第11回 難波ベアーズ

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

緊急事態宣言を受けて二日目、コロナの影響により経営難を抱えたそれぞれの場所が生き残りをかけた救済戦争をSNS上で起こしている。あってしかるべきだと思うし、クラウドファンディングによって成果を出しているところも多くあるみたいだ。音楽という枠組みを超えてSAVE THE CINEMAが始まり、他の職種にも飛び火するだろう。
 この前の緊急事態宣言の会見で、自粛要請をされていた箱の補償はされないとはっきり念を押され、もう、あんなくだらない会見見るくらいならスーパームーン見るんだったと本気で思った。
 SAVE THE~という題字を見るたびに疲弊していく自分にもしっかり気づいていて、これから加速し続けるであろうSAVEが生みだす過剰な資本主義の加速と分断の可能性に胸が詰まっていく。そもそも自分自身のどこにそんな体力が残っているというのか。三ヶ月間は収入がないわたしだっていつの日かサポートを求める対象になりうる。まあいい。走れるうちに走る。飛べるうちに飛ぶぞ。

単なるドネーションではなく物として価値ある物をベアーズには作って欲しい。
 故郷を思うそんな勝手な気持ちからコンピレーションを作ることを山本精一さんに提案し、2日でメンツが組み上がった。参加して欲しいアーティストに話すと皆二つ返事で、この2日間でこんなメンツが出揃うのは場所の持っている磁場であり、 資本主義に対抗できる一つの確かな価値だと思った。

わたしはベアーズのオーデションでその音楽キャリアを始めた。オーデションと名前のつくものを受けたのは後にも先にもこの一回きりで、きっとこの先もないだろう。本当にわけのわからないアーティストだらけで、東京の奴にわかられてたまるかという謎の風潮があった。
 だからその頃のわたしはライブでMCをする奴なんてこびていると思っていたし、打ち上げにいくなんて媚びていると思ったし、自分たち以外のレーベルで出すなんて媚びていると思っていた。そんな屈折したマインドが屈折していることにも気づかず自然といられる場所、それが難波ベアーズだった。

 

 

冷房がやたら効いていて、静かなうたものなんかを聞き終わると必ずトイレに行きたくなる。
 照明は白と赤の二つ。たまにスタッフが人力でスイッチをカチカチやってストロボを作ってくれるから正確にはパターンは三つ。一番最近にでたのはKID FRESINOとGEZANのツーマンで、フレシノギャルがインスタにあげようと頑張っていたが暗すぎて何も写っておらず何度もトライする涙ぐましいシーンが記憶に新しい。

山本さんには色んな時にお世話になっていて、思い出されるのは2011年、前回のベアーズオムニバスのコンピレーションのレコ発を心斎橋クアトロでやった時だ。人とのコミュニケーションが今よりも格段に下手だったわたしは大トリのGEZAN のライブ中にオシリペンペンズのモタコと喧嘩になり、なんか知らないけど便乗して入ってきたクリトリックリスのスギムなんかも交えて乱闘になった。なじりあい、つかみ合い、もみくちゃになって、混乱したモタコはなぜかフロアでうんこをしようとした。意味は不明だ。もはやカオスを極めてシーンと白け切ったフロアで、急に山本精一はステージの脇から出てきてマイクを掴み、叫んだ。
「ベアーズなんてこんなもんですわ。」
 そう言って地面にマイクを叩きつけて帰っていった。反響するマイクと短いハウリングの中、そのイベントは誰もが固唾を呑むようにして幕を閉じる。
 楽屋に帰ると当時ペンペンズのドラムだった迎さんがニコニコしながら近づいてきたから、こういうのもおもろいな!とか言って握手でもされるのかなと思ったら胸ぐらを掴んで「うちのボーカルに何してんねん。殺すぞ」と壁に頭を押しつけられた。気動が塞がり、呼吸が苦しくなりながら「いいバンドだな~~」と感心したのを覚えてる。わたしはわたしで謝らなかった。
 山本さんは「音楽なんてこんなもんやで、殺し合いやで」と居酒屋で励ましてくれた。それがどういう励ましなのかは今でもわからないが、励まされたのだから励ましなのだろう。

 

 

時代は急を要している。有益、無益で、資本主義の中で力のないものは振り落とされる。白と黒の間にあるグレーはどちらかに振らされ、その曖昧さはないものにされる。
 いくらいくらお金を集めるとか、何人集客したとか、数字が飛び交い続ける中で、誰の何の役にも立たず、何も有益なものを生み出さない時間や物がいかに大切か、わたしはどれだけ困窮してもそれを捨てたくない。自分たちはあの場所で鳴らされた ディストーションの子ども。
 人のほとんどいない平日のフロアで地面を這いずり回って、言葉にならない声を叫んでる顔も知らない奴のあのシャウトをないものにしたくない。
 本当はサポートなんて言葉、大嫌いだ。続いて欲しいから買う。そこにいく。聞く。当たり前のことが当たり前にあるだけでいつだってシンプルだろう?
 お願いなんかしないよ。自分で考えろ。わたしはわたしがしたいからした。それだけだ。

ちなみにこのコンピレーションを企画したわたしたちに山本さんは「財布一緒に探してあげてよかった」と言っていたらしい(笑)
 何の話?でも言われてみるとなくした財布を一緒に探してもらった記憶がうっすらと思い出されきた。そしてそれは思い出せたとて断じて関係がない。
 そうこうしてるとペンペンズのモタコからメールがきて、開くとベアーズコンピ に参加したいという打診だった。めちゃくちゃいい曲ありますと添付されていた曲は一生「全員転校生~」と言いまくってる曲だった。

歴史は交錯し、新たなページがめくられる。続いていく限り新たなドラマは展開されていく。小説や映画なんかよりよっぽどドラマチックだろう?その白紙のページが楽しみでたまらない。その白色に垂らす赤いインクを思うだけで、この一人の部屋での戦いもなんとか生き残れる。

あの穴蔵に早く帰りたい。
文化人になどなってたまるか。
コーンの潰れたマイクが握られたがってる。
ハウリングがわたしを呼んでいる。

 

 

ベアーズオムニバス/日本解放


想い出波止場2020 AGAIN with DJおじいさん
MASONNA
GEZAN
OOIOO
KK manga
YPY
渚にて
パラダイス・ガラージ
やっほー
Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O
FAAFAAZ
キーマカリーズ
ゑでぃまぁこん
メタミュラー・グヌピコ aka 中林キララ
HARD CORE DUDE
青葉市子
オシリペンペンズ
https://jsgm-online.stores.jp/
https://youtu.be/f1KeP5VZ26Y

 

 
Photography 山本精一

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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第10回 静かすぎる日々

全感覚祭――GEZANのレーベル十三月が主催するものの価値を再考する野外フェス。GEZAN マヒトゥ・ザ・ピーポーによるオルタナティブな価値の見つけ方。

4月1日、本来ならGEZANの出した『狂 (KLUE)』というアルバムのリキッドルームのレコ発の日で、開催ができるか、この一ヶ月ずっとその可否を探ってきたが、蓋をあければ余裕の余裕で無理だった。もし開催してれば今頃、900人超の頭の上に飛び込んで獣になってたかな。今、小雨が降るどんよりとした雲の下でどんよりしたコラムを書いている。ため息まで灰色。
 日々更新されるニュースにしがみつくのがやっとの毎日の中で大切にしていたものが目の前から溢れていくのを指を咥えることさえもできず、ただマスク越しに立ち尽くしている。
 二日に一回のペースで5時間ずつ入っていた練習スタジオもついにストップしたのはバンドをはじめてからの10年で初めてのことではないか?こんな時はいつだってFUZZを踏んででかい音で叫んで乗り越えてきたのだが、直面する事の重大さが、LINE内で飛び交うコロナ関連のニュースからうかがえる。普段はこのMETALバンドの1stがどうたらこうたらとか、そんな会話しかないバカなGEZANメンバーからも緊張感が伝わってくるのだからそれはもう深刻だ。できれば早くものすごくくだらない会話をして、どうしようもない夜を過ごしたい。
 カップラーメンにお湯を入れ、誰もいない部屋でNetflixを見てる。この食事は、食事ではなく、ただの栄養の補給。番組のコンテンツも正直飽きた。コンロもない部屋、自分のような独り身はこんな状態がいつまでも続いたら普通に寂しくて死ぬ。そんなメンヘラウサギの気持ちがよく理解できる。

エイプリルフール。誰もが思ったはずだ。すべてが嘘だったらいいのにな。なんてことを誰かに直接伝えることもできず、圧倒的な現実は目の前の余白を奪っていく。少し前に季節外れに降った雪が何故かまだ溶けずにうちのベランダに少しだけ積もっていて、室外機からでた汚れた蒸気にあたり、どす黒く変色しているのを見て何度目かのため息がこぼれた。

 

 

もはや、政治を音楽に持ち込むなだとか、そんな生温い議論を許さないほどに自らを取り巻く現実は困窮していた。Twitterにも書いたがベースのカルロスはバンドをやっているという理由で10年ほどやっている介護の職を飛ばされた。無論、体調が悪い訳ではないが、そう選ばざるをえない介護職長の気持ちも理解できると言っていた。ライブハウスやクラブは同じくギリギリの状態で食いつないでいる。この1ヶ月の間、保証はなく、自粛の要請という矛盾した言葉の二つを暴力的に並べる政府の圧に苦しんだ。そして残念ながらこの先もこのプレッシャーは続くだろう。長期戦を覚悟しなければいけない。
 かくいう自分もこれからの最低でも三ヶ月は収入がなくなる。未曾有の事態だと言わざるを得ない。

「だいじょぶだぁ」と言ってくれる人ももういない。今こそ言ってほしい。 「だいじょうぶだぁ」

専門家の話などから察するにこの夏のライブも絶望的なのではないかと覚悟している。この自粛はさらに強まり、緊急事態宣言へと向かっていくわけだが、コロナがピークを迎え、収束にむけてなだらかなカーヴを描き平穏に向かっていくとして、まずは小さなバー形式のクラブなどが営業を再開していくのだろうが、大箱はその営業形態を見直しながら徐々に徐々に再開していく。キャパシティの制限などをしながら徐々に。通常の業務形態で復活できるのはいつの日か?それまで自分の好きなその箱たちの体力が持っているのか心配しかない。

現場の声を聞くところからはじめたいと思い、今一つの映像をまとめている。偏りはあるがライブハウスやクラブに話を聞きにいったものだ。そこにはこの先をサバイブしていくヒントが散らばっている。しかしそれは原石でしかない。その原石を輝かせて、具体的な光に変えていけるかはそれぞれにかかっている。誰も答えなど持っていない。ウイルスのポテンシャルが誰もわからないから。

 

 

この晶文社でのコラムは全感覚祭を軸にしたコラムで、物の価値を再考してきた全感覚祭は本来こういった事態にこそ、この未曾有の時期にこそ真価が問われると思った。ライブハウスやクラブの存続の危機の中、その場所がどんな価値だったかを今一度考え、そこに価値をつける必要がある。そんなことをチーム十三月のミーティングで熱弁したわけだが、そもそも集合というすべての根源にあった武器が奪われた状態な訳で、思考は具体的なビジョンにまとまることなく糸はもつれた。今はただ日に日に悪くなっていく、この状況と一緒に落ちていくしかないのか?いや、そんなはずはない。この時間の中でしかでき得ない形が必ずあるはずだ。
 周りを見ていて、自らが持つ力をどうにか使いたいがその方法が見つからずやきもきしている人が多いように思う。#Save Our Spaceに30万以上の署名が集まったのだってその要因の一つにあるはずだ。
 こんな時こそアイデアを出し合えればと思っている。政府に補償を求めることは前提として、それとは別で、その場所や音や人に救われてきた人たちが、その場所や音や人に還元できるようなプラットホームが必要だと思う。そういった自治の感覚が文化を育んできた側面は確実にある。

10年前にGEZANがはじまった難波ベアーズ、あの薄暗いライトの中で山本精一の無観客、無配信ライブが行われたらしい。スタッフも帰ったからその詳細は不明で、意味もだいぶ不明すぎる精一さんの咆哮とハウリングを想像すると懐かしく、 UNDERGROUND RESISTANCEを感じた。 スタッフから聞いた話によると1時間をすぎた頃にLINEにて「終わった。しんどかった」ときたらしい(笑)
 その難波ベアーズはライブハウスではなくライブスペースだ。だからドリンクの販売もない。仮に補償案を勝ち取った時、その補償が受けられるのだろうか。その線引きは危うく、取りこぼされる場所や人は必ず生まれる。そしてコロナによって影響を受け続けるであろう長期間、その補償をし続ける体力が、その心意気がこの国に残っているとは思えない。すでにネット上で上がりはじめた、生活保護に給付金を出すの反対との醜い声。分断は加速する。来るべきその時、アーティストは試されている。はじまったポストパンデミックにどう振る舞うか。世界規模で一斉に始まる新しい時代にどう存在するべきか、オルタナティブは試される。

 

 

わたしが去年書いた小説『銀河で一番静かな革命』という本はちょうどこんな終末を生きる人々について書いている。その本に書かれた願いをここで書くのは野暮かもしれないが、生産性や世の中の価値とは無縁の暮らしの中にある大切な物への光の当て方について書いている。
 今この世界規模の混乱はある一種のチャンスでもある。仲のこじれていた友人同士がコロナの騒動で大きな連帯を前にその関係性が良好なものにうつったという例を近いところでみた。芸能人から国王、セレブ、会社員から子どもまで境界を越えてシームレスに感染するコロナ、その巨大な敵を前に求められている世界レベルでの変革はシステムだけではなく意識にも向けられている。それは震災以降、日本だけでは成し遂げられなかった意識の変革の可能性を持っている。この向き合わざるを得ない静かな時間をどんなものにするべきか、我々はどう変わるべきか問われている。いい時間にしたい。意地でもそう思う。
 この戦いは想像以上に長引くよ。この怒涛の日々に持っていかれて精神が壊れるくらいならスマホの画面からTwitterのアプリを消して情報を制限してもいいと思う。自分の暮らしを守ってほしい。健康でいることはもちろん、あなたが真の意味で生きているのが大前提で、来るべき反撃はそこからしかはじまらない。いつかくるその時に両の眼を開け、世界を見渡し、好きな人や場所を真っ直ぐに愛せるように今は嵐がすぎるのを待つ。正しく怯えて、自分を守ってほしい。

必ず、その時はくる。

 

 

2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数のアルバムを制作。映画の劇伴やCM音楽も手がけ、また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースや、フリーフェスである「全感覚祭」を主催。中国の写真家Ren Hangのモデルをつとめたりと、独自のレイヤーで時代をまたぎ、カルチャーをつむいでいる。2019年、はじめての小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を出版。GEZANのドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」がSPACE SHOWER FILM配給で全国上映。バンドとしてはFUJI ROCK FESTIVALのWHITE STAGEに出演。2020年、5th ALBUM「狂(KLUE)」をリリース、豊田利晃監督の劇映画「破壊の日」に出演。初のエッセイ集『ひかりぼっち』(イーストプレス)を発売。監督・脚本を務めた映画「i ai」が公開予定。

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