モヤモヤの日々

第107回 朝顔観察日記

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

そろそろ朝顔の種を植えなければいけない。僕は朝顔の花が大好きで、毎夏に育てることが何年か続き、一度は中断したものの、その習慣を昨年復活させたのである。僕が朝顔を好きになったのは、『万葉集』に収められている、下記の和歌に出会ったことがきっかけだった。

展転(こいまろ)び恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝貌の花

歌意:身もだえして恋に苦しみ、死ぬようなことがあろうとも、はっきり態度に出して人には知られまい。朝顔の花のようには。

素晴らしい歌である。朝顔の花のようには恋心を態度に出さない。それはつまり、「朝顔の花は恋心が色に出てしまっている」という意味にも解釈できる。朝顔はいろいろな色で咲き、濃淡も花によって異なる。花にも表情があるのだ。そう思うと、朝顔が愛しく見えてくる。

ちなみに、この和歌で詠われている朝顔は、桔梗(ききょう)を指しているという説がある。実際に、歌意を引用した『万葉集 全訳注原文付 第二巻』(中西進、講談社文庫)では、桔梗説がとられている。一方、『万葉集』成立の時期には、すでに朝顔が伝来していたという説をとる専門家もいる。いずれにしても、万葉の時代に生きた人の想像力はとても豊かだ。

五木寛之は、随筆集『朝顔は闇の底に咲く』(東京書籍)のなかで、『ヒマワリはなぜ東を向くか』(滝本敦、中公新書)に出てくる、ある植物学者のエピソードを紹介している。その植物学者は、朝顔がなぜ朝に咲くのかを研究していくうちに、「朝顔の花が開くためには、夜の暗さが必要なのではないか」という仮説にいきついたという。五木はこの仮説に感銘を受け、「人間も希望という大輪の花を咲かせるのは、かならずしも光の真っただなかでも、暖かい温度のなかでもなかろう。冷たい夜と、濃い闇のなかに私たちは朝、大輪の花という希望を咲かせる。夜の闇こそ、花が咲くための大事な時間なのだ」と思考を飛躍させ、拡大解釈して考えた。

2021年夏。今年の朝顔に、僕はどのような心象風景を見出すのだろうか。だが、その前に兎にも角にも朝顔の種を植えなければいけない。二度の引越しと、幾度の暴風雨をくぐり抜けた鉢が、そろそろ耐久年数を過ぎようとしている。プラスチック製で青色のその鉢は小学生の頃、朝顔観察日記をつけるために使っていたものとそっくりで郷愁を覚えていたのだけど、致し方ない。つい先ほど、前の鉢よりは少しばかりかお洒落な鉢を、新しくネットで注文してしまった。

SNSに朝顔観察日記を投稿して、人気者になりたいという邪(よこしま)な心がそうさせたのである。僕は純粋に朝顔が好きなのだ。今年の朝顔に、僕はどのような心象風景を見出すのだろうか。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第106回 心のなかの仄暗い場所

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

週末にかけて、気分が落ち込んでいた。別に嫌なことがあったわけではないし、仕事もそれなりに進めていた。しかし、どうも心の調子がすぐれない。外出する気も起きないし、こういう時はゆっくり休むに限るのだが、かといってすぐ昼寝が出来るわけではない。僕は寝つきが悪いのだ。

なにか楽しいことをしよう。そう考えて積読している本を読もうとしたけど、文字に集中できない。ならばオンラインサービスで映画を観ようと思い、インターネットにつなげたテレビをつけた。観たかった映画がいくつも見つかった。だが、その時の僕には2時間、映像に没頭できる自信がなかった。

赤子と犬と遊び、いよいよ体も疲れてきた。この状態なら仮眠できるかもしれないと思ってベッドに横になった。眠れないし、心が休まらない。さて、どうしたものか。ぼーっとしながら「なんか調子が悪いんだよな」と思い続けているのも辛いだけなので、本棚から画集と写真集を取り出した。すると、パラパラとページをめくっているだけでその世界に入っていくことができた。集中できなくなったらいつでもページを閉じ、ほかの作品集に手を伸ばせるのもいい。

僕は日常に埋没しながら生きるのが好きである。しかし、その一方で、ただ単に美しいだけのものに強烈に引かれてしまう側面が自分にあることも知っている。今回の謎の気分の落ち込みには、仄暗く、物悲しい、愁いを帯びた作品が、僕の心の深い場所に沁み込んできた。そういえば若い頃、失恋をした際には明るい音楽ではなく、暗い音楽を聴くほうが慰めになったものだ。暗い心は、暗い心が癒してくれる。不完全な人間らしい、なんとも妙な特性である。だが、これは僕に限った話ではないのではないか。久しぶりにそんなことを思い出していたら、徐々にいつもの調子を取り戻してきた。

ちなみに、失恋したときに聴く音楽として、僕は中島みゆきをお勧めしたい。どうなんだろう。歌詞を引用すると怒られるのだろうか。僕は怒られることが大嫌いなので引用はやめておくが、「わかれうた」の冒頭のフレーズだけでも聴いてほしい。「さすがにその経験はありません!」となって、少しは気持ちが癒されるはずだ。その経験があるのなら、あなたはなかなかの人物である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid