モヤモヤの日々

第105回 駄目さが希望

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

亡くなった父は、人を褒めるのがとても上手かった。学校の勉強をまったくやらず、人より秀でた特技もなかった僕を、「お前は、想像していたよりもちょっとだけいい結果を残すから偉い」と褒めてくれた。中学生のとき、5段階評価で「2」ばかりの通知表を持って帰ったときには、「ヒヨコが泳いでいるみたいだな」と言っていたし、「3」が少し増えたときには、「耳が多くなってよかったな」と励ましてくれた。勉強しろとは一度も言わなかった。

冒頭の発言は、ほかに褒めることがなく、苦肉の末に放った一言だったのかもしれない。「ヒヨコと耳」は、愚かな息子をなんとか盛り上げようと、文学、とくに詩が好きだった父が頭をひねって考え出したレトリックだったのだろうと思う。心配ばかりかけて親孝行できなかった悔いが今も残る。

父から受け継いだ、この「消極的な称賛」というレトリックは、実家を出て別々に暮らしてからも、たびたび僕を窮地から救ってくれた。とくにその効果を発揮したのが、アルコール依存症になって断酒をしなければいけなくなったときだった。断酒については非常に複合的で、一言で「これが効いた」と断言することはできないのだけれど、いよいよ断酒を決意しなければいけなくなった際、僕は以下のように考えていた。その時点ですでに独立しフリーライターになり、曲がりなりにもそれ一本で生計を立て、あまつさえ僅かな貯金までつくっていた。

「毎日、朝から酒を飲んで、体も心もこんなにボロボロなのに、なんとか締め切りを守って仕事をしている。これで酒をやめたら、僕はすごい文筆家になってしまうのではないか」

断酒をして5年が経った今、その目論見が当たったかといったら、そうではない気がする。むしろ、そういった期待を持たないほうが断酒を続けられることがわかった。しかし、酒をやめた初期において、僕を励まし、支えてくれたのは、そうした謎の楽観主義、根拠のないプラス思考だった。アルコール性の急性膵炎で二度入院し、三度の飯より好きだった酒を34歳でやめなければいけなくなっても、極度の悲観に陥らずに済んだのは(だいぶ悲観にくれてはいたが)、幼い頃から慣れ親しんだ「消極的な称賛」マインドのおかげだった。

さて、39歳になった僕は、相変わらず駄目なところだらけである。自分が立派な人間であるなんて、とてもじゃないけど思えない。でも、不完全な部分が多いからこそ、まだまだ伸び代があると、また根拠もなく思っている。駄目さが希望。これからも、想像していたよりもちょっとだけいい結果を残し続けていきたい。いつか本当に立派になる日まで。アヒルのヒヨコが白鳥になった例もあるではないか。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第104回 神隠しの犯人

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

とにかく物をよくなくす。これは僕の宿命のようなもので、もしなくした物を探すというタスクが人生になかったなら、第二外国語を習得できただろうと思うほど、探し物に時間と労力を費やしてきた。今は、つい5日前に購入したオーディオテクニカのワイヤレスイヤホンを探している。

ちなみにこのイヤホンは以前、黒色の商品を購入したのだが、見事になくしてしまった。外には持ち歩いていなかったので、絶対に家の中にあるはずだ。なのに、いくら探しても出てこない。僕は諦めて同じ商品を再び購入した。今度はなくしても見つけやすい青色の商品にしたのだった。どうしてこんなにも物をよくなくすのだろうか。僕と妻はこの現象を「神隠し」と呼んでいる。

冬には、足元を温めるミニサイズの電気マットがなくなった。僕は冷え性なので、仕事机の下に置いておくと、体が温まって風邪を引きにくい。冬には非常に活躍するアイテムだった。「電気マットがない」とぶつぶつ呟きながら、家の中をうろうろ歩きまわっている僕を見て妻は、「また神隠し?」と呆れ顔だった。たしかその電気マットは、7、8年前に大型スーパーで発見し、1800円くらいで買ったのだった。値段と使用した年数を考えれば、こんな僕の元から消えないで、辛抱強く活躍してくれたほうである。新しい商品を買おうと思っているうちに冬が終わってしまった。

春の暖かさを肌で感じられるようになった頃、妻が申し訳なさそうな顔で僕に近づいてきた。手にはあの電気マットを持っている。妻いわく、僕が電気マットを使おうと寝室の収納から取り出し、リビングに置いて仕事部屋に持って行く準備をしていたわずかな時間があったらしい。その際に愛犬ニコルが電気マットに興味を示し興奮し出したため、テレビの裏に隠したそうだ。それを見つけて、「しまった。神隠しの犯人はわたしだ」と気づき、おそるおそる白状したのだという。

謝る妻に、そんなことは些事であると僕は伝えた。そんな濡れ衣は、実家で暮らしている頃から何度も経験してきた。しかし、100回の神隠しがあったとして、僕のせいではなかった事例はせいぜい1回である。正確に統計をとれば、おそらく1の値を下回るはずだ。僕が物をなくしたとき、他の人がなくした可能性をわざわざ考慮に入れるほうが、日々の生活が煩雑になってしまう。僕は僕の行為や判断にかんして、まったく信用していない。ほとんどのミスが僕のせいであり、そのことについて僕は世界中の誰よりも自信がある。そもそも、僕はリビングに置いておいたことすら忘れていた。それを思い出しただけでも妻は立派なのだ。

そう自信満々に伝えた僕に妻がどういう反応をしたのかすら、今となっては覚えていない。そしてオーディオテクニカのワイヤレスイヤホンはまだ見つからないし、ついでに言えばそのときに妻から受け取った電気マットもどこにあるかわからない。僕のせいである自信が全身をみなぎっている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid