールできないという点で身体に似ている。どうやったら私たちは、天気とともに暮らし、社会を営むことができるのか。天気・体・社会の三者の関係を考える、天気の身体論/身体の天気論。

自然と人体の関係を読む

私たちの体の状態は日々変化しています。つまり「体調」があります。

何が体調を変化させるのか。要因はさまざまですが、もっとも大きくまた普遍的な要因のひとつは「天気」でしょう。

医学の父ヒポクラテスも、季節の変化や空気や水や熱が人体に与える影響の大きさを力説しています。「医者は未知の町に着いたならば、その町の位置が風の点と太陽の昇りの点からいってどうであるかをよく吟味しなければならない」[1]。ヒポクラテスにとって「天文学の医学に対する貢献は絶大」なのです。

それまで、病気は迷信や呪術と結びついていると考えられていました。それを科学の領域にまで押し進めたのは、まさに「自然と人体の関係を読む」というヒポクラテスの観察的な態度でした。自然の中に、人体にとって重要な「兆候」を見出すこと。「以上のような具合に考察し、時期を予知するならば、個々についてもっともよく知り、もっともよく健康を得、もっともよく医術の施行に成功をおさめることができるであろう」[2]とヒポクラテスは言います。

近代医学が発達した今でも、私たちはしばしばこうした「観察」を行っています。日々変化する自然の中には、医師のような専門家でなくても気づくことのできる、さまざまな「兆候」があります。いやむしろ、そうしたアマチュアの観察眼の中にこそ、診察室からこぼれ落ちるものを救い上げる力があるのかもしれません。

「今年の梅雨は頭痛が特にひどい…」

「季節の変わり目はどうも夕方になるとかゆみが出やすいようだ…」

天気のせいで体調がすぐれなかったり、振り回されたりするのは、しんどいものです。さいきんでは「気象病」などという言葉も耳にするようになりました。

しかし見方を変えれば、それは私たちの体が地球と連動している証拠でもあります。惑星規模の大気の流れや水の循環が、地球からすれば芥子粒ほどのこの物体にも、着実に影響を及ぼしている。当たり前とはいえ、ちょっと不思議な気持ちになります。

地球をすみかとするかぎり、私たちは天気と無関係には生きられません。それが地球型生命の宿命だとしても、なんとかしてその変化とうまく付き合いたい。寒い日には温かいものを食べたり、頭痛が起こりそうな日はあらかじめ外出を控えたりします。

障害や病気があると、その種類によっては、天気との付き合い方はよりシビアになります。フィリピン沖で台風が発生しただけで耐え難い痛みを感じる人がいます。季節ごとに、まったく違うタイプの痺れを感じる人がいます。日々の体調の変化が激しすぎて、全く予定が立てられない人がいます。これらは、地球からの影響に対して、よりダイレクトに、ダイナミックに反応してしまう体です。

そのような体をもつ人々は、まさに古代ギリシアの医者たちのように、環境にあらわれる兆候を細やかにとらえながら、その波とうまくつきあうすべを探っています。観察を続けるうちに経験が蓄積され、知が形作られます。やがて知が共有され、コミュニティが生まれます。「気圧が下がってるね」「今日はてんかんが起こるかも」。天気により近いところで生きている人たちは、SNSなどでお互いの情報を交換し、ともに空模様を気遣うネットワークを作り上げます。

本連載では、このような「天気に巻き込まれながら生きる人々」が、そのことによってどのような時間感覚や空間感覚をもち、さらには天気を中心としたどのようなコミュニティを作り出しているか、また時計やカレンダーを基準とする近代以降の社会と自らの体をどのように調停させているのか、そのさまざまな事例を見ていきます。彼らはときに天気の変化を乗りこなすサーファーのようであり、ときに離れた町の情報を交換しあうスパイ集団のようでもあります。

でも彼らにもっともよく似ているのは、むしろ農業や漁業、あるいは林業を営む人たちかもしれません。山の色を見て田植えの時期を決める。海の匂いから漁に出るタイミングをさぐる。本連載は、私の研究上の専門である障害や病気を持つ人々の事例を中心的に扱いますが、そうした当事者たちの言葉と、農業・漁業・林業などに従事する方たちの言葉を同列に並べてみたいなと思っています。「気圧の変化で後頭部が痛むこと」と「雷雨で稲穂が倒れること」は、人間にとってどのくらい近く、あるいは遠い出来事なのでしょうか。

共通しているのは、やはり「兆候を読む」という態度です。面白いのは、そこには常に、ある種の「とどかなさ」があることです。

天気は、信じられないほど複雑な現象です。人工衛星とビックデータを駆使した天気予報ですら外れることがあります。だからこそ体に関しても「いつもならこの時期に出るはずの痛みが出ない」など、イレギュラーな出来事もしばしばでしょう。

私たちはつい、Aという出来事とBという出来事が繰り返し同時に起こると、その二つを「Aが起こったからBが起こった」という「因果関係」で結んでしまいがちです。けれども、この発想じたいがかなり人間的なものにすぎません。天気という現象には無数の要因が関係しており、さらにそれらが相互に依存しているという意味では、むしろ「縁起」に近いものでしょう。

その無限に変化する複雑な網のなかに、人は何らかの兆候を見たと思い、自分の体調や行動のヒントを探し求めます。まさに巻き込まれるしかない天気という相手。彼方からのしらせを聞き取りながら、ダイナミックな体のすがたを描き出してみたいと思います。


[1] ヒポクラテス(小川政恭訳)「空気、水、場所について」『古い医術について』、岩波文庫、1963年、7頁
[2] 前掲書、8-9頁

東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。現在、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。リベラルアーツ研究教育院教授。主な著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)などがある。