第3回 祭の前夜

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

喫茶店に入り、タイピングしている。

ぶり返したような暑さがさし入るような光線になって肌を刺し、皮膚の表面から疲れている。ちょうど、遠足の帰りのように関節に鈍く溜まった乳酸を アイスコーヒーがゆっくりと溶かし、横でオバハンが汚い言葉で誰かの悪口をペチャクチャ飛ばしてる。冷房が強すぎる。

ここは大阪、堺。

 

全感覚祭・大阪のある9/21から4日前、ステージの設営チームと一緒にわたしは大阪に現場入りした。
この会場でやるのは2017年からだから3回目になる。オーナーの勝さんはイケイケな港の男で、初めてあった時から勢いがうんとすごかった。元々、ヤンキーだったのだろうか?彼の波長が祭そのものであるからこんなでたらめな我々でも受け入れ、そして開催できているのだろう。

今年はroute26その場所がファンダンゴになるのだから、どう小さく見積もっても特別になる。ファンダンゴは我々が大阪を出る時にも最後のワンマンをしたゆかりの場所で、全感覚祭をきっかけに知ったこの堺の地を移転先として再スタートを切った。

入り口に座っていたファンダンゴの店長である加藤さんに会い、中を案内してもらって思わず笑ってしまった。すでにファンダンゴの香りがちゃんとはじまっていたからだ。運ばれたドアや 壁の絵だけでなく、あの十三を象徴していた階段までもが運ばれ取り付けられていたのには驚く。場所も結局は人なのだろう。すぐに息を吹き返すフロアが目に見えた。

ライブハウスの亡霊はもう一度帰ってくればいいよ。きっとあの場所の扉は開いている。

 

 

大阪はGEZANが音楽を始めた場所だ。たくさんの刺激や現場が我々という集合体をつくった。手渡されたものが連鎖し、新しい局面に運んでくれる。運命的とすら思える出会いやステージにわたしは幾度なく素晴らしい体験をプレゼントされた。どっかの誰かの連鎖、その鎖の一つになれたらええなぁが3年前から大阪開催をしている所以や。なぜか関西弁になってもた。

 

次々とステージの資材が運び込まれる。2トンの巨大なトラックがチビのイーグルのハンドルさばきによって会場入りする絵はシュールそのものだ。正直、こんなフェスってあんまりないんじゃないかと思う。今このタイピングしてる間もカルロスが2トントラックで京都にスピーカーをピックしに行ってる。彼はロックバンドのベーシストであってトラックの運転手では決してない。では何故トラック野郎をしているかといえば至極簡単な答え、金がない。

プロの運転手にトランポしてもらった方がうんと楽で、余裕だってぶっこけて調子はいいんだろうけど、そうも言ってられない火の車と化した我々のトラックは道なき砂利道を上下左右に揺れている。荷台にマーシャルアンプを積んだ状態で。

 

 

ボランティアを交え、草むしりから始まり、蜂の巣の駆除や放置されたゴミを避けてなんでもない平らな場所ができていく。
 設営のリーダー、金属を叩く音、たまに聞こえる野太い声、鼻先を日焼けさせてシャツに汗を湿らせたスタッフがベンチに次々と倒れ込む中、わたしは別の打ち合わせに出かけた。

 

 

堀江でWHIMSYというブランドをやってるそうたに会い、近況の報告をしあった。彼はスケーターで、Supremeを辞めた後、靴下のブランドを立ち上げた。大阪に住んでいた頃からの友達で、アパレルブランドを始めるや、仲間のリスペクトを集め、存在感をあげていった頭の切れる男だ。

そのそうたが今回、全感覚祭の靴下を作って400足プレゼントしてくれた。
ロゴのがっちりと入った赤と白の縁起の良いデザイン、その400足の使い道は任せるという。わたしはボランティアやスタッフ、出演してくれる予定のアーティスト、フードに関わってくれた人たちに渡すことにした。 今年関わり存在したNEW AGE STEPという言葉を持ち帰ってもらおうと思う。一番地面に近い FOOT、そこから体を支えるだろう。

売る分と東京のことを考えると足らないかもというので追加で発注してもらった。予算はもう使うなと会議で決まったばかりだけど、もう400足追加で作ってもらう。わたしは経営にきっとすごくだいぶ向いていないのだと思う。

 

 

前回書いたフードのこともそうだが、こうやって発した何かが跳ね返って帰ってくることで存在意義を感じる。
 6回目になる全感覚祭がそれぞれの中で芽吹いているという事実が一つ一つ手元に 確信となって帰ってくる。

2019年、どうやらわたしは生きているようだ。

 

フードのボランティアには西成のおっちゃんも手伝ってくれるみたい。そんなのなんだかドキドキするじゃない?
 蓋を開けてしまえばそれこそ光の速度で全てを駆け抜けるけれど、断片的に刻まれるその景色を一つ一つ出来るだけ丁寧に確かめたい。

積み上がるドリンクのダンボール、仮設トイレ、道を交錯するキックボード、足りない物の買い出しでどんどん増えるグループラインの書き込み、腰に巻いたコルセット、ヒロシの不在と軽い目眩、塩吹くTシャツ、30分おきに見てる天気予報、甘めのジャッジをしてくれる優良サイト、デタラメで愛しすぎるプラパン、仮眠をとる机、灰皿にした空の缶コーヒー、煙と混ざり雲が流れてく。

 

 村上さん、明珍さんが運転するトラックがステージの広場に入ってきて、思わず歓声が上がる。 お米が周防大島から届けられた。パンパンに膨れ上がった米の袋の上に手を置くと赤子のようにずっしりと重く、その感触の奥に土の香りや歴史を感じた。村上さんは刈り入れシーズンの真っ最中で、祭を見ずにとんぼ返りするようだ。

 

 

 野菜や塩もどんどんと到着してくる。スピード目まぐるしく、その度にフードのあかいぬの声が上ずっている。高揚しているのだ。彼女らは堺駅近くのキッチンスタジオで準備を始める。野菜を切り、明日に備える、祭の前日。

 

 

雨が降るかもしれない。残念だ。でも仕方がない。降ることもあれば降らないこともあるのがこの国の週末というやつだ。傘は危ないし、スペースの問題もあるので大概のフェスがそうであるように原則禁止し、カッパの持参をおすすめする。FUJI ROCKのように皆それぞれが当たり前にカッパを持ってきてくれたら嬉しい。

この日起こる全てを受け入れながら、楽しむための準備はできるだけしたい。寒さ対策を忘れずにしつつ、体が冷えたらご飯をモリモリ食べよう。ここに関わる全ての人に何かしらの確かなバイブスがある。
そこに言葉で説明があってもなくても、 想像してみてほしい。
 ホスピタリティ完璧の百点なんてものからは程遠いかもしれないが、泥の中にも本当のダイヤはある。

 

皆、少しずつ慣れてしまっているが、あらためて言葉にしておく。
このイベントが続く価値があるかどうか、その判断はあなたに任せている。
 別に無銭でいることも誰にバレるわけでもない。 わたしは仮に赤字だったとしても大阪、東京の全感覚祭の後にクラウドファンディングだとかそういう方法で後々、資金集めはしないつもりでいる。未来ならともかく、過去の尻拭いをするための投資は悲しいじゃない?

当初からわたしが頭から赤をかぶる覚悟でいる。存在する価値があるかいつでもこの時間は試されている。それがイーブンな関係ではないだろうか?

 

恋みたいじゃない?

愛には愛で感じあおうよっていい詩だよね。わたーし信じてる。そろそろみんな気づく頃なんだってこと。

何に? 知らねーよ。自分の細胞に聞いてみな。

クソなヒューマニズムの押し付け合いじゃない。偽善者の傷の舐めあいでもない。誰のことも否定しない本当の時間だ。

さあ、はじまる。はじまってる。

全感覚祭19 OSAKA

 

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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第2回 whose food?

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

ステイトメントを書いて数ヶ月の間で、全国様々なところからフードが集まり始めた。

お米や梅ジュース、みかんや生姜、ニンニク、ジャガイモ、それら食べ物はどこからやってくるのか?その発送元を調べれば地名を知ることはできるが、その文字からは鼻を鳴らしても土の匂いはせず、その向こう側を、目をつむり想像してみても人と四季との営みを想像しきることはできない。だが手元に届いた野菜を見ると、確かに言葉は電波に乗って顔も知らない、会ったこともない人のところまで飛んでいったのだろう。

わたしはその土の冷たさも知らず、その水に濡れた指も知らない。賛同してくれた人の中ではお米を1500キロ提供してくれる人もいる。もちろん量が全てではなく、提供の大小に関わらず関わってくれる人全てに感謝しているが、この1500キロ、1.5トン、およそ2万杯という量には気概を感じざるを得ない。
それは企業の協賛とはわけが違うことが容易に想像できる。自身が手間暇をかけて、何年もかけて耕してきた畑、四季をまたいで世話してきたお米だ。繰り返すけど、わたしは、凍える冬の霜の冷たさも、爪に入った泥も、芽吹いた日の春のさえずりも知らない。土を蠢くミミズも、台風を心配し眠れない夜のことも知らない。

わたし達が想像し、奔走するこの祭りはその気概に応えることができるのか?
わたしの書いた言葉の何が彼らを動かしたのか、そこにはこの農業を取り巻く環境への難しい現状があるような気がしていた。

 

8月28日、その日は周防大島に住む中村明珍さんが東京に来ているということで、ちょっとお茶でもという流れになった。渋谷駅で待ち合わし、エスカレーターを降りていくと、先についていた明珍さんは所在なさげにスーツケース一つを横に置き、線路下で待っているのが見えた。

明珍さんは銀杏BOYZのギタリストとして数年前まで活動していたが、自分にとってはその経歴よりも、島の海風を運んでくれる優しいお坊さんだ。純喫茶風の店内に入っても人の多さからか喧騒は止まず、ざわつきは完全にはシャットダウンされない。ドのつく田舎の生まれであるわたしも明珍さんの純朴な部分にハーモニクスを起こしたのか、どうも落ち着きがなかった。
そうこうしてるうちに、明珍さんが塩の協賛をしてくれる村上雅昭さんを呼んでいるので紹介したいという。島の男を全開にさせ、柄シャツからはみ出たイカツイ肉感で喫茶店のドアを押し開け、登場した村上さんを見てわたしは軽く圧倒されていた。

「おい、何アイスコーヒーなんか飲んでるんだよ。夏はレモンスカッシュって決まってるだろうが?」

村上さんは明珍さんを見てそう言い放つ。そうだったのか。。。

 

 

幸い、わたしはレモンスカッシュを頼んでいたためその追撃を受けることはなく、ことなきを得る。
作っている塩のサンプルを舐めさせてもらったら、その角のない柔らかい味の繊細さに驚いてしまった。村上さんの容姿や言動のワイルドさとは不似合いで、はっきりとした粒立ちと輪郭を持っていて刺すような酸味はない豊かな味をしていた。目をつむると潮騒が聞こえるような気がしたし、海の香りは静かに肺に流れ込んでくる。島の形が龍の形をしていることから名付けられた龍神乃鹽。きっと大切に作られたのだろう。

 

 

村上さんはその日の体のコンディションや気持ちのアップダウンが味には反映されるといっていた。それは音楽でも同じことが言えるからよく理解できる。同じコード、同じ歌詞だとしても、どうしたって毎日の変化の波を受ける。できることはその水準自体をあげることだというのも納得できた。

「フライパンにひいて、ベーコンでも焼いてもうまいよ。今喫茶店の店員のねーちゃんに頼んでみるか?」

東京にそのフランクさを許容するキャパがないことを痛いほど知っているわたしはその奔放さがどこか恋しくもなる。

 

村上さんと別れ、明珍さんと店を変えて、外のテラスでお話をした。絶えず、目の前を残像も残さずに人が通り過ぎていく。
この頃になると深呼吸したように静かな気持ちになっていた。わたしは、前文で書いたような、このイベントに向けて書いたわたしのステイトメントやコラムがどんな意味を持っているのか、その誠意に応えられる価値が本当にあり、どう返していけるのかという不安について手短に話した。

 

明珍さんは「村上さんのような人とマヒトくんが出会っているだけでまず、今まで島にはなかった変化だ」と言った。農業は作っているもの、そのもののクオリティに向き合い、進化していくことが得意な人は多いが、それを外にアウトプットするのが苦手な人が多いのだという。音楽でいうところのバンドの楽曲を制作するのと、マネージメントやレーベルを別のものが受け持つのと同じ構造のようだ。
わたしのやっているGEZANや十三月はそれをまとめてやっているから、その大変さはわかるし、曲だけに集中することのできる環境が健康的で羨ましく思う気持ちもある。

その流通を受け持つのがJAの仕事で、農家から集まった作物を集め、流通を専門に担当する。しかし、例えばお米が集められた場合、そのお米は作った人物関係なく混ぜられ、それどころか安価にするために新旧の年代までもが混ぜられ、味が落ちてしまうこともあるのだという。

現在、周防大島では本来自給できるはずのお米が、JAで一回山口県全体のものとして混ざってそれがおりてくるか、全然違ったコシヒカリが島にやって来たりする。余すことなく捌けさせるために仕方がない面もあるが、作者の顔やプライドが利益のために剥奪されているのが現状のようだ。しかし、その流通網を使わないと流通できない場所が多くを占めているため、疑問を感じつつもそこに頼らざるを得ない現状がある。

 

それを聞いて思い出したのはつい先週、sea of greenという福井の野外フェスに出た時のことだ。楽屋にお弁当が平積みされていて、わたしはライブ前に箸でつつき小腹を満たしていた。ライブが終わり、スタッフ用のケータリングを全感覚祭のフードの主柱でもある奥成聖子さんがやってると聞いたので、そのブースまで移動してみると、やはりこのお弁当も聖子さんが作ったのだということを聞き、お弁当の残りを美味しく食べた。
普段、ケータリングなどがあっても小腹を満たすために箸を二、三度運び、残したまま楽屋を後にすることがほとんどだ。楽屋のケータリングにはそもそもそういったつまみとしての性質を持っている。しかし、顔の知っている人がそれを作っていた場合、自分は残さない。単純な話だが、知ってる人の料理は味とも違う特別なエフェクトがかかる。

 

この顔が奪われるというシステムがいかに尊厳を奪っているか。自分がかけてきた時間や労力や想いが、否応無く数字に書き換えられる。これは生産者にとって非常に辛いことだと想像できる。生活のため、その名目のもとで踏ん張っている農家はたくさんいるし、もっといえば、そういったシステムに疑問を持つ余白も許されず、踏ん張っていることにも気づかないまま受け入れている農家もいることだろう。環境が無抵抗な思考をジャックしている。

明珍さんは少し暗い顔になって話をこう続けた。

 

8月は半分くらいお盆参りの仕事をしてて、家にお坊さんが拝んでいくっていうのを、結構おっきいお寺で5、6人、多いときは10人くらい同じところで寝泊まりしながらやっている。当然みんな趣味とか全然違うんだけど、ひとつの枠組みの中で生きてる人たちだ。
たまたまその時にテレビで韓国のくだりが始まって、また嫌韓やってるよと僕は思ってたんだけど、あるお坊さんが「韓国本当ダメだよね」って言ってて、それにさらに同調する人がいて、中国と韓国は、という話になってびっくりした。お坊さんってそういうものじゃないと思ってた。だけど、素直にそういう感情を持っていて、でも普段はめちゃめちゃ優しい人たちだという。

僕は争うのが好きじゃなくて、「こういう見方ができるんじゃないですか」って、これはテレビで、僕らが関係できない政治の話で、人を判断するのは違うっていうところまで説明したんだけど、「知らないの? 在日はね、」と跳ね返されてしまった。個人的に何かあったのかもしれないけど。

何が僕と違うのかって思った時に、僕は音楽で一旦思い込みだったりが解体されて、疑える環境だったり、チョイスをいっぱいもらえてたのだ、と。彼らはたまたま触れられなかったっていう言い方もできるし、生きている縁として、今までの出会いの中でそういう思考が出来上がっている。優しさ自体は持ち合わせているんだけど、なぜかそういう思考になってしまう複雑さを感じたのだという。

この問題もJAと同じ箇所に根付いている。場所や環境が発してるメッセージに無意識下で影響を受けているという意味において。

 

同時にそれは全感覚祭への可能性なのではないか? それは、音楽はもちろん、食べ物の持ってる可能性だと思っている。
食事は個人の体験だし、洗脳とファンタジーにまみれた世界の中で肉体的に存在できる一つの可能性だ。生き繋いだ先の一日ではなく、確かに呼吸し存在した時間は生活を真っ当に生かす。
ご飯ってすごいもの。だってわたしもあなたも生きているし。
 

 

明珍さんはお寺を運営するというより人の話を聞いてそのアイデアを横に流したり、自分が思ったことをシェアしたり、そういった在り方で島の農業と関わっているそうだ。
困ったことがあったらお坊さんに相談する。脈々と繰り替えされてきたであろう真っ当な在り方だと思うし、村上さんと出会っていることもまさに facilitator的で必然的なシンクロを感じている。

 

明珍さんは島に場所と、もう少し冷たくない流通のラインを作りたいのだという。

全感覚祭にお米を1500キロ提供してくれる村上善紀さんは協賛ではなく自らのアクションで参加と言ってたという。その話を聞いてわたしは本当に嬉しかった。

わたしたちは施しを受けているのではなく、このコンセプトに反応した全国津々浦々の人が自らのイメージで持って参加し、それぞれの尊厳を鳴らしている。わたしの手から全感覚祭が少しだけ離れていくのを感じた。
それこそが理想であり、この場所が「はじまった。」確かにそう思えたのだ。

 

周防大島や山形から帰ってきたカルロスがいい顔をしている。フードのミーティングをしている時に、残したりせず綺麗に食べて欲しいわー。そうこぼした。本気でそう思ったのだろう。

 

 

想像力ってどこまで信じてもいい? 少なくとも、体を生かし、音を聞くわたしのことは信じてもいい。

それに対する感情の動きはこの不明瞭な時代において確かなものの一つとしてカウントしていいだろう。まだまだフードは募集している。
懐かしい未来に参加してほしい。

 

sea of greenの時、聖子さんに
「食材で参加してくれた人が関わってよかったと思えるご飯にしたいですね。」と伝えたら

「あんた、何言うてんの?当たり前やんか。ずっとそればっかり考えてるわ。」とのことでした。

あはは。周回遅れ、マヒト。
よし、開催まで混乱の中、光を手繰り寄せ、走る。走るぞ。

マヒトゥ・ザ・ピーポー

 


フードに関する募集
今年の全感覚祭はフードフリーに挑戦します。自分や大切な人が生きている今と、これからくる新しい時代を好きでいるための試みです。そこで、もしこのコンセプトに賛同してくださる方や、お店をされている方など、是非ご協力いただければと思います。感心を持たれた方はまず、ご連絡ください。
刺激的な時間や景色が日常につながっていくための全感覚のための祭。どうぞ宜しくお願い致します。

【内容】
・食材を提供してくださる方 (米、野菜、肉、魚だけでなく、味噌や醤油などの調味料も。集まった食材などをもとにメニューを考えたいと思っていますので一度連絡をお願いいたします。)
・盛り付け・洗い物・配膳・食材運搬・列整理・下処理補助等
・調理器具を貸してくださる方(業務用鍋など)
・調理のお手伝いや料理の得意な方、またこのコンセプトに賛同してくれるショップの方

ご連絡お待ちしております。
【フードに関する連絡先】zenkankakusai.food@gmail.com

フードフリーのためのAmazonほしいものリストも公開しています。

・大阪
https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/3JZR5PX4FFZZN?ref_=wl_share

・東京
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/ls/ref=aw_wl_lol_gl?ie=UTF8&lid=2F168PCADXRTU

 

 

またこの試みに賛同してくれる方、募金の方もよろしくお願いします。

【事前募金振込先】
ゆうちょ銀行 四五八支店
普通預金 1156467 カネコツカサ

(*口座は十三月のメンバーであるカネコヒロシの父親の口座です)

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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