第5回 広いこの世界で私たちだけ

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

散歩の許可が降りた次の週、すんなりと外出の許可が降りた。外出は駅前まで行ってきていいので、好きなものを食べたり、買い物に行ったりできると思うと、嬉しくて顔がニヤニヤしてしまう。他の入院患者たちから「いいなー、なんかお土産買ってきて」などと冗談を言われた。

退院までにはステップがあることが最近わかった。散歩、外出、外泊、の順に許可が降りた後、退院になる。もちろん、これは看護師から教わるのではない。入院して、周りの患者を見ていると大抵の人は外泊をした次の週に退院して行くのだ。

しかし、まきちゃんは外出も外泊もしていないのに突然退院が決まった。まきちゃんの母親が病棟内で、荷物をまとめながらまきちゃんと何か話している。まきちゃんがこんなにも早く退院できるのは、大企業の娘だということに何か関係があるのだろうか。

「退院決まって良かったね」

私がまきちゃんに話しかけると、彼女は満面の笑みで、

「ありがとう。エリコも元気でね」

と言ってくれた。

私はまきちゃんの住所も電話番号も知らない。精神病院では個人情報を交換することが禁止されているのだ。精神病院という特殊な場所で、濃い時間を過ごしながら、もう一生会うことがないのが、とても不思議なことに思えた。学校の同級生なら、なにかしらの方法をとって会うことができるだろうが、ここで出会った人とは二度と会うことがない。

私はまきちゃんにもう会えないということよりも、まきちゃんの今後の人生を知ることができないのが寂しかった。今後、青酸カリに頼ることがあるのだろうか、青酸カリ以外の希望を見つけられるのか、まきちゃんの背中を見送りながら、この辛い人生を生き抜いてください、とそっと心の中で言葉をかけた。

外出の日、お昼頃にナースルームに入れてもらい、玄関まで看護師に付き添ってもらう。ここから先は完全に一人だ。駅前で待っている父と母に会うために、バス停でバスを待つ。バスはいろんな路線が混ざり込んでいてわかりにくい。行き先があっているかバスの運転手さんに聞いたが、なぜか答えてくれない。精神病院の前から乗ったので、患者だと思って冷たくしているのだろうか。不安な気持ちのまま座席に着いた。持ってきた黒の小さな肩掛けバックには小銭の入った財布とハンカチくらいしか入っていない。洋服も小綺麗なものがなくて、学生時代からずっと履いているボロボロの花柄のズボンとグレーのスエットという有様である。今日は駅前でもうちょっといい服を買ってもらおう。あと、病棟内で履くサンダルもいいものが欲しい。病棟では一人暮らしのアパートでベランダに出るときに使っていたゴム製の外履きを履いているのだ。

顔を上げて、バスの窓から流れて行く景色を眺める。見慣れない景色を見ているとなんとなく不安になってくる。自殺未遂をしてから今まであったことが全部嘘だったらいいのにと思う。集中治療室に入ったことや精神病院の入院はとても褒められたものではない。時間を巻き戻したいと思いながら、どこまで巻き戻せば私は満足なのかと考える。就活で失敗した短大生活、友達がいなくて自殺を考えていた高校時代、小中学校ではいじめに遭っていたことを思うと、もう、母の体内に戻るしかなさそうだ。私は一人で窓の外を見ながら自嘲気味に口角を上げた。生まれてきて良かったと言える人は世界中にどれくらいいるのだろう。

バスが終点を告げて、駅前に着く。バスを降りると父と母が私を見つけて手を振っていた。

「エリちゃん、こっち、こっち」

母は笑顔だ。父も競馬新聞を脇に抱えながら、手を振っている。二人はこんなダメな私を待っていてくれた。感謝しないといけない。

父に会うのは久しぶりだった。父はなんだか照れ臭そうな顔をしている。

「なにが食べたい、エリコ」

父に聞かれて、真っ先に、

「お寿司が食べたい」

と答える。正直、寿司以外の選択はあり得ない。寿司でなければ焼肉がいい。病院食が辛くてたまらないのだ。今日のお昼のラーメンは伸び切っていた。

父は「ははは」と軽く笑って、

「寿司屋に行こう。確か、あの中にあったぞ」

と言って駅ビルを指差した。

久しぶりに父と母と一緒に歩いていたら、私たちは親子なんだと思ってなんだか悲しくなった。私は子供の頃から二人が嫌いだった。酒を飲んで暴れる父も嫌だったし、父の暴力に耐える母も嫌いだった。それなのに、私が世界中で頼れるのはこの二人しかいないということはとても残酷だ。

三人で寿司屋に入る。熱い緑茶すら嬉しい。何しろ、精神病院ではノンカフェインが徹底されているので、出てくるお茶はほうじ茶だけなのだ。

「せっかくだから特上を頼もう」

父のいいところは気前の良さだと思う。店員に特上寿司を三人前頼んで、自分はビールも追加した。私にもビールを頼むかと聞いてきたが入院中だからと断った。

「どうだ、元気でやってるか」

出てきたビールをぐいと飲みながら父は私に聞いてきた。

「うん、元気だよ」

本当は少しも元気じゃなかった。お風呂には毎日入れないし、外に出られないストレスは相当だった。しかし、それを悟られないように必死に笑顔を作る。そんな私のことを気にもとめず父は次の話を切り出した。

「そうそう、そういえば、この間見た映画なんだけどな……」

私の父は基本的に自分の話したいことを一方的に喋る。私は自殺未遂にまつわることは話したくなかったから、父の一方的なおしゃべりに今回は助けられて、ウンウン頷いていた。母はいつも通りの父の横ですました顔をしていた。

しばらくしたら特上の寿司がやってきた。私は我を忘れて寿司を口に運ぶ。中とろを口に入れて、思わず「うまい〜」と漏らしてしまう。寿司が美味しいのは当たり前だけれど、入院生活で生ものが食べられず、味の濃いものも、刺激のあるものも、すべて禁じられているので、脂身のある中トロは麻薬的な美味しさだった。食べると元気が湧いてくる。もうちょっと頑張ろうと思う。食欲をばかにしてはいけない。生きる上での根本的な欲求だ。私は特上寿司をペロリと平らげて、緑茶をすする。

「この後は、入院に必要なものを買いに行きたいんだけど、いいかな」

私がそう提案すると、父は、

「俺は、競馬があるから」

と、悪びれることなく答えた。私はちょっと驚いたが、止めようとはしなかった。父にとって最優先すべきなのは自分の楽しみであって、子供のことは二の次なのだ。

会計を父が済ませて、店を出た。

「じゃあな」

と、父は言って一人で駅の改札に向かう。2時間くらいしか一緒にいなかった。

「お父さんて、どうしようもないよね」

私は小さくなる父の背中を見送りながら、母に言った。

「うん、本当にそうね」

母も表情を変えずに私に同意した。

「エリちゃん、買い物に行こうか。駅ビルの中に無印良品があったわよ」

母に促されて買い物に向かった。

買い物が終わってまたバスに乗り、病院に戻る。私は買い物の最中にタバコを買っておいた。なぜかというと、タバコは病棟内で週に一箱と決まっているが、それだけでは足りなくて、いつも、残り本数を気にしながら吸うのが嫌になっていたのだ。看護師に見つからないように、私は靴下のゴムの部分にタバコを挟んだ。昔、何かの映画で見た手法だ。仮にバレたとしても、謝ればいい。警察に連れていかれるような犯罪ではない。ナースルームで荷物検査とボディチェックを受ける。パンパンと足元まで叩いたが、気づかなかったようで、私は病棟に通された。ホッとしたのもつかの間、急いで自分の病室に行き、密輸したタバコをベッドの上に置いた。私は早速そのタバコを持って喫煙所に向かい、いつもの仲間とおしゃべりを楽しむ。今日のご飯のこと、おやつのこと、入院患者のこと、テーマはいつも同じだ。しかし、話すということはとても大事だと思う。精神を病む人は孤独であることが多く、安心して話ができる仲間に出会えていないことがほとんどだ。私たちは人生のどこかで人から排除されて心を病んだ。私がここで安心して話をできる理由は相手も同じ病気だからだと思う。

月曜日、看護師たちのミーティングが終わり、恒例の許可が記された紙を見にリビングに行く。私は今週末に外泊できることになった。きっと次の週には退院が決まるだろう。早く外泊したくて、カレンダーを何回も見つめながら、ため息をつく。暇なので、リビングに向かうと卓球大会が始まっていた。私は卓球ができないけど、参加を申し込んだ。サーブすらうまく打てなかったが、みんな笑ってくれた。卓球というよりピンポンといった感じで、ゆるゆると卓球大会を楽しんだ。

外泊当日、母が迎えに来た。私は外泊を茨城の実家まで行くのかと思ったのだが、私が一人暮らしをしていた東京のアパートですることになった。自分が自殺未遂をしたアパートに行くのはちょっと嫌だった。しかし、口答えするのも悪いので、母と一緒にアパートに向かった。

ドアを開けると懐かしい光景が広がった。狭い台所、積み重なった衣装ケース、ブラウン管の小さなテレビ。生きてここに戻ることはないと思っていたので不思議な気分だった。母と二人だと一人暮らしのアパートはとても窮屈だった。テレビをつけ、何となくそれを眺める。二人とも言葉をあまり発しなかった。寝る時間になり、二人分の布団を敷くと、部屋はそれだけでいっぱいになってしまう。母と寝るのなんていつぶりだろう。

私は物心ついた時には兄と一緒に寝かされていたので、母と寝ていた記憶がない。私は、自分が犯した自殺という罪を思い、母と枕を並べていたら、なんだか悲しくなってしまい、ぎゅっと目をつぶった。広いこの世界で生きているのは私たちだけみたいな気持ちがした。

一晩をアパートで過ごして病院に戻った。病棟に戻るとゆみちゃんに声をかけられる。

「今から食堂で看護師たちとの会議をするんだけど、患者も参加できるんだって。日頃の不満点を伝えていいってよ」

ゆみちゃんは真剣な顔だった。

「私も参加する!」

私はすぐに返事をして、荷物を部屋に置いてから、ゆみちゃんと一緒に食堂へ向かった。

食堂には白衣を着た看護師たちが集まっていた。患者は5、6人といったところだろうか。

「患者側から、病院に改善してほしいことがあったら言ってください」

看護師がそう言ったので、私たちは話し出した。

「テレビが壊れて8チャンネルしか映らないので修理してください」

「ソファが壊れて中のワタがボロボロ出ているので、新しいものを買ってください」

「お風呂が週に3回は少ないので、毎日入りたい」

後から後から患者の要望は飛び出した。それを看護師たちは頷きながら聞いてメモした。全てをメモし終わると解散になった。

「要望通るといいね」

私はゆみちゃんを見ながら言った。

「通るのかわからないけどね」

ゆみちゃんは悲観的だった。

月曜日、看護師たちのミーティングの後、いつも通りに散歩、外出、外泊、退院の人が張り出された。そして、退院のところに私の名前があった。私は体がわくわくした。やっと、退院だ!

今まではいつが退院なのかわからなかったので、毎日の生活が苦痛だったけれど、ゴールが見えるとそれがなくなった。つまらない入院生活も、まずい食事も耐えられた。後ちょっとでここから出られるのだ。退院をしたら何をしよう。まず、ビールを飲んで、ケーキを食べて、揚げ物も食べたい。そして、中野のまんだらけに行ってたくさん漫画を買いたい。友達にも会いたいけれど、会ってくれるのかと少し不安になった。退院したという連絡だけすることにしよう。

入院中に増えた荷物も片付け始めた。

「入院中に使っていたサンダルを持っているとまた入院するってジンクスがあるんだよ。だからエリコのサンダル私にちょうだい」

と、ゆみちゃんが言ってきた。サンダルは買ったばかりなので、ちょっと勿体無かったが、再入院は嫌なので、あげることにした。

退院の前にやっておきたいことがあった。ボロボロのソファをどうしても直したい。ゆみちゃんと一緒にナースルームに行ってガムテープをもらってくる。二人でワタが出ているソファの修繕をした。すぐにダメになってしまうかも知れないけれど、しないよりマシのはずだ。私から精神病院へのプレゼントだった。

退院前日、あまり話したことのない女の子が私にティッシュに何かを包んで渡してくれた。

「退院おめでとう」

そういって私にプレゼントを渡した彼女の瞳は小さく震えていた。私のことを憧れの瞳で見ていた。

「ありがとう」

そう答えながら、プレゼントを受け取った。そうしたら、その子はくるりと背を向けて自分の病室に走って帰って行った。ティッシュの中には香水瓶が入っていた。ガラス製品は持ち込み禁止なのに、大切なものをくれてありがとう、もう一度心の中でお礼を言った。

病室に戻ると、相部屋のおばさんがハンカチをくれた。黄色のハンカチの端には綺麗なレースがついていた。

「このレース、私が編んだのよ。退院したら使ってね」

私はなんだか心がこそばゆかった。ここの人たちは優しいと思う。たった数ヶ月一緒にいただけなのに、心から他人のことを祝うことができるのだ。ゆみちゃんは綺麗な絵をかいて私にくれた。私はみんなからのプレゼントを持って明日退院することになった。

退院当日、母が来て一緒に荷物を持ってくれた。みんなが手を振って見送ってくれる。さようなら、もう二度と会うことのない仲間。ナースルームに入ると病棟側のドアに鍵がかかった。もう二度とここに入ることのない人生を送れますように。一階に行き、母が退院の手続きをすませる。私はぼうっとして母を待っていた。病院の玄関を出て、母と一緒に駅に向かうバスを待つ。バスの本数は少なくて、次のバスがなかなかこない。私はすっかり冷たくなった秋の風を受けながら青空を眺めた。私の人生は一度終わってしまったけれど、もう一度始まるのだ。嬉しいような怖いような不思議な気持ち。次からの人生はきちんとしたものになりますように、と青空の向こうにいる神様に向かってお願いした。大丈夫ですよ、と聞こえた気がした。

(★編集部注:本連載における精神病院の描写は、著者が入院されていた1990年代後半の状況を反映しています)

 

第4回 世界に色彩が戻った

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

精神病院では、毎日ラジオ体操がある。めんどくさがってやらない人が多いけれど、私は真面目に参加していた。やることがないので、退屈なのもあるし、体を動かしていないと体力が落ちてしまうからだ。

今日は月曜日なので、外出や散歩の張り紙が張り出される。私はゆみちゃんと一緒に張り紙をリビングまで見に行った。外出、散歩、退院、などの文字の下に、該当者の名前が並んでいる。私は目を凝らして自分の名前を探した。

「小林……、小林……。あ、あった!」

「散歩」の下に「小林エリコ」と、書かれていた。

「よかったね、エリコ。散歩に行けるね」

ゆみちゃんが私の肩を叩きながら言った。

「うん、本当に良かった! 外に出るの久しぶりだよ!」

私は顔をほころばせた。

今日は散歩の日だ。ナースルームの前に、散歩に行く人が集まっている。ゆみちゃんは散歩ができないので、タバコを吸いに喫煙所に行ってしまった。私はコートを着て散歩に行く準備をする。季節はもう10月をすぎていて、精神病院の窓から外を眺めると外来患者はコートを着て歩いているのが見える。それを見て、季節の移り変わりを知ることができた。病棟にいると今の時期が暑いのか寒いのかがわからない。きちんと管理された室内の温度は私から季節を奪い去った。

看護師がナースルームの鍵を開ける。私たち患者はナースルームを通って玄関に行くために、ぞろぞろと廊下を歩く。玄関のドアを看護師が開けると、冷たい風が吹いて来た。ひんやりとした空気が心地よい。私は久しぶりに身震いした。

眼前に広がる緑。頭上には抜けるような青空。どこかでスズメのなく声が聞こえる。私は3週間ぶりに外に出た。久しぶりの世界は美しくて、自分が初めてこの世界に降り立ったような気持ちになる。私は入院する前に、なぜこの世界の美しさに気がつかなかったのだろう。思えば、自殺を考えていた時は、朝早く家を出て、夜遅くに帰ってきていた。街灯が灯る道をトボトボとうつむきながら歩いた。今から食事を作るのは面倒だけれど、コンビニでお弁当を買うお金もない。私は駅前のスーパーで買った特売の大根と鶏胸肉をぶら下げていた。昼間、原稿の受け取りの時に、ペットボトルのジュースを買いたいと思ったけれど、買うお金がなくて我慢した。私は貧乏でひもじく、すべての力が失せていた。空を見上げたり、草花を見る余裕なんて一ミリもなくて、私の見る世界はモノクロだった。精神病院に入院して、初めて外に出て、やっと私の世界に色彩が戻った。私は自殺を考えていた頃より、元気になったらしい。

看護師はみんなに向かって、説明を始めた。

「これから散歩に出かけます。私の後ろを歩いて、列を乱さないようにしてください。買い物に行くのは禁止です」

そして、散歩が始まった。私はキョロキョロと辺りを見回しながら前の人について歩いた。

10月の風が頬を撫ぜる。枯れ草がそよぎ、木々の緑も茶色に変わろうとしていた。

私は短大生の時の卒業旅行をふと思い出した。短大で一番仲が良かった友達とバリ島に行くためにバイトを必死にしてお金を溜めた。バリ島はカラリとした暑さで、海も空もどこまでも青く、地上には緑がどこまでも広がっていた。時折、真っ赤なブーゲンビレアの群生に出会った。白い砂浜で寝ていると現地の子供が私たちの爪に綺麗なマニュキュアを施してくれた。お金を払って友達と笑い合う。マーケットで友達とお揃いの絞り染めの服を買って早速着た。二人で歩いていると現地の男の人に声をかけられて、誘われるがまま、バイクの後ろに乗せてもらい、長い海沿いの道路を走った。なんの苦悩も不安もない、天国みたいな場所だった。それから、一年も経たないうちに、私は今、ここにいる。人生は転落するとあっという間なのだ。私はもう一度、バリ島に行けるのだろうか。

目を前にやると、看護師たちは白衣の上にコートを着ていた。入院患者もみんなコートを着ているので、看護師がコートを着ると、入院患者との区別がつかなくなる。そうしていると、誰が患者で、誰が看護師なのかわからなくなった。もしかしたらみんな患者なのかもしれない。誰が狂っていて、誰が正常かなんて、誰にもわからない。

私は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。この病院の周りには生い茂った森があり、周りには他の建物もたいして見当たらない。なんで、こんな辺鄙なところに病院があるのだろうと不思議に思いながら歩いた。

後で知ったことだが、精神病院というのは不便なところに建てられることが多いという。それは、住民が近所に精神病院が建てられるのを嫌がるからだそうだ。今でも、障害者の作業所やグループホームの建設の時に、地域住民から反対が起こるという。私の母も、精神障害者の家族会に入っていて、作業所の建設に関わったそうだが、地域住民からの反対に遭い、諦めたそうだ。私たちは社会から疎まれる存在らしい。精神病院や作業所やグループホームを自分たちの地域から追い出したとしても、私たちの存在は消えない。むしろ、社会に偏見という痕跡が赤々と残るだけだ。

散歩をしている途中で、突然、一人の男性が列を離れて、道路に向かって走り出した。びっくりして彼を見ると、道路を横切ってかなり遠くの方まで走って行った。これはもしかして、脱走なのだろうか。なんだかワクワクする。そして、彼がいなくなったのを知った看護師たちはものすごいスピードで彼を追いかけ始めた。私は逃げる彼を見つめながら応援していた。頑張れ、頑張れ。しかし、彼は徐々に走るスピードが落ちて行く。やはり、長い入院生活で体力が落ちているのだろう。彼は薬局に逃げ込んだが、その後、看護師に両脇をがっしりと掴まれてズルズルと連れ戻された。彼はもう、散歩には出してもらえないだろうし、退院も伸びそうだ。しかし、私は逃げ出したくなる彼の気持ちは痛いほど良くわかる。自由がない、あの病院に私だっていたくない。

散歩を終えて病棟に帰って来た。ゆみちゃんに今日の散歩で脱走をしようとした人がいたのを話す。ゆみちゃんは「へえー」と驚いていた。そして「まあ、気持ちはわかるけどね」とちょっと笑いながら言った。

私は数日前から相部屋に変更になった。相部屋の人は躁うつ病のおばさんだ。相部屋ということで、特に困ったことは起きなかったが、おばさんは躁の状態になると突然、会話に英語が入る。「イエース、イエース、アンダースターン」などと言うのだ。私は面白かったけど笑ったら失礼な気がして笑うのを我慢した。そして、躁うつ病のおばさんは「躁状態になると、自分がなんでもできる気持ちになっちゃうのよねえ」と言っていて、常に鬱で自分が無能だと思っている私は、ちょっと躁病に憧れた。

最近、盗難事件が増えていた。部屋に置いておいたお金がなくなるとか、タバコがなくなったとか、そういったことが多発していた。そして、それが増えたのは、相沢さんという女性が入院して来てからだった。

盗難事件が増えたのは相沢さんが来てからということはみんなの共通認識なので、みんな相沢さんと距離をとっていた。小柄で甲高い声で喋る相沢さんはいつも、公衆電話で恋人に電話をかけていた。私たち入院患者は、洗濯機や公衆電話を使うため、週に270円、自分たちの入院費から生活費として、病院から渡される。270円といえど、ここの中では大金である。洗濯は一回100円だし、電話も長く話すとあっという間にお金がなくなってしまう。だから、いつも長電話をしている相沢さんにはみんな苛立っていた。

ある日、ゆみちゃんのコップがなくなった。ミッキーマウスが描かれたコップで、大ぶりの使い勝手の良いものだった。私たちは真っ先に相沢さんを疑った。そして、二人で相沢さんに話しかけた。

「相沢さんの部屋に入ってみたいんだけど、いいかな。」

私たちは盗まれたコップがあるかどうかを確認したかったのだけれど、相沢さんは友達になれると思ったためか、

「嬉しい! 私の部屋、まだ、誰も来たことがないの!」

と喜んでいた。

相沢さんの部屋はベッドが二つあって、空いている方のベッドに几帳面に浜田省吾や中島みゆきのCDが並べられていた。そして、ジーンズが置いてあったのだけれど、そのジーンズは股の部分が赤く汚れていた。どうやら、生理の時についたものらしい。私は恐る恐る聞いた。

「ねえ、このジーンズ洗わないの?」

相沢さんは笑顔で教えてくれた。

「このジーンズを見せて、看護師さんに余計に洗濯するお金をもらうの。そう言ってもらったお金で恋人に電話してるんだ」

私は相沢さんのお金をもらうやり方に若干引いたが、もしかしたら、盗難事件は相沢さんが原因じゃないのかも、と思った。そして、ゆみちゃんのコップは相沢さんの部屋にはなかった。コップは数日経ったら、洗面台のところに置かれていた。誰が盗んだのか、それとも、誰かが間違って使っていたのか、結局はよくわからないままだった。

私たちはよくこんな狭い空間で生活し続けていると思う。精神病院というところは、これといった治療はない。治療と言えば、せいぜい服薬をしているくらいだ。たまに、アートセラピーと言って絵を書いたりするが効果のほどはわからない。朝から晩まで、ひとところに押し込められ、文句すら言えない。小さな盗みや諍いも、まるで大事件のように感じる。そうやって、日々の退屈を紛らわすほかないのだ。

ある日、噂を聞いた。ある男性の患者さんと女性の患者さんが、病室で肉体関係を持ったらしい。そんな噂を聞いて、驚きながらも、全く不思議ではなかった。私たちだって欲望はあるのだ。何年間も入院をしていて、それを我慢できている方がおかしい。

精神病の患者さんといってもいろいろな人がいる。穏やかそうな人もいれば、強面の人もいる。最近入って来たのはパンチパーマの大柄なおじさんで、私はかなり怖かった。何でここに入って来たのだろうか。まさか薬物ではなかろうか。

おじさんはナースルームで看護師に喧嘩を売っていた。

「おい! なんで俺が外に出られないんだ! 散歩ぐらい行かせてくれてもいいだろう!」

男性の看護師はナースルームの奥から窓越しに、おじさんに答えていた。

「あなたは、入って来たばかりだから、散歩はまだ無理です」

おじさんはその言葉にカチンときたらしく

「おい、なんだ、ふざけんな! お前、そこからここに出てこい!」

看護師は鍵のかかったナースルームにいるので、おじさんからは絶対に手が出せないのだ。

「出ていったらどうなるんですか?」

看護師が平然として問うと、

「お前の首をなあ、こうしてやるんだああああ!」

と言って、首を締める真似をした。

怖い。アッパー系精神病患者である。しかし、看護師さんは全く動じず、ナースルームの奥に引っ込んでしまった。その近くで、相沢さんが恋人に電話をかけていた。床に寝っ転がってダラダラとおしゃべりをしている。それを見たおじさんは、

「こんなところで、寝てるんじゃねえ、ボケ!!」

と怒鳴った。相沢さんはガバリと上体を起こし、

「いやあ! 怖い!」

と叫んだ。私はそんなやりとりを平和な気持ちで見ていた。

ここは問題だらけだと思う。しかし、看護師たちはその問題には正面から取り組んでいない。散歩中に逃げ出す人、続けて起きる盗難、怒鳴る人。看護師たちはそういったことには自分から積極的に関わろうとしない。私は看護師たちが何を仕事にしているのかわからない。彼らの出番は私たちの口に薬を入れることと、夜中の見回りくらいだ。血圧を測ったり、検査の時に誘導してくれたりするが、それ以外にこれといった関わりはない。

私たち患者が求めているのは、もっと、患者をサポートして欲しいということだ。私たちだって、自分の治療のミーティングに参加したいし、退院に向けた計画を立てたり、退院した後に、社会に戻っていくプランを一緒に考えたい。そしてその時は、上から押さえつけ、指示的になるのでなく、私の隣にいて一緒に考えてくれたらどんなにいいかと思う。一緒に人生を歩む人のように私の人生に寄り添って欲しい。私たちが望む看護とはそういうものだ。

(★編集部注:本連載における精神病院の描写は、著者が入院されていた1990年代後半の状況を反映しています)