モヤモヤの日々

第211回 積読くずし

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

漫画『SLAM DUNK』(井上雄彦、集英社)に影響され、中・高校生の頃はバスケットボール部で汗を流した。湘北高校の安西先生が言った「諦めたらそこで試合終了ですよ……?」という名言はあまりにも有名だが、諦めても試合終了にはなかなかならないのが、大人の世界の厳しいところである。夜中に原稿と向き合いながら、そんなことを考えて過ごした1か月だったと10月を振り返って思う。

仕事部屋は、蔵書で溢れかえっている。もちろん積読もある。しかし、それでも本を懲りずに買ってしまうのが、読書家という生き物だ。全10巻セットを大人買いしたエドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)が積読の山から僕に鋭い視線を送ってくる。あるECサイトのレビューには、読了に10年以上かかったと書かれている。なんということだろうか。果たして僕は読み終わるのか。

「10年以上」という文字に、遠い目をして考え込んでしまったのは僕だけではないだろう。一方で、同時になんとしても読み終わるまでは生きていなくては、という気力がわいてくる。そう思い、何気なく「積読には「長生きしよう」という気力を高める効果があります。」とツイートしたところ、たくさんの方から反響があった。世の読書家たちも同じことを、積読の山から感じ取っていたのかもしれない。

積読から人生に対する「諦念」を学ぶことができる、という意見もあった。これもすごくわかる。人生は有限であるが、書物の世界はひとつの小さな生からしてみると、ほぼ無限に思える法外な広さを有している。しかし、僕は「諦め」が悪い人間なのである。そして同時に貧乏性でもあるのだ。

ある方が僕のツイートに、「私の場合は確実に効果が出ていると思います。90を越えてやっと時間ができた、これからが積読くずし、と」というコメントを付けてくれた。先日、僕の実家に帰省したとき、母から身近な親族の男性の中で一番長生きした両祖父の最長記録を更新しなければいけない、というありがたい指令をもらった。偶然なのだが、両祖父ともちょうど88歳まで生きた。まだ39歳なのに体のあちらこちらが調子の悪い僕にとってはややハードルが高い目標の気がするものの、積読くずしのためなら頑張れる気がしてきている。

少なくとも『ローマ帝国衰亡史』を読み終わるまでは、衰亡も滅亡もしないように生活を整えたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第210回 疲れを知ること

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

最近、妙に元気がいい。忙しい日々は続いているが、徹夜の日が続いた時期を乗り越えたせいか、忙しい耐性がついてしまったのかもしれない。ちょっと前なら「もう限界だ」と思うような日でも、それほどまでには思わなくなっている。だからといって仕事が早く進むわけではなく、愚かな僕は時間があればそのぶん余裕が生まれたような錯覚に陥る。そして見込みを誤った結果、昨晩も徹夜になってしまったのだ。でも、1日くらいならそんなに疲れない。

これはよくない兆候である。仕事もそうだけど、生活も同時に整えなければいけない。余裕は余裕としてしっかり残しておくから余裕なのである。だいいち僕は徹夜をしてもダメージがないほど、若くも強くもない。そして、「本当に疲れているときは、自分でも気づかない」というしばしば起こり得る落とし穴を、僕はこれまでの経験で学んでいるのであった。

新型コロナウイルスの感染が拡大し、一度目の緊急事態宣言に突入した昨年の2020年春頃、僕は疲れていた。その時期に妻が大阪で里帰り出産し、産前も産後も長い間、離れ離れになってしまった。妻を励ますことも、感謝を伝えることも、赤子の顔を見ることも、リアルな空間ではできなかった。スマートフォンでの映像通話が、その時点で考え得る最も安全で、かつリアリティのある接触だった。仕事の先行きも不透明だった。疲れていないはずがない。

複数人の方から「宮崎さんは疲れているんだよ」と言われて、やっと自分が疲れていることに気がついた。ある瞬間、「あ、自分は疲れているな」と自覚した。自分は元気だと思い込んでいた。しかし、一度気がついてみると、「なんでこんなに疲れているのに、そのことに気がつかなかったんだろう」と不思議に思うくらい、僕は疲弊していた。倒れる前に気づいてよかった。

愚か者の僕は、せめて過去の愚かさら学ばなければいけない。自分が判断を誤る人間なのだということを、忘れてはいけない。自分をあまり信用しすぎてはならないと思うようになった。とはいえ、やっぱりなんだか最近は元気なような気がする。本当に疲れていないのかもしれないし、愚かだからまた間違っているのかもしれないし、今は2020年春と違って疲れる要素が少ないようにも思えるが、その要素に気づいていないだけの可能性もある。少なくとも、自分は元気だという思い込みをしばしばすることだけは忘れないでいるつもりだ。やけに元気なときは、とくに要注意である。

この種類の落とし穴には、僕のように誰かに指摘してもらった経験がなければ気付きにくい厄介さがある。誰もが自分は強い人間だと思い込みたいものだからだ。自分の疲れを知るのは、意外と難しい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid