第7回 9月1日/9月22日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

9月1日

「夏が終わろうとしている、となんかええ雰囲気の書き出しみたいになってるけども、単に8月終わったし、ほんとうにこの夏はなんやわからんままに過ぎてしまったという話で」


夏が終わろうとしている、となんかええ雰囲気の書き出しみたいになってるけども、単に8月終わったし、ほんとうにこの夏はなんやわからんままに過ぎてしまったという話で。

夏になるちょっと前は、感染者数も増えていってるし、ワクチン打てるんやら打たれへんのやら全然状況見えへんし、お店もみんな営業できへん状態やのに、なんやかんやいうてオリンピックやらへんのやろ、やるわけないよな、という気持ちもどっかであり、でもなにごともなくというか、つつがなく進行しますという感じでなんかやるらしい。と、書いて「つつがなく」ってどいういう意味やと思って調べたら「つつが」=「病気などの災難。 わずらい。 やまい。」って出てきて、つつがめっちゃあるやん、つつがまっただ中やん。

こんな状況でオリンピックをやるなんてどうなるんやろ、と状況が想像もつかなかったけども、実際オリンピックが始まって東京にいるとますますよくわからないというか、近所はもちろん街なかに出てもオリンピックってどこでやってるん?という感じのまま始まったり終わったりしているらしく、東京にいるのに「TOKYO2020」どこ?、東京にいるからこそ「TOKYO2020」どこでやってるん、「TOKYO2020」て今2021年やのに全部「2020」になっててパラレルワールドみたいになってるやん、といううちに、ただただ、いろんなことがしんどい夏やったなあ、と、それだけが自分の中にある。

とりあえず無事にワクチンを2回目まで打てたのはほっとした。それでもまだ友人に会ったりはできないままで、おもに液晶画面上の文字でやりとりしてるねんけど、ちょっと前に友達とした話。どこも出かけないし話題が液晶画面で見たことばっかりになり、液晶画面で見たことを液晶画面で話している。ツイッターに流れてきたこんなツイート。バスでお年寄りに席を譲ることについて、子供になんで?って聞かれて、「お年寄りは若いときに働いて道路や街を作ってあなたが暮らす世界を用意してくれていたからそのことに感謝するためよ」と言った母親がいてそれを見ていた人が「完璧な回答」と書いてある。

それが何万いいね!になってたことについて、友人と話し合った(液晶画面上で)。

そういう言い方は納得するのかもしれないけども、完璧な回答ではないし、むしろよくないんちゃう?とわたしは思う。その人が立ってるのがしんどそうやから、その人よりも元気な自分が譲る、でいいやん。なんでそれ以上の理由がいるん? それは「自分に役に立った人だから助ける」っていうことになるんちゃうの?

パラリンピックをやっていて、わたしはもしコロナがなくて通常通りにオリンピックが開催されていたらオリンピックは絶対見ないけど(昔はオリンピックがある度に中継をあほほど見ていたのですが、見なくなったのには理由があってそれはまた今度。日本での開催はずっと反対です)、パラリンピックはなにか観に行こうかなと思ったりもしていた。

パラリンピックは障害のある人のこと、障害があることを取り巻く世の中の状況について知る機会になるというのはとても意義があることやと思うけれども、一方で、パラリンピックで目にすることができる障害者のあり方はある一面、一部分なのだけれども、そのことが容易に「がんばってるから偉い」方向になりがちな危うさがあるとも思う。

パラリンピックが開催されてる中で見たその座席を譲る理由のツイートは「がんばったから認める」「自分にとって認められるラインだからOK」のような、たぶんそれを言うたりいいねをしたりする人はそうは思ってない、むしろ「人を思いやる気持ち」と認識していそうな感じを、なんていうたらええんやろな、と考えてしまう。

日本だと「困ってる人を助けるのは思いやり」と教えられるけども、だから電車で席を譲って断られたりしたら傷ついたり、相手の態度がよくないみたいなことに怒ったりするのかなと思う。その人の目の前になにか困ること、足りないもの(座れない座席とか上がれない階段とか)があって、たまたま居合わせた自分がそれを手伝えるから言うてみるだけで、それがその人にとって必要なときもあれば必要じゃないときもある、っていうだけのことでなんであかんのかな。その人ががんばってるから、社会に貢献してきたから(誰の基準で?)って、別に関係なくない?

と、いうようなことを思っても、オリンピックもパラリンピックもほんまに同じ街でやってるとはまったく思えないうちに終わって、夏も終わって、でも商店街の飲食店は閉まったまま。

 

9月22日

「あれ、明日祝日なんや、と直前になって気づくのがいつものことなのは、わたしが曜日があんまり関係ない生活をしているからで、こうなってからすでに20年以上経っているので何月に何の日があるんやったっけ?となっている上に、会社を辞めて以降に新しくできたり変更になったりした祝日についてはよりいっそうわからんというか、カレンダーを見て『こんなんいつからあるん?』と思ったりする」


あれ、明日祝日なんや、と直前になって気づくのがいつものことなのは、わたしが曜日があんまり関係ない生活をしているからで、こうなってからすでに20年以上経っているので何月に何の日があるんやったっけ?となっている上に、会社を辞めて以降に新しくできたり変更になったりした祝日についてはよりいっそうわからんというか、カレンダーを見て「こんなんいつからあるん?」と思ったりする。山の日? 海の日??

いつのまにか決まってた、みたいな感じがするけれども、こういうのも国会とかで審議とか議決とかしていて、過程もある程度は報道されてたとは思うけども、細かく気にし続けていないと「いつのまに決まったん」という感じになる。

今はこういう生活をしていますが、会社員やその前の学校に行っていた時代は祝日が増えるのはうれしかったわけで、祝日ない月も祝日あったらいいのにと思ってたし、連休もすごく楽しみだった。確か日本の祝日は結構多いはずで、その上、前は日が決まってた祝日を月曜にずらしたりして連休できやすくしたりもして、でもそうしないとあかんというのは仕事を休みにくいからで、有給休暇をとりやすかったりすればこうして祝日を増やしたりずらしたりすることもないんよね。有給休暇は理由にかかわらず休める権利なのやけど、日本の会社では多くの場合、「休むと周りに迷惑がかかる」という意識や圧力がすごく強くて、わたしも働いてたときは年に1、2日しか使わなくて辞めるときは20日くらい余ったままになった。

秋にも大型連休を作って内需拡大、のような要望が「経済界」からあって今みたいな祝日になっていて、でも連休は混むし値段も高くなるし、ほんとうはいつでも休みやすくしたほうがいいと思うのにそっちの方向には行かないで無理やりな理由で祝日を作ったり動かしたりすることが続いてきたのは、なんかすごく自分がこれまで47年生きてきたここの社会の感じやなと思う。それはすごく「社会」だし「政治」だし、自分の日々の生活はその「社会」と「政治」に左右されていて、日々を過ごしやすくしたい、てきとうに暮らしたい、と思うこと、実際にそうしようとすることはそのまんま「社会」とか「政治」とかに関わること、どうにかしようとすること、とずっと思っていて、そういう中で突然首相が辞めたり選挙があったりする。

ここでは祝日のことを書いたけど、もちろん、消費税とか社会保険とか雇用とか保育園とか地域の格差とか、生活してる中で関わるあらゆることがつながってる。

わたしはてきとうに暮らしたいだけ、だけれども、その「だけ」のためにやり続けなければならないことがようさんある。思うようにならない世の中でも、少しでもてきとうに暮らせるように、やり続けること。「決まってしまったから仕方ない」「世の中そういうものだから」と思わずに、抗い続けること。だって実際に仕組みや規則は変えていけるのだし、仕組みや規則のために人がいるのではなくて、人のために、人が生きやすく、暮らしやすくするために、仕組みや規則を作っていくのだから。

新型コロナウイルスの感染者数が急激に減ってきて、ようやくほっとして、だけど、このよかったという感じによって仕事を失った人や経済的に苦境にある人のことや、医療関係で想像を絶するほど大変だった人のことも、いろんな苦しい経験をした人、今も進行形で苦しんでいる人のことも、直接関わりのない人にとってはなんとなくうやむやに、置き去りにされていくんじゃないかと危惧していて、それは今までの災害でもそうで、なんでいつもそんなふうにすぐに状況に慣れてしまうんやろな、と思う。今現在も、厳しい状況にいる人はこんなにもいるのに。

わたしの生活の細かいことについてちょっと書いておくと、自分で作るごはんには完全に飽きていて、作るのも食べるのも面倒になりつつあり、遺伝的な体質で高脂血症とかになりやすく、そういうのの対策などを検索していると大豆製品がすすめられるのやけど、納豆は嫌いやし、最近豆腐も嫌いになりつつある。ここで「嫌い」とさくっと書いてしまったけど、もう少し詳しく書くと、食べれんこともないが好きではない、自分で積極的に食べたいと思わないが外食などでおいしく料理されたものが出てきたらよろこんで食べます、くらいの感じで(だからもしどなたか親切な方がわたしになにかご馳走をしてくれようとしたとしてそれが納豆や豆腐だとしてわたしはうれしいし食べるしおいしいと思います。食べられないものはパクチーだけです)、豆腐はそんなに好きじゃない度が時期によって変化する。どうも、やわらかい食べ物があんまり好きじゃないみたいやねんな。それで、豆腐をどうやったら食べれるかをあれこれやってみたのやけど、よかったのは「キッコーマン サクサクしょうゆ」でした。これは数年前に流行った「食べるラー油」のしょうゆ版というと伝わりやすいでしょうか、油にフリーズドライしょうゆとフライドガーリックとかフライドオニオンとかが入ってて、卵かけごはんでもめっちゃおいしいです。

こういうのをいろいろ開発して販売してくれる人たちがいて、わたしはなんとか一日一日を暮らしていけています。

 

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。

第6回 6月6日

作家・柴崎友香による日誌。「なにかとしんどいここしばらくの中で、「きっちりできへんかったから自分はだめ」みたいな気持ちをなるべく減らしたい、というか、そんなんいらんようになったらええな」という考えのもとにつづられる日々のこと。「てきとうに、暮らしたい」、その格闘の記録。

6月6日

「6月6日にUFOが来なくて、鳩が来る」


6月6日にUFOが来なくて、鳩が来る。

3日前に、出かけようとする間際、台所の換気扇から妙な音がすることに気づいた。
少々古い建物なので、風が強い日はばたばたと鳴りやすい換気扇だ。そういえば、昨日かおとといも、音がする、と思った覚えがある。いつもの風のときと、ちょっと違う音だったから、「音がする」と意識したのだ。
違う。ばたばた、ではない。かちゃかちゃ、ともっと軽い音だ。その瞬間、わたしの頭の中で、いくつかの考えがつながった。慌てて、リビングの窓を開け、換気扇のフードを見た。
枝が出てる!!!
激しい恐怖に襲われたわたしは、台所に戻り、コンロに置いてあった鍋を握りしめて内側の換気扇フードを叩いた。ばたばた、と羽音がした。もう一度リビングの窓から外側のフードを見てみると、鳩が慌てて飛び出したからか細い枝が引っかかって垂れ下がっている。
ぎゃー!!!
わたしが突如ここまで恐怖を感じたのは、そして小さな音ですぐになにが起きているかわかったのは、ちょうど1年ほど前に、ツイッターでフォローしている人がベランダに鳩の巣を作られてしまった経過を詳細に報告していたからだった。それを見ながら、わたしは鳩について検索し、鳩は一度目をつけた場所には強く執着し、塞がない限り絶対に戻ってくる、もし鳩に巣を作られて卵を産まれてしまったら野鳥保護の法律のために勝手に除去することはできない、登録している業者に依頼しなければならない、鳩の糞や羽根には細菌や寄生虫が含まれ肺炎などの病気を引き起こす、1年に何回も繁殖する……。恐ろしいことばかりだった。
以後、ベランダのほうは鳩が好みそうな陰を作らないように気をつけていたが、換気扇とは! しかし、検索の成果で換気扇もよく鳩に目をつけられることを知っていたので、早期発見に至ったのは幸いだった。
困ったことに、換気扇の外側のフードは、中を見ることが難しい位置にあり(リビングの窓から顔を出すと横のほうに見える)、触ることもできない。まだ枝を運び込んでいる段階で、卵は産んでいないはずだ。とにかく産卵される前に追い出さなければ。
気は焦るが、出かける時刻も迫っている。とりあえず妨害のために換気扇を強で回し(しかし換気扇を回すと病原菌が入ってくるのではないかとの不安もあり)、家を出て用事の場に向かったが、気が気ではない。地下鉄でもスマホで「鳩 巣 換気扇」「鳩 対策」など検索し続けていたら危うく乗り過ごしそうになった。

用事が終わって急いで帰り、検索結果のとりあえずできそうなことをやる。煙と、あと薔薇のにおいが鳩は嫌いらしい(棘が刺さることが脳に刻まれているそうな)。気休め程度だとは思うものの、蚊取り線香と消臭スプレーの薔薇の香りを買い、蚊取り線香売り場にはアロマの蚊取り線香セット(ローズ、ジャスミン、ラベンダー)もあったのでそれも買い、やはり部屋に戻ると換気扇からはまたもやかちゃかちゃと鳩の足音がするので鍋で換気扇を殴って脅し、換気扇を強にした下で蚊取り線香の普通のとローズのをたき、薔薇のスプレーを換気扇に向かって吹き付け、物音がするたびに鍋で換気扇を殴って、夜になったらとりあえず来なくはなった。

6月は夜が明けるのが早い。朝4時過ぎ、ぱたぱた、と羽ばたきの音で目が覚めた。瞬間、カーテンを開けると、向かいのマンションの廊下手すりに鳩が止まっている。
ぎゃー!!!
と、わたしは飛び起きて台所に行き、燃え尽きた蚊取り線香を取り替え、換気扇をがんがん叩いた(早朝なので控えめ)。
とにかく不動産屋に連絡してどうにかしてもらわないとならないのだが、運悪く定休日。すぐに業者が来てくれるとも思えないから、数日はなんとか乗り切らなければならない。寝られないまま、また「鳩 換気扇」「鳩 対策」「鳩 業者 料金」などで検索する。賃貸なのでたぶん料金は負担しなくていいとは思うが、どうなるかわからない。換気扇の場所からして、上下の階にもネットを掛けるようなわりと大規模な作業になってしまう。
鳩にびびっているのは、1年前のツイートのせいだけではなく、前に住んでた部屋の近くのマンションで鳩の巣窟になってしまったところがあり、建物全体にネットがかかっていたのだが、そのネットの隙間に鳩が入り込んで暴れているというホラーな場面を目撃したこともあるし、それよりもっとまえに関西のとある大規模団地の1棟がV字型をしていたためにそこがやはり鳩の巣窟になって大変だというニュースを見たこともあった。外敵(まあ、カラスやね)に襲われないために陰になる場所を好むのだ。
検索したところによると、最終段階として、鳩の1つがいが居ついたあと、他の鳩もやってきて大集団で一大繁殖場所にされてしまう。駅などですごいとげとげの鳩よけを設置しているにもかかわらず鳩がその隙間に停まっている光景なども思い出し、ひたすらに恐怖が増す。ともかく、家にいるあいだは、鳩の気配がしたら換気扇を叩いて追い出すぐらいしかできる事がない。
翌日も、朝4時に鳩のはばたきと鳴き声で目が覚め、戦いが始まる。10時ごろに不動産屋に電話してみるが、なぜか留守電でつながらない。このまま連絡がとれなかったらどうしようかと不安になる。自分で直接対策業者に連絡するしかないのか、など考えながら、「鳩」で検索しつづけるも、ネットで塞ぐ以外に有効な対策はないっぽい。飛んでくる前やごくごく初期なら、忌避剤の入ったスプレーだとか、キラキラしたものをぶら下げるとかなんやらいろいろあるが、どれも鳩が慣れると効果がない。
油断すると、台所の小窓の外に鳩がとまる。そこを足場に換気扇に入ろうとするようだ。磨りガラスに鳩の影が映る。怖い。めちゃめちゃこわい。窓を叩くと飛び立つが、またすぐ戻ってくる。
追い立てた直後、リビングの窓を開けて様子を見ると、上の階の窓際や向かいのマンションの手すりに止まって、こっちを見ている。じっと見ている。
こっち見んなや!!!
怖いやんけ!!!
と、わたしも見返すが、鳥のあの無表情な目ってなんであないに怖いのか。
翌日も早朝から鳩との戦いが始まり、昼過ぎにようやく不動産屋の担当者と連絡が取れる。やはり、専門業者に頼まないといけないし、その前にマンションの管理者に頼まないといけないし、今は鳩のハイシーズンなので時間がかかるかもしれない、とのことだった。
話しぶりからすると、少なくとも1週間はかかりそう。ネットでふさいでもらうまでにはもっと日数がかかるか。卵産まれてまうやんけ!
内側から換気扇を解体してどうにか入れないようにするしかないかと、説明書を見る。なかなか難しそう。そのあいだにも、だんだん慣れてきた鳩がやたらと台所の小窓に居つくようになってきた。しっぽが窓に当たって、影がくっきり見える。怖い。怖いっちゅうねん!
できることをやるしかないが、できることは限られている。早朝に目が覚めるため、睡眠不足でもある。

そして、2日後、またもや出かけなければならない。気配があり次第追い払う、ができないと居つかれてしまう。
ふと、台所の小窓は叩くといなくなるので、スピーカーを置いて大きめの音量で人の声を流せばいいのではないか、と思いついた。Bluetoothの小型スピーカーをガラスにくっつけて置き、ラジオを流してみた。来ない。どうも効果があるようである。1時間ほど経過したが、来ない。
出かける時刻が迫ってくる。このままつけっぱなしで出かけてもいいものだろうか。つないでるiPadがなんかの拍子に音量MAXとかになって近所迷惑になったりしないだろうかなどと不安要素はあったものの、鳩に居つかれる恐怖が勝ち、ラジオを流しっぱなしで出かけた。
帰宅すると、スピーカーの充電が切れて静かだったが、夜になっていたこともあり、鳩はいないようである。効果があったのだろうか。
しかし、翌朝4時、正確に鳩はやってくる。鳴き声で飛び起きて、台所を見ると、やはり小窓に鳩の影が。ホラーやな。まじで完全にホラーやで。
充電したスピーカーを置いて、ラジオを流す。まだご近所さんは寝ている時間なので音量は控え目にするしかない。が、とりあえず来ないようである。
それからは、毎朝4時に起き、ラジオをつけ、一日中ラジオかけっぱなし。鳩対策業者がいつ来てくれるか、まだ目処はたたないようである。ラジオをかけていれば、鳩は来ない。しかし、すでにかなりうちの換気扇に執着しているようで、向かいのマンションからじっと見ている。そしてラジオをかけっぱなしにしてると、わたしは仕事ができない。わたしは、無音じゃないと仕事できないのだ。特に、言葉がはっきりわかるような音が聞こえていると、なんにもできない。そろそろ、仕事も切羽詰まってきている。
と、いう状況が続いて1週間ちょい。しばらくラジオを消してみて、鳩が来ないのを確かめ、仕事をしていない時間はラジオをかけ続けていたところ、どうやら、あきらめて他の場所へ行ったようである。鳩も、卵産まなあかんし、ここにこだわっていられなくなったのだろう。
とりあえず、鳩は去り、今のところ平穏である。換気扇は、屋上から作業員の人が下りるという大規模な作業が必要になるため、とりあえず様子見。
鳩は去ったものの、わたしは、これをきっかけに睡眠障害っぽくなってしまうのであった。

思えば、東京に来てから住んだ5軒の部屋、最初の1軒以外は生き物の侵入との戦いがあった(最初の部屋は蟋蟀(こおろぎ)が何回か入ってきたけどそれぐらい)。
2軒目は、入居前に鍵をもらって家具を置く場所のサイズを測りに行ったら、ベランダに卵が落ちて潰れていた。なにだったのか確かめてないが、カラスは木に巣を作るので、やはり鳩だったと思う。入居前だったし、不動産屋さんに連絡してなんとかしてもらった(でもめっちゃイヤそうやった)。
3軒目は、裏手に敷地の広い長らく放置されている古い謎の家があったため、それはもういろんな生物と戦った。まず、一瞬でも網戸に隙間があるとわたしが生活上いちばん怖れているGが入ってきた。2年間で3回ぐらいだったけど、わたしはGの死体を片付けるのも無理なので、昨今はいろんな殺虫剤スプレーが開発されているために殺すまではなんとかなったものの、毎回人を呼んで捨ててもらった。シャッター式の雨戸がついていたのだが、その戸袋にアシナガバチの巣を作られた。夜中にハクビシンの絶叫で目が覚めたこともあったし、朝、小鳥の断末魔で飛び起きて外を見たら、ノスリ(猛禽類。調べました)がシジュウカラをがっちり足でつかんでこっちを見ていて、あれはいまだにトラウマです。駅から徒歩4分の物件やったのに、世田谷区、大自然すぎ。
4軒目は、風呂場に窓があって、それが明るくて風通しもよくていいなあ、と思ってたのだが、その外側に植物を植えているスペースがあって、そこから蟻が大量に風呂場に侵入した。窓の横のヒビから侵入してきて、テープで塞いでもその隙間からどんどん入ってきて、一度道ができるとさらに増えるし、風呂場から部屋にも勢力を伸ばしてきた。蟻の巣コロリ的なやつを置いてみたけど、1日でその中で大量の蟻が死んでるし、そんなんどうもないぐらい何百匹も入ってくるようになって、結局大家さんが窓の外の植物を土ごと全部撤去するまで収まらなかった。

けっこういろんな生物と戦ってきたことになるが、街は人間だけのものではない、というのはいつも思っている。

直接見かけるのでない動物やら虫やらようさんおるやろうし、植物の生きる場所でもあるし(東京は放置空き家が大変多く、植物が茂りすぎて大変なことになっている場所がたくさんある。あの隣に住んでる人、災害やな、って思うぐらい、ほんまに植物のカオス。3軒目の家がそうやったように、あれだけ植物がすごいと、生き物もいろいろ出るし)、彼らにしてみれば、勝手に人間がどんどん入ってきて殺虫剤やらなんやら使ってくるわけで。それに、人間が建物を次々建てて、それも昔みたいな庭木とかもないひたすらにコンクリートの塊にすることで、生き物の多様性が失われて(自然が豊か、というのは、生き物の数が多いということではなくて、種類が多い、ということ。数だけなら、東京のど真ん中にも虫やらネズミやらようさんいる)、かえって人間がいやがる生き物しかいなくなってるわけで。
1年ぐらい前に、渋谷のコンビニがネズミに占拠されてる動画が流れてて騒ぎになってたけど、そういう環境を作ったのは人間のほうなんよね。

そういうようなことを考えつつ、今日も一日を暮らしている。

 

 

1973年大阪生まれ。小説家。2000年に『きょうのできごと』(河出文庫)を刊行、同作は2003年に映画化される。2007年に『その街の今は』(新潮文庫)で織田作之助賞大賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』(河出文庫)で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』(文春文庫)で芥川賞受賞。街や場所と記憶や時間について書いている。近著は『百年と一日』(筑摩書房)、岸政彦さんとの共著『大阪』(河出書房新社)、『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、『パノララ』(講談社文庫)など。