モヤモヤの日々

第243回 クリエイティブ迷子

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

ゆったりとした週末を過ごしていた。部屋が片付いたおかげで読書がはかどり、赤子(1歳7か月、息子)と愛犬ニコルとも遊んだ。スマートフォンにワンコールがあってから振り込みを実行するという、謎のルールに固執する頑なな不動産管理会社のEさんとの約束をやぶり、早々と家賃を振り込んでしまった。そのほか、やろうと思って出来ていなかった懸案を少しずつ消化していった。例年よりも年末らしい年末である。

だらしない性格の僕だが、なぜかSNSに投稿する写真にはこだわってしまう。上手く撮れていないと気になって何度も撮影するか、投稿すること自体を諦めてしまうかになる。新卒の時代に芸術が爆発し、近所の沼(と、そこに写り込んだ高齢男性)の写真をコンパクトデジカメで300枚ほど撮影した挙句、すべてを放棄するという「クリエイティブ迷子」になった経験のある僕は、写真撮影が絶望的に苦手なのだ。

とくに気になってしまうのは、書籍の撮影である。読んだ本の感想を投稿したくて、いわゆる物撮りをするのだけど、なかなか納得いく写真が撮れない。少しの傾きや埃の写り込みも気になる。しかし、それにかんしてはスマートフォンにレタッチアプリを入れて活用することで、だいぶ解決できるようになった。

一方で、一番厄介なのは、家の照明だ。照明の光が本の表紙に反射してしまう現象が、どうしても自分的には許せない。かつて、いい具合に絶対反射しない撮影スポットがリビングにあったものの、赤子が生まれ、部屋のレイアウトを変えているうちに消滅してしまった。以来、いくつもある照明をつけたり消したり、自然光を入れてみたりカーテンを閉じたり、場所を移動してみたりと、クリエイティブ迷子が続いていた。

地味にストレスになっていた。写真撮影が上手い妻に毎回、頼むわけにもいかない。この懸案を今年中に解決しなければいけない。そして昨日、注文していたそれがついに届いたのだった。サイズは40と60の2種類があった。「大きなつづら」を選んで失敗した御伽話を思い出し、僕は40のサイズを選択しておいた。

LEDライトのついた物撮り専用のボックスが届いたとき、赤子と犬は昼寝していた。値段はセール価格で5000円ほど。プロ仕様とはいえないが、レビューを読む限りは僕が求めている用途ならば、十分に活躍しそうだった。赤子と犬が起きてからリビングに持って行って組み立てた。僕は自慢したかったのだ。

赤子は梱包を解いた時点で興味をなくし、すたこらと走り去ってしまった。かたやニコルは興味津々だった。新しい自分の部屋が来たとでも思ったのだろうか。しかし、ニコルの写真を撮影する際には別のこだわりが発動される。上手く撮れているかどうかが判断基準ではなく、ニコルが自然体かどうかがポイントになる。ニコルに何かやらせていたり、可愛いポーズをさせていたりした写真はほとんどアップしない。あくまで「あ、今のニコル可愛い!」と思った瞬間を撮るのである。だからニコルの写真はぶれていることが多く、あんなに可愛いにもかかわらず一度もバズった(ネットで広く拡散された)ことがない。

というか、犬を物撮りするわけではないのだ。ボックスを組み立てている間は何度も中に入ろうとしてきたニコルだが、LEDライトをつけた瞬間、後退りして逃げて行った。ボックスには、何色かの背景シートが用意されていた。「まずはベーシックでいこう」と僕と妻は話し合い、白の背景で本を撮影してみた。素晴らしく綺麗に撮れた。反射も余計な影もなく、これならアプリで補正する必要すらない。

長く続いたクリエイティブ迷子もこれで解決である。問題は置き場所だったが、いちいち撮影のたびに組み立てるのは面倒なため、仕事部屋で本を収納しているコンテナボックスの上に置くことにした。サイズ60を注文しなくて、本当によかった。40でも十分な大きさだった。僕はそのことを妻に自慢した。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第242回 懐かしさ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

人間には喜怒哀楽といった区分け以外にも繊細で多様な感情がある。そのなかでも僕は「懐かしい」という感情がとても好きだ。過去を美化するわけではなく、ただただかつての出来事を懐かしむ。ほろ苦さも失敗した経験も、ときには反省や痛恨の念にとらわれながら振り返る。当たり前だが、いつかはすべてが過ぎ去った出来事になる。過去になる。だからこそ、現在を目一杯に生きたい。あらゆる記憶が過去になったとき、なるべく後ろめたさがないように、人を傷つけず、目の前の人を大切にしようと心がけていく。

TBSラジオの深夜番組「文化系トークラジオLife」のプロデューサー・長谷川裕さんは、『週刊東洋経済』2014年8月2日号に掲載された連載のなかで、自身のことを「筋金入りの思い出マニア」としている。小学1年生の頃から、幼稚園時代を懐かしんでは涙ぐんでいたそうだ。「『現在』は思い出作りの材料にすぎない。しかし思い出のアルバムを充実させていくには、この『現在』のベストショットを撮り続けるしかない。そのためには、それなりに『絵になる』現在を用意していく必要がある。だから、日々の仕事だってつまらないものにしておくわけにはいかない」。僕は、そんな長谷川さんの考え方が大好きである。

小説家・吉田修一の最も優れた作品は、長崎の高校水泳部員たちの夏を舞台にした「Water」(文春文庫『最後の息子』収録)だと思っている。「Water」には以下のような、忘れがたい美しいシーンが描かれている。

「フラれたとか?」
とおじさんが、声をかけてきた。ボクは返事もしないで運転席の後ろの席に座った。真っ暗な県道にぽつんと光るバスの中で、じっと自分の手を眺めていた。運転席に戻ったおじさんが、エンジンをかけながら、
「坊主、今から十年後にお前が戻りたくなる場所は、きっとこのバスの中ぞ! ようく見回して覚えておけ。坊主たちは今、将来戻りたくなる場所におるとぞ」
と訳の分からぬことを言っていた。

もちろん、僕にはこのおじさんの気持ちがよくわかる。このシーンを読んでから、街で青春を謳歌している若者を見るたびに、同じことを言いたくなる衝動に駆られるのを、なんとかおさえている。しかし、その真っ只中にいる人にとっては「今、将来戻りたくなる場所」にいる実感を抱くのが意外と難しい。

来年3月に40歳になる僕も、高校生からみれば歴とした「おじさん」である。だが、僕は思うのだ。バスの運転手のおじさんにも、「将来戻りたくなる場所」がかつてあったからこそ、そのことを教えたのだろうと。そして、ほかならぬおじさんにとっても、運転席の後ろに乗った坊主が手を眺めていたこの瞬間を、いつの日か懐かしむことになるのであろうとも。

2020年12月から書き綴ってきた「モヤモヤの日々」も、いつかは思い出になる。椅子に腰掛けるのに疲れ、床に座り壁にもたれながらキーボードを叩いている今すら、もしかしたら「将来戻りたくなる場所」なのかもしれない。連載も残り9回。将来、この日々を懐かしさに浸りながら思い返すことができるよう、モヤモヤを逃さず文章に結晶させていこうと思う。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid