第9回 ノラのように

精神疾患、自殺未遂、貧困、機能不全家族など、いくつもの困難を生き抜いてきた著者は、あるとき気がついた。じぶんの生きづらさは、女であることでより深刻化させられてきたのではないか。かつて一ミリも疑ったこともなかった「男女平等」は、すべてまちがいだったのではないか。女であることは、生きにくさにつながるのか? ジェンダーの視点を得ていま語る、体験的エッセイ。

私は学生時代、たくさんの本を読んでいた。中学生になった時、名作と呼ばれている本をたくさん読んでおこうと決めてから、図書館や古本屋、街中の書店などで、ひたすら本を集めて黙々と読んでいた。その中で忘れられない本がある。イプセンの「人形の家」だ。

主人公のノラは夫のヘルメルにとても可愛がられていた。妻を「愛する」というより、「可愛がる」の方が合っていると思う。タイトルの通り、ヘルメルはノラのことを人形のように可愛がるだけで、彼女を人間としては見ていないのだ。あるトラブルがあった後、ノラは決意をする。それは夫を捨てて、家を出るということだった。

私はこの物語を読んだ時、しばらく呆然としてしまった。女が夫を捨てて家を出るという選択肢があると思わなかったのだ。私たち女は男のように立派な仕事に就くことが難しい。女は第二の性と呼ばれ、男より一つ下と言われてきた。日本では女性に参政権がない時代が続いていたし、女が自分でしたい仕事を選べる時代もなかった。

現代は男女雇用機会均等法が施行され、男女平等のように思われるが、それでも結婚したら女は家庭に入るし、働くといってもパートタイムで働いている人が多い。女は結婚して男の稼ぎに頼らないと生活をするのが難しいというのは昔から続いている。そして、私は自分の育った家庭で母が奴隷のように家事をしながら、この家から出られないのだと感じていた。女は結婚して夫に養ってもらわなければ食べていけないと思っていた。

けれど、ノラは家を出た。その後のノラの人生は描かれていないので、きちんと生活ができたかどうかは分からないが、自分の足で立ち、家を出ていくノラの姿は凛々しく美しかった。私もノラのように男に頼らずに自分の足で人生を踏み出すのだと心に決めた。

 

私は短大二年になっていて、就職活動を始めていた。就活といっても、初めてのことなので、何から手をつけたらいいか分からないでいたが、会社の説明会に足を運んだり、履歴書を書いたりして、手探りで就活を始めた。

学校に来ている求人票に大きな会社が新入社員を募集していた。採用人数も多く、滑り込めるかもしれないと思い、面接を受けることにした。面接当日、通された部屋には女しかいなかった。面接会場が男女別だったのだ。他の会社ではそんなことはなかったので、びっくりした。会社に勤める際に、男であるとか女であるとかそういうことが関係あると思っていなかったのだ。

女の子ばかりの部屋で待機しながら、私は高校生の時に見たニュースを思い出した。会社で女性の新入社員を採る時、男性社員が女性社員の顔写真で合否を決めていたというものだった。当時は高校生であったが、自分が社会に出るまでには数年しかないのに、このような現状が変わっているとも思い難かった。そして、時を経て21世紀になってもいまだに女性差別は続いている。

最近のニュースで記憶に新しいのは就活セクハラというものだ。OB訪問した女性を酒の席に誘い、その後、肩や胸などを触ったり、ホテルに誘うという。他にも「愛人にならないか」と言ってきたり、性器を触るように要求する人もいるという。就活中であるという弱みと、女性であるという二重の弱みに漬け込んだ酷い事件だと思う。このようなセクハラは学生の約半数が受けている。

他にも深刻な話題として伊藤詩織さんのレイプ事件もある。伊藤さんは仕事を紹介してもらう予定のTBS記者の山口敬之氏にレイプされた。彼女の事件は著書「ブラックボックス」に詳しい。女がレイプやセクハラに遭っても、それを証明する術がないという事実に愕然とする。

被害者が勇気を出して被害を告白しても、警察や法律はそれを証明してくれないのだ。そもそも警察官自体が女性の数が少ないのが問題だ。性被害を男性の伝えるのと女性に伝えるのでは天と地ほどの差がある。そして、法律も性犯罪についてはまだ整備されていないというのが著書を読んでわかった。伊藤さんは声を上げてくれたが、日本で仕事をするのは絶望的と言われるくらいの代償を払った。なぜ被害者がこのような苦痛を強いられるのかと疑問に思う。

その他にも「彼氏はいるのか」など、仕事に全く関係ないことを聞かれるというのもあるそうだ。会社側は「結婚して育児休暇を取られたら困る」ということを視野に入れているのかもしれないが、極めて理不尽な問いだ。育児というものは女性だけがするという思い込みがまずある。男性だって女性と同程度、育児に参加しなければならないはずだ。けれど、男性社員には「彼女はいるのか」などとは聞かない。結婚して子供が生まれても、男性は家事育児を免除されているという現代の状況がある。本当は男性も女性も助け合って生活をしなければならないはずだ。男性たちから体を触られたり、デートに誘われたりしながらするものが就活だとは到底言えない。

私は就活では運良くセクハラは受けなかった。思えば私はいわゆる女性らしい格好をしない女だったからだと思う。髪の毛はショートヘアで、化粧もしなかった。しかし、それがいけなかった。私は何社も受けたけれど、結局一社も受からなかった。化粧をすることが社会常識だと分からなかったし、女性らしい格好をすると好感度が上がるということも知らなかった。

 

秋が来て、冬が来る頃には求人の数もぐんと下がり、私は就職を諦めるようになっていた。時代は就職氷河期と呼ばれた時代で、きちんと四大を出た人でも就職が難しい時代だった。就職はできなかったが、きっちり単位を取ったので、卒業できた。

私は卒業式を就活で使っていたスーツで出席しようと思ったけれど、母が必死に袴を着るように勧めてきたので、仕方なく着た。思えば私の人生は母に支配された人生だった。自分で行きたい大学にも行かせてもらえず、やりたいこともやらせてもらえなかった。行きたくない短大でも、資格が取れたので、何か取ろうと思ったけれど、取りたいと言えなかった。私が美大のアトリエに通いたいと言っても「お金がない」と言って断られたし、塾や習い事も満足にさせてもらえなかったからだ。

ある晴れた春の日、美容院で着付けをして、短大に向かった。レンタルの袴を着て、形だけは良いところのお嬢さんみたいだった。学校の門に入り、幾人かの友人に声をかける。

「聞いて! 私、内定5つももらっちゃった!」

「私は3つ。一番いいところに決めた!」

友達の報告を聞くのはしんどかった。何で友達は内定をたくさんもらって、私は一個ももらえないんだろう。その当時はわからなかったけれど、今はわかる。私はきちんとメイクをするべきだったし、髪の毛を綺麗に伸ばし、ヒールを履くべきだった。会社の中にいて、男性社員の目を喜ばせ、花嫁候補になるような女になるべきだった。

私のような三流短大の女が仕事に求められているものなんて、ほとんどないといっていい。思えば、同級生たちは学業などそっちのけで、有名大学のサークルに入って、男と遊んでばかりいた。彼女たちは将来の結婚相手、自分を養ってくれる相手を探していたのだ。

「あの人、東大だってよ!」

「早慶戦、行くでしょ?」

「この間、医者と合コンしてきた」

私は彼女たちを低俗だと思っていた。自分で稼ぐことを視野に入れず、男に養ってもらうことしか考えていない馬鹿な人間だと信じていた。しかし、それは本当に間違っていたのだろうか。どうやって頑張っても男よりも稼ぐことができず、出世もできないのだから、稼ぐ男を捕まえることは将来の生活材を確保しているだけだ。彼女たちは絶望しながら、生きる術を考えていたのだと思う。それに比べて、私はノラのように生きたいと思いながら、手に職も持たず、社会に放り出された。助けてくれる男はいない。

燦々と降り注ぐ春の日は全ての人に平等に降り注いでいた。しかし、世の中は全ての人に陽の光が照ることはなく、女には日陰ばかりが与えられる。あの時、高学歴の男の人と結婚した女の子たちは男のパンツを洗い、食事を作り、家を掃除しているだろう。終わらない育児に急き立てられ、完璧にできない家事を夫に罵られ、いつか家を出たいと思いながら、外に働きに出る自信もなく、家の中で洗濯物を畳んでいる。家事に対する対価は与えられず、まるで奴隷のような生活を送りながら「私は幸せ」とつぶやいている。けれど、彼女たちの人生と、私の人生、どちらが幸せかどうかは分からない。私はこの先、生活保護を受けるという最底辺の人生を歩むことになるが、結局、どちらの道も茨の道なのだ。

 

先日、「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」が発表されたが、日本は調査対象となった世界153カ国のうち過去最低の121位だった。この発表を男性たちはどう捉えているのだろうか。

前に友人の夫に男女格差の話をしたらこう言っていた。

「うちの会社だって男女平等ですよ。女性で役職についている人を増やしていますから」

「それはいいことじゃないですか」

「でもね、能力が低い人を役職に就かせるのはどう思いますか?」

あまりにも平然と言うので困惑した。彼の発言をなぞれば、「女性は能力が低い」ということになる。しかし、これがほんの一部ではなく、きっと男性の総意なのだろう。日本では閣僚に女は一人か二人申し訳程度しかいない。こんな状態で日本の女性の地位が向上するとは思い難い。

女は男以上に努力しなければ認められない。そして、嫌なことがあっても耐えて、耐え抜かなければ生きていけない。しかし、男たちはそんな思いを自分の娘や妻にして欲しいのだろうか。私たち女が「人形の家」のノラのように家の玄関の扉を勢いよく開ける日はまだ先のようである。

 

1977年生まれ。茨城県出身。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』『生きながら十代に葬られ』(共にイースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)、最新刊『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房)が5月10日より発売。

ツイッター:@sbsnbun、ブログ:http://sbshinbun.blog.fc2.com/

第8回 この理不尽な怒りをどうしたらいいのだろう

精神疾患、自殺未遂、貧困、機能不全家族など、いくつもの困難を生き抜いてきた著者は、あるとき気がついた。じぶんの生きづらさは、女であることでより深刻化させられてきたのではないか。かつて一ミリも疑ったこともなかった「男女平等」は、すべてまちがいだったのではないか。女であることは、生きにくさにつながるのか? ジェンダーの視点を得ていま語る、体験的エッセイ。

短大生になってから東京の街を歩くと、ものすごくたくさんの男に声をかけられる。

「ねえ、ねえ、ちょっと話聞いてよ」

と若い男が、私の肩を叩くのだ。私はそれらを全て無視していたが、かなりしつこい。完全無視をしていればいなくなるが、ほとんど毎日話しかけられるので、神経がすり減る。

彼らはナンパではなく、多分、キャッチセールスか、風俗などの勧誘だと思う。私が足を止めないと、次の女の子に話しかけている。

他にも、街を歩いていると、ティッシュ配りの男からキャバクラや風俗店のティッシュを押し付けられる。めんどくさいし、不愉快なので、もらわないでいると、無理やりバッグの中にねじ込んでくる。トートバッグに入れられた大量の下品なデザインのティッシュを見ると気分が悪い。今のお前の年なら商品になるのだからなれ、と言われているみたいだ。

風俗店で働いていい年齢は十八歳からと決まっている。それ以下の年齢だとお店が摘発されてしまうのだ。だから、短大生や大学生はお店にとって都合がいいのだろう。実際、高校生の時は東京を歩いていても、一切声をかけられなかった。けれど、この国の男は、若い女が大好きで、アダルト雑誌やAVなどでは十八歳を過ぎた女性がわざわざ高校生の制服を着ている。私からしたら高校生なんて子供にしか思えないが、男性にしてみれば性の対象になるらしい。本で読んだのだが、性的嗜好というものは後から付随するものだそうだ。男性は一般的に女性の胸が好きだが、それは女性が服で胸を隠すようになったり、性的なものとして扱うようになったからで、それ以前は胸を見て性的興奮をするということはなかったらしい。それを思うと、十代の子を性の対象とする本や情報が溢れているから、十代の子に男性が欲情するようになったといえる。AVやアダルトコンテンツは常に「より過激なもの」へと進化し続けている。私たち女は一体いつまで、男性の射精環境を心地よいものにし続けなければならないのか。

 

バイトの面接の帰り道、渋谷の街を歩いていた時、いつものように男から声をかけられた。「ちょっと、待ってよ」

男はそう言って私の目の前の道を両手を広げて塞いだ。このままでは前に進むことができないので、男の手を少しはたいてそのまま道を進んだ。その途端、男はこう叫んだ。

「んだよ!このブタ!!」

私はブタと呼ばれたことに怒りを感じたが、ここで相手を怒ることなんてできない。私はまだ十九歳で自分より年上の男にかなうわけがないのだ。後方でガミガミと怒鳴る男の声を聞きながら、肩をいからせて駅に向かう。一体、この理不尽な怒りをどうしたらいいのだろう。

私は体重にはかなり気をつけていたので、ブタと言われたのはショックだった。この世界では痩せていない女は美しくないとされている。しかし、美しくないと決めているのは男たちだ。どんな体型だろうが、自分を美しいと思い、自分の体に誇りを持てなくなってしまうのは惨めだ。しかし、客体化されている私たち女性は、すでに女性の目で自分を見ることができない。自分の体を見るときは、男性の視線を通した目で見てしまうのだ

摂食障害になるのはほとんど女性だと言われている。摂食障害の原因については諸説ある。一つは成熟拒否であるとされている。今まで一般的には女の人生は結婚をして子を成すことが幸せとされてきた。そのことに対する強烈な拒否感から、食べるのを拒否することによって、自分の将来を否定しているらしい。または、結婚せず、自立した生活を送りたいと思うのだけれど、親や社会は「結婚するのが女の幸せ」と押し付けてくるので、そのことに対する拒否感もあるそうだ。しかし、後者は少し時代遅れの考え方といえよう。そのほかの言説では、想い通りにならないことが多いけれど、自分の体重はだけはコントールすることができるという万能感もある。ほとんどの女性はダイエットを経験していると思うが、予想通りに体重が落ちた時の喜びは本当に大きい。1997年に起こった「東電OL殺人事件」の被害者女性も摂食障害であった。彼女は東電で総合職として働きながら、夜は売春をしていた。その落差に当時の人はとても驚いた。仕事で認められながらも、女としても認められたいというのは、女性の願いでありながら、両立をするのがとても難しい。彼女の悲しい末路に共感し、同情をした女性の数は多い。彼女も思い通りにならないことが多い中、思い通りになる体重に安堵したのではないかと思う。

他者からの視線に常にさらされて、ジャッジされている女たちは自分で自分の体を愛することができなくなってしまった。私も薬の副作用で太ってからは、毎日体重計に乗り、記録をつけ、少しでも太ったら食事の量を少なくした。男に対して怒りながら、男の視線に耐えうる女になりたいという自分もいる。私はいつも、分裂しそうな自我を抱え込んで生活をしていた。

 

短大で学年が変わり二年生になった。新しい授業が始まり、漫画の授業という一風変わったものがあり、そこに私は熱心に出席していた。その先生と仲良くなり、授業に出ている生徒とご飯を食べに行くようになった。先生は過去、テレビ局に勤務していて、かなり華やかな社会人人生を送っていたようだった。

「僕が若い頃、海外にみんなで行った時、現地の女の人を買っていて、それが本当に嫌だった」

先生がそうやって話すのを聞いて、テレビでよく取り上げられていたことは本当にあったのだなと分かった。女の人の体をお金で買う、ということ自体が大変な人権侵害であるし、海外に行ってまで、現地の女とセックスをしたいというのが謎だ。海外に行ったなら、観光や食事を楽しんでいればいいと思うのだが、男たちはどうやらそれでは飽き足らないらしい。しかし、国としては大きな恥だ。買春が恥だと男たちは気がついていない。そもそも、売春は法律で禁じられているのに、買春は禁じられていない。男たちが作った法律は男たちに都合のいいように出来上がる。売春せざるを得ない女たちは、男社会によって、そうせざるを得ない状況に追い込まれているのに、男たちによって「売る方が悪い」というロジックに収まってしまう。

二年生になってから、私はサークルを辞めた。部長が三年生になってサークルを辞めたのが大きな理由だった。それは、部長と私以外、絵を描いていなかったので、部長が辞めたら絵を描くのが私だけになってしまうというのが表向きの理由で、本当は部長がいないサークルに行っても楽しくないからというのが大きかった。

部長とはあれから何回か一緒に出かけたり、飲み行ったりした。しかし、こちらから部長を誘っても断られることが増えてきて、次第に私から声をかけることができなくなっていった。好きな人の姿も見ることができず、声も聞けないのは、予想以上に辛くて、家の中で時々泣いた。

それでも二年生になってから、ようやく短大で友達ができて、学校生活が楽しくなってきた。私は新しい友達とライブに行ったり、クラブに行ったりして楽しく過ごした。とても仲のいい友達ができたけれど、私は好きな人がいることを言えなかった。私にとって恋心は大きな恥だった。私のようなみっともない人間が誰かを愛するのはしてはいけないことなのだ。

 

サークルを辞めてからも、私は早稲田大学を時々訪れた。早大生の友達に会いに行くためだ。

「一年のとき入っていた美術サークルが、作品を作る人があまりいないから辞めたんだけど、熱心に活動してる美術系のサークルってある?」

サークルを辞めた理由の大半は部長がいないことであるけれど、まだ作品を作りたいというのも嘘ではなかった。

「陶芸サークルは真面目だって聞いたことがあるよ」

早大生の友達が教えてくれた。そして立て続けにこう言った。

「早稲田ってさ、ワセジョ(早稲田大学の女子学生)だと入れないサークルがあるの知ってた?」

意地悪な笑みを浮かべて友達は言う。

「え?なんで?どうして?」

びっくりして友達を質問攻めにしてしまう。

「さあ、男の人って、頭がいい女の人が嫌いなんじゃない?」

ワセジョである友達は「あはは」と笑った。彼女は早稲田の中でも法学部に通っているので、かなり頭が良い。

私はこの時初めて、頭のいい女はモテないということを知った。正直、私からしたら意味がわからない。私は人と対峙する時、価値観や知識の幅が違うとイライラしてしまうことはある。けれど、男の人は、そうでないらしい。俺はこいつより上であると思うことで満足するものみたいだ。なんて愚かな感情だろう。

私は部長より頭が悪いことをコンプレックスに思っていて、自分が早稲田生でないのが恥ずかしかった。でも、恋愛ではそうではないらしい。早稲田大学には他の大学の女子が恋人を見つけようと、たくさん流れ込んできている。私はあの女の子たちと一緒になるのが恥ずかしかったけれど、実際はあの子達と同じ風に見られているのだ。そして、部長が私にちょっと優しくしてくれたのは私の頭が悪いからだと思うと悲しかった。

 

夜に歌舞伎町の街を歩いていた。友達とライブに行く予定で、少し早く着いてしまったので、あてもなくブラブラしていた。ネオンが下品に光り、誰の顔も平等に明るく照らす。酔ったおじさん、化粧をした派手な女性、若いカップル。私はこの街が好きだった。茨城の田舎は何もなくて、歓楽街と呼べるものもなく、チェーンの居酒屋が数件と個人のお店がちらほらあるだけだった。私は歌舞伎町の通りを自分の街のように歩いた。気分良く歩いていたら「お兄さん、お兄さん、いい子いるよ!」と声をかけられた。私がびっくりして相手を見ると、客引きとおぼしき男性だった。私は「女に決まってんだろ!このやろう!」とでかい声で怒鳴った。ショートヘアでジーンズを履いて、胸はペタンコ。正直、男に間違えられても仕方ない見栄えだった。思えば、この頃、私のジェンダーは揺れていた。好きな人には女に見てもらいたいけど、電車の中の痴漢には男に見られたかった。私は髪を振り乱しながら、大股で歌舞伎町を闊歩した。

 

「ねえ、千夏ちゃんて化粧してるの?」

短大で新しくできた友達に話しかけた。千夏ちゃんは音楽や漫画に詳しくて、とても面白い友達だ。

「化粧?してるよ。しないと外に出られないくらいだよ」

以外にも千夏ちゃんは化粧をしていた。薄い化粧なので、化粧をしていると気がつかなかった。

「私も化粧、しようかなあ」

ぼんやりと私がいうと、千夏ちゃんは同意した。

「化粧すると、気持ちがシャンとするよ。やってみたらいいじゃん」

私は千夏ちゃんの顔眺めながら、少し勇気を出すことにした。

ずっと、化粧をしてこなかったのは、自分に必要がないと思っていたからだし、化粧という行為が好きになれなかったからだ。化粧というのは大きな嘘で、自分の顔を偽ることだから、なんとなく嫌だった。けれど、みんながしているなら、したほうがいいかもしれない。女の子には当たり前にこなさなければならない大きな出来事が何個かある。生理、ブラジャー、そして化粧。私はそのどれも苦手だった。生理の日にちをメモするのがめんどくさくて、自分の生理周期を知らないまま過ごしていたし、よく下着を汚していた。ブラジャーは大学生になってもつけなかった。そして化粧もまた然りだ。でも、チャレンジしないと大人になれない気がした。そして、大好きな部長に振り向いてもらえないのも、自分の顔面に原因があるような気がしたからだ。

 

休みの日に、化粧品を買いに行くことにしたのだけれど、どこに行ったらいいのか非常に悩んだ。母がドラッグストアで化粧品を買っていたのを思い出して、行こうと考えたのだが、近所では買いたくない。元同級生に会ったらと思うと背筋が凍る。散々考えた末、わざわざ高円寺まで足を伸ばした。高円寺の人気のない通りに、個人経営のドラッグストアがあった。初めて店頭で化粧品を見てみるのだが、どれを買えば化粧ができるのかさっぱり分からない。

「すみません、化粧が初めてなんですけど、どれを買えばいいですか?」

勇気を出して店員さんに聞いてみる。

「えーと、一から買うってことかしら?」

私はその言葉を聞いて頷いた。

「じゃあ、下地とファンデーション、アイブロウ、アイシャドウ、チークもあったほうがいいかしら」

店員さんがどんどん商品を手に取るので怖くなってしまった。

「すみません。全部でいくらぐらいになりますか?」

私がおずおず尋ねると、店員さんが口を開く。

「一万円と少しくらいしら」

当たり前のように口にした金額が高すぎて心臓が止まるかと思った。学生に一万円は大きすぎる。実は、高くても五千円あれば揃うと思っていたのだ。

「ちょっと予算オーバーなので、最低限必要なものだけください」

消え入りそうな声でそう告げると、店員さんが「試しに化粧してみますか」と声をかけてくれた。私は店員さんに促されるまま、二階へ行き、椅子に座る。自分の顔にいろんなクリームや粉が乗せられる。初めての化粧で胸が高鳴る。

「キレイになりましたね〜」

明るい店員さんの声を聞いて、目の前の鏡を見つめるのだが、美しいとはお世辞にも言えない顔がそこにあった。赤い頬に赤い唇、なんだかまるでお祭りのオカメみたいな顔だった。正直な感想としては「ひどいブスだ」と思った。私は軽くお礼を言うと、何にも買わずそそくさと店を立ち去った。早足で、駅に向かって、急いでトイレに向かう。顔を何回も洗うが、化粧は落ちない。化粧を落とすのにクレンジングが必要ということも知らなかった。

「キレイになりたいって思ったのが間違いだったんだ。私にはやっぱり化粧なんて似合わない」

化粧をした顔が、本当に醜かったのかどうか、それは誰にもわからない。ただ、私は私の顔がとても嫌いだった。

1977年生まれ。茨城県出身。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』『生きながら十代に葬られ』(共にイースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)、最新刊『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房)が5月10日より発売。

ツイッター:@sbsnbun、ブログ:http://sbshinbun.blog.fc2.com/