モヤモヤの日々

第219回 なにもない世界

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日から今日にかけて、東京都あきる野市のキャンプ場に来ている。そして今、この原稿を施設内にあるハンモックに揺られながら書いているわけだ。なんと優雅な時間だろうか。つい数日前まで徹夜で原稿を書き、そのまま朝9時からのラジオに出演していたとは思えない。

キャンプ場は秋川渓谷にある。秋川は多摩川の支流で、ちょうど僕の地元・福生市と昭島市あたりで多摩川に合流する。今回は愛犬ニコルと赤子(1歳5か月、息子)だけではなく、高校時代からの友人夫婦とその赤子(2歳、息子)もいたため、テントをはる本格的なキャンプではなく、ログハウスを借りて簡単なバーベキューをするだけの1泊2日の楽々コースでゆっくりした。ほかの友人も3人来てくれて、犬とマイ赤子と友赤子をとても可愛がってくれた。

僕はというと、出発の20分前まで原稿のゲラを戻しており、そのまま電車に飛び乗ったので、その時点でヘトヘトだった。生活と家族と友人を何よりも大切にしたい。そんなふうにいつも思っているし、発言もしているのだが、なかなか実践できずに我ながら情けない限りだ。

中央線、青梅線、武蔵五日市線を乗り継いで着いたキャンプ場は、いい意味でなにもなかった。やることといえば、ログハウス前でバーベキューをするか、河原を散歩するかくらいである。僕は犬とマイ赤子と友赤子と一緒に遊んだあと、ぐずるマイ赤子を昼寝させるために、2階にあがって寝かしつけた。自分もウトウトしていたのだが、マイ赤子が赤爆(赤ちゃん大爆発、夜泣きなどのこと)してまどろみから覚めた。マイ赤子を連れて下の階に降りたときには日が傾いており、友人たちがすでにバーベキューの用意をしてくれていた。僕はソーセージを食べた。

なにもないうえに、僕はなにもしていない。なんとも不甲斐なさ過ぎる。マイ赤子と友赤子は仲良しになり、ふたりで遊んでいた。というか、一方的にマイ赤子が友赤子を追っかけていた。この年頃の半年の差は思ったよりあって、友赤子はすでに喋れるし、ものもよくわかっていた。ティッシュペーパーを箱から出しまくっているマイ赤子に、友赤子が「ぽいぽい駄目!」と言った。普段は親の言うことをまったく聞かずに怒りまくるくせに、友赤子の言うことはしっかり聞いて、すぐに悪戯をやめた。とても微笑ましく、頼りになる兄貴分である。

ハンモックに揺られながら原稿を書いていた僕は、少し気持ちが悪くなってきた。三半規管が弱く、揺られるとすぐ酔ってしまうのである。一度、原稿を書くのをやめて、今は近くの温泉施設にいる。なにもないし、なにもやらない。楽ばかりをしてしまい、友人たちに申し訳ない気持ちでいる。一方、犬やマイ赤子や友赤子にとっては、「なにもないし、なにもやらない」ではなかったのだと思う。すべてが新鮮で発見に満ちた世界を生きている。さまざまな世のしがらみに絡めとられている僕にはもう駄目だが、小さき者たちが見ている世界が僕にも少しだけ見えた気がした。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第218回 シックスマン

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

今日は朝から、赤坂の書店「双子のライオン堂」の店主・竹田信弥さんがパーソナリティーを務める「渋谷のラジオ」の番組「渋谷で読書会」に出演した。つい先日、出演したばかりだが、また出た。しかもオファーが来たのは昨日の昼である。つまり、ピンチヒッターでの出演だったのだ。

どなたか都合が悪くなった人のかわりに出演する。僕は、そうやって呼ばれることがうれしい。というのも、中・高校生時代はバスケ部に所属していたのだが、中学校で僕は「シックスマン」だったからである。バスケットボールのスターティングメンバーは5人であり、シックスマンとは6人目、ありていに言ってしまえば補欠。しかし、この6人目の役割がバスケでは重要になるのだ。NBA(北米のプロリーグ)ではとくに重視されていて、「シックスマン賞」も設けられている。

中学校のバスケ部は、そこそこ強かった。強豪と呼べるほどではないが、地区大会では優勝、都下大会(多摩地区の大会)ではベスト8くらいの強さはあった。僕の学年はひとつ上の先輩がひとりもおらず、1年生のときから公式戦に出ていた。そして1年生のときには、僕はスタメンだった。2年生になると監督(顧問の先生)がかわり、戦術も変更されてシックスマンで起用されるようになった。

はじめはスタメン落ちしてふて腐れていた。しかし、シックスマンとしてベンチを温めるようになってから、この役割の重要性に気づいていった。バスケは激しいスポーツなので、スタメン5人が最初から最後まで出場しっぱなしというケースはあまりない。僕のシックスマンとしての起用のされ方は、スタメンの誰かが疲れたり、ファールがかさんだり、怪我したり、試合の流れを変えたかったりするときにコートに放り込まれるというもので、いつ、どのタイミングで、どのポジションに収まるかもわからなかった。だから、ベンチにいても、常に試合の流れを掴んでおく必要があった。調子が悪い選手がいるときは、スタメンで起用される場合もあり、補欠といっても気を抜くことができない。

今、自分に求められているのはどういう役割なのか。流れを変えるべきなのか、それとも優勢な試合を確実に勝ち試合にするために立ち回るべきなのか。ベンチに座っているときに、対戦相手の特徴や試合の運び方を常に頭の中で考えながら、監督から指示される戦術を先回りして理解する癖もついた。

なので、ピンチヒッター的に番組に呼ばれるのは、僕としては本望なのである。腕が鳴る。はずだったのだが、なにせオファーが直前すぎたし、前日の仕事が夜には終わると踏んでいたものの、いつもの見込みのあまさが出てしまい、なんと原稿を書き終わって提出したのは放送が開始される1時間30分前の朝7時30分だった。にもかかわらず、きちんと時間前にスタジオ入りし、とりあえずはペラペラと途切れることなく話してきたのだから、我ながら大したものだと思う。中学生のときに培った経験は無駄ではなかったのである。さらには家に帰ってこの原稿を書いている。こんな偉い僕は珍しい。

ちなみに、「渋谷で読書会」にピンチヒッター的に出演したのは、これが初めてではない。双子のライオン堂、いや「渋谷のラジオ」さんから、シックスマン賞を貰えないものか。もし貰えたら、これまで賞を受賞した経験がないので人生で初めての栄誉となる。物書きでシックスマン賞を受賞した初の人物として歴史に名前を刻みたい。でないと、偉い僕が今にも消滅してしまいそうである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid