モヤモヤの日々

第19回 管理人さん(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

住んでいるマンションには、「いい管理人さん」と「悪い管理人さん」がいる。「悪い管理人さん」は、いつもニヤニヤしながら寄ってきて、くだらない冗談ばかり言ってくるが、勝手につくった自分専用の喫煙所を教えてくれ、そこに僕の腰掛を設置してくれる、妙なところにだけ気が利く初老の男性だった。しかし、僕が禁煙してからは少しずつ疎遠になっていったと、以前この連載で書いた。

その後、マンションに住み慣れていくうちに、同じく初老の男性である「いい管理人さん」とも交流を持つようになった。初めは細かくて融通のきかない人だと思ったが、仕事がとてもできる人で、わからないことがあったらすぐに答えてくれたし、生活のあれこれにきめ細やかに対応してくれた。デザイン事務所に勤めていた経験があるらしく、僕が出版の仕事をしていることがわかると、たまに立ち話して仕事の調子を聞いてくれたり、昔の雑誌のことを懐かしそうに話してくれたりもした。

さらに、新型コロナウイルスの感染拡大のせいで、大阪に里帰り出産した妻と僕とが離れ離れになってしまった我が家の事情も把握し、会うたびにまるで自分のことのように心配してくれた。「悪い管理人さん」も人間臭さがあって好きだけど、さすが「いい管理人さん」はいいなあと思っていた。

そんな非の打ちどころのない「いい管理人さん」にも、一つだけ大きなモヤモヤがある。新型コロナが問題になる前のようやく涼しくなってきた時期だから、2019年の10月頃だろうか。コンビニに行くために部屋着のまま外に出ようとした僕を見つけるや否や、小走りで駆け寄ってきて、うれしそうにこう言ったのだ。「○○さんには、ちゃんと大丈夫だと言っておきましたから。宮崎さんは物書きをしている人で、話してみると、とてもいい人ですよ。だから大丈夫ですって言っておきましたからね」

「いい管理人さん」は僕の両肩を二度ボンポンと叩いた。僕はお礼を言って、コンビニに行った。

○○さんとは、一体誰なのか。なぜ僕は○○さんに大丈夫ではない可能性について疑われていたのか。「いい管理人さん」は仕事ができ過ぎることが玉に瑕である。「悪い管理人さん」に聞けばペラペラと詳しく教えてくれそうではあるが、事実を知ったところで特になにも解決しないタイプのモヤモヤだと思ったため、わからないままにしておくことにした。とりあえずその日から、たとえ徒歩15秒のコンビニに行く場合でもなるべくきちんとした格好をしようと、僕は心に決めたのであった。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第18回 小田君

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

先日、旧友の音楽家・小田晃生君と対談した。小田君は、昨年末にニューアルバム『ほうれんそう』をリリースしたばかり。同じく年末に僕が出版した新刊のエッセイ集『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(幻冬舎)を読んでニューアルバムのコンセプトと近いものを感じ、パンフレットに掲載する対談を申し込んできてくれた。久しぶりだったので本当は実際に会って対談する予定だったのだが、東京都などで緊急事態宣言が出たこともあり、大事をとってリモートで対談することになった。

小田君は二つ下で、たぶん僕が20代中盤の時に出会ったはずだから、もう15年近い付き合いになる。初めて小田君を知ったのは、「ハイラック」という演劇ユニットの公演を観に行った時、小田君はその劇の音楽を生演奏で担当していて、特に「コンティニュー」という曲が胸に突き刺さった。

その後、僕もその演劇ユニットに脚本を提供するようになり、中原中也生誕100年の折に書いた脚本の公演では、小田君に中也の「湖上」(『在りし日の歌』)という詩に曲をつけてもらい、作中でも演奏してもらった。「湖上」は、小田君が2008年に出したアルバム『発明』にも収録されている。

そんな小田君とも、離れた場所に住むようになったり、生活スタイルが変化したりといった理由から徐々に会う機会が少なくなっていた。しかし、小田君の仕事はずっと追っていたし、たまに共通の友達と一緒に会うこともあった。小田君は僕が作った小噺を聴くのが好きで、会うたびに「宮崎君、あの話もう一回してよ!」とお気に入りの同じ小噺をせがんできてくれるのであった。

小田君と最後に対面で会ったのは2018年、共通の友人の結婚パーティーでのことだった。葉山の一軒家を借りて行われたそのお洒落なパーティーに行くと、隅っこの方で背中を丸めて縮こまっている小田君を発見した。声を掛けるなり小田君は笑顔になって、「いや〜これから僕、余興でライブをするんですよ。緊張しちゃってさ」と、提供されたお酒をちびちび飲みながら言っていた。

その時、久しぶりに「コンティニュー」を聴いた。今までで一番、心にしみ渡った。これは対談でも照れ臭くて小田君に伝えられていないのだが、その時に聴いた「コンティニュー」の世界観、イメージを自分の中で膨らませ、インディーズ文芸創作誌『ウィッチンケア』10号に同名(表記は英語)の掌編小説を書いた。だから、ニューアルバム『ほうれんそう』もすぐに聴いて、当然、何度もリピートして聴くお気に入りになった。

対談当日、前日にドタバタとしてしまい、僕は開始1時間前の正午に起きた。急いで身支度しながら小田君に開始を15分ほど遅らせてほしい旨の連絡をした。せっかくの対談なのに、なんとも締まらない。しかも、おそらく最初は懐かしい昔話から始まるのだろうと思っていたが、序盤から小田君からの的を射た本質的な質問がバンバン飛んできた。まだ眠りから完全に覚めていない僕の脳が一気に覚醒して、とにかく夢中になって語り合った。気がつけば3時間以上も時が経っていた。

小田君の音楽には、楽しさ、優しさ、滑稽さの中に、いつもどこか「切実さ」があると思っていて、その「切実さ」みたいなものが、等身大で強く表現されているのが、「コンティニュー」であり、今回のアルバムの表題作「ほうれんそう」だと思う。「切実さ」があるからこそ、楽しさ、優しさ、滑稽さが立ち上がってくるということを、他ならない小田君という音楽家個人から、アルバムを通して受け取った気がした。そして、それは諦念からくる明るさなどではなく、しがみ付くような思い、脆いけどずっと続いている衝動、現実の手触り、葛藤も含めたそうしたものから広がってくる「音楽への愛」。新作や対談での言葉を聞いて、あらためてそういう反転した「強さ」を感じた。その強さは「弱さ」と表裏一体であり、それを自覚しているからこそ、小田君のこの世界に対する視線には、いつも親しみがこもっている。同時に、それだけでは満足できない、音楽家としての業も素直に見せてくれる。

なによりうれしかったのは、僕たちはまだ「何者」でもない若い頃からの友人だが、今回の対談は「何者」かになった中年の二人が過去を懐かしがってしている内容ではなく、いまだに「どうしたら売れるんだろう?」などとボヤキながら、お互い少しだけ老けた風貌で笑い合いあって話をすることができたことだ。そう、僕たちはまだ「何者」でもない。昔を懐かしがるにはまだ早すぎるのだ。こういうリアルタイムでの感覚を忘れないできちんと言葉として残しておかないと、仮に小田君がとんでもなく売れた時に、ついついハッタリ好きな僕は「僕と小田君伝説」を勝手に語り始めかねない。

小田君は僕の小噺が好きで、僕は小田君の音楽が好き。まだ二人とも30代後半だけど、たとえ70代になっても同じ感じで居られるんだろうな、と思えたことがなによりうれしかった。新年早々、花粉症のような症状に悩まされたり、買ったばっかりのノートパソコンが壊れたりと、なんともモヤモヤした2021年のスタートだったが、小田君との対談は充実していた。そういう時にありがちな罠として、その晩は興奮して寝つきが悪かったが、小田君の音楽を聴いているうちに深い眠りに落ちた。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid