モヤモヤの日々

第215回 好き嫌い

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕は食べ物の好き嫌いが少ない。子どもの頃は多かったが、今は一部の果物にアレルギーがあって食べられないほかは、魚のすり身の加工食品、いわゆる練り物だけである。ちくわ、はんぺんがその代表例だ。

練り物は意外といろいろなメニューに登場するから厄介で、おでんが大好きなのに、数年前までおでん屋に行ったことがなかった。練り物をさけると具の選択肢が極端に減ってしまうため、客として失礼かなと思っていたのだ。妻に付き添ってもらって行った下北沢のおでん屋は最高だった。練り物は食べていないが。

好き嫌いとは不思議なもので、人によってさまざまな理由がある。練り物が嫌いな理由のひとつは、食感が受け付けない、というものだ。ならば、以前の連載で「美味しくないソーセージはない」と書いてあったのは何だったのかと思うかもしれない。なぜ、練り物は苦手で、肉の加工食品は大丈夫なのか、と。

僕の友人、というかこの連載ではお馴染みになりつつあるY君は、ネギが食べられない。ラーメンが大好きなのに、いつもネギ抜きを注文する。「ラーメンには、シャキシャキしたネギの食感があうのに」と説得しても、そういう話ではないらしい。「ネギは、キューピーちゃんの味がする」と言うのだ。「それなら、キューピーちゃんを食べたことあるのかよ」と訊いてみたが、もちろんそんな経験はないと言う。さすが人間の愚かさを凝縮した存在こと、Y君である。そして、マヨネーズは好物なのだから、なおも愚かしい。

しかし、同じく人間の愚かさを凝縮した存在の僕は、Y君を笑ってはいられない。なぜなら、僕が練り物を食べられないもうひとつの理由は、「練り物にされて、魚が可哀想」というものだからだ。では、肉の加工食品はどうなるのか、と訊かれても明確な答えが見出せない。ただひとつ覚えているのは、子どもの頃、練り物をつくる様子をテレビで観て以来、そのように思ってしまったというきっかけがあったことである。

人間は矛盾した生き物であり、他人からすると理屈が通らないように思えても、当事者としてはきちんとした理屈、もしくは合理性がある場合が多い。食べ物の好き嫌いが、その典型的な例だろう。だから、「ネギは、キューピーちゃんの味がする」という「他者の合理性」を尊重しなければいけないのだけれど、どうしてもイメージがわかないのだ。キューピーちゃんを食べて理解してみようとも、まったく思えない僕がいる。Y君と一緒にラーメンを食べるときは、なると抜きにしないでY君にあげると、よろこんで食べてくれる。

 

Back Number

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第214回 3日前の晩ご飯

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

生活をきちんとできているかどうかの基準として、「3日前の晩ご飯を覚えているか」というものがある。「5日前の晩ご飯」「1週間前の晩ご飯」などいろいろなバージョンがあるが、記憶力が悪い僕はハンデをいただき、「3日前の晩ご飯」に基準を設定している。メインのおかずに限定して自分で設定した。

ここ3日は仕事が立て込んでいたのでそれに集中させてもらい、妻が美味しい晩ご飯をつくってくれた。昨日は「鰤(ぶり)大根」。脂がのった鰤の肉厚に、頬がとろける思いをしたものだ。2日前は「鯛の煮付けごぼう」である。これも絶品で、鯛の味がしみ込んだごぼうのしっかりした歯応えを、今でも忘れることができない。それで3日前は、とても旨いおかずだった。前日の「鯛の煮付けごぼう」に勝るとも劣らないほどの贅沢なおかずを食べたはずなのだけど、どうしても思い出せない。

なんということだ。妻が一生懸命につくってくれた晩ご飯を忘れてしまうなんて。人でなしである。2日前の「鯛の煮付けごぼう」の歯応えが印象に残りすぎているせいなのかもしれない。それにしても、たった3日前である。仕事が忙しかったとはいえ、僕は生活ができていなかったのだった。

今朝からずっと頭を悩まして考えていた。やっぱり思い出せない。妻に訊いてみようか。いや、伝えなければいけないのはむしろ感謝であり、そんな薄情なことを訊くなんてもってほかである。だが、どうしても知りたい。モヤモヤする。正直に話そう。ジョージ・ワシントンの桜の樹の例もあるではないか。と思って調べてみたら、その逸話は真偽が疑われているらしい。真か偽かどちらの説が正しいのかは、僕の手元にある資料では判断できない。どうすればいいのだろう。

迷った末、やっぱり正直に話したほうがいいと思い、上記のような内容を妻に伝えたうえで訊いてみた。すると妻はゲラゲラと笑いながら、「ごめんごめん」と言った。「鯛とごぼうが余っていたから、使わなきゃもったいないなと思って、3日前も『鯛の煮付けごぼう』だったんだよ。ほら、智くん(僕のこと)も忙しいし、買い物に行く時間もなかったからさ」。妻が謝る必要なんてまったくない。そもそも僕が家の冷蔵庫事情を把握していなかったのがいけないのだし、あの「鯛の煮付けごぼう」は、本当に絶品だった。何度でも、いつでも食べたい。

僕は妻に感謝を伝えた。そして僕は生活していたのだった。ずっとモヤモヤしていたのだが、妻に正直に伝えられたことで、リビングには和やかな空気が流れていた。正直に言うべきかどうか迷ったときには、「宮崎の『鯛の煮付けごぼう』の例もあるではないか」と思い出してほしい。この話は間違いなく真実である。

 

Back Number

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid