モヤモヤの日々

第223回 大学を卒業できない夢

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日からそこはかとなく体調が悪かった。暖かくして眠れば治ると思った。しかし、起きた瞬間もまだ体調が悪かった。「しんどいから今日は学校を休もう」。そう考えたが、僕は39歳なのであった。

「単位が足りなくて大学を卒業できない夢」を見るという人は多い。僕もつい最近、似たような夢を見た気がする。僕は案外、要領がいいところがあって、大学4年生の頃には卒業論文以外の必要な単位はすべて取ってしまっていた。本当は卒論を出すだけで卒業できたのだけど、もったいないと思い、興味がある講義をいくつか取った。しかし、要領がよくてもそこは愚か者の僕である。だんだんと足が遠のいたり、講義は聴いていたけど、テストは受けなかったりで、結局は卒論だけに集中することにした。

卒論は、中原中也についてである。詩人の故郷、山口県の湯田まで「青春18きっぷ」を使い、取材という名の観光をするなど、呑気なものだった。ところが、卒論提出の直前になって、本当に単位が取れているのか不安になってきた。必修科目や選択科目などなど、なにしろややこしいのである。たとえば全体の単位数は足りていても、「○○科目」の単位が不足していれば卒業できない。今はそんなことないと思うが、学生課に相談したらけんもほろろに扱われてしまった。何度も計算したのでたぶん大丈夫なはず。そんなモヤモヤを抱えながら卒論は無事にとおり、卒業通知をもらったところでようやく一安心した。

あのときのことがトラウマになっているせいか、いまだに「大学を卒業できない夢」を見る。卒業して17年。今、この文章を書きながら思ったのだが、僕は本当に卒業できているのだろうか。卒業式にもちゃんと出席し、社会人になってから卒業証明を取りに行ったこともあるのだから間違いないと思うのだが。

あまり考えすぎるとまたあの悪夢を見てしまいそうなので、これ以上、考えるのはもうやめにしたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第222回 読書の悦楽

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

言葉だけでつくられた世界に没頭する。それが読書のすべてだと思う。読書は、ほかにあまり見つけ得ないほどの多幸感を僕にもたらしてくれる。僕にとって読書は生きることと似ている。

読書にどれだけ救われてきたかわからない。あのとき、あの瞬間、あの本に出会わなかったら自分はどうなっていたのか。そんな経験が、読書家なら一度や二度は必ずあるのではないか。「活字中毒」という現象は、本当に存在する。僕がいまだに戦っているアルコール依存症の厄介なのは、アルコールを過剰摂取する行為によって社会生活に支障が生じることである(もちろん、それだけではないが)。その点、活字中毒になっても社会生活が極端に破綻するケースは少ないし、そもそも僕は本を読むのが仕事のひとつなので、それでもある程度はいいのだ。なんと素晴らしいことか。

僕は書評の仕事をする際、その作品だけではなく、その作家のすべての著作を読む。著作が膨大な場合は断念するときもあるが、なるべくそのルールを守ろうと思っているし、時間に余裕があれば、その作家の著作だけではなく、関連した本にも手を伸ばす。そんなことをしていたらギャラに見合わないのでは、と思うかもしれない。しかし、そうやって全著作を読破した作家が増えることによって仕事の質は高まるし、次に同じ作家の著作を書評する際、代表作を読み返すだけでも質が担保できる。自分の中の引き出しが増えるため、全体の書評仕事によい影響が生じる。目が鍛えられる。書評以外の仕事、たとえばラジオ番組で本について語る内容にも多様さと深みが出る。

そしてなにより、僕は読書が大好きなのだ。アルコール依存症と診断されたとき、医師から「ほかに夢中になれるものを探しましょう」と言われた。これはもう読書しかあり得ないと思った。もともと読書には没入感を覚えていたが、酒をやめればより一層、本に没頭できる。読書は僕にとってアルコールと同じくらいの悦楽を与えてくれる。よし、これからはさらに読書に励もう、と医師の助言を聞いて思った。実際に活字中毒になった僕は、それ以来、酒を一滴も飲んでいない。

ずっと楽しみにしていて、なかなか読めずに積読してしまっていた川本直さんの話題作『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(河出書房新社)を、昨夜から読み始めた。まだ冒頭しか読んでいないけど、きっと川本さんも僕と同じく読書に悦楽を覚えているタイプの作家なのだと直感した。同書は主要参考文献の一覧も入れると396頁ある。当分、作品の世界に没頭できるのがうれしい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid