モヤモヤの日々

第17回 高級な蜜柑(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

この連載を母が読んでいるらしく、この前、電話があった。記念すべき第一回目に書いた「高級な蜜柑」こと、愛媛の「紅まどんな」をちょうど知り合いから貰い受けたから、少しだけ送ってくれるとのことだった。やった! またあの高級な蜜柑にありつけるとは。なんでも書いてみるものである。

「それでね」と、母は少し困惑したように話を続けた。「この前、お父さんから手紙が来たのよ」。父は2017年に71歳で亡くなってしまった。だから、そんなはずはない。「そうでしょ。変なのよね。それでイタズラかと思ったんだけど、どう見てもお父さんの字なのよね」。父は市民合唱団や、放課後、小学生に勉強を教えるといった地域活動に熱心だったから、もしかしたらどこかで「10年後への手紙」的な企画に参加したのかもしれない。そう思った母は、ドキドキしながら開封したという。

「そうしたらね、いきなり『10年後の予測』って書いてあって。たぶんお仕事のことだと思うんだけど……。わたし宛じゃないならいらないから、そっちで預かっておいてくれる? 一緒に送るわね」

果たして数日後、4つの「紅まどんな」と共に父の手紙が届いた。確かに仕事の未来予測が書かれてあるようだ。しかし、父は農業系商社の技術職だったので、文系の僕にはなんのことを言っているのか、わからない記述ばかり。唯一、僕でもわかる気がするのは、「ハウスは倉庫のような閉鎖型になり、屋根にはソーラーパネル、光はLED、(中略)作物育成の最適条件が与えられ、完全無農薬、育成スピード、品質等は、今の倍が実現されている」という箇所くらいだ。それすらも父の予測が正しいのかまではわからず、捨てるのも気がひけるので、とりあえず保管しておくことにした。

ところで、手紙が入った封筒をよくよく見ると、宛名も父なら、宛先も父だとうことがわかった。つまり、これは10年前に父が書いた、父への手紙なのである。母いわく「唯一の泣きどころ」という、「いつまでも新しい事にチャレンジして、人生を全うしたいと思います。以上」という最後の記述を読みながら、父ってこういうところがあったよなと、しみじみ思い出した。自分に向けて10年後の仕事の予測を書いてしまうところ。それが、自分が亡くなった3年後に、自分の妻に届いてしまうところ。亡くなってもなお、どこか抜けている天然さを発揮してしまうところに、父の父らしさを感じて懐かしくなった。

そんなことを考えているうちに、4つの蜜柑はあっという間になくなってしまった。僕は高級な蜜柑を、この連載の担当編集者である吉川浩満さんに届けなければいけないのである。この原稿を読んで吉川さんはまた「蜜柑を食べたそうな顔」をしているに違いないのだ。もう我慢の限界かもしれないが、今回は父の手紙に免じて、なんとかご勘弁いただきたい。次回入手した際には必ずや。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第16回 僕は断固として

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

いつから、こんなに時間に急かされるようになったのだろうか。僕が20代だった2000年代までは、まだ今よりも時間に対するゆるさが残されていたような気がしている。もっと昔に遡れば、待ち合わせに遅れた友人のために、駅の伝言板にメッセージを残していたものだ。当時、どのような時間の感覚を持っていたのか、今となっては思い出すことができない。

携帯電話が普及してからも、しばらくは今より時間におおらかな雰囲気が残っていた。待ち合わせ相手が少し時間に遅れようと、近くの書店や喫茶店に入って暇をつぶしていたものである。しかし、スマートフォンが普及してからはそうはいかない。乗り換え案内と地図アプリを使えば、ほぼ正確な時間に目的地にたどり着くことができるようになったからだ。

まったく、便利な世の中になってしまったものである。テクノロジーは、僕たちに利便性をもたらすが、一方でそれが人口に膾炙すると、ある種の選択を強制されるという側面がある。「できる/できない」で「できる」が増えることは望ましいことだ。しかし、「できる」が当たり前になってしまった結果、「する/しない」で、「しない」を選択することが難しくなってしまう世の中は息苦しい。「しない」ことへの説明が求められるのも厄介な現象だ。

「できる」が増えることによって、救われる人もたくさんいる。ところが、この「できる」が日常レベルに浸透して当たり前になったとき、「『できる』はずなのに、なぜ『しない』のか」というストレスが生まれる。そんななか、「『できる』けど『しない』」というスタンスを取り続けるのには胆力がいるし、余計に面倒なので「する」を選択せざるを得ない。

そんな見えにくい強制力に対して、僕は断固として抵抗しない。だって、無駄な軋轢を生みたくないないじゃないですか。ただ、一つだけ言いたいのは、僕は地図アプリが苦手なのだ。三半規管が弱くて、画面を見ていると酔ってしまう。言いたいのは、ただそれだけである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
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