8 あるいはハーシュノイズでいっぱいの未来

ゾンビには意識が存在しない。だが、そのことは彼らに「生活」が、「日常」が存在しない、ということを直ちに意味しない。

ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(1978)には、ショッピングモールに集うゾンビたちが登場する。彼らが綺羅びやかなショッピングモールに向かうのは、生前の習慣からであり、無意識の領域に降り積もっていく諸々の習慣が彼らの「本能」(instinct)を形づくる。ゾンビに意識はない。それでも、彼らは彼らの日常生活を送ることができるのだ。それが、たとえ見かけの上でしかないとしても。

もうひとつ、ゾンビが人間と異なるのは、ゾンビは非常事態下においても彼らの日常生活=習慣を遂行しようとする点だ。しかも、その非常事態は取りも直さず彼らの日常生活それ自体によって引き起こされている、ときている。ゾンビは革命を起こさないし、いかなる思想も持たない。彼らはいつものようにショッピングモールに向かう。すると、社会が転覆する。

ゾンビは近代的主体のあり方の対極に位置する。ゾンビは善悪の彼岸に位置する。主体の理性や道徳律に訴えかける呼びかけがゾンビたちに届くことはない。ゾンビは自律的な主体ではない。彼らは周囲の状況に対して機械的かつ依存症的=反復強迫的に反応するだけだ。ゾンビに意識はない。ということは当然、自由意志も備わっていない。つまり、彼らの行動に対して「責任」を課すことはできないし、彼らの行動に対して何かしらの道徳的判断を行うこともできない、ということだ(たとえば、諸々の依存症は患者の自己責任である、といった非難は単なる撞着語法でしかない。みずからの意志によって特定の行動を抑制できるうちはそれを依存症とは呼べない)。

ゾンビたちに向かって道徳や倫理を説いたところで、いったい何になるというのか? ゾンビたちに罪という観念を押し付けることに何の意味があるのか?

ロメロがゾンビたちに向ける眼差しはどこまでも優しい。『ゾンビ』の序盤、ライフルで武装した村人たちがゾンビたちを的にして狩りを楽しむ、災害ユートピア(?)を思わせる牧歌的なシーンが展開される。後半にも、モールに侵入したバイカーギャング集団がゾンビたちを殺戮して回る祝祭的なシーンが存在する。これら人間たちの悪徳さとゾンビたちの純粋さは美しいコントラストを成している。

だが、いくら迫害され、虫けらのように虐殺されたとしても、彼らは自身の「生活」をやめようとはしないだろう。彼らは意識を剥奪されることによって、あらゆる体制的なものと人間主義の残滓に抵抗しはじめるのだ。

ゾンビ、それはポストヒューマン、我々の後に来る者たちである。

近所の都道沿いに巨大なパチンコ複合施設がある。私はパチンコユーザーではないが、通りがかりにトイレを借りるために入店することがしばしばあった(そこのトイレは常に清掃が行き届いていて気に入っていた)。トイレを利用するためにはメインホールを横切る必要があるのだが、そのたびに店内に鳴り響く、さながら出来の悪いスカムな轟音ハーシュノイズに度肝を抜かれるのと同時に、脳が麻痺したような(だが必ずしも不快ではない)感覚に襲われるのであった。

高音域を占めるその暴力的なノイズは、たとえばカジノの店内音響と比較すればその特異さがよくわかる。アメリカの音響アーティストAdrian Rewの作品に、アメリカ中西部におけるカジノの店内をフィールドレコーディングした『Slot Machine Music』というシリーズがあり、SoundCloudなどにも上がっているので、一時期作業用BGMとしてよく流していた。この音響インスタレーション作品を聴くと、アメリカのカジノは日本のパチンコ店とはまったく異なり、ノイズではなくむしろアンビエントな音響環境が構築されていることがわかる。スロットのピコピコした柔らかい電子音とリールが回転する音がスティーヴ・ライヒのミニマル作品のように陶然と反復し続け、ギャンブラーに朗報を知らせるベルの音や多幸的なサウンド・エフェクト、コインが流れ落ちる音、そして人々の話し声とざわめきとギャンブラーの嬌声がその上から多層的に被さってひとつのまとまりを持った「空間」を形成していく。

アメリカのカジノが反復する円環状のリズムによって成り立っているとすれば、日本のパチンコ店の直線的なハーシュノイズがもたらすのは円環的な時間ではなく、言ってみれば、てんかん発作的な時間感覚、精神病理学者の木村敏のいう、意識の解体にもとづくイントラ・フェストゥム的な時間感覚であろう。パチンコユーザーは鼓膜に常に暴力的なハーシュノイズを浴び続けることで、見当識が失われたような状態に置かれる。空間感覚も時間感覚も消失し、そこに残るのは過去も未来もない「永遠の現在」である。木村敏は著書『時間と自己』のなかで以下のように記している。

われわれは、分裂病者の未知なる未来との親近性を、「祭の前」を意味する「アンテ・フェストゥム」の概念で捉え、一方鬱病者における既存の役割的秩序との親近性を、「祭の後」を意味する「ポスト・フェストゥム」の概念で理解してきた。この「祭(フェストゥム)」という語は、特別な意図もなく、いわば偶然に見出された表現であったけれども、ここで第三の狂気の本質的な特徴を「祝祭的な現在の優位」という形で取り出してみると、われわれはそこに、もはや偶然では済まされない一つの符号を見出すことになる。われわれはこの第三の狂気に、「祭のさなか」を意味する「イントラ・フェストゥム」の形容を与えようと思う。イントラ・フェストゥム的意識に特徴的な時間構造は、いうまでもなく、現在への密着ないしは永遠の現在の現前である。(強調原文)[1]

木村によれば、この「永遠の現在」の現前にもとづくイントラ・フェストゥム的意識は、必ずしも病的なものではなく、「人生の大半を理性的な日常性の中で過ごしているどんな健康人のもとにもときどき訪れる非理性の瞬間として、愛の恍惚、死との直面、自然との一体感、宗教や芸術の世界における超越性の体験、災害や旅における日常的秩序からの離脱、呪術的な感応などの形で出現しうるもの」[2]であり、これら多種多様な様相を呈するイントラ・フェストゥムの特徴をひとことで言えば、それは「日常性を保証する理性的意識の座としての意識の解体としてまとめることができる」(強調原文)[3]という。

パチンコ店が形成する空間性は、いわばこの「日常的秩序からの離脱」の「日常化」とでもいうべき性質を持っているのではないだろうか。「非理性の瞬間」の「恒常化」。そこでの意識は、解体されたまま決して再構築されることなく宙吊りの状態に留め置かれる。

こうした「時間」意識は、もちろん現代における社会秩序の中では往々にして異常なものとして看取されうるだろう。だが木村に従えば、個別的自我が発生する以前の原始社会においては、イントラ・フェストゥム的契機はむしろ人間にとって唯一の「時間」であった。

個別的自我が自然との和解において復帰する永遠の現在は、個別的自我の誕生以前には、つまり自然と自己との完全な一体性が保存されていた原始的な状態においては、人間にとっての唯一の「時間」であったはずである。そのような時間は、以前と以後の方向も、過去と未来の区別も、時間の不可逆性の観念も知らぬような時間、万物がいまあるままの姿で無限に反復される永劫回帰の純粋持続であっただろう。個人が自己の一回限りの生と死を集団全体の生と死から区別することを学び、名前と職分を与えられて個人間の差異が自覚されるようになったとき、そこに未来と過去の観念が生まれ、以前と以後との不可逆な方向づけが始まる。こうして時間は、こと的なありかたの透明な混沌から、もの的な対象性をもつ不透明な秩序体へと「進化」する。(原文強調)[4]

木村によれば、西欧型個人主義文明に汚染されていない自然の中に住む原住民たちの時間意識は、現在の圧倒的支配下にあるということを、人類学者たちの報告のなかに認めることができるというが[5]、人類学者は日本のパチンコ店もフィールドワークに訪れるべきであっただろう。

他方、パチンコ店で経験されうるイントラ・フェストゥム的時間構造がもたらす意識の解体と消失の恒常化が、同様に原始社会においても経験されていた可能性があることは、ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』の記述が示唆するところでもある。

ジェインズは本書のなかで、意識が人類の間に誕生したのはわずか3000年前のことであるという大胆な仮説を提唱している。それより以前は、人間は意識、ジェインズの語彙を借りれば、内観する内面の<心の空間>を持っていなかった。代わりに彼らは<二分心>を持っていた。<二分心>のもとでは、意志も立案も決定もすべてが無意識下においてまとめられ、そして権力者や「神」を表す視覚的オーラとともに、またあるときは声だけで各人にアウトプットを「告げられ」た[6]。つまり、彼らの行動は、明確に意識された計画や理由や意志に基づいてではなく、無意識の深層から呼びかけられる神々の「声」によって開始されたのだ[7]。生理学的には、神々の「声」はウェルニッケ野に相当する右半球の領域で瞬間的にまとめられ、それが前交連を通り、左側頭葉の聴覚野がその「声」を幻聴という形で聞き取っていた(統合失調症に見られる幻聴はこの<二分心>の名残りではないかとジェインズは述べている)[8]。だが、度重なる政治的動乱や大災害、文字の隆盛に伴う「神=声」の権威の弱体化などが原因で、およそ3000年前にこの<二分心>という左半球と右半球との分業体制が崩壊し始め、脳半球同士がよりスムーズにやりとりする必要性が出てくると、内観を行う認知プロセスであるところの「意識」が発達するようになった、という。「<二分心>崩壊の直接かつ突発的な原因――神々と人間の間、つまり幻覚の声と自動人形のような行動の間に意識という楔が打ち込まれた原因――は、社会的混乱の中で、神々が人に何をすべきか告げられなかったことにある。」[9]

ジェインズが、意識の起源を混乱の時代に求めていることはとりわけ示唆的に思える。<二分心>時代には、同じ都市が崇める神に属してた人々は、さながら自動人形のように(あるいはゾンビのように?)、多かれ少なかれ似たような行動を取っていた。だが秩序が崩壊し、異なる神や民族が入り乱れるようになると、言い換えれば生活に「変化」が訪れると、脳はそうした変化に対して柔軟に反応できるようなまったく別のシステムを構築する必要に迫られた。意識は人間が「変化」に対処するため、言い換えれば目の前に提示された無数の選択肢の中から適切なものを選び出す(自由意志にもとづく意識的な選択決定)ために生み出された認知プログラムであると言えるだろう。

パチンコ店はまるで失われた神々が復権したかのような世界である。だが、人々の脳に語りかけるのはもはや神ではない。太古の神の座は、今や操作可能な物理的環境――すなわちアーキテクチャ――によって占められている。

もちろん、アーキテクチャは太古の神々のように主体の脳に直接呼びかけることはしない。代わりに、それは意識ではなく無意識を介して主体を制御する。アーキテクチャは何らかの主体の行為を制約すると同時に、可能にする超越論的地平である。たとえば、主体を可能な限りパチンコ台に向かわせるためのアーキテクチャは、ゲームのルールを創造し定義する「構成的ルール」と、主体のインセンティブをコントロールし、特定の方向に行為を誘導する諸々のアーキテクチャの組み合わせとしてあるだろう。注意すべきは、アーキテクチャが主体の無意識に作用するという性質を持っている限り、特定の空間に存在するアーキテクチャの外延をすべて記述し尽くす試みはおよそ不可能である、ということだ。たとえば、メインホールに存在するすべての「雑音」の総和であると同時にその剰余としての、言い換えれば結果として半ば偶然現れてしまうハーシュノイズを果たしてアーキテクチャに含めることが可能であるかどうか判断するための明確な指標は存在しない。とはいえ、ホールに存在する人々は、そのノイズに意識を向けることはないだろうが、それでもそこに「やすらぎ」を見出しているのである。

ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」のなかに、大衆芸術における集団による同時的受容の例として映画館を挙げている箇所がある。

観客ひとりひとりの反応の総和が、観客のかたまり的(マッシヴ)な反応を形成するわけだが、映画館においてはひとりひとりの反応が、直後に生じるかたまり(マス)化によってあらかじめ制約されており、このことがこれほど明確に証明される場所はほかにない。[10]

観客のひとりひとりが受けとる反応は、直後に発生する反応の総和であり剰余としての「かたまり(マス)化」によってあらかじめ制約されているのだが、この部分と集合との再帰的な関係それ自体がひとつの無意識的なアーキテクチャ環境を形成しているかのようでもある(ベンヤミンならそれを「集団的な夢」と形容するであろうが)。また、ベンヤミンが同テクストの別の箇所で、大衆による建築物(アーキテクチャ)の受容の仕方として、触覚的受容と視覚的受容の二つを挙げたうえで、そのどちらも「注意力の集中」という手段によってではなく、「習慣」という手段によって行われる、と指摘している点は私たちにとって示唆的である[11]

歴史の転換点において人間の知覚器官が直面する課題を、たんなる視覚、つまり観想という手段によって解決することはまったく不可能なのである。それらの課題は、触覚的受容の導きによって、慣れを通して、少しずつ克服されてゆく。[12]

触覚的受容を特徴とするのは、意識的な「観想」ではなく、無意識的かつ生理学的な「慣れ」のプロセスである。「習慣」と「意識」はそれぞれまったく別の回路を形成している。自転車に乗るとき、私たちは身体の動きを意識しようとはしない。ピアニストがピアノを弾くとき、鍵盤の上を滑る指の動きを意識することがない。それらの動きは「習慣」という無意識下の回路を通じて精緻に制御されているので、意識的に制御しようとすればかえって悲惨な結果を招く、ということを私たちは知っている。

言うまでもなく、無意識的な誘導を特徴とするアーキテクチャは、パチンコ店だけでなくいたるところに遍在している。法学者のキャス・サンスティーンは、人間の認知バイアスなど、行動経済学の知見を用いて、当人の福利を向上させる方向に選択を誘導させる「選択アーキテクチャ」を「ナッジ」(かるく後押し)と定義した上で、こうした「ナッジ」の遍在を指摘する。彼が挙げている例のひとつに、健康に良い食べ物を個人が選択しやすいよう、食べ物の配列があらかじめデザインされたビュッフェ方式のレストランがある[13]

だが、とりわけインターネット空間のアーキテクチャ(=法としてのコード)は、ビッグデータやアルゴリズムによる選択環境の構築と変更が現実空間と比べてはるかに容易(可塑的)であるため、こうした「ナッジ」が孕む可能性を先鋭化した形で私たちに突きつけている。

ひとつは、選択環境の「個人化」(パーソナライゼーション)である。たとえば、プロファイリングによって個人の過去の行動記録から導き出された選択を「ナッジ」として誘導することで、当人の福利を向上させることがそこでは目指される。だが、サンスティーンも指摘するように、こうした個人に最適化されたデフォルト環境の構築は、過去の選択と矛盾しない結果となるように促すことによって、視野を広げるよりはむしろ狭める可能性がある[14]。個人化されたデフォルト環境は「学習」を促さない。能動的選択は「学習」を促し、したがって選好、価値観、嗜好の変化や発達を促すが、偶然性やエラーを徹底して排した個別化したデフォル環境は、逆に「習慣」への順応を促し、結果的に人を既知に取り囲まれた「共鳴室」(エコーチェンバー)に閉じ込める可能性がある。デフォルトに基づく受動的選択は、主体から能動性を奪う。デフォルト環境に欠けているのはセレンディピティ、すなわち偶然的な未知との出会いである。

アーキテクチャの遍在によって、主体の選択や行為はアルゴリズムに先回りされる形であらかじめ決定されている可能性がある。当然、こうした主体の無意識を介して行動を制御するアーキテクチャは、功利主義的な統治手段としては有用である[15]。そこにおいては、「人民の自己統治原理」や「遵法責務」といった近代国家のセントラル・ドグマを前提とする必要はない。行為者の自由意志に当て込んだ、一定のサンクションによって特定の行動を避けさせるという法や規範のシステムと異なり、アーキテクチャは選択自体をコントロールすることで、特定の行為を禁止させる統制手段の自動化が図られる[16]。アーキテクチャによる統治のもとでは、人間の「自由意志」は、さらに言えば「意識」すら必要ない。言い換えれば、未来時点に対する予期を前提とする諸々の威嚇的サンクションと、その担い手としての自律的な個人は端的に言って無用となる。

かくして、間延びした「永遠の現在」のもとで、イントラ・フェストゥム的な個人はさながらピアニストがピアノを奏でるように生きることになるだろう。習慣と無意識に統御された人々は、惑星規模の巨大なパチンコ店の内部で自動化された生を生きる。私たちが考えるべきは、果たしてそこにおいても「抵抗」の可能性は未だありえるだろうか、という問いである。もちろん、アーキテクチャによって抵抗はあらかじめ封じられている。なので、それは「抵抗なき抵抗」にしかなりえないだろう。ゾンビたちによる反乱、ゾンビ・アポカリプスはどのようにすれば起こりうるのか?

だが少なくとも、アーキテクチャによる統治と規範による統治が混在している状況においては、すなわちアーキテクチャと規範が対峙しているような状況においては、まさにアーキテクチャによるコントロールが規範によるコントロールをコントロール不能な状況にまで追いやるかもしれない。社会規範によって課されるサンクションは、未来に対する予期を行うことが可能な、義務を負う責任主体としての自律的な個人、言い換えれば規律訓練された近代的個人を前提としているのだった。だが、「永遠の現在」を生きるゾンビたちに、そのような規範が通用するだろうか。彼らはいつもどおり、今日もショッピングモールに通い、そして人間たちの社会秩序を危機に追いやるだろう。

【了】

 

[1] 『時間と自己』(中公新書)木村敏、158〜159頁

[2] 同上、134頁

[3] 同上、135頁

[4] 同上、168〜169頁

[5] 同上、169頁

[6] 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ、柴田裕之 (翻訳)、99頁

[7] 同上、96頁

[8] 同上、133頁

[9] 同上、249頁

[10] 『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)』ヴォルター・ベンヤミン、浅井健二郎 (編訳)、617頁

[11] 同上、625頁

[12] 同上、625頁

[13] 「個人化される環境――「超個人主義」の逆説?」山本龍彦(『アーキテクチャと法―法学のアーキテクチュアルな転回?』松尾陽(編)所収、73頁)

[14]『選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち』 キャス・サンスティーン、伊達尚美 (翻訳)、186頁

[15] 『統治と功利』安藤馨

[16] 『自由か、さもなくば幸福か?:二十一世紀の<あり得べき社会>を問う』(ちくま選書)大屋雄裕、76頁

 

7 調和と逸脱──19世紀における〈メタ身体〉の系譜学

再度確認しておけば、フーコーにとって19世紀とは「狂気」の絶えざる内部化、言い換えれば怪物的な生を権力の内側へと際限なく繰り込んでいく、そういったプロセスに他ならなかった。もはや怪物は表象不可能な<外部>などではない。それは科学的/医学的に検証・計測可能な対象でなければならない。もはや怪物は存在せず、代わりに異常者という一群のカテゴリーの存在者たちが可視的な光の下に囚われる。

たとえば、1976年にフーコーはP・ヴェルネールとのインタビューにおいて次のように発言している。

狂気が、――あるいは非行や犯罪が――絶対的な外からわれわれに語りかけているのだと考えるのは幻想です。狂人の不幸、あるいは犯罪者の暴力ほど、われわれの社会の内部にあり、その権力の諸効果の内部にあるものはないのです。言い換えれば、われわれは常に内部にあるということです。外部とは神話なのです。外の言葉(パロール)とは、絶えず更新される夢なのです。ひとは狂人を、創造的あるいは怪物的な外に置きたがるものです。しかし彼らは網の目の中に取り込まれており、権力の諸装置の中で形成され、機能しているのです。[1]

外部とは神話である。狂気も、真理も、外部には存在しない。なぜなら、外部自体が存在しないからである。フーコーは同じ年の「知識人の政治的機能」と題されたテクストにおいて、狂気を語るのと同様の口吻で、「真理はこの世界に属している」と喝破する。真理は権力の外にあるのでも権力なしにあるのでもない。真理は自由な精神の報酬でも、自らを解放することができた者の特権でもない。代わりに、そこには各々の社会における真理の体制、その真理の「一般的政治」とでも呼ぶべきものを持っているのである、という[2]。そして、フーコーは次のような「命題」を述べる。

――「真理」を、諸言表の生産、法、配分、流通や機能のための規則付けられた諸手続きの集合と解すること。

――「真理」はそれを生産して支える権力のシステムに、そして真理が誘発し真理を継続する権力の諸効果に循環的に結びついている。真理の「体制」。[3]

フーコーも断っているように、真理の「体制」は単なるイデオロギーや上部構造に還元できるものではない。真理の「体制」は、人々の「意識」や頭の中に持っているものを変えるだけでは揺るがない。問題は、真理の生産の政治的、経済的、制度的体制を変えることである。

19世紀の半ばから後半にかけて起こった「異常者」と呼ばれる「一族」の登場は、この時期に真理の「体制」にある移動と変化が起こったことを示している。言い換えれば、真理と狂気との関係にある根本的な変動が起こったのだ。そしてこの変動は、フーコーが「規律権力」から「生政治」へと分析を移行させていく過程とも密接に関わっているに違いない、というのがここでのさしあたりの見立てである。

繰り返しになるが、大雑把にいえば規律権力とは個人をターゲットにした権力であり、主に『監獄の誕生』と『知への意志』の中で重点的に論じられた。『知への意志』でのフーコーの言葉に従えば、規律権力とは「身体の調教、身体の適性の増大、身体の力の強奪、身体の有用性と従順さとの並行的増強、効果的で経済的な管理システムへの身体への組み込み」を主要な特徴とし、またそれはフーコーによって「人間の身体の解剖―政治学」とも呼び替えられた。それに対して、生政治とは、「種である身体、生物の力学に貫かれ、生物学的プロセスの支えとなる身体」というものに中心を据えている。それゆえ「繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命、長寿、そしてそれらを変化させるすべての条件」が重視される。それらを引き受けたのが、調整する管理、すなわち人口の生―政治学であるというのだ[4]

今や、生に対する権力の組織化が展開する二つの極として、身体の関わる規律(規律権力)と人口の調整(生政治)とがクローズアップされてくることとなる。これら二つの極を合わせて、フーコーは改めて「生―権力」の時代の到来を告知するのである。

さらにフーコーの言を確認しておけば、規律の側にあるのは軍隊や学校といった制度である。「戦術について、技術習得について、教育について、社会の秩序についての反省」である。それに対して、住民=人口の調整の側にあるのは、人口統計学であり、収入と住民の関係の算定であり、富とその循環の、生とその確率的長さの図表化である[5]

これら二つの極は、18世紀にはなお明確に区別されたものとして立ち現れていた、とフーコーは述べる。だが、18世紀末から19世紀初頭にかけて現れた「観念学派(イデオローグ)」と呼ばれる、カバニス(1757〜1808)、デスチュ・ド・トラシー(1754〜1836)、ヴォルネー(1757〜1820)などに代表されるフランス哲学の一派による、「観念と記号の、そして感覚の個体的生成の理論」であると同時に「利潤の社会的構成の理論」でもあったもの、すなわち「観念学(イデオロジー)」という、「技術習得の理論であると共に契約ならびに社会集団の調整された形成の理論でもあるもの」が、これら二つの権力技術を整合させ、その一般的理論を作り出そうと企てた抽象的言説を構成し、これがやがて19世紀における巨大な権力のテクノロジーを形成することとなった、という[6]

以上のように、19世紀とは生政治を通した全体化と規律権力を通した個別化という二重の働きから成る生権力が前景化してくる時代である、とひとまずは要約することができそうである。なお、この生権力は、のちにフーコーによって「司牧権力」として、ユダヤ=キリスト教的伝統における羊飼いをモデルとする、群れに対して「全体的かつ個別的に」配慮し導く権力として語り直されることになるが、ここでは措く。

 

とはいえ、檜垣立哉も指摘するように、ここにはある種の拭い難い「ちぐはぐ」感もあるように思える。すなわち、「端的にいって、個別的な身体へのミクロ的な介入と、人口や、それに関する出生率や管理などの間には、おおきな差異があるとみなすべきではないか。つまりフーコーがこの二つを「生権力」としてとらえること自体が、何か「ちぐはぐさ」を生じさせる原因になってはいないだろうか。」[7]

なるほど確かに『知への意志』においては、この区別される二つの権力はやや唐突に導入されており、さらに『安全・領土・人口』以降のフーコーの講義録では生政治は統治性という名のもとに分析の主要なテーマとなる一方、『知への意志』で展開されていた規律権力に関わる「セクシュアリティ」の主題は対照的に目立たなくなっていく。

この二つの権力の懸隔、つまりちぐはぐ感は、『知への意志』では「観念学派」というキーワードをやや性急に持ち出すことによって解消しようと試みられていたが、そこでの検討も決して充分とはいえず、やはり消化不良感は否めない。それではこの二つの権力を繋ぐミッシングリンク(?)はフーコーのテクストのどこにおいて求められるべきなのだろうか。

筆者の見るところ、それは「ノルム=規範」(norme)である。この点に関しては、藤田公二郎の次の記述がわかりやすく、また示唆に富んでいると思われるので引用しておきたい。

彼[フーコー]によれば、生権力は、解剖政治であれ生政治であれ、実のところ「規範」(norme)を道具にして作用している。ここで言う規範とは、本来、生命的次元において経験的に取り出されるものであり、正常/病理についての事実上の規則であるが、しかしそれが法的次元に格上げされて、合法/違法についての権利上の規則、すなわち「法」(loi)に干渉し、その結果、正常/異常についての「医学的―司法的」な規則として機能しはじめているというのである。[8]

藤田は、こうした法的次元と生命的次元が互いに重なり合う二重体を「生命的―主権的複合体」と名付けている。すなわち、法的次元では主権権力が問題となり、そこでは主権者が法の言説を通して権力を行使するが、その権力関係の背後には、それを支えるもうひとつの生命的次元が存在している。生命的次元においては、生権力、つまり規律化する権力であるところの解剖政治、そして人口の調整などを通じて作動する生政治が存在する[9]。本稿の文脈で重要なのは、解剖政治と生政治がともに「ノルム」という装置を軸にして作動しているという点である。

 

「ノルム」とは何か、そしてそれはいつ社会の中に登場したのか。それを知るために、まずはそれと付随する「倒錯性」の概念の出現に目を向けるのが良いだろう。前々回と前回でも取り上げた、1975年のコレージュ・ド・フランス講義『異常者たち』の中で、フーコーは、この「倒錯性」という「極めて奇妙な」概念は、19世紀の後半頃、すなわち精神鑑定の導入に伴い、医学的言説と司法的言説とが互いに排除し合うことをやめ、その代わり、医学的かつ司法的な二重の性質決定の領野が現れ始めた時代に登場した、と述べている[10]

前々回でも述べたように、18世紀末以来の刑法によれば、処罰されるのは法律によって定義された違反行為のみであり、同時に法律は問題の行為より以前に制定されたものでなければならない(刑法の不遡及の原則)。だが、こうした刑法における古典学派に象徴される方法論は、19世紀後半に現れた新派刑法学によって取って代わられることとなる。それまでのカント、フォイエルバハ、ヘーゲルおよびビルクマイアー等に代表される古典学派の共通項としては、犯罪人の自由意志を認めること、自由意思の発現としての客観的犯罪概念を採用し、刑事責任の基礎をもっぱら外部的に表現された犯人の行為に求めること、などを挙げることができる。このように、概ね古典学派の基本的な刑法理論は、19世紀中頃までの西洋諸国における個人主義、自由主義の潮流に適合的であったといえる[11]

しかし、19世紀後半になると、産業革命に伴う社会構造の変化、たとえば鉄道網の発達に付随した人口移動の激化、または都市化と失業率の増加に起因する犯罪・累犯・少年犯罪の急激な増加による新たな社会不安を招来することとなった。こうした社会情勢に対して、古典学派に代わる新たな刑法理論の登場が求められた。そんなさなか、ドイツの刑法学者であり新派刑法学の主導者となるリストは、1882年に発表された論文「刑法における目的思考」において、ロンブローゾやガロファーロらイタリア学派犯罪人類学の影響のもと、刑罰の目的は法益保護にあるという主張を行った。たとえば、リストは次のように述べている。「刑罰はどのような法益の保護を果たすのか。……それは社会学の方法、つまり大量現象の体系的観察である。最も広義における犯罪統計学のみが、我々を確実な答えに導いてくれる。我々が刑罰の法益保護機能や犯罪予防機能を学問的確実性をもって確定するためには、犯罪を社会的現象として、刑罰を社会的機能として考察しなければならない」(強調筆者)[12]

ここには、もはや法的責任主体としての、言い換えれば「自由意思」を行使して犯行を行う犯罪人も、一方で「自由意志」が認められないがゆえに責任もありえず、よって法的主体としては補足されえない「怪物」の存在も前提とされていない。古典学派はその「行為」がいかなる刑罰に値するかを問題としたのに対し、新派刑法学が問題とするのはその「犯罪者」がいかなる刑罰に値するか、である。そして、その際の判断材料となるのが、犯罪と刑罰に関する科学的認識、すなわち精神医学、社会学、犯罪人類学、遺伝生物学、といった諸科学による<知>である。ここにおいて、フーコーの指摘した、医学的かつ司法的な二重決定の権力の領野が完成を見るのである。

今や、怪物的な狂気は「自由意思」を伴わないという理由で「法」の外部に放逐される(刑罰免除)ことはない。精神鑑定の導入は、法の対象を行為から行動様式へ、犯罪から存在様式へと移行させることを可能にし、そしてその存在様式をまさしく犯罪そのものとして出現させる[13]

リストによって、「刑罰の目的は法益保護にあり、犯罪予防機能にある」と主張されるとき、また医学的知と司法的知が折り重なる制度的混成が形成されるとき、そこにおいて差し向けられるもの、それこそが「危険」、そして「倒錯」である。

そうした制度の全体は、危険人物という、正確には病人でもなければ文字通りの犯罪者でもないようなものに対して差し向けられます。精神鑑定において、鑑定医が診断を下すべき対象、すなわち、その尋問、分析、診断において鑑定医が対決する相手とされるのは、危険となりうるような人物です。したがって、互いに向かい合い、互いに極めて近接した二つの概念があるということになります。すなわち、一つは「倒錯」という、医学的な諸概念の系列と法的な諸概念の系列とを縫い合わせる概念であり、もう一つは、「危険」ないし「危険人物」という、医学的かつ司法的な諸制度の間断なき連鎖の存在を正当化し理論づける概念です。危険と倒錯。これらの概念こそまさしく、法医学鑑定のいわば本質的な核であり、理論的な核である、と私は思います。[14]

治療という医学的審級から監獄そして極限においては死刑という刑罰制度へと至る連続体が社会全体を貫いたときに現れるカテゴリー、それこそが「危険人物」なのである。前々回で述べたことの繰り返しになるが、非行者は、リスクという観点から、すなわち社会にとって「危険」な人間であるか否かという観点から分析と解釈の対象となるのである。社会は異常者たちから防衛されなければならない

だが注意すべきは、この「医学的―司法的」連続体とでも呼べる権力を駆動させている当のものは、実のところ司法的権力でも医学的権力でもない、という点である。事実、フーコーは、法医学鑑定/精神鑑定は、司法的権力でも医学的権力でもない第三の項、すなわち別のタイプの権力に従事していると述べる。その第三のタイプの権力こそ、フーコーが「正常化=規範化(normalisation)の権力」と呼ぶものなのである[15]

精神鑑定は、異常者にかかわり、ある種の正常化=規範化の権力を介入させて、少しずつ、その固有の力と、それが医学的なものと司法的なものとに保証する接合の効果とによって、司法的権力と精神医学的な知をともに変容させ、異常なものを管理する審級となります。[16]

正常化=規範化の権力は、司法的権力と医学的権力に「保証」という形で経験的な条件を付与することで、これら二つの権力/知を変容させながら特定の関係を確立するのだが、それでもこの正常化=規範化の権力は依然として「医学的―司法的」連続体の権力とは独立して作動しているのである。たとえば、『知への意志』は、主にセクシャリティの領域に適用された正常化=規範化の権力の歴史や諸技術について扱った書物と解することができる。

 

この、「異常なもの」を生産し管理する審級としての「ノルム」の権力装置が西欧史に現れたメルクマールとして、たとえばフーコーが例に挙げている18世紀におけるペスト患者の管理のモデルを取り上げてみよう。フーコーは、諸々の個人の管理に関して、西欧には結局、二つの大きなモデルしかなかったように思われる、と述べている。その二つのモデルとは、癩病患者の排除というモデルと、ペスト患者の封じ込めというモデルである[17]

中世における癩病患者の排除は、厳密に分割すること、距離を置くこと、を含意し、それは癩病患者を都市の城壁の向こう側、共同体の境界の<外部>へと締め出すことによって行われた。それは同時に、法的かつ政治的な意味での価値剥奪を含意する、死への旅であった[18]

こうした排除、価値剥奪、追放といったネガティヴなメカニズムに支えられたモデルは、しかし17世紀末から18世紀初頭にかけて姿を消したように思われる、とフーコーは分析する。反対に、それとは別のモデル、ペスト患者に対する封じ込めのモデルが、癩病患者の排除に取って代わったという。ペストのモデル、それは管理のモデルであり、ペストが発生した都市の網羅的警備というモデルである。ペストによって封鎖された都市の一定の地域は、追放された人々が身を置く<外>の領域ではない。というのも、その地域は、綿密で詳細な分析と細心の網羅的警備の対象となったからである。

ペストが発生した都市は、区域、街区、街路ごとに分割され、各々の街路には見張りが、各々の街区には監査官が、各々の区域にはその区域の責任者が、そして都市そのものには、任命された地方総督か補足的な権力を与えられた都市役人が配置された。そこでは、隙間のない監視が中断なく行われ、また一方で都市の市民の名前はすべて登記簿に記載され、視覚的な検査とあらゆる情報(病気である者と病気でない者の分類)の登記簿への再登記によって住民集団は絶えざる管理のもとに置かれた[19]

このように、ペストにおいて問題となっているのは、排除ではなく隔離であり、狩り出すことではなく、一人一人に場所を与え、それを指定して監査すること、すなわち追放ではなく封じ込めである。また同時に、ペストにおいては、清浄な人々と不浄な人々、癩病にかかった者とそうでない者というように、人々を大きな二つのタイプに分割することが問題となるのではない。むしろそこでは、病気の人々とそうでない人々とのあいだに不断に観察された、一連の細かい差異が問題となっている。さらに、ペストにおいては、癩病患者の排除に見られるような、一種の浄化が問題となることはない。それでは一体何が問題となるのか。

そこでの問題は、健康、生命、寿命、個々人の力を、最大限にまで導くことです。つまり、重要なのは、健康な住民集団を産出することであり、癩病の場合のように、共同体のなかに暮らす人々を浄化することではないのです。最後に、ペストにおいては、住民集団の一部に対して決定的な烙印を押すことが問題となっているのではありません。問題は、規則性の領野の恒常的な検査です。つまり、そうした検査によって住民一人一人を絶え間なく評価し、彼らがはたして規則に適っているかどうか、定められた健康の規格に適っているかどうかを知ることが問題なのです。[20]

ここにおいて、諸々の規律権力の装置が目指しているものこそが、「正常化=規範化」である、と言うことができるだろう。ここで作動しているのは、法ではなく、正常と異常(病理)の絶えざる区別であり、規範性の制度である。また、ここで「ノルム」が差し向けられる対象が個人だけでなく、住民集団という一種の全体=人口にも向けられているという点で、「全体的かつ個別的に」配慮する権力としての生政治ならびに司牧権力へと開かれるパースペクティブの萌芽がこの時点ですでに見られるのである。そして、ここでの「規範=ノルム」は、権力の行使を基礎づけ正当化する出発点となるような一つの要素であり、自らのうちに価値付与の原理と修正の原理をともに備えた要素として機能している。

 

述べてきたように、19世紀における「正常化=規範化」の権力は、そうしたノルムから逸脱した行動をとる人間の内部に異常な「自然/本性(nature)」を見出そうとする。これら一群の人々、すなわち「異常者たち」というカテゴリーを種別化するために、まさしくこれらの人々の内部に一つの錯乱した「本性」、すなわち「魂の深み」が措定される必要が生まれたわけだが、フーコーはこの循環的なプロセスが形成される背景を、精神医学、医学、生物学、経済学、犯罪学、といった人文諸科学の言説と関連付けながら分析したのだった。

だが、「ノルム」が効率的に作動するにあたってわけても重要と思われる学問は人口統計学、そして進化生物学の二つである。

酒井隆史が『自由論』の中で、または渡邉拓也が『ドラッグの誕生:一九世紀フランスの〈犯罪・狂気・病〉』の中でいみじくも指摘しているように、19世紀において「ノルム」が主にその参照点としたのは「平均」の概念であった。たとえば、「近代統計学の父」と呼ばれるアドルフ・ケトレが「平均人」を導き出し、統計学者であると同時に遺伝学者としても知られたイギリスのフランシス・ゴルトンによって「正規曲線」と名付けられたベルカーブが発見されたのはともに19世紀の出来事である。19世紀後半には、統計的平均と健康(健全さ)は同一視され、「正常なもの(le normal)」と呼ばれるようになり、逆に統計的平均=調和から逸脱したものは「病理的なもの」と記述されていった。「人口統計学を駆使していた公衆衛生の論者たちにとって、統計的偏差は社会的逸脱に一致している」[21]。人口統計学は、危険性/異常性の度合いを探査し測定するためのテクノロジーとして立ち現れる。

一方で、進化生物学の領野では19世紀に何が起こっていたのだろうか。言うまでもなく、19世紀はダーウィンが『種の起源』(1859)を上梓した世紀にあたる。だが、現在では想像し難いことだが、『種の起源』の同時代における影響力は驚くほど小さかった、という事実は見逃されるべきではない。代わりに広範な影響力を行使したのは、社会ダーウィニズムである。

『種の起源』は刊行直後から、そのオリジナリティが正しく理解されず、深刻な誤解に晒された。実際、ダーウィンが提唱した「自然選択」と「生存競争」の意義が進化生物学の領域で正しく認められるようになったのは20世紀の半ば近くのことであり、代わりにダーウィンの同時代人が『種の起源』に見出したのは、産業革命以降のイギリスにおいて支配的な社会観であった「弱肉強食」「優勝劣敗」を肯定する価値観でしかなかった[22]

たとえば、ダーウィンは生物の進化を種の「分岐」として理解する。分岐が種を多様化し、そして、種の多様化こそが進化の意味だった。つまり、ダーウィンからすれば、進化は進歩から厳密に区別されるべきものとなる。種の進化にとって問題となるのは、環境世界に適応しているかどうかであって、そのこと自体は偶然性によって左右される。そうした現象に対して「高等」とか「下等」といった価値観を適応させるのは、社会的な価値関係や階層秩序を暗に前提としている証左でしかない。実際、ダーウィンは生物の形態に関して「高等」や「下等」といった表現を用いることに慎重な態度を取っていた[23]

これに対して、ドイツの進化論者でダーウィニストを自認していたエルンスト・ヘッケルは、初期の著作『自然創造史』の中で、「ヒトの系統樹」という図版を掲載してダーウィンとは相反する世界観を提示する。この図版ではヒトが系統樹の頂点に位置しており、ヒト以外の生物はヒトへの進化の途上に配置されている。ダーウィンの進化論では、ヒトは系統の偶然的な分岐の末端の一つの位置を占めるだけに過ぎず、ヒトは特権的な位置を占めるものとはみなされていなかった[24]。しかし、ヒトに系統樹の頂上の位置を与えたヘッケルの「ヒトの系統樹」には、進化とはある揺るがない合目的性を備えた美しい「完成」へと向かうプロセスであるという認識が暗に反映されていた。

ヘッケルを魅了していたのは、一元論的な自然観の確立であった。たとえば、彼による「個体発生は系統発生を繰り返す」という名高いテーゼ。これは、ある生物個体の胚発生は、その生物種の辿った系統発生(進化の道筋)を反復するという仮説である。言い換えれば、ヒトの胎児の発育というごく短い過程の中に、祖先たちのあらかたの成体形が、単細胞から多細胞生物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へと系統発生の順番に次々と変形していって、最終的にヒトに達するというのが、この反復説が示す壮大なイメージである[25]

ヘッケルの系統樹と反復説のイメージから読み取れるのは、古代ギリシアのプラトン以来、西洋において無意識下で連綿と作用してきた「存在の連鎖」という観念である。

「存在の連鎖」とは、それこそ最下位にあってもっとも取るに足らない存在から、自らは被造物ではないがあらゆる創造の営みがそこをめざす到達点であるところの完全なるもの=神までを、その「完成」の度合いに従って単一の段階づけられた自然の梯子に配列することで、言い換えればすべての被造物をヒエラルキーの内に漸次移行的に整序することで、宇宙を有機的に捉えようとする観念である。

「存在の連鎖」は、完全に固定した静的な秩序であったから、進歩にまつわるいかなる観念とも相容れないものと思われた。完成された永遠のハーモニーとしての宇宙は時間の影響を受けない、というわけだ。ところが、18世紀になると、「存在の連鎖」にひとつの重要な変化が起こる。それは、アーサー・O・ラヴジョイの指摘する「存在の連鎖の時間化」である。

18世紀思想の主要な出来事の一つは、存在の連鎖の時間化であった。種の充満(plenum formarum)は、或る人によって自然の財産目録ではなく、宇宙歴史の中で徐々に極めて緩慢に遂行される自然の計画であると考えられるようになった。可能的なものは、すべて、実現を要求するが、一度に要求がかなえられるものではない。或るものは過去に実現され、またそれ以後、その状態を失ったようだ。 多くの可能的なものは、現在存在する被造物の中で実現されている。疑いもなく、無限に多くのものは、来たるべき時代に現実存在の賜物を受ける運命である。充満の原理が当てはまるのは、時間の全拡がりの中における宇宙についてのみである。[26]

たとえばライプニッツは、1693年に出版された『原初大地』の中で、初期の地質学的時代に存在した生物の多くの種は今や絶滅し、我々の知る多くの種は、当時は存在しなかったようだと指摘し、「地殻の広範な変化の間に動物の種さえ何度も変態したというのは信じる価値のある」仮説であると言う。別の箇所では、最も初期の動物は水中動物であり、両棲類や陸上動物は水中動物の子孫である公算がある、といった進化論的な見立てを行っている。ここから、ライプニッツは形而上学的根拠から、宇宙はまだ不完全であり、存在の連鎖は、時の秩序の中ですべての本質が徐々に実現されていくプロセスであると考えるに至った[27]

広い意味で進化論的と呼べる理論は18世紀後半頃に登場してきた。現在の種の全部が少数またはおそらく一対の最初の先祖から発生したという一般的仮説は、1745年と1751年にベルリン科学アカデミーの総裁モーベルチュイによって、そして1749年と1754年に『百科全書』の主な編集者であるディドロによって提唱された。進化論の登場は、それまでスタティックであった「存在の連鎖」の概念を時間化されたダイナミックな形態へと変化させる主要な契機となった[28]

 

「存在の連鎖」の時間化に起因する自然の創造的前進という概念は、すでにヘッケルについて見てきたように、19世紀の進化論者の多くが意識的にせよ無意識的にせよ共有していた。進化とは「完成=調和」へと向かう合目的性を備えた神の「計画」の漸進的プロセスである、といった認識は、たとえばヘッケルにあっては必然的に優生思想へと接近させることとなった。

ダーウィンは、自然環境への適応の結果、最適者が残ることによって進化するプロセスを「自然選択」と呼び、人間が家畜や栽培植物に対して行うように、自然に代わって人間が選択を施す「人為選択」と厳密に区別した。人間は「自然選択」によって進化してきたわけだが、それに対してヘッケルは、世界史においては「人為選択」が様々な局面で働いてきたことを指摘する。その一例としてヘッケルが挙げるのは、古代スパルタ人の嬰児殺しのエピソードである。ヘッケルによれば、古代スパルタ人たちは、ある特別な掟にもとづいて、生まれたばかりの嬰児を即座に注意深く点検して選別していた。そこでは、虚弱であったり何かしらの身体的欠損をもった嬰児は皆殺され、健康で力強い嬰児だけが生きることを許され、のちに子孫を残すことを許された。だがこのことによって、スパルタの人種は卓越した身体力と能力を保てるようになっただけでなく、世代を経るにつれて身体的な完全性が増していったのである、と[29]

このように、ヘッケルは人為選択による人種改良を肯定的に捉えている。それだけでなく、ヘッケルは「毎年生まれる数千の、身体に障害のある者、聴覚に障害のある者、クレチン病者、不治の遺伝的素質をもつ者たちが人為的に命を長らえ、成長したとしても、そこから人類はどのような利益を得るのだろうか。……この不可避な不幸を最初の時点ですぐに断ち切ることは、はるかに理性的で良いものではないだろうか。」といった発言も残している[30]

また、ヘッケルは同様の優生学的理由から死刑制度も肯定している。曰く、「すべての矯正不能な犯罪者を仮借なしに絶滅させれば、善良な人々にとっては生存闘争が大幅に軽減されるだろうし、そればかりか、この人為的な選択によって多くの利益がもたらされることになるであろう。なぜならば、それによって、退化したならず者が、遺伝を通してその悪い性質を伝える可能性を奪われることになるからである」(強調筆者)[31]

上の発言の中で注目すべきは、すべての犯罪者は「退化した」ならず者である、という認識、そして、そうしたならず者は遺伝を通じて「退化」を次世代に伝えていく、という認識である。先取りになるが、「退化」とは、同時代の進化論的言説が「ノルム」と結びつくことで「正常化=規範化」権力を作動させるにあたって、その軸足となる概念に他ならないのである。

 

ここで、さらにもうひとつのキーワードを召喚する必要があるだろう。それは「変質」である。前出の渡邉拓也による『ドラッグの誕生』の記述に従えば、「変質=退化(デジェネレッサンス)」とは、ベネディクト・A・モレルによって19世紀半ばに精神医学の分野で提唱された概念であり、それまでのエスキロールの「モノマニー」概念を塗り替えた。モレルは、変質者(デジェネレ)の大半は遺伝的要素によって本能を侵されていると主張し、そうしたアイディアは1880年代にヴァランタン・マニャンやその弟子ポール=モーリス・ルグランへと受け継がれていった。こうした傾向は、19世紀後半における社会ダーウィニズムや犯罪人類学の高まりとも並走していた。たとえば、イタリアの犯罪学者チェザーレ・ロンブローゾは、遺伝的欠陥による生まれつきの犯罪者、すなわち「生来的犯罪者」の存在を主張した。こうしたロンブローゾらイタリア学派犯罪人類学が、リストらによる新派刑法学の形成にも無視できない影響を与えたことは前述した通りである[32]

マニャンは「変質」に対して「直近の世代と比較して心的・身体的な耐久性の面で衰えており、生存の遺伝的競争における生物学的条件を不完全にしか実現しないような、存在の病理的な状態」と定義づけを行った[33]。それは存在に刻み込まれた恒久的かつ進行性のスティグマであり、進化の前進的プロセスからの許容しがたい逸脱、すなわち退化の状態を意味していた。「変質」とは存在における「退化」である。

19世紀の中頃には、アルコール中毒が「変質」の病と呼ばれるに至った。当時の学説では、アルコール中毒の親からはアルコール中毒の子が生まれるとされていた。この遺伝におけるラマルク的な垂直的伝播が示唆するのは、アルコール中毒という病が遺伝を通じて全人類に伝播すれば、人間という種は不可避的に劣化していき、最終的に絶滅に至るのではないか、という社会的危機感であった。すなわち、アルコール中毒は個人だけでなく、国家そして社会全体への害悪であるとみなされる。こうして、アルコール中毒はペストのような疫病と同じく衛生主義によって撲滅すべき「社会病理」として扱われるようになっていったのである[34]

 

1975年3月19日のコレージュ・ド・フランス講義の中で、遺伝の病である「変質」の登場は、個人に対してもうひとつの別の身体を与えた、とフーコーは述べている。

一人の個人の身体全体を決定的なやり方で特徴づける一つの状態を生み出すことができるのは、いったいどのような身体なのか。ここから、いわば身体以前の身体のようなものを発見することが必要になります。(そしてここに、19世紀末の精神医学におけるもう一つの理論的建造物が構築されます)。機能不全の状態の犠牲者であり、主体であり、所持者であるような個人の出現を、そうした身体以前の身体に固有の因果性によって正当化し、説明することが必要とされます。この身体以前の身体、異常な身体の後方にあるこの身体とは、いったいどのようなものでしょうか。それは、両親の身体であり、祖先の身体であり、家族の身体であり、要するに、遺伝の身体です。[35]

身体以前の身体、異常な身体の後方にある身体、フーコーはこの遺伝の身体を「メタ身体」と名付ける。メタ身体とは家族と祖先の系譜から成る身体であり、個人にとってのそれまでのすべての遺伝的系列を含んでいるとされる身体である。規律権力は、ノルムを軸として作動する正常化=規範化の権力は、今やそれまでとは異なるもう一つの身体を生み出し、かつそれに対して不断に働きかけようと、その標準を向け直しているのだ。ノルムは生理学的、心理学的、社会学的、道徳的、等々の様々な<知>をみずからの領野に統合しながら、諸個人のメタ身体を標的とする権力を生産する。

そして、この権力の目指す先は、一つの人種差別を、ただし伝統的人種差別、歴史的/民族的人種差別とは大きく異なる一つの人種差別を生み出すことである、とフーコーは述べる。その人種差別とは、当時の精神医学において生まれる人種差別、すなわち異常者という人種に対する差別である。異常者はもはや「個人」ではない。いわば、ここでは「種である身体」が問題になっているのだ。

つまりそれは、何らかの状態、傷痕ないし欠陥を持つ正常ならざるものを、最も予測不可能なやり方でその子孫に伝える可能性のある人々に対する差別です。したがってこの人種差別の役割は、一つの集団をそれとは別の集団から保護したり防衛したりすることよりもむしろ、一つの集団の内部そのものにおいて、実際に危険をもたらす可能性のある者すべてを検出することです。これは、内的な人種差別、一つの社会内部におけるすべての個人を選り分けるものとしての人種差別です。[36]

最後に再び確認しておこう。ノルムとは一種の比較可能性の原理であり、共通尺度である。ノルムの参照点は定規ではなく平均である。異常が平均からの偏差、言い換えれば平均値からどれだけ隔たっているのか、というその距離として測定されることで、異常と正常を区分する境界は取り除かされ、代わって正常から異常へとなだらかに連続していくスペクトラムが形成される。前出の『自由論』の酒井隆史は、連続性という概念の重要さを強調する。「これによって、怪物という表象可能性の限界にあるアノマリーな存在を正常―異常の連続体のうちに解消することが可能になるのである」[37]。今や、異常なものは正常なものと性質を異にするわけではない。怪物は、無限に広がる正常―異常の連続体の地平の内に囚われる。そこに外部はない。外部は常にすでにスペクトラムの内側へ包摂される。異常は絶えざる管理と矯正の対象となる。そこではたとえば、狂気=怪物は何らかの外部を指し示すものとしてではなく、進化の系列上における遺伝的退行として解釈し直される。この地平の内側では、人間は狂うことさえできなくなるのだ。

この正常化=規範化の権力のもとでは、いわば個人は横に伸びる平均の軸と縦に伸びる遺伝的系譜の軸からなる座標系=マトリクスの中に定位される。平均(統計)の軸と遺伝の軸は互いに交叉し合っている。

たとえば、前出の統計学者のフランシス・ゴルトンは、一方で優生学の創始者としても知られている。彼は1869年に出版した『遺伝的天才』の中で、「数世代連続して相手を選んで慎重な結婚を続ければ、人よりもずっと優れた才能を持つ男子を生み出せる」という主張を行った[38]。同じく、生物測定学の創始者で数理統計学者のカール・ピアソンもまた優生学思想の熱心な信奉者だった。彼は道徳の向上と社会進化の進展をイコールとみなし、さらにダーウィン流の生存競争の結果と最適国家の優越性を同一視し、最適者生存の達成を国家社会主義と同一視するまでに至った[39]

またピアソンは、統計的研究を基にして、各世代の構成員の半分はその前世代の四分の一を占める既婚者の家庭から生まれていると主張した。この多産な四分の一は、その世代を構成する成人人口の実に六分の一から八分の一にすぎず、いわゆる「不適応者」に由来する比率が異常に高い。ピアソンのいう「不適応者」とは、すなわち習慣的な犯罪者、売春婦、結核患者、精神病者、アルコール中毒者、先天性の障害者、等々を指している。この研究結果を利用して、ピアソンはイギリスは今や国民的衰退状態にあると繰り返し警告した[40]

 

閑話休題。平均の軸と遺伝の軸から成るマトリクスは一つの全体としての閉域(試みにそれを<社会>と呼んでもよい)を構成することになるのだが、ここにおいてこそ、規律権力(個人)と生政治(人口)という二つの権力の懸隔は解消されるのではないか。つまり、個人はこのマトリクスに配置された瞬間から、ひとつの全体的集団に組み込まれ表象されることになる。というのも、個人がマトリクスにおいてある(相対的な)位置を占めるためには、あらかじめ統計的かつ系譜的な全体が与えられていなければならないからである。この意味において、メタ身体は(どこまでも身体であるという意味において)個人を標的とする規律権力の対象でありながら、同時に全体を標的とする生政治=統治性の対象としても現れる二重の身体なのである。そして、このメタ身体を支えながらそれを平均と遺伝のマトリクスに配置するのが、共通尺度の原理としてのノルムの、ここでの役割なのである。

【了】

[1] 『ミシェル・フーコー思考集成〈6〉セクシュアリテ・真理』94頁

[2] 同上、149頁

[3] 同上、151頁

[4] 『知への意志 (性の歴史)』ミシェル・フーコー、渡辺守章(訳)、176頁

[5] 同上、177頁

[6] 同上、177頁、203頁(5)訳注

[7] 「フーコーの人口論再考」檜垣立哉(『思想 2019年5月号』87頁)

[8] 「生命的-主権的複合体――フーコーの人文科学批判の射程」藤田公二郎(『思想 2019年9月号』16頁)

[9]  同上、17頁

[10]  『ミシェル・フーコー講義集成〈5〉異常者たち (コレージュ・ド・フランス講義1974‐75)』ミシェル・フーコー、慎改 康之 (翻訳)、36頁

[11] 『概説 西洋法制史』勝田有恒、山内進、森征一、316頁

[12]  同上、316〜317頁

[13]  前掲書、『ミシェル・フーコー講義集成〈5〉異常者たち』18頁

[14]  同上、38〜39頁

[15]  同上、46〜47頁

[16]  同上、47頁

[17] 同上、49頁

[18] 同上、48頁

[19] 同上、50頁

[20] 同上、51頁

[21] 『ドラッグの誕生:一九世紀フランスの〈犯罪・狂気・病〉』渡邉拓也、47〜48頁

[22] 「道徳の育種家としてのニヒリスト――ニーチェとダーウィニズム」清水真木(『〈新しい人間〉の設計図 ドイツ文学・哲学から読む 』161〜162頁)

[23] 「有機体としての国家――もう一つの「超人」の夢」石田雄一(『〈新しい人間〉の設計図 ドイツ文学・哲学から読む 』202〜203頁)

[24] 前掲書、「道徳の育種家としてのニヒリスト」167頁

[25] 『ヘッケルと進化の夢 ――一元論、エコロジー、系統樹』佐藤恵子、154頁

[26] 『存在の大いなる連鎖 (ちくま学芸文庫) 』アーサー・O. ラヴジョイ 、内藤健二 (訳)、383頁

[27] 同上、403頁

[28] 同上、422頁

[29] 前掲書『ヘッケルと進化の夢』280〜281頁

[30] 同上、281頁

[31] 同上、282頁

[32] 前掲書『ドラッグの誕生』111〜112頁

[33] 同上、130頁

[34] 同上、131頁

[35] 前掲書、『ミシェル・フーコー講義集成〈5〉異常者たち』347頁

[36] 同上、351頁

[37] 『自由論―現在性の系譜学』(河出文庫)酒井隆史、168頁

[38] 『優生学の名のもとに―「人類改良」の悪夢の百年』ダニエル・J. ケヴルズ 、西俣総平 (訳)、8頁

[39] 同上、43頁

[40] 同上、61頁