モヤモヤの日々

第7回 大晦日の大晦日感

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

明日は大晦日。

大晦日といえば僕が毎年、感心しているのが、大晦日の大晦日感である。これだけで何を言っているのかわかる人もいるのではないか。年末の喧騒が収束し、すべてが納まっていくようなあの感じ。「大」の文字の持つ視覚効果もあると思うが、「なにはともあれ今年が終わり、新年が始まるのだ」とアングルが変わっていくようなあの感じ。365日の同じ1日に過ぎないのに、大晦日だけ特別視されているようなあの感じ。別にいつ始めてもいい(10月1日とか)はずの行動目標を大晦日に立て、翌年に希望を託すようなあの感じ。大晦日は、どこまでいっても大晦日であり、大晦日の大晦日感を出せるのは毎年、大晦日でしかあり得ない。

今年はどんな大晦日になるのだろうか。2020年という1年は、きっと人類にとって忘れがたい1年になるのだろう。しかし、個人的な出来事を振り返ってみようとしても、どうもまだボンヤリしているというか、時系列さえまともに整理できないでいる。そういう意味では、2020年という年について僕が理解するのには、もう少し時間がかかるのかもしれない。

そんな茫洋とした2020年も、明日で終わるのである。今年はどんな大晦日になるんだろうか。大晦日は相変わらず大晦日で、大晦日の大晦日感を今年も醸し出している大晦日なのだろうか。それとも、いつもの大晦日とは違う2020年の大晦日だったりするのだろうか。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第6回 ルーティン

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

一流のスポーツ選手は、「ルーティン」を大切にしている。元メジャーリーガーのイチロー、マリナーズ時代に朝昼兼用ブランチとしてカレーを毎日食べていた時期があったという。また、イチローは、バッターボックスに入る前にバットを膝に置いて屈伸運動するなど、試合中にもルーティンを取り入れてい。それによって、集中力が高まるのだとか。 

僕にも原稿を執筆するまでのルーティンがある。まずは椅子に座り、ヘッドフォンをつけて、爆音でお気に入りの音楽を聴く。Apple Musicから流す時もあれば、YouTubeで動画を観ながら聴く時もある。テンションが上がってきたら、次は本に手を伸ばす。近々に読んだ本の中で、特に気に入った2、3ページに何度も目を通し、執筆のモチベーションを高める。 

たいていは、それで執筆が始まるのだが、その日はどうも気が乗らず、同じルーティンを何度も繰り返していた。原稿が三つ溜まっている。そろそろ集中しなければならない。しかし、音楽を聴いては本を読み、本を読んでは音楽を聴きを、おおよそ30回以上も繰り返したものの、一向にキーボードを叩く気になれない。いったい自分の何がいけないのだろうか焦れば焦るほど、心どんどん混乱していく。僕は力なく椅子を立ち、リビングに向かった。 

リビングには妻がいた。僕は妻に助言を求めた。「ねえ、俺ってどう思う?」。妻は怪訝な顔で僕を見た。「どうって、なにが?」「いや、どうかなと思って」「だからなに」「う〜ん」「どういう基準で評価すればいいの?」「いいとか、悪いとか」「なに?」。僕は少し考えてから、「わからない」と答えた。妻はため息を吐き、「なにかがわからないなら、それがわかるように努力するといいよね」と助言してくれた。肩を落として、僕は仕事部屋に戻った。 

とりあえず、椅子に座ってキーボードに触れてみた。そして書き上げたのが、この原稿である。なにがわからないかはまだわかっていないけどみなさん、僕ってどう思いますか 

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid