モヤモヤの日々

第99回 筋トレ嫌い

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

いよいよ体力がなくなってきた。ただでさえ、もともと体力があるほうではないのに、新型コロナウイルスの感染拡大により外出する機会が減ったため、少しの運動でもすぐに疲れる。今朝もよく通っていた古着屋のインスタグラムを眺めていたら、どうしてもほしいTシャツを見つけてしまったのでオンラインストアで購入した。普段なら電車で数駅の場所にある店舗に行って、一応、素材やサイズ感などを確かめてから買うのだが、そういう日常の些細な判断が積み重なり運動不足になる。結果、体力が落ち、余計に外出しなくなってしまう。

犬の散歩など、気晴らしになる外出機会をなるべく作ろうと意識はしている。しかし、この状況下では外出の機会が減ることは致し方ない部分がある。ならばせめて家のなかでできる運動をしようとは思っているものの、僕は運動、とくに筋トレが嫌いなのだ。以前、友人たちと一緒に自治体が運営しているジムに行ってみたことがある。身長、体重、血圧などを測り、体力テストをした後にトレーニングメニューを決める流れだったのだが、なぜか僕だけ「すぐにトレーニングするのは危ない」という理由から、ヨガマットのうえでストレッチしたり、ランニングマシーンのうえを歩いたりさせられた。20代の頃である。39歳の今はどうなってしまっているのだろうか。

僕が筋トレを嫌いな理由は大きくわけて二つある。一つ目は、単純に疲れて苦しいから。なにを言っているのだと思うかもしれないが、僕はこれでも中・高校時代はバスケットボール部に所属していたのだ。対戦型のスポーツは飽きずにできるけど、“自分と戦う”系は対戦相手の自分が弱すぎて、すぐに勝負がついてしまう。ものの数分で負ける。ストイックな筋トレは僕には向いてない。

二つ目の理由は、自分の体が筋肉質のマッチョになるのが嫌だからである。こればっかりは上手く説明できなそうにないのだけど、とにかく筋肉がついている自分の体に拒否感がある。筋肉がついたこともないのになぜ拒否感があるのか、という疑問に書いていたら気づいてしまった。わからない。でも、これはたぶん理屈ではないのだと思う。当たり前だが、別に筋骨隆々な人が嫌いなわけではない。鍛え抜かれた肉体は美しい。あくまで自分がそうなるのに抵抗があるだけである。

真剣にトレーニングしている人からすると、そう簡単には筋肉は肥大化しないとお叱りを受けるかもしれない。運動、栄養、休息などを厳密に管理しても、なかなかマッチョにはなれないとも聞く。そうだとしても、目的が筋肉をつけるトレーニングである限りは、モチベーションは高まらない。僕はどうして筋トレに対し、こんなにも態度がでかいのだろうか。それもわからないが、とにかく嫌なのだ。

何年か前、姿勢をよくする目的で筋トレを始めたことがある。きついトレーニングは続かないし、なるべくシンプルな方法で鍛えたいと思い、書籍や雑誌、インターネットを調べた結果、「ラクダのポーズ」なるものを発見した。膝で立ち、体を反り返して両手でかかとを掴むポーズである。調べたところによると、ヨガのポーズの一種だという。サンスクリット語名「ウシュトラ・アーサナ」。これには妙に惹かれたのだが、ラクダから元の体勢に戻ることができず挫折した。

さて、どうしたものか。僕はどうしたら体力がつくのだろう。ついでに言うと、僕は汗をかくのも嫌いである。今はどのみち外出を控えているが、日光を長く浴びていると熱が出ることがあるため、ランニングなども厳しい。これらの条件をすべて頭に入れたうえで、さっきからインターネットを検索しているのだけれど、「これだ!」と思う情報が出てこない。インターネットも大したことないなと、また大きな態度でふんぞりかえりながら毒づいている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第98回 1時間10分のモヤモヤ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

一昨日は徹夜で、昨日この連載の原稿(「寝てない自慢」)を書いた直後に寝た。そこから約10分の短い覚醒を経て、本日の午前11時に起床し、今、この原稿を書いている。なので、モヤモヤしようにもしようがない。10分の覚醒期間になにをしたかといえば、トイレに行ったのと、犬を撫でたくらいだ。それにしても、ざっと19時間はほぼ連続で寝ていたことになり、39歳にもなってまだそんな体力があったのかと、我ながら驚いている。なるべく起きている間にその体力を発揮できればいいのだが、それができたら僕はもっと偉い人になっている。

ところで、この連載も本日で98回目を迎える。今週の金曜日に100回となることを記念し、翌週の月曜日、101回目を更新した後の21時から、編集担当の吉川浩満さんと一緒にオンラインで無料のトークイベントを開催する。今、「プロポーズ」という言葉を思い浮かべた人は注意してほしい。それは平成3年に流行したドラマであり、若い人には通じない可能性がある。広い世代に通じない冗談はなるべく避けてコラムを書きたいとは思っているけど、意外と難しいものだ。

僕は執筆にずっと「Microsoft Word for Mac」を使っている。ツールバーにある「上書き保存」のアイコンは、いまだにフロッピーディスクのままだ。その頑なさが古くからのユーザーにはありがたい限りではあるものの、若い読者にはフロッピーディスクを見たことがない人もいるのではないか。そういえばこの前、無意識に「レンジでチン」という言葉を使ってしまった。今どき「チン」と鳴る電子レンジは珍しい。うちの電子レンジは「ピー、ピー、ピー」と鳴る。レンジでピーである。

そんなことを考えながら原稿を一時中断して休憩しようと、インスタントコーヒーを飲むためにキッチンの電気ケトルのスイッチを入れた。湯が沸騰するまでの間、ボーっとキッチンを眺めていたら、「サラダ油」が目に飛び込んできた。サラダ油は、いったいなんで「サラダ」なのだろうか。

昨日、原稿を提出して以来、まだ1時間10分しか起きていないが、モヤモヤは尽きぬものである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid