モヤモヤの日々

第247回 はじめてのサンタクロース

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

赤子(1歳7か月、息子)が、ようやく「パパ」と言いはじめた。はじめは何故かその存在をひた隠すように小声で「ぱふぁ(パパ?)」とささやくのみだったのが「あいちゅあ(あいつは?)」になり、その後は進展がないどころか、呼んでもくれなくなっていた。赤子とは気まぐれな存在である。

それが最近は「パパ」らしき発音をしだしたのだ。しかし、「ママパパ」とか、「パパファ」とか、微妙に惜しい、だが決して明確な「パパ」ではない何かだった。昨日は昼から寝かしつけまで、僕がひとりで赤子を見ている日だった。ここぞとばかりに僕は「パパ」を連呼した。当然、それまでも連呼はしていたから「パパファ」までたどり着いたのだけど、僕が自分の顔を指差して「パパ」と教えていたため、鼻のことを「パパ」と勘違いし、赤子自身や妻の鼻にまで「パパファ」と言うようになってしまっていた。

僕は破裂音を口でやって見せたり、鏡をつかったり、「パパ!」と叫びながら赤子の前で両手足を広げてジャンプしたり、さまざまな方法で「パパ」という存在を伝えようとした。腰が痛かった。その甲斐あり、寝かしつけで絵本を読む夜には、明確に「パパ」と発音し、僕を認識したようだった。

ところが、である。朝起きてみると、椅子やドア、はなはだしくはノートパソコンにまで「パパ」と連呼していた。僕は少しがっかりしたものの、とりあえず「パパ」とは言えるし、赤子の成長はなんにせようれしいものだ。湿布を貼って腰を庇いながら、今この原稿を書いている。

そんなパパは、夕方から今年最後の美容室に行く。その帰りにホームセンターに寄って、大きな赤い靴下を買おうと思っている。昨年はさすがに赤子が小さ過ぎたためやらなかったのだが、1歳7か月になり、少しはものがわかりはじめているので、今年から家族でクリスマスを祝おうと決めたのだ。

とはいっても、簡単な飾り付けをして音楽を流す程度になりそうである。翌朝、赤子が起きる頃には大きな靴下の中に、僕がプレゼントしたかった絵本をサンタクロースが入れてくれているのだろう。うちに訪れるサンタクロースは平等を重んじるため、きっと愛犬ニコルにも何か届くに違いない。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第246回 犬と赤子

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日でこの連載がはじまってから1年が経った。2歳3か月だった犬は3歳3か月になり、0歳7か月だった赤子(息子)は1歳7か月になった。38歳9か月から39歳9か月になった僕よりも、犬と赤子に起こった変化のほうが、おそらく大きいと思う。赤子は少しずつだが、単語を喋るようになってきた。

犬と0歳児との接しさせ方をどうすればいいのか、去年の今頃の段階では僕と妻はよくわかっていなかった。愛犬ニコルはとても賢い犬で、気性も穏やかである。甘噛みもほとんどしなくなっていたし、同じ犬種の中でも小さく4.3キロしかない。連載開始の時点で、赤子は犬より大きかった。だからあまり心配していなかったけど、何かあったら大変と思い、犬と赤子をどう近づけたらいいかわからないまま、距離をとらせていた。

それでも一緒の家に暮らしているので、犬と赤子が接触する機会が増えていった。何度も言うが愛犬ニコルはとても賢い犬である。問題はどちらかというと赤子だった。ニコルを叩く、毛をむしろうとする。そのたびにニコルは逃げ去った。吠えたり、噛んだりは絶対にしなかった。なんて偉い犬なのだろうか。

赤子はその当時、少しの物音でも起きて泣き叫ぶ(「赤爆」と呼んでいる)ため、僕と妻は寝静まったあとに、ひそひそ声で話をしていた。そうすると、犬もなぜか寄ってきた。たぶん、赤子の情報などを共有する「大人の会話」に自分も参加したかったのだと思う。甘えん坊だったニコルは赤子が家に来て以来、僕と妻の膝に乗るのをせがむ回数が減り、リビングで自分がリラックスできる場所を見つけ、そこで丸くなっている時間が増えた。「いつも我慢ばかりさせてごめんね」と、僕と妻は犬に謝っていた。

1か月くらい前から、ニコルが興奮している様子で赤子にまとわりつくようになった。僕は「ニコル 、駄目だよ!」と注意していた。しかし、よくよく観察してみると、ニコルは我を忘れて興奮しているのではないことに気がついた。そう、犬と赤子は一緒に遊んでいたのである。少しは物わかりがよくなったとはいえ、赤子はニコルが近づくと、まだ乱暴な行動に出るときがある。しかし、ニコルはそれをわかっていて、赤子の遊びがエスカレートしたら華麗に身をかわし、するりと距離をとっていた。念のため用心しながらその様子を観察する日々が続いた。赤子もニコルとの遊び方を、だんだんと理解しだしたようだった。

この1年間、僕はずっと腰が痛いだの、仕事部屋が片付かないだのと喚き散らしていた。その間に、犬と赤子は立派に成長し、今では親友のようになっている。そんな犬と赤子を見て、僕は誇らしく思うと同時に、自分の不甲斐なさをしみじみと感じた。来年は腰痛を治し、仕事部屋をきれいに保とうと心に誓った。

赤子は今でもたまに赤爆するものの、以前よりは一度寝たら朝まで目を覚さない日が増えてきた。多少の物音がしても起きないようになった。ニコルは赤子が寝静まったあと、僕と妻に甘えてくるようになった。僕と妻は、夜になったらここぞとばかりにニコルを構いまくっている。僕は犬と赤子の成長を見守っていたつもりだった。しかし、僕が知らないうちに成長し続けていた。犬と赤子はとても偉いのだ。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid