第5回 一度点いた火は消せない

セクハラ被害を言語化することはむずかしい。ましてや、それが「よきことをなす人」たちの組織内で起きたときの場合は、さらに複雑な事態となる。そもそも、セクハラはなぜおきるのか。「よきことをなす」ことが、なぜときに加害につながるのか。被害を言語化するのにどうして長い時間が必要になるのか。セクハラをめぐる加害・被害対立の二極化を越え、真に当事者をサポートするための考察。

アカデミー賞授賞式

このところ次々と起きる暴力の話題をどうとらえたらいいのだろう。

アカデミー賞受賞式におけるウイル・スミスの司会者への暴力事件はすでに大きな話題になったのでご存じだろう。ネットのニュースでは、最初「平手打ち」「びんた」という表現で書かれていた。映画制作の現場におけるさまざまな配慮は、21世紀になってから飛躍的に変化している。あらゆる差別に反対するという目的のもとで、ジェンダー・人種・障がいなどの多様性を保つようにさまざまな変化がみられる。2020年にポン・ジュノ監督の『パラサイト』が四冠を受賞したことは、そんな姿勢も影響したのではないかと思う。しかし今回の受賞式の場面をネットニュースで見たとき、すぐに私の頭に浮かんだことは、ああ彼は妻にもDVをふるっているな、ということだった。予想が外れることを願うが、あの反射的ともいえる暴力、その後の放送禁止用語を用いての罵詈雑言は、あの場だけではなく、家族でも起きているだろう。長年実施しているDV加害者プログラムの経験からそう思う。ネット上ではすでに多くの人が、あんなことをされても妻は少しもうれしくない、あれは妻への所有感(自分のもの)が前提となっているのではとコメントしている。おれの持ち物(=妻)をけなしやがって!という怒りは、よく言えばパターナリズムだが、実はDVでは珍しくない光景である。

少し前の時代のテレビドラマには、夫婦で入った飲み屋で妻のことをからかわれた夫が大暴れするという場面がよく登場した。それとアカデミー賞授賞式のウイル・スミスと、どこが違うのだろう。あの事件は、人種差別、フェミニズム、パターナリズムなどのの論点を含んでいる。ネット上に拡散した、たった一枚の写真は実に雄弁である。

映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が下した判断は、ウイル・スミスに対して10年間アカデミー賞関連の活動から追放するという厳しいものだった。これまでの流れを考えると、映画業界の理念を守るためには順当な判断だっただろう。ひるがえって、日本映画界の現状がガラパゴス化していることを浮き彫りにしたように思う。

震え上がる芸能界・文学界・出版界の男性たち

日本映画界の男性監督による性加害の問題は、次々と実名・匿名で被害者が名乗り出ている。それに続いて、映画の原作者でもある若手女性作家たちの声明が発表された(「映画界の性暴力・加害の撲滅を」 三浦しをんさんら女性作家18人が声明 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

注目すべきは、映画界だけでなく、出版界のセクハラ根絶についても触れている点だ。これは大きな転換だ。文学界の周辺で起きていた(いる)性暴力、さらには編集者と作家の関係についても考えさせられるからだ。声明に対しては、想像通りの定番のリプが付いていた(クソリプなどという言葉は使いたくない)。男性と女性に分けることに意味があるのか、ポリコレが行き過ぎている、あれは一部のバカがやることだ、女性だって承知の上だったのでは、などなど。

性暴力は加害者のほとんどが男性なので、DVのように女性だって夫を殴るじゃないかという定番の反論は難しい。そうなると匿名の批判者の内容も定型化せざるを得ない。そのせいか。最近は、沈黙しながら台風が過ぎ去るのを待つという男性が増えてきた気がする。

ちょっとわくわくするのは、「ああ、映画界だけで止めといて。文学界(文壇)に飛び火させないで・・・」と祈るような気持ちの男性作家たちを想像するときだ(意地悪くてすみません)。

一連の動きを見て震え上がっている男性作家、男性編集者は少なくないのではないか。つい最近まで文壇の常識として平気でやってきたことが、ひょっとしてセクハラとして摘発・告発されたりするのでは・・・出版社に憧れてバイトにやってきた女性への言動が、セクハラとしてネットで告発されたらどうしよう・・・。

こうやって怯えている男性たちが、出版の世界、文学の世界に誕生したと思うだけで、個人的にはとてもうれしい。今後少し下火になることはあっても、一度点いた火は消せないだろう。

若くて美しい女性編集者が原稿を取りにいくと、男性作家から性的な言動を受ける、時には露骨に性的関係を強いられるといった逸話を、知人の女性編集者から何度も聞いたことがある。彼女たちは、「まあ、過去のことだからね」とさらっと流すのだが、それくらい「ふつう」のことだったのかと思う。

性加害は相手を人間扱いしない

さて、前回まで本連載では、あからさまに権力的なふるまいをしなくても、「よきことをなす」という存在は尊敬の念を抱かせることで必ず権力を帯びてしまうことについて述べてきた。

尊敬、憧れの対象とされることは、仰ぎ見られることによって、意図せずとも勾配関係の中に身を置くことになる。この危険性を、仰ぎ見られる(尊敬される)存在はもっと自覚すべきだろう。危険性とは、権力を手にしていることに無自覚だと、相手の服従を同意であり、時には喜んでいると錯覚してしまうことだ。

尊敬されることは心地よい。バカにされたり軽蔑されるのと正反対だ。だから「俺って偉いんだぞ」「僕ってこんなこともできちゃうんだよ」という思いを、さまざまなかたちで尊敬してくれる女性に対して示していく。もしくは尊敬されている(=自分の言うことを聞くに違いない)ことを少しずつ確認しながら、性的支配を遂行する。

何人もの性加害者の語る言葉を聞いた経験から、彼らは「少しずつ」段階を踏んで実行するのだということがわかった。言うなれば、プロセスそのものが性加害なのだ。

何度も話題にのぼっている監督の言動は、このプロセスが驚くほどわかりやすい。このわかりやすさは、おそらくこれまで何度も成功体験を積み重ねることで、方法が「洗練」されてきたからだろう。もしくは見事なチームプレイが行われていたからだろう。

しかし、そこまでしてやり続ける動因は何だろう。よく言われる「女好き」「異様な性欲」という言葉は無意味だ。それは行為者である監督を動物の地位におとしめることになるからだ。彼を人間扱いする必要がある。そのためには「異様」だとするのではなく、作品の中だけでなく、自らそれを実行したことの責任、女性を人間扱いしなかった責任を取るように求めることだろう。

性加害と子ども虐待、そして独裁者

一つ確かなことは、これまでずっと踏みつけられてきた人ほど、尊敬され仰ぎ見られることを渇望し、それが得られたときに深い快感をおぼえることだ。そして、尊敬されることの裏側にある服従への許可を同意として意訳し、権力を行使したくなるのだ。

仰ぎ見られたことのない女性が、初めて全幅の信頼を置かれ身をゆだねられるのが子どもである。子どもを思い通りにいたぶれば、子どもは泣き、怖れ、怯える。自分の行為が相手に影響を与えたことで力を確認することができる。性加害はもっと直接的に相手に侵入することで、力を確認できるのではないか。この「力の感覚」がどれほど心地よいことか。その延長線上に独裁者の満足感がある気がする。

女性から仰ぎ見られることがそのまま性的行為の同意と解釈する男性があまりに多い。それには幼いころから見聞きするカルチャーが影響しているはずだ。先日の日経新聞の一面広告の「たわわ」問題もそうだ。https://natalie.mu/comic/news/472548

あの広告を見て元気になるのは男性の一部だろう。女性読者を想定していないどころか、不快になる人が多いことを知らないのだろうか。

本音では、アイコン化された短いスカートやはち切れそうな胸の絵柄が「性的対象化」だと思っていないだろう、もしくはそれが何か?と思っているのではないか。あれが問題だと言っているのではない。月曜の新聞に「元気にさせるために」として全面広告が打たれたことを問題視しているのだ。

多くの女性たちは、長年男性たちの視線を内面化し、街中や夜道、電車の中で「性的対象化」されることを前提として生きてきたのである。

それこそ生まれてからずっと、「女性のほうもそれが気持ちいい」という男性の言葉を内面化してきたので、痴漢などの性暴力に遭えば、自分に隙があったからだと女性は自分を責めてきた。ときにはそれを逆手にとって、男性に対する支配の道具にしてきたことも事実だ。しかしそこだけを切り取って、男性の被害者性を強調されてしまう傾向はいかがなものかと思う。

その人がやったことと作品の評価

ひとりの女性作家が、文壇の集まりの席上で、高名な作家からお尻を触られたことについてエッセイに書いた。私はたまたまその文を文芸誌で読み、あの作家が、とひどく驚いたことを覚えている。今回彼女は、実名は挙げずにそのことをtwitterで述べている。エッセイの反応が期待に反してまったくなかったこと、つまり無視されたことに驚いたと書かれている。触られたこともショックだったろうが、この構造は、「よきことをなす」人からのセクハラ被害の常道ともいえる。尊敬される人であればあるほど、周囲はそのことを「なかったこと」のように無視するのだ。

特に、加害者と同じジェンダーである男性はみごとなまでに沈黙を保つ。「それは勘違いだよ」「あなたが敏感すぎるんだよ」「それって思い違いじゃないの」といった言葉を事後的に掛ける人もいないわけじゃないが、ひたすら、なかったことのように聞かなかったようにふるまうのだ。

その作家のファンである男性は、「そのことと書いた作品は無関係だ」と反論する。彼自身考えているのは次のようなことだろう。

「お尻を触ったくらいのことで、騒ぐ必要があるのか。あの偉大な作家を貶めようとでもいいたいのだろうか。そんな誰でもするようなことで、あの偉大な作家の権威が汚されることは避けたい」

その人がどんなことをしようと、作品は独立して評価されるべきという意見があることはわかる。しかし多くの読者にとって、作品と作者を切り離すことはできないのではないか。太宰治の作品と、彼が最後に玉川上水で女性と入水自殺したことは切り離せない。少なくとも高校時代の私は、太宰の遺体が引き上げられる光景の写真を食い入るように見ながら彼の作品を読みふけったのである。

三島由紀夫の割腹自殺と彼の作品は切り離せないからこそ様々な三島由紀夫論が出て、作品の解釈が豊かになるのではないか。石川啄木の作品には娼婦との関係を書いたものが多いが、時代がそうであったとはいえ、お金で女性を買う行為の延長線上にあの血の出るような短歌が生み出されたのだと私は思う。

とすると、あの大作家が、若手女性作家と同席した際、ごくごく自然にお尻に触っていたこと、それもたった一度ではないことと、彼の作品はつながっていると思う。

誤解を防ぐために言うが、性加害者の書いたものはすべて否定するという暴論とは無縁である。作家像が多様性を増せば、それだけ作品の読み方も豊かになるはずだということをお伝えしたい。

個人的経験から思うこと

個人的な経験だが、大勢の前で怒鳴られたことがこれまでで3回ある。回数をおぼえているのは、私自身が他人から怒鳴られた経験がなく育ってきたからだ。それは幸運だったが、言い換えれば怒鳴られることへの耐性を持たなかったともいえる。

いずれも、演者が男性ばかりのシンポジウムや会議の最中だった。紅一点(古い?)の私は、フロアの男性から、時には精神科医から怒鳴られたのである。屈辱を感じると余計に冷静になる癖があるので、表向き平然としていたが、内心はショックで呆然とした。どこかで、同じシンポジストの男性がそのことを問題にしてくれるかという期待があった。しかし彼らは、平気な顔をしながら、何事もなかったかのように議事進行を急いだのである。中には怒鳴った男性に向かってニヤニヤする人までいた。私にとっては、そのことも同じくらいショックだった。

不思議なことに、あまりに「なにごともなかった」ように扱われたために、私自身も「あんなことなんでもなかったんだ」と思おうとしたのである。そうか、あんなことよくあることだから、みんなはふつうに議事進行したんだ、私が感じすぎたんだ、と。

しかしシンポジウム終了後、怒鳴られたことでふらふらになってしまったのだ。

少し余裕ができてから、あの場で私ができたことは何だろうと何度も振り返ってみた。

「おっしゃる内容は理解できますが、そのように怒鳴ることは暴力的ではないのでしょうか。もう少し別の言い方でお話ししてくださいますか」

がんばればそう言えたかもしれない。しかしそれは私の任だったのか。司会者が適切に介入して、私との間をつなぐ必要があったのではないか。もしくは私の方から司会者にそのことを依頼することもできたかもしれない。

私のほうから、相手の調子に合わせて逆襲し啖呵を切ることもできただろう。

「そういう言い方、どうなんですか? それってあなたの言ってることと矛盾しますよね。・・・」

しかし、壇上の私には無理だった。怒鳴られたことで冷静を保つだけでせいいっぱいだった。

終了後、私の傍に寄ってきて「信田さん大丈夫でしたか?」と声を掛けてくれたのは、DV加害者の当事者としてシンポジウムに登壇していた一人の男性だった。「いやあ、こんなこと慣れてますから、だいじょうぶですよ。心配してくれてありがとう!」と答えたのだが、それがどれだけ助けになったことだろう。

彼だけがあのできごとを気に掛けてくれたのである。そのほかの参加者は軽やかに談笑しており、そうやってシンポジウムは無事終了したのだ。

その二年後、彼は、うつ病で自殺したと人づてで聞いた。10年以上前の話だが、怒鳴られたこととセットになった、あの「なかったことにしてスルーする」男性研究者や援助者たちの態度が、今でも忘れられない。私は心の中でつぶやいた、「正体見たり」と。どれだけ非暴力やフェミニスト的言説を紡ごうとも、多様性を掲げて平和を謳おうと、あの時の態度がすべてを物語っている。残念ながら全員男性であるが、彼らを信用できないという思いは今でも変わらない。

戦争と性暴力

高名な作家だけでなく、研究者などによるセクハラ問題はもう挙げるのもいやになるほどだ。女性を性的対象とすることと人間としてかかわることがどのように整合性を持つのかについて、論考を読ませていただきたいとさえ思う。

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』(2013、ちくま学芸文庫)は支配・被支配の構造に関する古典的名著だ。1577年に著された本書は、ボエシが10代後半で書いたものだという。そのことに驚かされるが、それほど長くない論考なのにそこで書かれていることが、21世紀の今、性暴力をめぐる状況と大きくリンクしていることにも驚く。M.フーコーも述べているように、権力・力とは、荒ぶる強制ではなく、性をめぐる常識や、尊敬や正義という価値の下で発生し、結果的に従わざるを得なくなるのだ。

いっぽうで、可視化された国家の暴力を私たちは日々テレビの画面で見ることができる。ロシアのウクライナへの武力侵攻の先は見えないままだが、その対極にあるかに見える性暴力と戦争は深いところでつながっている。「慰安婦」問題に関する数々の論考は、まさにその点をめぐって書かれたものだ。性暴力被害者の声が上がりつつあるのは、ウクライナの問題と大きくリンクしているのではないかと思う。

最後に、前回予告した内容と大きく違ってしまったが、できるだけオンタイムで生起する事象について考えていきたいという私の希望からこうなったことをお伝えしたい。

 

 

1946年生まれ。公認心理師・臨床心理士。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。1995年に原宿カウンセリングセンター設立、現在は顧問。アルコール依存症、摂食障害、DV、子どもの虐待などに悩む本人や家族へのカウンセリングを行なってきた。『母が重くてたまらない』(春秋社)、『DVと虐待』(医学書院)、『加害者は変われるか?』(筑摩書房)、『家族と国家は共謀する』(KADOKAWA)、『アダルト・チルドレン』(学芸みらい社)、『家族と災厄』(生きのびるブックス)など、著書多数。

第4回 「そんなことをする人ではない」という尊敬が矛盾を生む

セクハラ被害を言語化することはむずかしい。ましてや、それが「よきことをなす人」たちの組織内で起きたときの場合は、さらに複雑な事態となる。そもそも、セクハラはなぜおきるのか。「よきことをなす」ことが、なぜときに加害につながるのか。被害を言語化するのにどうして長い時間が必要になるのか。セクハラをめぐる加害・被害対立の二極化を越え、真に当事者をサポートするための考察。

スターのような

やっぱりすごい、Fさんの映像は全然違う。43歳のB子さんは通勤電車でYouTubeを見ながらつくづく感嘆した。3年前に評判になった某地方都市における技能実習生のドキュメントは、YouTubeで何万人ものviewがついていた。

ひとまわり年上のFさんは、B子さんの勤務するテレビ局の中でも、骨のあるドキュメントを経営陣に抗して作り続けている社員として知られていた。どこのテレビ局も、このところ若者のテレビ離れが著しいので番組編成に頭を悩ませているが、55歳という第一線を退いてもいい年齢のFさんは、文章もうまく対外的発信力があるために、その制作姿勢はなんとか大目に見られているというもっぱらの噂だった。いわゆるスター社員として厚遇されていたのは事実だろう。

目が合った

31歳で結婚し、息子がやっと小学校3年になったB子さんは、もう少し仕事に本腰を入れられたらと考えていた。あまり関係のよくない実母だが、同じ敷地の中に住まわせてもらっていて、孫のめんどうもよく見てくれるので結果的には助かっている。

一昨年の4月、新しい企画が立ち上がり、B子さんもチームの一員として加わることになった。メディア各社がコンプライアンスという慣れない言葉を使い始めたのがもう15年ほど前になる。そして今度はSDGsである。目新しいコンセプトのもと、お茶の間に受け入れられるようにバラエティーの要素も取り入れるにはどうすればいいのか。Fさんにもアドバイザーとして加わってもらうことにした。コロナ感染拡大のため緊急事態宣言が発出されたが、テレビの放送を止めることはできない。手探りで感染防止を図りながらB子さんも出勤を続けた。

第一回の会議の席上、Fさんの発言の仕方が思ったよりずっとマイルドだったことに驚いた。これまでも同じ社内で姿を見かけたことはあったが、どこか雲の上のひとのように思っていた。海外赴任経験もあり、ドキュメンタリーの中に鋭い政治的批判が内包されているのが持ち味となっていた。チームの同僚によれば、アフリカに出張した際にはずいぶん危険な目にも遭ったとのことだった。

席上で、たびたびFさんと目が合った。マスク姿だから余計意識されたのかもしれない。B子さんはコンタクトレンズを付けているが、それでもときどきぼんやりしか見えないくらい近視がひどい。視力のせいかと思ったが、目が合うことは不愉快どころか注目されているようで悪い気はしなかった。

強引な誘い

それから数日後Fさんからメールが届いた。

「企画チームのアドバイザーとしてお役に立てているかどうか気になっています」という書き出しに続けて、次のような言葉が書かれていた。

「ぶしつけに見つめてしまい、もし不快に思われたらごめんなさい」とあった。社内メールだったし、会社自体がハラスメント防止には神経をとがらせる雰囲気だったので、そこに何か意図があるとは考えられなかった。Fさんのような社会問題に精通したひとが、ハラスメントのことを知らないはずはないとも思った。何より今回の企画主旨がジェンダー平等にかかわるものだった。

それに目が何度も合ったことは、B子さんも記憶していたので、返信はきわめて丁重に「そんなことはありません」と書いて送った。

翌週、Fさんから食事に誘われた。

すこし強引にも思えたが、尊敬する先輩でもあり、あのような社会正義に溢れた番組を作り続けてきた人だという信頼があったので、食事をすることにした。

イタリアンのレストランで、おいしそうにチーズを食べながら、Fさんは饒舌に語った。

「とっても素敵だ」

「週一回のあのアドバイザーの時間だけが楽しみだ」・・・

B子さんは驚いてしまった。もともと尊敬していた人だし、今後も企画実現のためにはお世話になるだろうと思って、できるだけ心証を害しないように、今起きていることを好意的に解釈しようと努力した。何度も自分の左薬指の結婚リングを見せつけるようにして、ナイフとフォークを使った。

カードで支払いを済ませたFさんは、地下鉄の駅まで歩きながら、来年には退社しフリーになる予定だと言った。知名度も高く、ドキュメンタリー映像作家からも尊敬されているのだから、フリーになればもっと活躍の場が広がるだろう。パンデミックの衝撃も、たぶん彼は作品の栄養にしていくだけの力量を持っているはずだ。そんな想像が湧いてきたが、それを伝えるのは出過ぎているような気もした。

別れ際に「退社されることはとても残念です」と伝えたら、Fさんは「そうなったら個人的に会えばいいから」と言った。そこにはなんの葛藤もなく、当たり前のことのような自然さがあった。

別れてから、Fさんの心証を害さないようにできただろうかと何度も思い返した。そして、尊敬するFさんの数々の発言は、あの世代の男性には「よくあること」「単なる軽口」ではないかと思おうとした。

からかいなのか

その後Fさんからのメールは頻度を増した。

食事をともにしたからなのか、文体もくだけたものになり、「ときめいてしまった」「ほんとに素敵で若いころのようにドキドキした」と書かれるようになった。そして、少しずつ内容も変わってきた。

「もっとリラックスできるところで飲みましょう」

「自分の振る舞いに気をつけないと、なんだかタガが外れそうだ」

この文章を読むに至って、B子さんの困惑・混乱は極度に高まった。

この混乱を誰かに相談できるとも思えず、ずっと抱えるしかなかった。

食事場面で何か勘違いをさせるような言動をしてしまったのではないか、いや結婚指輪を彼は見ているはずだし、子どもの話題も出したはずだ。私が既婚者で小学生の息子がいることも知っているはずだ。これまでずっと尊敬してきたFさんが、まさか自分を女性として誘うことなどありえない。私が何か誤解されることをしたからなのか。でもずっと気を遣っていたからそんなはずはない。とすればあのメールは何だろう。そうか、あれは彼がからかっていたのだ。私をからかってみただけなのではないか。その反応を楽しんでいるのだとすれば…。B子さんはだんだん腹立たしくなってきた。私をからかいの対象とするなんて、それはあんまりだ。でも考え違いかもしれない。

彼がいったい何を意図していたのか、ちゃんとそれを確かめてみなければならない。

そして「ごめん、からかってしまって」と彼があやまってくれれば、百歩譲ってなんとか許せるだろう。

このようなことを来る日も来る日も頭の中でぐるぐると考え続けた。

ショックのあまり

そして夏休み前のある日、短時間カフェでFさんと会うことにした。

ずっと考え続けてきたことを思い切って尋ねてみた。もちろん「失礼かもしれませんが」「こんなことを聞いて気分を害されるかもしれませんが」といった丁寧すぎるほどの前置きは忘れなかった。

それに対して、Fさんがどういう言葉を返したのか、実はあまり記憶がない。それくらいショックを受けたからだろう。確かなのは、「からかってなんかいない」という部分だけだ。それに加えて、「会議中になんども僕と目が合いましたよね」と何度も言われたのである。

会社が夏休みに入り、息子が塾に通うようになり、研究職の夫がオンライン授業の準備でいらいらしていたことも重なり、B子さんは食欲を失っていった。もともと夏に弱い体質だったが、体重も徐々に減っていった。

夏休みが過ぎ、9月になっても食欲は不振のままで、体重が3キロも減ってしまった。不眠も始まり、在宅勤務の時間は起きていられずに倒れるように横になったり、涙が突然流れ始めて困るという事態も出現した。

ハラスメントの構造

ここまでお読みになってどう思われるだろうか。

もちろんB子さんは架空の人物である。リアリティを増すために具体的な設定を書いているが、それらもフィクションであることは言うまでもない。

「いや、こんなの大したことじゃないでしょ」「よくあることですよ」「この女性、特に何かされたわけじゃないですよね、触られてもいませんし」と反応される方も多いだろう。

しかしB子さんの例を取り上げたのは、怒鳴られたり、身体を触られたり、卑猥な言葉を投げかけられたりなどされていないからなのだ。具体例として示されるようなわかりやすいハラスメントではないぶんだけ、どこかハラスメントの本質(というものがあるとして)がよく表わされていると思うからだ。

彼女が苦しむようになるのは、Fさんに対する深い「尊敬」があったからだ。彼の行ってきた仕事、それに対する社会的評価の高さ、社内的立ち位置の独自性、すべてにおいてB子さんの憧れであり尊敬の対象だった。

本連載で前回とりあげたキーワードは「尊敬」だった。B子さんの困惑、混乱、身体的症状のすべては、まさに尊敬ゆえに生じたと考えるべきだろう。Fさんという男性への尊敬と、自分に対する彼の言動をどのように整合性をもたせればいいのか。この矛盾・両立不能性をどのように抱え込めばいいのか。巨大で深いギャップをどのように埋めればいいのかについて、日々懊悩するしかなかったのである。

ハラスメントの被害者たちは、その場ですぐに「自分はハラスメント被害を受けた」と思うわけではない。もちろん例外的に即座に反応するひともいるかもしれないが。

多くは事後的に、B子さんのように、自らの経験がなんであるかについて苦しみぬいた末に「ハラスメント」という言葉にたどり着くのである。しかしその道は平たんではない。山あり谷ありどころか、二つの落とし穴がある。これは避けることのできない陥穽である。まず1番目の落とし穴について述べよう。

「私が誘った」という落とし穴

一番よく陥るのが、自分が誘ったのだという解釈だ。尊敬する相手は「そんなことをするはずがない」ひとなのである。とすれば私がそうさせてしまったのだ。あんな行為をさせるように私が誘ったのかもしれない。そう、私が誘ったのだ!そう考えると、整合性が生まれる。それに伴って、あれもこれも、相手を誘う行為に思えてくる。整合性とひきかえに、自分が途方もなくひどい人間に思えてくるのだ。

このような思考のプロセスは、性暴力被害者にほぼ共通のものだろう。たとえレイプされたとしても、まず思うのが「隙があった」のではないかである。それくらい、深く女性たちは身を守らなければならないと思わされてきた。

今でも、鉄道の駅に貼られた痴漢防止のポスターには、「防止の責任は女性にある」という主張が繰り返されている。そんなに胸が開いた服装は危ない、スカートが短い、といった警告は日常的だ。男性とふたりで酒を飲むこと、暗い夜道をいっしょに歩くことは、性的同意であると男性には翻訳されてしまうらしい。こうやって女性の側が誘ったという説は、昭和の時代からほぼ変わらず生き続けている。

精神分析の祖と言われるフロイトが、多くの近親姦(性虐待)被害を訴える女性たちを診ていたことはよく知られている。その中から、彼の有名な「誘惑説」が誕生した。父や兄から性虐待を受けたというよりも、むしろ彼女たちが無意識的に誘ったのだと唱えたのである。このフロイトの説があまりにひどいのではないかと言われるようになったのは、つい最近(1990年代に入ってから)である。今でもこの説を信じている専門家は少なくないのではないかと思う。19世紀末のウイーンでは多くの人々から支持されたことは言うまでもない。

「そんなことをするはずもない尊敬の対象」の言動によって、多くの被害者は、「矛盾」「両立不能」を解決して「ギャップ」を埋めるために、自分が誘ったのだと考え、深くそんな自分を責めるのである。自責の果てに、体調を崩し、不眠状態に陥り、感情が不安定となる。それは外部からは見えない。他者に相談すれば、尊敬の対象を壊してしまうのではないかと怖れるのである。B子さんのように、すべては被害女性の頭の中(記憶の整合性)で起きているので、周囲からはまったく理解不能である。その孤立感が、ますます被害者を追い込んでいく。

多くのひとたちは、セクハラを騒ぎ立てる風潮に内心では反感をおぼえているだろう。おおげさだ、これまで平気だったのに急に言い募るなんて逆ハラスメントじゃないか、などと。

B子さんの例が示すものは、「そんなことをする人じゃない」という尊敬(信頼)と矛盾する言動が、どれほど深い影響を与え、どれほど長期化するのかということである。

 

次回はもうひとつの落とし穴(陥穽)について述べてみたい。

 

1946年生まれ。公認心理師・臨床心理士。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。1995年に原宿カウンセリングセンター設立、現在は顧問。アルコール依存症、摂食障害、DV、子どもの虐待などに悩む本人や家族へのカウンセリングを行なってきた。『母が重くてたまらない』(春秋社)、『DVと虐待』(医学書院)、『加害者は変われるか?』(筑摩書房)、『家族と国家は共謀する』(KADOKAWA)、『アダルト・チルドレン』(学芸みらい社)、『家族と災厄』(生きのびるブックス)など、著書多数。