モヤモヤの日々

第227回 二代目・朝顔観察日記(8)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

寒い日が続いている。この季節になぜ朝顔? と思うかもしれないが、朝顔の種の収穫時期は、11月下旬ごろまでとされているのだ。そしてまさに11月が終わりそうな今、種はまだとれていない。

一代目の朝顔が強風で崩壊し、二代目の観察日記が始まったのが8月12日。その後、ブランド朝顔の種を蒔いたつもりがキノコが生えたり、発芽したのにあえなく滅びたりしながらも、高速道路のパーキングエリアで売っているような素朴な朝顔の種が発芽し、花を咲かせたのが10月4日のことだった。朝顔を観察しているうちに、早朝の東京の街が青いという事実にも気がついた。ただ朝顔を育て、観察しているだけでもいろいろなドラマが起こるものである。来年はぜひ読者のみなさまも挑戦してみてほしい。

とはいえ、種を収穫しないままで、この「朝顔観察日記シリーズ」を終わらせるわけにはいかない。こんなにも僕の生活に彩りを添えてくれた朝顔に失礼である。途中で滅んでしまった朝顔たちにも顔向けできないではないか。種がとれなかったらとれなかったなかったで、それを読者のみなさまや滅んでしまった朝顔たちに報告すればいいのだが、諦めるのにはまだはやい。

つい1週間ほど前まで朝顔は花を咲かせていた。もちろんそれまでに散った花もあり、実が膨らんできていた。この実が茶色くなってきたら、種の収穫は近い。しかし、ずっと緑色のままだった。それはもう鮮やかな緑色だった。緑色をこんなにも小憎たらしく思ったのは生まれてはじめてである。

ところがである。今朝、いつものように朝顔に水をあげていると、実の緑色がやや薄くなっているのに気がついた。茶色……ではないのだけど、薄黄緑色とでもいうのだろうか。実の色に変化があった。

小学生のころ、あまりにも勉強ができず、特技がひとつもない僕のことを担任の先生は、「眠れる獅子」と表現してくれた。今でも相変わらず眠ったままだが、来年の3月には40歳になるため、そろそろ起床しようと思っている。そんな僕に似て、高速道路のパーキングエリアで売っているような素朴な朝顔も寝坊助なのであろう。きっと12月中には獅子から見事な種が収穫できると僕は信じている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第226回 育児について

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕は赤子(1歳6か月)が好きだ。マイ赤子だけではなく、赤子という存在自体が好きである。しかし、「育児が楽しい」と無神経には言えないな、という思いもある。いくら頑張っているつもりでも、どうしても妻に頼る部分が大きくなってしまう。そして僕は「育児」について、いろいろ思い違いをしていた。

赤子が産まれる前に思っていた育児とは、今思えば「教育」と呼ばれるものであった。たしかに教育も大切なのだが、とくに子どもが小さい時分には、それはプラスアルファのものであると実感した。泣き叫ぶのをあやす、食事をとらす、おむつを替えまくる、お風呂に入れる、寝かしつける、異変があれば病院につれていく。そういった日々、発生する現象にとにかく対処しなければならない。まずは赤子と一緒に生活するうえでの土台を確保し、そのうえで自分のこと(仕事など)を着実にこなしていかなければならないのだ。

そんな当たり前のことに、赤子が産まれる前の僕は気付いていなかった。知育玩具を探す、教育法の勉強をする、みたいなことばかりしていた。赤子が少し成長すると、今度は動き回るようになる。目が離せなくなる。主張が強くなって、ぐずり始める。大人のように「今は放っておいてほしい」という時間がほとんどない。

そして、さまざまな課題を解決していく「する(do)」だけでなく、ただ単に赤子の近くに「いる(be)」ことも重要だ。いや、慣れるとそこそここなせるようになってくる「do」よりも、「be」のほうがある意味で大変だと言えるかもしれない。ひとりで「be」の状態でい続けるのには、かなりの根気がいるし、注意力が求められる。たとえば小学生の甥がいてくれるだけでも、かなり「be」が楽になる。

僕は赤子と遊ぶのが好きで、歌ったり、踊ったり、本を読み書かせたりしている。楽しい。しかし、それは妻が土台をしっかり守ってくれていて(もちろん僕もしているが)、赤子にとって「be」の安心感を与えてくれているからだ。ひたすら「do」をしながら「be」でもあり続ける。育児は大変である。

だから、頑張っているつもりでいても、「育児が楽しい」とは大手を振って言うことはできない。しかし一方で、育児が「辛い」「大変」だけのものと言い切るのにも違和感がある。育児によって自分も成長している。赤子に対しても、妻に対しても、そして同じ家族である愛犬ニコルに対しても、他者の気持ちを想像し続けることをやめない人間になりたいと思う。そういう意味では「育児は大変だし、楽しい」。

最近は仕事が立て込み、妻に任せっきりになる時間が増えてしまっていた。一日中ずっと僕が赤子と犬を見ている日を増やしたい。妻に時間があるなら、ひとりで出掛けて気晴らしをしてほしい。親が気晴らしするのも「育児」には大切だと思う。もちろん4人(1匹を含む)でお出掛けもしたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid