第10回 待つ

海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ……様々な場で哲学対話のファシリテーターを務める著者は、自らも深く潜りつつ「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。「え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?」……世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセイ。

ゆっくり、ゆっくり、店員さんがわたしのマグカップを梱包している。

箱をゆっくりと開け、わたしに中身の確認をうながす。箱がうまく閉まらない。何度も開いては閉じ、開いては閉じ、ようやく箱が元の形に戻ってくれる。店員さんはふうっと安堵した息を漏らすと「プチプチをします」とわたしの目を見て言う。割れないように梱包いたしますので少々お待ち下さい、などといった紋切り型の言葉ではない。彼女はきっと、箱と格闘しながら「これからプチプチ、これからプチプチ」と思っていたのだろう。心の中でつぶやいていた言葉が、そのままずるりと出てきたように、店員さんとわたしのあいだに落ちる。

息苦しいマスクの中でわたしは「はい」とかすれた声で小さくつぶやいて、ゆっくりと箱がプチプチに覆われていくのを見ている。産まれてはじめて、プチプチを触ったかのような手つきで、店員さんは箱をくるむ。すでに相当な時間が経過している。店内にはそれなりに人がいて、わたしの後ろには若い男女が並んでいる。時間のわりに、梱包は丁寧ではない。もったりとしたふるまいで、気まずい沈黙だけが流れている。居心地は悪く、不快感がわたしの血管をじっとりと満たしていくのがわかる。

わたしは、どんよりとした苛立ちに心を浸しながら「どうか世界がこれ以上速くなりませんように」と祈った。

最近、電車の中で韓国の男性アイドルグループの動画を見るのが好きだ。プロフェッショナルなダンス。魅力的な表情や目つき。透き通った声。この年になってようやく、アイドルの凄さを知ったわたしは、感動しながら動画を再生する。

だがわたしのスマホは、ほとんどつねに通信制限がかかっている。youtubeをひらくのに一駅分かかる。ようやく見えたサムネイルをタッチすると、再生が開始するまでさらにまた一駅分かかる。やっと再生されたダンス映像は、廃墟から発掘されたビデオテープのようにガビガビで、キレキレのダンスがカクカク動く。そんな映像だから、当然顔はつぶれていて、誰が誰だかわからない。服装で誰が誰なのかを推測しようとするが、無益な試みに終わる。

いらいらとロード中の画面を何度も見つめる。それと同時に「どうか通信制限がこの世からなくなりませんように」と願う。

哲学対話は「話す」よりも「聞く」営みである、とはよく言われる。鷲田清一の名著『「聴く」ことの力』にて「わたしたちは語ること以上に、聴くことを学ばねばならない」という文は「哲学はこれまで喋りすぎた」という反省に裏打ちされている。

哲学だけでなく、わたしたちは常に喋りすぎている。日常で、会議で、SNSの中で。じっくりと聞くのではなく、何か「いいこと」を話さないといけないというオブセッションに急かされて、夢中で口を動かしつづけている。沈黙がこわい。よどみ、停滞がおそろしい。議論での沈黙は、その場への不参加だと思われる。真っ白な画面に、めちゃくちゃに文字を打ち込むように、急き立てられて話しつづける。もっといいことを、もっと意義深いことを。もっと人を動かし、もっと尊敬され、もっと「ここにいていい人間だ」と思ってもらえるようなことを。

以前、ある生放送に出演したとき、残り時間の少ない中、ラッパーのダースレイダーさんに「ぼくも(下の名前が)レイなんですよ」と言ってもらえ、嬉しさと何か返さねばという焦りで「それはよかったです」と答えてしまった。おどろくほど空虚な言葉。空白を埋める、焦燥にまみれた応答。自分でも呆れるし、放送を見ていた友だちからは「よかったってなんだよ」とLINEがきた。

ラジオでは数秒間沈黙があると放送事故になるという。数十秒間沈黙が続くと、エマージェンシーテープとして、音楽が自動に流れるらしい。わたしたちの人生はいつでも生放送である。放送事故を恐れて、わたしたちは沈黙を空疎な言葉で埋め尽くす。陽気な音楽が流れ始めたって、本当は誰も困りはしないのに。

わたしたちは急いでいる。わたしたちは速度を求めている。もっと速く、もっともっと速く、より多く、より豊かに、より意義深く。より豊穣な実りを。より膨大な成果を。だが哲学対話は「急ぐな」と言う。「立ち止まれ」とささやき「問い直せ」と命じる。

そして、哲学対話は「待て」とも言う。

小学生のころ電車に乗ったとき「次は祐天寺」とこなれた口調で言う車掌さんの様子が、いつもと違ったことをおぼえている。静かに朝日が当たる車内で、ガチャガチャとマイクをつなげる音がして、車掌さんの低い声が流れる。

「次はァ、ゆう」

そう言って車掌さんは黙り込んだ。まばらに座る乗客は黙ってそれを聞いている。あのときは、スマホなんてなかったから、みんな、心細いような目で窓の外を見ていたものだった。

「………………………………………………………………………」

サーーーーという、マイクがつながったままの音はしている。スピーカーを見ても仕方がないのに、乗客はどうしたのかと見上げる。わたしも見上げる。

中目黒駅を出発した東横線はもうすぐ祐天寺駅に着いてしまう。乗客は一丸となり、緊張感をにじませた表情で、次の言葉を待っている。

「……………………………………天寺です。」

向かいに座る女性がほうっと息を吐く。あんなにもみんなで車掌さんの声を待ったことはなかった。誰もが次の言葉を待ち望んでいた。出自も性別も異なるひとびとが、すさまじく張り詰めた空気の中で「聞く」をしていた。

あのときの車掌さんのことを思う。はたして次は本当に祐天寺駅なのか?ゆう、と、てんじ、の間には、何があるのか?われわれはどこへ向かっているのか?彼の中に多くの問いが生まれては消え、わたしたちの日常を揺るがす。つるつるでなめらかな時間にたくさんのスペースを差し込んで、隙間をつくって、わたしたちを中断させる。目的地に機械的にすすむ電車が、あの時間の、あの電車の、あの車両の、あのときになる。

数年前の哲学対話でも似たようなことが起こった。何かを熱く語っていた参加者のひとりが、突然固まり、沈黙した。両手はろくろを回すポーズのまま静止し、目は見開かれている。そこに集まったひとびとは、全員がお互いに初対面で、ばらばらで、何一つ共通点がなかったが、誰も彼の沈黙を邪魔せずに息を呑んで彼のつづきの言葉を待った。その瞬間、これまですいすいと進んでいた対話がむしろ違和感を帯びたものに様変わりする。

逡巡、困惑、どうやったらこれを伝えられるのか、どうやったら相手を傷つけないかと考えをめぐらすあの間。そしてそれを、決して見逃すまいとするように集中してじっと待つ瞬間。それはわたしたちの人生に起こる放送事故でもあり、つるつる、すべすべ、サクサクとした日々に、挟まれるささやかな休息である。

だからわたしたちは愛そう、通信制限を。

永遠にまわりつづけるロード中の輪っかを。

何度も回線落ちするzoom会議を。

話の途中で、黙り込むあなたを。

はやさ、なめらかさ、淀みのなさが価値である世界へのささやかな抵抗。舌なめずりをした資本主義の触手が、わたしたちの目を覆い隠す前に。便利と安全をうたいながら、脆さや問いかけ、ただ存在するということへの排除を宣告される前に。

こんなことを書くと「スローライフを楽しもう」「ていねいな暮らしで人生にゆとりを持とう」といった主張と思われるかもしれない。生活をバカにせず、丁寧に生を紡いでいくことは重要だ。だがわたしが考えるのはもう少し、自分の身の回りというより、他者を巻き添えにしたものであるし、時に苦痛に満ちたものである。

「待つ」ことはつらい。ただし「待たされること」を「待つこと」に捉えかえすとき、それは決断と主体性を帯びたものになる。「急ぐ」ことを拒否する態度になりうる。待つことは、目を覚ましていることだ。苛立ち、焦りを感じながらも、それを注意深く拒むことだ。

いつかのお寺での哲学対話は、黙って寺内を歩き回ったあと、再び集まって問いを共有し、対話を始めるというものだった。主催ながら寝不足で疲れていたわたしは、荷物番を買って出て、ひとびとが寺内を歩き回る時間、ぼうっと畳の上で庭を見て過ごした。時間になり、ぞろぞろとひとが帰ってくる。対話がはじまり、ひとびとが、日常に差し込まれた空白の時間に考えを巡らせた問いを交換する。

ふと「永井さんは何を考えていましたか」と問われ、うろたえる。しまった、何も考えていなかった、と思う。だが沈黙をおそれたわたしは「みなさんを待っている間、”待つ”ってどういうことかな、と考えてました」と咄嗟に応えた。あまりにとりとめのない問いのせいか、ひとびとからは特にリアクションはなかったし、わたしは適当なことを言ったなと自分で呆れて、それからすぐに忘れた。

だが、あれから数年経って、その問いがしゅわしゅわと静かな泡を立てて、ゆっくりと目の前にあらわれてきたのを感じる。レジの店員さんがびびびびび、とセロハンテープを引っ張っている。ゆっくりと貼られるテープ、ふわふわのプチプチ、奇妙な沈黙。待つとは一体何なのか。レジで、立ちっぱなしの足の痛みを感じながら「なんだ、実は面白い問いだったな」と問いに話しかけてみる。問いはゆっくりと長い年月をかけて、わたしの目の前にふたたび浮上したのだ。

「きみがそう思うまで、ずっと待っていたよ」

しゅわしゅわと音を立てながら問いは言った。

 

第9回 変わる

海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考え込み話し合う哲学対話。小学校、会社、お寺、路上、カフェ……様々な場で哲学対話のファシリテーターを務める著者は、自らも深く潜りつつ「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」を追いかけてきた。当たり前のものだった世界が、当たり前でなくなる瞬間、哲学現在進行中。「え? どういう意味? もっかい言って。どういうこと、どういう意味?」……世界の訳のわからなさを、わからないまま伝える、前のめりの哲学エッセイ。

もう何年も前、授業で論文発表をした。それはフランスの実存主義で有名なジャン=ポール・サルトルというひとの著作をもとにしたものだった。わたしはうつくしく力強い言葉の数々を引用し、莫大な彼の思想のほんの一端を何とか掠め取ろうと必死だった。

わたしの発表を聞き終わった先輩たちが、いろいろな質問をする。わたしはそれをひとつひとつ黒く塗りつぶすように答えた。誰かが批判をする度に、自分がサルトルの弁護人をしているような気がして、見えない裁判官に訴えつづけた。

ある先輩の質問が投げかけられた。それは、サルトルが年を重ねていくにつれ、解釈を加え、一部は捨て去った部分についての問いであった。わたしは彼の変化について述べ、あわせてサルトルの関心の移行について説明した。すると先輩は、顔を半分歪めてつぶやいた。

「なんだ、変わっちゃったのか」

それは、せっかく価値ある考えだったにもかかわらず、サルトルがそこに興味を失ったことを残念に思ったのかもしれないし、サルトルが簡単に考えを変える軽薄な人間だと落胆したのかもしれない。たしかに以前、その先輩は自身が研究している哲学者の関心が、生涯を通して一貫していたことに焦点を当てて発表をしていた。だからやはり、自分の関心や考えを容易に変えるサルトルに苛立ったのかもしれない。

あのときわたしは曖昧に笑って、そう、変えたんです、と答えた。先輩はコロコロ考えが変わるな、と呆れた声でもう一度言った。はい、変わるんです、とわたしは小さな声で答えた。その声は、意志に反して恥じた声になった。

それからしばらくして、わたしは大学の先生と共に、ある町で哲学対話のイベントに呼ばれた。先生が対話のファシリテーターで、わたしはただの記録係だったが、ひどく緊張していて、どんな「いいこと」を言うべきなのか、前の日からノートに考えを書き連ね、寝不足だった。

先生は時間より早く、だがのんびりとやってきた。登山のような格好をしていたので、カフェスペースだった会場が雑木林のように見えた。彼は山登りの途中に切り株に腰かけるように椅子に座って、参加者とおしゃべりをしていた。わたしは、先生の隣で大きすぎる椅子に身体をひしゃげて座り込み黙りこんでいた。

はじまると先生は、哲学対話が、あるテーマについて参加者同士でゆっくり聞き合い、じっくり考え合う場所であることを説明した。そして、哲学対話ではひとの話をよくきくこと、自分の言葉で話すことをルールだと語った。「最後に」と先生は、少しだけ身をかがめると、周りを見回して言った。

「どうか、変わることをおそれないでください」

ひとの話をよく聞き、それによって自分の考えが変わること、それを楽しんでください。先生はそう言って、少しだけ黙った。どこか遠くで蝉が鳴いているのが聞こえる。ひとの話をよくきくこと、そして借り物の言葉ではなく自分の言葉で、自分の考えを話すことはルールに思えたが、最後の話は、ルールと言うには少し異質で、奇妙に思えた。定められた規則を述べるというより、懇願しているように見えたのも不思議だった。ふと顔を上げると、先生はわたしたちを見ながらも、どこか遠いところを見ているようだった。

黙ったのはほんの数秒だったのかもしれない。先生はぱっと姿勢を正すと、さて今日は何のテーマだっけ?とにっこり笑って、周りに尋ねた。

それからまた何年かして、知人に手を引かれ、哲学対話をしているひとたちが集まる会に行った。先生の仕事についていくことはあっても、決して自分からそういった会に行ったことがなかったわたしは、またもや身体をこわばらせた。参加者は知らないひとばかりだったが、その中でもいちばん目つきが悪く、身体を椅子に預けて腕を組んでいるひとが目に入った。彼は足を大きく組んでいて、尊大で攻撃的に見えた。

何について議論をしていたのかはもう覚えていない。ある学生がたどたどしく、かぼそい声で何かを主張していた。みんながじっと聞いている。話し終わると、目つきの悪いひとが手を短く挙げ「でも」と言った。彼は、発言者だけが持つことのできる毛玉のボールを受け取ると、理路整然とした意見をなめらかに話し始めた。緊張でこわばったわたしの頭にもそれは明快で堅牢だった。そしてそれは、その前に話した学生への反論でもあった。

途端に、数年前のある学会発表の風景がよみがえる。発表原稿を読み終えて顔を上げると、大勢のひとがこちらに弓矢を向けている。彼らの目はわたしのいちばんやわらかく脆いところに矢を定めていて、今にも放たれる寸前であった。司会が「質問のある方」と言うと、矢が一斉に放たれた。

矢はわたしを恥じ入らせようとしていた。矢はわたしを「勉強不足でした」と言わせようとしていた。矢はわたしの屈辱をのぞんでいた。矢は大勢の観衆の前での、わたしの死をねがっていた。

わたしは持っていたなまくら刀をやたらめったらに振り回し、矢を振り落とすのに夢中になった。たくさんの眼が、青ざめて重い刃をあちらこちらへやっているわたしを見つめている。わたしはぎこちなく唇を動かし、みじめに引きつっていた。観客はわたしをじっと見つめて、おまえのことを知っている、おまえが取るに足らなく、ちっぽけで、ここにふさわしくないことを知っている、と矢をいつまでも放ち続けているように思えた。

彼が話し終わり、前に発言した学生にボールが戻される。その学生は、何とか言葉を紡ぎながら、ぼくが言いたかったのはこうなんです、と言いつつも、言いたいことを探しながら話しているかのようだった。堅牢で明快な言葉に対して、その言葉はゆらいでいて、わかりにくく、簡単にほどけてしまいそうだった。学生の屍体が大勢の前で曝されるのを恐れてわたしは下を向いた。

しかし、彼は悪い目つきではありながら真面目な顔でそれを聞いた。そして「なるほど、確かに」とあっけなく言った。彼は弓すら持っていないようだった。何度か小刻みにうなずき、心底納得しているようだった。事実、彼はそのあとすぐに、何の未練もなく自分の立場を手放すことになった。

それから彼の姿をいろいろな場所で見た。彼は、哲学の博士号を持っているらしいが、どんな場所でもどんな相手でも、ただ話を聞いて、いくつか質問し、時に反論し、自分の考えを伝え、そしてすぐに「なるほど」と言った。ややクセのあるような参加者の、何度も回り道をし、ひどく個人的にもかかわらず具体性が伝わらない、反応のしにくい主張でも、彼は「今の話、すごく面白くて」と拾い上げて、魔法のようにその意見の奥底に隠れていた魅力を探り当ててしまった。

緊張で顔を醜く上気させ冷え切った手足を固くしていたわたしには、それが驚くべきものに見えた。そこには教育的配慮や、知識人が慇懃に素人の話を聞いてやろうとする厭らしい笑みとまなざしはなかった。彼は、あらゆる人のあらゆる意見が真理に貢献すると本気で思っているようだった。わたしが話そうが、権威ある研究者が話そうが、中学生が話そうが、彼はその身分に興味すらなかった。彼のまなざしは、わたしをつらぬいて、どこか遠い彼方へ向けられているような気がした。

ひとは「一貫性」に憧れる。樹木の幹のように筋の通ったぶれない軸を信頼する。考えを変えると、一貫性のない優柔不断な人間だと思われる。議論の場では、意見を変えたら負けてしまう。

「不変」にも憧れる。結局わたしの言いたいことは30年前から変わらないのです、なんて言われると、かっこいい、と思う。肉体が滅びてもバトンのように受け渡される不変の魂を夢想するように、時代や環境が変わっても動かない考えに惹きつけられる。

それはきっと、人間がうつろいやすい存在だからだ。運命を誓いあった恋人たちは、あっけなく別れてしまう。初心を忘れて欲に邁進する。変わる。変わってしまう。

だが同時に、わたしたちは変わるということがとても苦手だ。間違いを認めたり、信念を変えたり、前提を疑うことができない。立場を捨て去ることができない。わたしも、あなたも。おじいさんも、子どもも。おかあさんも、高校生も。変わることはむずかしい。変わることは、鎧をゆっくりと脱いで、やわらかな肉をさらけ出すことだ。わたしの魂の、いちばんやわらかな部分を、ひとに触らせることだ。

先生の「変わることをおそれないでください」という言葉がリフレインする。哲学対話では、様々なルールが回ごとに取られるが、これがルールとして採られるということ、それ自体がすばらしいと今なら思う。変わる、ということをおそれつつも悦ばしく思うこと、そのことに気を払えることの意味を考えることができる。

哲学対話は、ケアである。セラピーという意味ではない。気を払うという意味でのケアである。哲学は知をケアする。真理をケアする。そして、他者の考えを聞くわたし自身をケアする。立場を変えることをおそれる、そのわたしをケアする。あなたの考えをケアする。その意味で、哲学対話は闘技場ではあり得ない。

だからといって、哲学対話は共感の共同体でもない。「dialogue対話」という言葉は、二人が対面で向かい合い、気持ちを分かち合う営みに思われがちだ。だが、dialogueという言葉は古代ギリシャ語の「dialogosディアロゴス」からきており、「logos言葉」を「dia通じて」人と人とが交わり合うことを意味する。dialogosは「dialegesthai対話する」から派生しているが、同様に「dialektikeディアレクティケー」もその派生語である。

ディアレクティケー。つまり「弁証法」。わたしはこの言葉を哲学史の教科書で知っていた。もちろん様々な哲学者が、様々な仕方でこの言葉を用いている。だが、ある種の弁証法を「実感」したのは、間違いなく哲学対話においてだった。

人が集まって話すとなると、共感しあって終わるか、もしくは闘争するか、そのどちらかと思われがちだ。だが、弁証法はそれらとは全く異なる。弁証法は、異なる意見を前にして、自暴自棄に自身の意見を捨て去ることではない。ただ単に違いを確かめて、自分の輪郭を浮かび上がらせるのでもない。異なる意見を引き受けて、さらに考えを刷新することだ。

中間を取るのでもない。妥協でもない。対立を、高次に向けて引き上げていくことだ。だがそれは対話において「変容する」ことへの容認がなければならない。むかし見かけた目つきの悪い彼も、身軽に自身の考えを刷新していくサルトルも、ただ謙虚であるとか、自分の意見にこだわりがないとかではなく、自分の立場よりも真理をケアし、異なる考えを引き受けて、考えを発展していたのである。だからこそ、弁証法の場では、わたしは取るに足らないちっぽけな存在ではなく、真理に貢献するひととして扱われる。真理に近づくため、必要な存在となる。

哲学対話というと、椅子を丸くし、円になって人々が顔を見合わせているイメージを持つ人が多いだろう。もちろんこれは、フラットに話せる場作りの象徴であるし、探求の共同体のシンボルでもある。哲学対話は勝ち負けのあるゲームではないし、闘技場でもない。向かい合うと「対戦」のモチーフが想起されるが、そういうわけでもない。まなざしは互いを射抜いておらず、弓矢は打ち捨てられている。

先生やあの彼の、遠い目を思い出す。まなざしはわたしにしっかりと向けられているが、わたしを冷たく見抜いていはいない。哲学対話をしているとき、ひとは、顔を突き合わせて座っているというよりは、ひとびとと空を見るようにして、うつろいながら水面に浮かんでいるかのようだ。わたしが何かをおそるおそる話す。先生は力を抜いて、波に身を任せて楽しく揺られている。耳はしっかりとわたしに向けられながら、先生の目は、遠くかなたの何かに向けられている。重い弓矢は手放され、わたしも力を抜き、他のひとびとの言葉を通して、目の先にある何かを見ようと空を見上げるだろう。

先日、先生とオンラインで飲む機会があった。もう何年も前に、先生が設定したルールが好きだとわたしは言った。あのことが、わたしに及ぼした影響について、つらつらと語った。だが、先生はあっけらかんと「そんなこと言ったっけ?」と言った。本当に忘れているらしかった。「よし、これからは言うようにします!」と意気込んですらいる。「なんだっけ、変わることをおそれない?楽しむ?なんだっけ?」と聞いている。先生はかぷかぷ笑っている。わたしも、一緒にいた友人も、かぷかぷ笑っている。

サルトルも、先生も、わたしも、ひとは変わる。今ならそれがうれしい。