第四書簡 タイのイスラーム事情

日本人は、身近な隣人となりつつあるムスリムの論理を理解しているか? そこに西洋文明中心視点の誤ったイスラーム解釈はないか? 世界のイスラームに関連するトピックを題材に、より深いイスラーム理解にたどり着くための往復書簡。イスラーム教徒でイスラーム法学者である中田考、非イスラーム教徒でイスラーム思想研究者の飯山陽、専門を同じくしつつも互いに異なる立場の2人による、火花を散らす対話。  

知られざるタイのテロリスク 飯山陽

 

「微笑みの国」のテロ事件

タイは日本人にとって、人気の旅行先のひとつです。

2018年にタイを訪れた日本人は、過去最高の160万人を超えたと発表されました。

「微笑みの国」という枕詞がつけられることが多いように、人々は常ににこやかで温和、外国人をあたたかくもてなすホスピタリティーに溢れ、食事も美味しく、おしゃれでかわいいものや店が豊富で、常夏のビーチを一年中楽しめ、マッサージも安い…。そんな「最高のイメージ」を抱いている人も少なくないでしょう。

実は私は、数年前からタイの首都バンコクに住んでいます。タイに住む私にとっても、タイは非常にいい国であり、既述のイメージを否定するつもりはありません。しかしこうしたイメージだけがタイの全てではない、ということは申し上げておきたいと思います。

イギリス外務省はタイに旅行に行く人向けの渡航情報として、「テロリストはタイで攻撃を実行する可能性が非常に高い」と明記しています。日本人の多くはタイにテロ攻撃のイメージはないかもしれませんが、それはただ知らないだけなのです。

イギリス外務省は、外国人が頻繁に訪れる観光地を含め、爆弾や手榴弾による攻撃は無差別的に発生するので、タイに旅行に行く際には、特に公共の場においては細心の注意を払い、タイ当局の指示に従い、地元メディアの報道を注視するよう、勧告しています。

日本の外務省もタイの渡航情報として、「首都バンコクやリゾート地等においても爆弾事件が発生しています。不測の事態に巻き込まれることのないよう以下の点に注意してください」とし、「不特定多数の人が集まる場所(中略)を訪れる際には,周囲への警戒を怠らない」等とウェブサイト上に記しています。

しかし去年タイを訪れた160万人の日本人のうち、外務省のウェブサイトでタイの情報をチェックした人がどのくらいいるでしょう。

世界的なテロ増加傾向を受けて、外務省の出す海外安全情報は、ここ数年で格段に増加しました。サイトを見れば、その国で近年発生したテロやデモなどの情報が、かなり詳しくわかるようになっています。しかしサイトを充実させるだけで終わってしまっては、国民に注意喚起し危険回避に寄与するという目的を達成したことにはなりません。

ここ数年のタイを振り返ると、直近では2019年8月、ASEAN外相会議開催中にバンコクの数カ所で爆弾テロが発生、3月にはサトゥーン県とパッタルン県で、2018年12月にはソンクラーのサミラ・ビーチで、2017年3月から4月にかけてバンコク各地で、2016年8月にはプーケット、ホアヒン、クラビなどを含む主要な観光地で複数の爆弾テロが発生しました。

2015年2月にはバンコク中心部の著名なショッピングモール、サイアム・パラゴン前で爆弾テロが発生、4月にはリゾートとして知られるサムイ島で自動車爆弾テロが発生、8月にはバンコクの主要観光地のひとつエラワン祠で大規模な爆弾テロが発生し外国人を含む20人が死亡、100人以上が負傷しました。容疑者として拘束されたのは、複数の外国人イスラム教徒でした。

タイは素晴らしい国ではあるが、しばしばテロ事件が発生しており危険もある、という実態を広く発信していくことは、非常に重要です。これは、「危険だからタイには行くな!」という極論とは全く異なります。せっかくの楽しい旅行を悲劇で終わらせないためには、危険情報をあらかじめ知っておくことが、いざという時にパニックに陥らず適切な行動をとるため、死なずに生き延びるためには必要不可欠です。

テロ活動が活発化する東南アジア

これはタイに限った話ではありません。日本人に人気のリゾートが多くあるフィリピンやインドネシア、マレーシアにも治安上の様々なリスクがあり、場所によってはそのリスクは非常に大きくなっています。

「イスラム国」がシリアとイラクでの領土を失った後、急速にネットワークを拡大させている地域のひとつが東南アジアです。オーストラリアを拠点とするシンクタンク、経済平和研究所(IEP)が公開した2018年グローバル・テロリズム・インデックスは、近年テロ活動が特に活発化している地域のひとつとして東南アジアをあげています。

ASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟する10カ国の総人口は約6億人ですが、うち半数がムスリムです。そこにイスラム過激派が浸透しつつあり、各国が協力してその抑止に努めているのが現状です。2019年11月にバンコクで開催されたASEAN閣僚会議で、マレーシアのムヒディン内相は、初代指導者バグダーディーの死は「イスラム国」の新たな章の幕開けであり、彼らは作戦拠点を東南アジアに移すだろうと警告しています。

私たちが東南アジア諸国に対して抱いているイメージは、時代の変化と共に実態に即したものへと修正していく必要があります。20年前、30年前の脳内イメージのまま東南アジアを固定的に捉えることは、得策ではありません。

タイには、日本を含む多くの国が渡航自粛や禁止を勧告している地域があります。マレーシア国境にあるいわゆる深南部三県(ナラティワート県、ヤラー県、パッタニー県)です。ヤラー県では2019年11月上旬、イスラム武装勢力が自警団の検問所を襲撃し15人が死亡するという事件が発生しました。

深南部にはマレー系のイスラム教徒が多く住み、タイからの分離独立を目指すイスラム武装勢力のテロにより、2004年以降これまでに7000人以上が死亡しています。今回の攻撃による被害規模は、ここ数年では最大です。

カリフ制は一種の革命思想

彼らはイスラム武装勢力ではあっても目標はあくまで独立であり、国際的なイスラム過激派ネットワークとの繋がりを示す証拠は見つかっていない、というのがタイ政府の公式見解です。

一方で、彼らの攻撃は、彼らがイスラム教の教義にも強く駆動されていることを示唆しています。既出の攻撃で犠牲となった自警団メンバーのほとんどは仏教徒でした。

イスラム教の教義において、仏教徒はイスラム教信仰を受け入れない不信仰者とされます。中田先生も第三便で、「イスラームは人種、民族による差別はカテゴリカリーに拒否します。しかし宗教による差別は否定しません」とはっきり記しているように、イスラム教は異教徒差別を至極当然と規定します。

『コーラン』は不信仰者について、「あなたがた(イスラム教徒)の公然たる敵」(第4章101節)と定めています。他にも不信仰者は、「悪を行う」(第2章12節)、「罪人」(第77章46節)、「愚か者」(第2章13節)、「心の中に病気がある」(第2章 10節)などと『コーラン』のなかで描写され、不信仰者は「現世で屈辱を、来世でひどい懲罰を受ける」(第5章41節)とあります。

このようにイスラム教は、全ての人間は信仰の如何に関わらず平等である、という近代リベラリズムや世俗主義の一大原則を、正面から否定します。正しいのはイスラム教だけだからです。

加えて『コーラン』第9章29節には、「神も終末の日も信じない者たちと戦え。神と使徒が禁じたことを禁じることなく、啓典を授けられていながら真理の宗教を信じない者たちと、彼らが屈服し人頭税(ジズヤ)を手ずから差し出すようになるまで戦え」とあります。

日本でイスラム教の「専門家」が礼讃してきた「イスラーム的共存」なるものの実態は、異教徒にとってはイスラム教徒による絶対支配下に屈服し、命をつなぐために人頭税を支払い、わずかでも抗議すれば命を奪われる、「差別と屈辱の固定化された共存」であることは、強調しておく必要があります。

第二書簡で中田先生は「カリフ制を支持している」と記しているよう、著作活動やツイッターなどを通し、「カリフ制こそが理想」だと日々発信してらっしゃいます。私は、イスラム教の教義やイスラム的共存の実態を知らない一般の日本人が、イスラム独裁体制たる「カリフ制」を面白おかしく持ち上げたり、いたずらに理想視する傾向を懸念しています。

カリフ制は神を唯一の主権者とし神の法たるイスラム法を施行する政教一致の体制であり、近代的な自由、平等、平和、民主主権といった理念を完全否定します。近代国家を漸進的に改革しても、決してカリフ制には至りません。カリフ制支持とはすなわち、現体制を根こそぎ破壊することを目指す、一種の革命思想です。確かに今の日本には大きな問題が多数ありますが、その全てを破壊しカリフ制を再興すれば全てうまくいくなどという主張には、何の根拠も論理性もありません。

中田先生自身も2019年12月5日に「不信仰者であるだけでは殺害は許可されず、カリフの宣教が届いて、入信と納税を拒否した場合」とツイートしています。カリフ制再興を支持するとはすなわち、イスラム教への入信と納税を拒否した不信仰者の殺害が許可される体制を支持することに他なりません。

メディアの報道と実態にずれ

異教徒は不信仰者、すなわち殺すべき敵であるという考えは、『コーラン』の字義直解を旨とするイスラム過激派に通底しています。ナイジェリアではボコハラムが毎日のようにキリスト教徒を襲撃し、イスラム教への改宗を拒むキリスト教徒を惨殺していますが、左派メディアは世界的にイスラム教徒によって迫害されるキリスト教徒の実態についてはほとんど報じません。タイで多くの仏教徒がイスラム教徒によって惨殺されているという事実も、世界的にはほとんど知られていません。

ミャンマーのロヒンギャ、イラクのヤズィーディーなど、宗教を理由とする差別や迫害は、世界中で発生しています。しかしアメリカの政府機関である国際宗教自由委員会(USCIRF)が2019年4月に公開した年次報告書では、世界で最も迫害されている宗教はキリスト教であり、キリスト教徒の迫害を行っているのはほとんどがイスラム教徒であるとされています。メディアの報道と実態には、大きなずれがあるのです。

タイ深南部では2019年1月、ナラティワート県にある仏教寺院がイスラム武装勢力に襲撃され、僧侶2人が殺害されました。異教の宗教指導者や宗教施設を攻撃するのも、世界中のイスラム過激派に共通する傾向です。

同じ頃、パッタニー県では学校が襲撃され警備員4人が殺害されました。イスラム教とは異なる近代的価値観を子供に教える普通教育は、世界的にイスラム過激派によって敵視されています。ノーベル平和賞の最年少受賞者として知られるマララ氏を銃撃したパキスタン・タリバン運動も、普通教育を行う学校をたびたび襲撃しています。

深南部では、ディスコやバーもしばしば攻撃対象となっています。イスラム過激派は酒や音楽、ダンス、男女の混じり合いも、イスラム教の教義に反するとみなします。タイのイスラム武装勢力も、イスラム的価値、イスラム的正義があまねく行き渡っていなければならない、神の命令に反するものは排除しなければならない、というイデオロギーを、世界中のイスラム過激派と共有しているように見えます。

2019年10月に公開されたアメリカ国務省のテロ年次報告書は、タイの特徴として、旅行者数が極めて多く、偽造パスポートや偽造文書の市場があり、銀行の監視も弱く、国境警備も緩いといった点を挙げ、国際テロ・ネットワークにハブとして利用されやすい脆弱性を多分に有している、と指摘しています。

実態がつかめない武装勢力

2019年2月には深南部の全寮制イスラム学校で、カンボジア人イスラム教徒11人が拘束されました。治安当局筋は、同校では夜間に戦闘訓練が行われていたと明かしています。深南部では過去に、イスラム武装勢力BRNの訓練キャンプを実施していたとして、イスラム学校が閉鎖されたこともあります。

深南部はタイに併合される前のパッタニー王国の時代から、東南アジアにおけるイスラム学の拠点のひとつとして知られており、現在も東南アジア各国から多くのイスラム教徒学生が集ってきています。治安当局筋はBRNが外国人学生もリクルートしていると語っており、BRNがグローバル・ジハード・ネットワークに入るのではなく、BRN自体がグローバル化しつつある実態もうかがえます。

2018年4月にはマレーシア治安当局筋が、テロ掃討作戦で取り逃した37歳のタイ人について、「イスラム国」に忠誠を誓っておりシリアとも関係を持っている、タイ深南部に「イスラム国」拠点を構築することを目指していると語りました。タイ当局はこれについて正式なコメントは出さず、軍の大佐がインタビューで「たぶん『イスラム国』メンバーではない」と述べるにとどまっています。

タイ政府は深南部のイスラム武装勢力との和平締結にむけた努力を続けており、マレーシアがその仲介役に名乗り出ています。しかしイスラム武装勢力は細分化されており、各組織の実態は不明瞭で、分離独立や自治獲得など目標も様々なため、当局はいったい誰と何を交渉すればいいのかもよくわからないのが実情だ、と伝えられています。

またフィリピンで分離独立を求めてきたモロ・イスラム解放戦線(MILF)からバンサモロ・イスラム自由戦士(BIFF)が分離し「イスラム国」入りした例や、アフガニスタンでアメリカと交渉を開始したタリバンを見限った戦闘員が次々と離反して「イスラム国」に合流した例からも、深南部の現状が油断ならないものであることは明らかです。

近年、深南部にはタイ軍兵士6万人が動員され、あちこちに有刺鉄線が張り巡らされ、装甲車が配備されるようになり、ニューヨークタイムズ紙はこれを「占領地のようだ」と非難しています。しかしこれは、ここに戦闘員や武器が自由に往来する国境を超えた「過激派の天国」が構築されてはならないという、タイ政府の決意の証でもあります。

対立や分断の要因に

イスラム教の関わる問題は、武装勢力だけではありません。イスラム教徒の厳格で柔軟性に欠ける行動が社会を分断させ、タイの国家としての調和や統一性を脅かす可能性が指摘されているのです。

2018年の国勢調査によると、タイの人口にしめるイスラム教徒の割合は5.4%で、その数は約370万人です。93.5%を占める仏教徒に次ぎ、イスラム教徒はタイにおける第二の宗教勢力です。

タイでは通年、様々な祭りが開催されますが、なかでも大規模なもののひとつにロイクラトンがあります。川や水場に灯籠を流し水の女神に感謝の祈りを捧げるヒンドゥー教を起源とする祭りなのですが、イスラム教徒はこれには概ね参加しません。

タイのイスラム団体のひとつシェイフルイスラム事務所のウィスット氏は、「我々は山や川を司る神々などというものは信じない。全てを創造した唯一の神アッラーがいるだけだ」と述べています。また灯籠を流すことで前世の業を追い払うことができるという考え方についても、「我々の罪を赦してくださるのはアッラーだけ」として、反イスラム的であるとしています。

毎年ロイクラトンが近づくと、タイのイスラム教徒たちはSNS上で、「我々イスラム教徒はロイクラトンに行かない」とか、「イスラム教にロイクラトンの伝統はない」といったメッセージをさかんにシェアします。

一方キリスト教指導者は、「ロイクラトンは文化でありキリスト教徒もそれを楽しむのは自由」とか、「ロイクラトンに行く人を非難して他人の気分を台無しにする必要などない」といった、柔軟な見解を示しています。

タイでは世俗的リベラル派から仏教強硬派まで、タイのイスラム教徒が「純粋な信仰」にこだわるあまりタイに同化することを拒んでおり、それが対立や社会の分断を招いていると指摘する人が少なくありません。

深南部のマレー系イスラム教徒の中には、タイ当局がタイの法律やタイ語による教育を彼らに「強制」していると反発し、イスラム法の適用や、マレー語をアラビア文字で表記するジャウィ語による教育を要求する動きもあります。

2018年7月には、深南部の11歳のイスラム教徒の少女が41歳のマレーシア人と結婚し第三夫人になった事実が大きく報道されたように、イスラム教の教義で認められている児童婚も広く行われています。

タイが私たちのような外国人にとっても居心地がいいのは、歴史的過程を経て様々な宗教や文化が混ざり合い溶け合うようにして成立してきた国だからこその包容力や、寛容さ、おおらかさに満ちているからでしょう。しかしそこには、その価値には同化せず、あくまでもイスラム的価値を堅持しなければならないと信じている人たちがおり、その事実は多文化共生社会の根幹を揺さぶっています。

多数派が限りなく寛容でありさえすれば多文化共生社会は問題なく成立するに違いない、という思い込みは、幻にすぎないのです。

 

 

タイ深南部のムスリム独立運動 中田考

 

今回は、飯山さんからのリクエストでタイの話をします。きっかけは以下のAFPの記事です

【11月6日 AFP】タイ南部ヤラ(Yala)県で5日夜、民間防衛ボランティアが詰めていた検問所2か所をイスラム武装勢力とみられる集団が襲撃して発砲し、少なくとも15人が死亡、4人が負傷した。軍報道官が6日、明らかにした。タイ南部の武力襲撃としては、過去数年で最悪の犠牲者を出す事件となった。

軍報道官は、「12人が現場で死亡し、さらに2人が搬送先の病院で死亡した。今朝になって別の1人が死亡した」と述べ、襲撃グループが検問所にあったいずれも複数のM16ライフルとショットガンを奪ったことも明らかにした。

マレー(Malay)系イスラム教徒が暮らすタイ南部では、タイからの独立を目指す勢力が中央政府と武力闘争を続けており、過去15年間で民間人を中心に7000人以上が死亡している。

私は「テロ」問題には全く興味がありませんが、本題に入る前に、記事の背景となる事実関係を簡単に説明しておきましょう。「過去15年間で7000人以上が死亡」とありますが、15年前の2004年とは、1月の陸軍基地襲撃事件と同時多発爆弾事件を皮切りに、その実行犯の弁護にあたったソムチャイ弁護士の拉致事件(警察によって暗殺されたと疑われている)、4月に11か所の警察署を襲撃してクルセ・モスクに立てこもったメンバー32人全員が国軍によって射殺された事件、10月にナラティワート県のタクバイ郡で起きたデモに参加して身柄を拘束された住民85人がトラック移送中に窒息死する、という一連の事件が起きた年です。タイ深南部の独立闘争はそれ以前から存在し、1960 年代から 1970 年代にはBNPP(Barisan Islam Pembebasan Patani:パタニ・イスラーム解放戦線)、BRN(Barisan Revolusi National Patani:パタニ革命戦線)、PULO(Patani United Liberation Organization:パタニ統一解放機構)などの組織が結成されています。しかし、1981年に治安、政治、経済などの社会問題を調整する機関SBPAC(Southern Border Province Administrative Center:南部国境県行政調整センター)に創設されて以降、インフラ整備などの開発事業、パタニ・マレー住民の公務員採用、「投降と恩赦」作戦といったタイ政府の懐柔策が一定の効果をあげ、独立運動は下火になっていました。2004年からのタイ深南部の急激な治安悪化の原因は2001年に成立したタクシン政権によるSBPACの解体、深南部への強硬策と2003年の非常事態宣言による警察による恣意的な身柄拘束と人権侵害とされます。2004年に悪化したタイ深南部情勢は、2006年にタクシン政権が倒れた後も、今日に至るまで大きな改善を見ていません。タイ深南部「テロ問題」についてより詳しく知りたい方は、堀部明子「タイ深南部紛争と平和構築イニシアティブ」、竹原かろな「最南部地域の紛争」、Naomi NISHI, “Reconciling National Security, Ethnicity and Religion: Institutional Interpretation of Thailand’s Southern Insurgency”をお読みください。

1.タイのイスラーム

私はタイにはバンコクに一度しか行ったことがなく、南部──「深南部」という方がより適切ですが──には一度も入ったことはありません。しかし、タイ深南部については初耳というわけではありません。それについては後でお話しします。

最初にタイのイスラームの話をしましょう。東南アジアの常としてタイもまた多民族・多宗教社会です。タイのムスリムにも何世紀にも前にタイに移住した中東系ムスリム移民の子孫で何世代もタイに住みすっかりタイに同化している者もいれば、マレー系、中国系(回族)、南アジア系、東南アジア系など様々です。ムスリム人口はタイの総人口の約4%、約400万人ですが、その約半分200万人がマレー系で深南部に集中的に住んでいます。

実は、我々「アラビスト」の間では、タイは昔から不良アラブ人の売春ツアーの本場として知られています。今は便利な時代で、「タイ」、「アラブ」、「売春」のキーワードを入れてGoogleで検索すると、日本語だけでも、バンコクの「アラブ人街」と呼ばれるムスリム集住区の暮らしぶりを詳細に知ることができ、ご丁寧に「グレース・ホテル」という「アラブ人御用達」の有名な売春宿のことまで知ることが出来ます。もちろん、このムスリム集住区も、住民が皆が売春婦、買春客というわけではありません。大半は礼拝やハラール食材を求めて自然に集まって来た「普通のムスリム」です。売春婦から検問所を襲った武装集団まで、民族も国籍も宗教心もさまざまな「ムスリム」が緩やかに繋がるネットワークを作り上げているのがタイに限らずムスリム社会の際立った特色です。

バンコクが不良アラブ人の間で買収ツアーの本場として知られているのと同じように、今回の事件の舞台となったヤラは敬虔なアラブ人、特に湾岸産油国のアラブ人の間で有名です。ヤラにはヤラ・イスラーム大学という立派なイスラーム大学が存在し、この大学はカタルを中心にクウェート、サウジアラビア、UAEなど湾岸産油国の篤志家の財政支援によって出来上がった大学で、私も昔、湾岸アラブ人から日本人ムスリムを留学させるように勧められたこともあります。特にサウジアラビアのワッハーブ派の影響について興味がある方は、西直美「国家統合におけるイスラーム教育の役割:タイ深南部を事例として」をお読みください。

ちなみに、私がタイ深南部について一般の日本人よりいくらか詳しいのは、25年来のつきあいの古い日本人ムスリムの友人がこのヤラ・イスラーム大学の学長の紹介でタイ深南部のマレー系ムスリムと結婚しており、いつも話を聞かされているからです。この夫婦は「タイ人」と「日本人」ですが、アラブの某国でアラビア語で会話して暮らしており、タイ深南部の奥さんの実家での日常生活を日本語のブログで発信してくれています。

なぜ、ヤラにイスラーム大学があるのかと言うと、ヤラ県は同じくタイ深南部のパタニ県、ナラーティワート県(及びソンクラー県の一部)と並んで元パタニ王国の旧領だからです。パタニ王国は最初はヒンズー/仏教王国でしたが、13世紀半ば頃からイスラーム化したと考えられており、最古のマレー系王国と言われています。マラッカ王国(1402‐1511年)がポルトガルによって滅ぼされると、パタニ王国はマラッカに代わってマレー系ムスリム商人の貿易ネットワークの中心になり、著名なイスラーム学者を輩出し、東南アジアのイスラーム学の中心地になります。パタニ王国は、タイのスコタイ朝、アユタヤ朝の属国でしたが、アユタヤ朝がビルマに滅ぼされると独立します。しかしビルマから独立したタイのチャクリー朝に再び征服されパタニ王国は小藩国に分割、属国化され、1902年に最後の王アブドルカーディル・カマルッディーン・シャーが廃位され、パタニ王国は滅ぼされ、アブドルカーディル王はマレーシアのクランタンに追放されます。

パタニの廃王がクランタンに追放されたのには理由があります。というのは、クランタンは歴史的にパタニ王国の一部でありクランタンはパタニ王国が小藩国(スルタン国)に分割された時の一藩国だったからです。クランタンは1909年のイギリスとタイの条約で、現在のマレーシアのクダ、トレンガヌ、プルリスと共にイギリスに割譲されます。この4州は特にマレー人の比率が高く「マレー・ベルト」と呼ばれており、現在でもマレーシアの中で他の地域と違う独自の文化を有しています。

つまりパタニ王国は現在のタイ王国とマレーシア連邦の国境を越えてタイ深南部のパタニ県、ナラーティワート県、ヤラ県、マレーシアのクランタン州、クダ州、トレンガヌ州、プルリス州に跨って存在しており、マレー人ムスリムの歴史的アイデンティーのコアでもあります。アブドルカーディル王とその息子マフムード・ムフイッディーンはパタニーの独立、王国再興運動を率いますが、1954年にマフムードが死ぬと運動は衰退します。

実は、タイは極右民族主義者として知られたピブーンソンクラーム首相の下で第二次世界大戦で日本と同盟して枢軸国側に参加します。クランタン、クダ、トレンガヌ、プルリスの4州は英領マラヤを占領した日本の東条英機首相によって1943年7月にタイへの割譲が約束され、同年10月にタイに編入されます。この4州がタイからイギリスに返還されるのは日本の敗戦後1945年9月です。

日本のイスラーム化は妄想、あるいは夢想の類でしかありませんが、日本によってインドネシアを含むマレー・イスラーム世界が軍事的に占領され植民地化され、神道の天皇崇拝を強制されたのは、古老たちの記憶に残るリアルな「事実」です。私たちは、東条内閣の閣僚としてA級戦犯の被疑者になり公職追放になった岸信介の孫で、彼を尊敬すると公言し、靖国神社に参拝し、戦争放棄と戦力不保持を定める憲法九条の改正を目指すと公言する人物が首相を務める国の国民であることの意味をよく考えてみる必要があるでしょう。精神分析では、自分自身に認めたくない欲求や感情を無意識に他者へと転嫁して自己正当化することを「投影」と言います。イスラームが過度に侵略的で危険だと見える者は、自分自身の姿を相手に投影しているのではないか、とまず自分自身を疑ってみるとよいでしょう。個人であれ集団であれ、自己の実像を直視するのは誰にも難しいものですが。

2.マレー・イスラーム世界

話をマレー・イスラームの話に戻しましょう。マレーシアは憲法第160条でマレー人を(1)イスラームを信仰し、(2)マレー語を話し、(3)マレーの慣習を守る者、と定義し、マレー人をイスラーム教徒と法的に規定している世界でも稀な国です。イスラームは個人と神とのパーソナルな契約関係ですから、特定の民族をイスラーム教徒と法で定める、などということはイスラームの教えにはありません。もちろん、預言者ムハンマドのアラブ人ですらイスラーム教徒だけではなく、キリスト教徒もユダヤ教徒もいます。いや、民族の宗教を法的に定義するような奇妙な国はムスリム諸国だけでなく、世界広しと言えども、マレーシアしかないでしょう。

しかし、その「マレー・イスラーム意識」の高い国であるマレーシアの中でも、このパタニ王国の「継承国」の一つでもあったクランタンは特にイスラームの強い州として知られています。

実は、私がクランタンのこの特殊性を知ったのは、1997年から1998年にかけて日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長としてエジプトに滞在していた時でした。私の先生の一人でシャーズィリーヤ・スーフィー教団の導師ユースフ・バッフール先生の弟子たちの殆どがクランタン州からのアズハル大学留学生だったからです。アズハル大学はスンナ派世界最大のウラマー(イスラーム学者)養成機関ですが、当時マレーシアからの留学生は約1万人でその中でも一番多かったのがクランタン州出身者でした。その縁で、私は何度もクランタンに行くことになりました。クランタンの留学生たちは、皆、当時のクランタン州首相でPAS(マレーシア・イスラーム党)最高指導者ニゥ・アブドルアズィーズ(2015年没)の弟子でもありました。同師は州首相であると同時に、イスラーム学者として、イスラーム寄宿学校を運営していましたが、私もクランタンに行くたびに、州首相府のオフィスや、寄宿学校を訪ねて、同師にお会いし話を伺うことになりました。

PASはスンナ派ですが、「ウラマーの指導」を党綱領にかかげイラン型のイスラーム国家樹立を目指す政党で、マレーシアの政党の中でもイスラーム主義の最強硬派として知られており、同師が州政権を握るクランタン州はその牙城でした。PASと同師について詳しくは拙稿「マレーシア・PAS(汎マレー・イスラーム党)とウラマーの指導」『山口大学哲学研究』9巻9-17頁をご覧ください。PASはこういうイスラーム寄宿学校の先生たちが党の幹部を務め、生徒たちがコアな支持者である政党であり、旧パタニ王国のマレーシア側の「マレー・ベルト」クランタン、クダ、トレンガヌ、プルリスの4州では、このようなイスラーム学者がイスラーム法に基づき人々を指導し国を治めることを理想とするイスラーム政党が一定の支持を集めていました。

前述のヤラのイスラーム大学の件も、こういう文脈で理解しなければなりません。つまり、パタニ王国の伝統と理念を引き継ぐマレー・イスラーム世界の動きであると同時に、アラブ世界との繋がりも共通しています。本当は、マレー・イスラーム世界の遊学の遍歴の伝統、アラブ世界特にイエメンのハドラマウトとの関係などについてもお話ししたいのですが、専門的で長い話になり字数に限りがあるので、興味がある方は自分で調べて下さい。

話をタイ深南部に戻すと、このニゥ・アブドルアズィーズ師もパタニ王国の王族の末裔と言われていましたが、それよりも重要なのはクランタンとタイ深南部の人的・文化的繋がりの深さです。最初にクランタンに行って驚いたことは、クランタンではテレビでマレーシアの放送だけでなくタイのテレビが普通に観られていたことです。

3.タイ・マレーシア国境

幸い、現代のマレーシアのマレー・ベルトとタイ深南部の文化的共通性と交流については、高村加珠恵氏によるいきいきした報告があります。少し長いですが、引用しましょう。

タイ・マレーシアの国境東部の境界線であるゴロック川沿いには「違法に国境を渡った場合、最高1万リンギットの罰金、もしくは5年間の刑に処する」とマレー語、英語、タイ語の三言語で表記された大きな赤い立て看板が置かれている。しかしながら午後の下校時刻ともなれば、学校帰りのカバンを背負った小学生たちがその看板の横を通りすぎ、川沿いで待ち構える6人乗りほどの小さなサンパンボートに乗り込む。彼らはマレーシア側のバンダクチルの小学校からタイ側のゴロックの自宅へ帰宅するのである。粗末な木製の船着場から細長いボートに乗り込むと数分で向こう岸に到着する。ゴロック側の船着場では、フルーツなどの入ったビニール袋をいくつも抱えたムスリム女性たちが乗り込む。彼女たちは、ゴロックで仕入れたフルーツをバンダクチル側の市場で売るのだ。このような光景は、国境の川沿いでごく日常的に繰り返されており、こうしたサンパンボートの粗末な船着場は、国境の川沿いにはほぼ100メーター毎に設置されている。ゴロック・バンダクチル国境沿い住む人々にとって、国境を渡る手段は、橋を越えるか、川を渡るかの二種類に分けられる。しかしながら、川からの越境は、1909年の国境を結ぶ橋の完成によって、事実上「違法」となった。橋の両端に設けられたそれぞれの国家の移民局及び税関によって出入国が公的に管理されるようになったからである。川沿いの看板に記載されている「違法に国境を渡る」行為とは、船で川を渡ることであり、まさに看板の横を毎日通り過ぎる、この学校帰りの小学生や、市場へ向かう女性たちの行為である。そして最も重要なことは、こうしたインフォーマルな越境は、この国境ではごく日常の光景である。不思議なことに川沿いに配備されたマレーシアの国境警備隊(PGA)もまたこうした越境を特に管理しようとはしていない。タイ側においては、国境警備隊の姿すら見られない。一方、バイクや自動車で橋を渡るという行為は、必ず移民局や税関のカウンターを通過しなければならない為、一見すると「合法」的な行為である。しかしながら実際には、多くがAngkat Tangan (手を挙げる)だけであり、越境の際に必要な旅券を提示するケースは非常に少ない。このように朝の国境の橋や川には、南タイからの市場帰りのバンダクチルの住民、バンダクチルの商店に働きにでかけるゴロックの住民、バンダクチルの学校へ通学するゴロックの子供たちといういつもの日常的越境者たちの姿があり、そこにはあたかも国境という領域境界は存在しない。(高村加珠恵「インフォーマルな越境が日常化する空間のメカニズム : タイ・マレーシア国境東部からの考察」)

日本人には、韓国、中国、ロシア、フィリピンの小学生が毎日違法に国境を越えて日本の学校に通ってくる光景はなかなか想像できないでしょう。しかし、タイとマレーシアの国境ではありふれた日常です。それはどちらも歴史的パタニ王国のマレー・イスラーム文化を共有しているからです。マレーシアとの国境に近いこのタイ深南部の人口は約200万人であり、75~80%がマレー語を母語とするイスラーム教徒と言われています。

もちろん、文化の共有はグラデーションですので、ここまで極端なケースは国境の町に限られます。タイ深南部でさえ国境から遠ざかるほど差異はゆるやかに大きくなっていき、バンコクに行けばマレー語を解する者は殆どいなくなります。

高村はこれについて「南アジアという文脈において眺めてみれば、植民地主義という全く新しい政体システムによって、前近代における政体概念を位置付ける『中心』ではなく、『境界線』によって位置づけられる領域概念がもたらされ、その政治領域の地図化が行われていった。近代における地図化プロセスは、まさに国民国家の具現化プロセスであり、その中で国家領土を形づける国境が決定的な意味を持っていた。」と述べています。

説明しましょう。近代国民国家においては、国境は絶対であり、政体は国境の中では絶対的な独立、主権を有します。しかし前近代においては、政体は中心なので、中心から遠ざかればその引力は弱まり、別の中心の引力が強まります。人間も土地も明確な境界によって截然と分けられているわけではなく、大小の多くの中心が引力圏が幾重にも重なっていたのが、前近代の南アジアでした。南アジアだけではありません。前近代の世界は、多かれ少なかれどこでもそういうものでした。東アジアの華夷秩序を考えれば分かり易いかもしれません。日本は室町幕府は明に朝貢していましたが、それ以降は華夷秩序から外れます。ところが琉球や朝鮮は清朝に朝貢する属国でした。琉球王国は日本(薩摩藩)と清に朝貢していました。李氏朝鮮は清の属国でしたが、明治政府が開国を強いたことが日清戦争を引き起こしました。

4.タイとパタニ王国

同じようにパタニ王国も仏教国であるタイの属国でしたが、中心であるタイの王権が弱まると、独立性が高まりました。アユタヤ朝がビルマに滅ぼされた時に独立したのはその例です。逆に王権が強くなると、従属性が高まります。チャクリー朝の下でパタニ王国が分割、弱体化させられたのがその例です。

前近代においても、パタニ王国には内紛もあり、スコタイ王国、アユタヤ王国との戦いもありました。パタニ王国は基本的にアジアの強国タイの属国でした。タイが東南アジアで唯一欧米列強による植民地化を免れた軍事政治的強国であったことを忘れてはいけません。「微笑みの国」などと呼ばれ温和な仏教国のイメージが売り物ですが、タイが仏教国で平和的だ、などというのは歴史的に全くのナンセンスで、パタニ王国のようなムスリムの隣国を侵略しているだけでなく、同じ上座部仏教のビルマとも普通に戦争をしています。現在においてもタイも、ビルマ(ミャンマー)と同じように、軍が政治の実権を握る極めて「暴力的」な国家です。タイの国制と仏教については後に論じますが、政治の大きな話をしなくとも、格闘技ファンなら立ち技最強と言われるムエタイ、最も過激な格闘技と言われるラウェイに熱狂する上座部仏教徒が「平和的」でなどありえないことは誰でも知っています。もっとも、ムエタイもラウェイも神事であって暴力ではない、と言えなくもありませんが。ジハードは神事であって暴力ではない、と言うのと同じです。相撲が神事であって暴力ではない、となるとだいぶ怪しくなってくる気がしますが。

少し脱線しました。話を近代国民国家に戻しましょう。前近代においてパタニ王国がタイの属国であったのと、タイ深南部がタイの領土になったのとはその意味も実体も全く違います。領域国民国家は、まず第一に「領域国家」であり、ついで「国民国家」です。つまり、国家は国境の中では他の何物からも干渉されない最終的で最高の決定権力です。そして国家は国民から成り立ちます。タイは1932年にフランス帰りの極右ファシストの民族主義者ピブーンソンクラームらのクーデターによって立憲君主制に移行しましたが、首相になったピブーンソンクラームは、全体主義的に仏教を国教としタイ語を国語とする同質なタイ国民を創出しようとし、深南部でのマレーの慣習マレー語は禁じられ、仏教徒以外は官職や軍から追放され、多数が仏教に改宗させられました。

前近代においては強国に朝貢して属国になっても、人々の生活はおおむね変わらず、宗教的・文化的に同化されることはまれでした。しかし現代では、属国になって朝貢する代わりに宗教文化的アイデンティティを護るという選択はありません。強国の領域に編入されて、その国民に鋳直されるか、独立するかしかありません。パタニ王国はタイとイギリス(英領マラヤ)に編入されましたが、英領マラヤが日本に占領されると、北部4州はタイに「返還」されましたが、日本の敗戦により、その4州はイギリスに返還され、後にマレーシア連邦の一部として独立しました。現在マレーシアのこの4州は君主制で、マレーシアの国王は君主制の9州の君主の互選により輪番で選ばれます。ちなみにマレーシアの先代(2014‐19年)国王はクランタンのスルタン・ムハンマド5世でした。大日本帝国に編入された琉球王国が日本の敗戦によりアメリカに占領されその後日本に返還されたのに対して、日本が併合した李氏朝鮮が日本の敗戦により大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国として独立したのと類推すればイメージできるかもしれません。

5.タイ深南部の現実

領域国民国家システムが世界を覆いつくした現在、全ての独立運動はナショナリズムの形を取ります。前述のBNPP、BRN、PULOもすべて民族主義に基づくものです。もちろん、現在ではタイ深南部でもパタニ民族主義だけではなく「ジハード主義」も知られるようになっています。事態を理解するには殆ど役に立ちませんが、パタニのジハード主義のレトリックに興味ある方はVirginie Andre, “Neojihadism’ and YouTube: Patani Militant Propaganda Dissemination and Radicalization”をお読みください。 2017年にエジプト政府が反政府運動に連座したとしてアズハル大学のタイ留学生を逮捕しIS(イスラーム国)との関係を示唆した時も、プラユット・ジャンオーチャー首相など政府筋はタイ深南部の独立運動へのイスラーム国への影響を否定しており、「マレーシア・トゥデイ」の記者も、タイ深南部の独立運動は民族主義によると政府発表に同意する専門家たちの意見を伝えています。そもそも、タイ深南部の「テロ」事件は政府の自作自演も疑われており、殆どが真相が闇の中ですので、憶測に基づいて個別の事件を論じても意味がありません。

ここで重要なのは二点です。一つは、第一世界大戦、第二次世界大戦をはじめ、全ての戦争の主要因は、領域国民国家の思想的基盤である民族主義に基づくものであり、他の要因は経済的利害であれ、資本主義や社会主義などのイデオロギーであれ宗教であれ、副次的なものにすぎない、ということです。実際にこれまで何千万人もの人間の命を奪い、今も多くの人間の命を危険に晒している危険な思想は、民族主義です。特に国境紛争、独立運動などは、例外なく、西欧起源の領域国民国家イデオロギーと、地域の歴史・社会・文化的現実の矛盾を原因とするものです。フランス帰りのファシストのピブーンソンクラームが強行しようとしたタイ民族の領域国民国家創出と、高村加珠恵氏の描くパタニ・マレー系ムスリムの生活の「現実」の矛盾が引き起こしたタイ深南部の紛争は、その典型例の一つと言うことが出来るでしょう。

太平洋戦争で何百万人にもアジアと欧米の諸国民と日本人の命を奪ったのも、日本のナショナリズムです。神道や仏教のような宗教は飾り以上のものではありませんでした。それは少し想像力をはたらかせば、日本の現政権内の民族主義極右勢力の構成が、統一教会のようなキリスト教系のカルトだけでなくカトリックまで加わっていることからも容易に推測できるでしょう。しかし、民族主義のような自分自身の信じ込んでいるイデオロギーの邪悪さ、危険性には、人はなかなか気が付かないものです。特に自分がそのイデオロギーを信じているマジョリティーの一員の場合はそうです。「偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう」とのイエスの言葉は現在にも当てはまる真理です。

第二に重要なのは、タイが宗教の庇護者とされ仏教徒で軍の統帥権を有する神聖不可侵な王が治め、しばしば軍事クーデターが起きる強権的な権威主義国家、そして腐敗国家(国際NGOトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数(CPI)の2018年版で調査対象180カ国中フィリピン、コロンビアなどと並ぶ99位)だということです。フォーブスによるとタイの故ラーマ9世(2016年没)は神聖不可侵とされながらも清貧とは程遠く個人資産推定300億ドルで、資産200億ドルのブルネイのボルキア国王、資産180億ドルのサウジアラビア故アブドゥッラー国王を凌ぐ世界で最も豊かな国王でした。豊かな産油国ブルネイ、サウジアラビアと違い1人当たり名目GDP(国連統計)6,595ドル(2017年)で211ヵ国中101位の貧しい国にもかかわらずです。この巨大な貧富の格差の最底辺に位置するのが、タイ深南部のマレー系ムスリムであることも忘れてはいけません。また「アジア平和構築イニシアティブ」が、タイ深南部の紛争を利用して治安部隊が予算を増加させ、麻薬・人身売買などの違法ビジネスの利権の温床にしてきたことが治安回復の障害となっている、と結論していることも、このタイの政治の構造的腐敗の文脈で理解しなければなりません。

タイは仏教国であり、タイ人の多くは敬虔な仏教徒で王室が尊崇を集めていることはよく知られています。少なくとも、先代の故ラーマ9世はそうでした。国体批判を封ずる不敬罪のような強面の法律による弾圧だけでなく、人民の王室への自発的な尊崇によっても、タイの強権体質、政治的腐敗は、糊塗されてきました。しかし、ムスリムにとってはそうではありません。タイの憲法は、信教の自由を保障し、国王を単に仏教のではなく宗教の庇護者と定めており、1945年には「イスラームの擁護に関する勅令」(1948年一部改正)が発せられ、イスラーム学校が設立され、深南部で家族法に関してマレー系ムスリムには一部イスラーム法の適用が決定されました。しかし仏教を信じないパタニ・マレー系ムスリムにとっての、イデオロギー的粉飾を取り去ったタイの国王の実像は、歴史的に自分たちを侵略し抑圧してきた異教徒の専制君主でしかありません。

6.タイ深南部紛争を理解するために

15年間で7000人の犠牲者を出しているタイ南部紛争は多くの民族紛争を抱える東南アジアにおいても激しいものです。それ以上の規模となるともう本格的な内戦になり、フィリピンのミンダナオ島のムスリム(モロ)独立運動ぐらいしかありません。インドネシアから独立する前の東ティムール紛争もそうでした。最初に書いたように、タイにはさまざまなムスリムが住んでいますが、大規模な紛争はパタニ王国の旧領の深南部のマレー系ムスリムの間でしか起きていません。つまり、クルアーンに「彼ら(不信仰者たち)は見つけ次第殺せ」(クルアーン4章89節)と書かれているから、ムスリムが仏教徒を襲っている、というような説明では、タイでは深南部以外でマレー系以外のムスリムが仏教徒を襲っていないことが説明できないということです。この問題を理解するには、宗教対立に還元するのではなく、タイ歴代王朝とパタニ王国の歴史、20世紀以降のタイの政治、経済、社会状況を知る方が重要です。

それには、同じように仏教徒がマジョリティーで多民族、多宗教な社会構成でムスリムが数パーセントを占める東南アジアのミャンマー(ビルマ)、カンボジアとの比較が有益です。ミャンマーもカンボジアも歴史的にはタイと似た仏教国でしたが、それぞれイギリスとフランスの植民地になります。独立後、両国ともに、冷戦下で共産主義・社会主義の影響を受けたため、マジョリティーは仏教徒であっても、政治には仏教は反映されず、むしろ宗教一般に敵対的な政策がとられました。特にカンボジアの1970年から1979年まで続いたクメール・ルージュの支配は極端に反宗教的で、仏教と共にイスラームも殆どの宗教指導者が粛清され、宗教施設(モスク)は破壊され、25万人のムスリムのうち10万人が殺害されました。カンボジアのムスリムはマレー人と近いチャム人で人口の4%を占め集住していますが、迫害されたからといって、タイ深南部のような独立闘争は起きていません。迫害が激し過ぎる場合には、闘争すらできません。スターリン時代の中央アジアのムスリム諸民族などもそうでした。

100万人の人口のうち60万人から80万人が難民化し、世界最悪の難民問題と言われるミャンマーのロヒンギャ問題のロヒンギャ人も同じです。ミャンマーは多民族国家であり、カレン族のように長年にわたって独立闘争を続けている民族も存在しますが、ロヒンギャは一方的に迫害、虐殺、追放されてきただけであり、実体のある独立運動は存在しませんでした。武装グループが(アラカン・ロヒンギャ救世軍:ARSA)が組織され暴動を起こしたのはやっと2012年ですが、このグループにしても刃物と即席の爆発物しかなく武器といえる装備はもっていない、と言われています。現在ミャンマーでは、政府による弾圧だけではなく、ウィラトゥ、パーマイカなどの僧侶が指導する反イスラーム的言説、社会的迫害が急速に広まりつつありますが、ロヒンギャ問題の本質は政治、経済、民族対立であり、宗教対立ではなく、またパタニ独立運動のような独立武装闘争にも転化していません。

タイ深南部の紛争の原因と性格を理解するには、先ず、パタニ王国とアユタヤ朝以来のタイの王朝の歴史的関係、第二次世界大戦から戦後のタイとマレーシアの歴史、そしてタイの内政を知り、

それを東南アジアの文脈におき他の国のムスリムの状況・動向と比較考量する必要がありますが、実のところイスラーム学は役に立つことはあまりありません。本当は、パタニ・マレー系ムスリムの行動を分析するには、Azyumardi Azra, Jaringan Ulama Timur Tengah dan Kepulauan Nusantara Abad Ke-17 dan ke-18のような東南アジア・イスラーム地域研究の基本文献を押さえておく必要があるのですが、残念ながらそこまで精緻な分析をする能力と気力は現在の私にはありませんし、仮にできたとしても、その分析は読者には理解できないでしょう。というわけで、今日はここまでにしておくことにします。

 

中田考(なかた・こう)
1960年生まれ。イスラーム法学者。灘中学校、灘高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(Ph.D)。1983年にイスラーム入信、ムスリム名ハサン。現職は同志社大学一神教学際研究センター客員フェロー。『イスラーム国訪問記』『みんなちがって、みんなダメ』『カリフ制再興 ―― 未完のプロジェクト、その歴史・理念・未来』など著作多数。最新刊『13歳からの世界征服』(百万年書房)。

飯山陽(いいやま・あかり)
1976年生まれ。イスラーム思想研究者。アラビア語通訳。上智大学アジア文化研究所客員所員。上智大学文学部史学科卒。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻イスラム学専門分野単位取得退学。博士(東京大学)。現在はメディア向けに中東情勢やイスラムに関係する世界情勢のモニタリング、リサーチなどを請け負いつつ、調査・研究を続けている。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、最新刊『イスラム2.0』(河出新書)。