モヤモヤの日々

第231回 ロクちゃんのぬいぐるみ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

この連載の最大のライバルだと密かに意識している作品がある。イラストレーター、漫画家、歌人のスズキロクさんによるエッセイ4コマ「よりぬきのん記」だ。ぬいぐるみと布団が大好きな「妻」と、ぬいぐるみに厳しく、常に忙しく働いている「夫」の、のんきな毎日を描いた漫画で、なんと当連載のルールである「平日、毎日公開」どころか、土日も祝日もツイッターで公開されている。しかも「よりぬきのん記」は、すでに2019年版と2020年版の2冊が出版されている。ライバルだと書いたけど、当連載のほうが後発なので先輩にあたる。

その存在を知らない人がいても無理はない。なぜなら「よりぬきのん記」は、鍵付きのツイッターアカウントで公開されているからである。なんということだろう。休まず毎日、それもフォロワー218人の鍵付きアカウントで続けているなんて、カッコよすぎるではないか。「平日、毎日公開」を褒めてもらうたびに、僕は「よりぬきのん記」の壮大さに思いを馳せている。

さて、そんなロックなスズキロクさんは僕の友達で、親しみを込めて周囲から「ロクちゃん」と呼ばれている。ロクちゃんは僕と妻に赤子(1歳6か月、息子)が産まれたことをとてもよろこんでくれて、お祝いにぬいぐるみを贈ってくれた。JELLYCAT(ジェリーキャット)というブランドの茶色い犬のぬいぐるみである。このぬいぐるみは愛犬ニコルに色も大きさもよく似ている。

僕は子どもの頃、ぬいぐるみにはあまり興味を示さなかった。しかし、妻はロクちゃん同様、「ぬいぐるまー」(ぬいぐるみが好きな人をそう呼んでいる。調べてみると、大槻ケンヂ率いるパンクバンド「特撮」に「ヌイグルマー」という楽曲があるらしい)である。僕はぬいぐるみに愛着を持つ「ぬいぐるまー」の感性がうらやましいと思った。赤子にもぜひ「ぬいぐるまー」に育ってほしい。そう思って、ロクちゃんからもらったぬいぐるみを0歳の頃から赤子の横に置いておいた。

妻によると、「ぬいぐるまー」は自分でぬいぐるみに名前をつけるらしい。ロクちゃんのぬいぐるみにも勝手に名前を付けず、赤子が名付けるまで待つことにした。なので今は暫定的に「お友達」と呼んでいる。

はじめはほとんど視力がないし、物と自分との区別もつかない状態だった赤子も、そのうちお友達を認識し始め、触ってみたり、叩いていみたりしだした。さらに抱きしめて眠るようになり、顔をうずめて遊ぶようにもなった。赤子がまだ8か月だったとき、コロナ禍で自粛ばかりしているストレスを発散するため、犬も泊まれる都内のホテルに「巣篭もり旅行」しに行ったことがある。その際、お友達を家に忘れてしまい、「ぬいぐるまー」の妻は大層、気にやんでいたが、そこはまだ8か月の赤子である。2泊3日の旅行中にぐずることはなかった。しかし、家に帰ってお友達を発見するなり、赤子はそれまで見たこともないような笑顔をしてお友達を抱きしめた。

赤子は着々と「ぬいぐるまー」として成長しているようである。お友達は赤子の寝かしつけに大活躍している。赤子が寝た後は、寝返りをうってベビーベッドの柵に頭をぶつけないよう、赤子の頭と柵との間にお友達を置いている。なんて優しく、献身的なお友達だろうか。

今のところ、赤子はお友達に名前を付けていない。まま、まんま、あまま(バナナのこと)、ねんねなど、まだ数語しか喋れないのだから当たり前といえば当たり前だ。でも僕が思うに、もう心の中では名前で呼んでいるような気がしている。明らかにお友達を「友達」として認識しているからである。コロナ禍の影響と、保育園に行っていないこともあって、赤子には同世代に友達と呼べる存在がまだ少ない。先日行ったキャンプで一緒に遊んでいた友赤子くらいである。

でも、赤子にはお友達と愛犬ニコルがいる。僕は「ぬいぐるまー」ではなかったし、実家で犬などのペットは飼っていなかった。お友達と犬と一緒に遊ぶ赤子の感性を、僕はうらやましく思う。

先ほど、赤子にお友達の名前を訊いてみた。以前、訊いてみたときには、「あちゃ」と言っていたが、今日は最近の口癖である「くかぁっ」と言っていた。名前を教えてくれるのは、もう少し先になりそうである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第230回 書籍化

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

今日は珍しく朝早く目が覚めた。早朝5時30分。外は激しい土砂降りである。と思ったら、8時前くらいから雨がぴたりと止んだ。でも今にもまた降り始めそうな空が広がっている。予報を見ると、昼前には晴れ間がのぞくという。本当だろうか。まるで僕みたいな天気である。

「モヤモヤの日々」の書籍化が正式に決まり、作業を開始することになった。2022年春夏に刊行という、ちょっとモヤモヤとしたスケジュールとなっている。そして、この連載は今年12月30日で終了する。これまで230回も「平日、毎日17時公開」の約束を破らず続けてこられたのは、ひとえに読者のみなさまの応援のおかげである。心から感謝している。

あと30日後に終わると思うと、寂しさも当然ある。なにせ僕は、連載のイメージを編集部に伝えるために必要だった開始時の数回を除き、原稿のストックをためるなんて野暮なまねは一切せず、毎日こうやって書き続けていたのである。提出がギリギリになる日もあり、担当編集の吉川浩満さんには何度もご迷惑をおかけした。そんな日々が幕を閉じるのだから、寂しくないはずがない。

しかし、言葉だけでつくられた世界は、いつか必ず閉じられなければならない。閉じられるからこそ、何度でも出会い直すことができるのだ。僕も読者のみなさまも吉川さんも、何度でもこの日々に戻ってこられる。残りの日々を、僕はより見て、より聴いて、より感じて過ごし、書き記していきたいと思っている。こうなったら、路傍に生えている謎の雑草にまで感性を傾けようと意気込んでいる。こんなふうに書くとなにかのフラグが立ってしまっているようだが、僕はこれから少なくとも倍の歳を重ねていきたい。まだ生きていたのか、と呆れられたいのだ。僕の日々は続いていく。

現在、朝8時30分。吉川さんが約束を破らなければ、あと30分で晶文社から「年末の連載終了と単行本化作業開始のお知らせ」が発表される。しかし、僕は眠いのである。寝たら怒られるだろうか。この連載についてとは特に明記しないまま、昨夜、「明日12月1日の朝9時頃(予定)に、重大発表、告知があります! みなさま、宜しくお願いいたします」と僕はツイートしてしまった。晶文社からのリリースを読めば、「このことだったのか!」とわかるはずだが、僕のツイートだけチェックしている方には不案内になってしまうのではないか。

リリースページの公開URLはすでにわかっている。予告投稿を設定しておこうかな? とも考えた。しかし、僕はいい加減な性格のくせに、変なところで妙に生真面目なのである。やっぱり起きておこう。たぶん。そう思いながら原稿を書いていたら、8時40分になった。あと少し。

みなさんがこの原稿を読むのは、今日の17時以降である。どんな一日だっただろうか。最近は日が落ちるのが早いから、すでに外は真っ暗であろう。家の中やデスクの前で読んでいるかもしれないし、帰宅路の電車の中で読んでいるのかもしれない。きっと今日もなにかにモヤモヤしたはずだ。人間は生きている限り、絶対になにかにモヤモヤする。「モヤモヤ」とは、今を生きることである。だからこの連載が存在する。

とりあえず、ここまで言っておきながら「平日、毎日17時公開」の約束を残りの30日間(平日のみだが)で破ってしまわないよう気をつけたい。いくらなんでも、さすがにそれはモヤモヤさせ過ぎである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid