モヤモヤの日々

第241回 年末進行

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

年末である。出版業界には「年末進行」という言葉がある。印刷所などの関係で、普段より早く入稿しなければいけない。出版に限らずさまざまな業界で似たような現象があると思う。幸いなのか、幸いではないのかはよくわからないが、今年はもう差し迫った原稿の締め切りがない。この時点でなければ、今から依頼されることは、おそらくないだろう。ただ単に、僕が人気がないだけなのかもしれない。

一昨日は、担当編集の吉川浩満さんと、この連載の書籍化決定を記念したポッドキャストを晶文社内で収録した。昨日は、僕が論考「早熟な晩年 中原中也試論(一)」を寄稿した双子のライオン堂発行の文芸誌『しししし』4号の発売記念トークライブ配信を行った。中原中也の詩「湖上」に曲をつけてリリースしている音楽家の小田晃生君、同誌に作品を寄せている詩人の佐藤yuupopicさんというおふたりの実作者をメインスピーカーに、「詩と音楽と中原中也」について語り合った。僕は司会を務めた。佐藤さんによる「湖上」のカバーリーディングは、思わず息をのむ美しさだった。

喋る仕事は、書く仕事とは別の筋肉を使う。連日の緊張で、昨夜から今日の午前中にかけては、ふたつのイベントのことを思い出しながら、茫然と時間を過ごしていた。懸案だった部屋の片付けもおおかた終わった。思い返してみると、連載の期間をとおして、僕はずっと片付けをしていた。

この連載も今日の原稿が書き終わったら、あと10回の執筆で終了する。それが2021年に残された仕事の、ほぼ全部である。蔵書をコンテナボックスに収納したおかげで狭くはなったが、部屋は整理された。僕はパソコンのキーボードを叩き、残り10回の原稿について考える。とくに特別なことはしないだろうと思う。連載期間中ずっとそうだったように、ただただ目を凝らし、聴き、感じた日常の手触りを書いていくだけである。ネタをつくるために出掛けるほどの活力なんてもともとない。

年末なのに、まるで凪のなかにいるようである。妙な静けさに包まれている。たまに赤子(1歳6か月、息子)と犬のじゃれ合う声が、仕事部屋に響いてくる。今年の年末進行は例年よりも穏やかだが、そのぶん鮮やかで、くっきりとした輪郭を僕に実感させようと求めてくる年末進行である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第240回 二代目・朝顔観察日記(完)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

今日は素晴らしい朝だった。世界が昨日までとは少し違って見えた。朝顔の種が収穫できたのである。

朝顔の種まきは、通常、5月〜6月にかけてが適しているとされている。しかし、一代目の朝顔が強風で崩壊してしまい、二代目の朝顔の種をまいたのが8月12日、開花したのは10月4日のことだった。種の収穫は11月下旬ごろが一般的である。種まきが遅かったせいで、開花はしたものの、本当に種が収穫できるかどうかは微妙だと思っていた。ただただ祈るしかなかった。

11月下旬にようやく実が茶色くなってきた。あるひとつの実が、緑色から徐々に薄黄緑色に変わり、しだいに茶色くなっていった。僕はこのひとつの実にすべてを託すしかないと思っていた。それはそれは大切に扱っていた。実は自然と種を弾き出すとのことだったが、直前にカットして収穫するのがベストだと、僕が読んだ資料には書いてあった。茶色くなった実を何度も触ってみた。不確かな感触がした。収穫するタイミングを間違うと、せっかく種をつけそうな実を台無しにしてしまう。僕はおっかなびっくり、毎日のように実を触っていた。

そして今日、いつものようにそっと実に触れてみたところ、表面が破れ、実から種が自然とこぼれ落ちてきた。その数6つ。手のひらにのせた黒い種を、しばし眺めていた。さまざまな思いが去来してきた。強風の日に避難させることを怠り、崩壊させてしまった一代目の朝顔。気を取り直して二代目を育て始めたものの、発芽はしたが、東京の秋空に大輪の大見得をはることなく滅してしまったブランド朝顔・団十郎。なぜかキノコしか生えなかったヘブンリーブルー。そして季節外れの種まきにもかかわらず花を咲かせ、種まで収穫させてくれた、高速道路のパーキングエリアで売っているような素朴な朝顔の種。僕は目頭が熱くなった。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治の短編「葉」は、このような書き出しで始まる。むろん僕は死のうとなんて思っていないし、どちらかといえば生に執着があるタイプである。しかし、収穫した6つの種を眺めていたとき、ふと太宰のこの文章を思い出した。僕はこの種を大切に保存し、来年の5月か6月に再び植えなければならない。そして同じように開花を見届けて、同じように種を収穫する。生きることは、そういった些細な繰り返しによって支えられているのかもしれない。

朝顔を観察する過程で、いろいろなことを学び、感じとった。まさか最後は人生に思いを馳せるとは思ってもいなかった。6つの種を収穫できた今も、いくつかの実が茶色くなり始めている。種を収穫するたびに、僕は明るい気持ちになるだろう。そして、朝顔を観察した結果を文字だけで読者のみなさまに伝えるという、この謎の日記が連載終了までに無事完結できたことを、なによりもうれしく思う。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid