偏愛百景

第8回 春うららと畑仕事

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

はわわ。今日も一日畑に出てしまった。くたくたで家に帰り、原稿に向かう。一ヶ月交代で愛媛と東京を行き来する生活が続いている。畑をすることが目的で愛媛の実家に帰っているわけだけれど、畑以前に、ずっと土木をやっていることに最近ようやく気づいてきた。

ここ10年、畑には猿やイノシシが出て作物を食べ荒らすようになったから、防獣の柵を張り巡らさなくてはならなくなった。猿は、1メートルの柵なんて瞬間に乗り越えてしまうので、今春はついに天井までのネットハウスを作ることになり、鉄くずやさんで単管とかジョイントを山のように買ったのだった。明日、畑の仲間たちと組み立てていくぞ。

 

私は軽トラを探していた。サトウキビやみかん、農作物、それに2メートルとか4メートルある鉄骨を運びたいからだ。父も軽トラを持っているけれど、貸すのを嫌がった。製糖場のある山まで毎日走り汚したからだった。ようやく中古で手頃なのが見つかったのでMY軽トラを買う予定だ。愛媛にいると、なかなか本を読めない。時間がないということもあるが、本を手に取る必要のない生活だった。満ちすぎるほどに満ちていた。頭の中に生まれる言葉たちが、野に、空に吸い込まれていく。もやもやは、土に触れ手を動かすと消えてしまった。

次は自分たちの耕運機がほしいなとなる。草刈り機ももっといいのがほしい。そうやって、父のようにどんどんと農機具が増えていくのだろうか。畑がやりたいだけなのに、より効率的に楽に。そして重たくなって身動きがとれなくなるのではないか。鍬と鎌だけでよかったはずなのに。

 

石垣が壊れていることは前の持ち主のときから知っていた。あそこの石垣、そろそろやばいよねー。と近所の人々がよく話をしていたから。

持ち主が私達に変わった途端に、父は「石垣を早く直しなさい」と言うようになった。娘だから言いやすいのだろう。親子というのは、娘が何歳になろうとも親子のままだった。父の目の届くところで農業をすることは、とても面倒なことなのに、私は実家の畑を耕していて、やはりそこに甘えがあるのだと思う。

イノシシがあぜ道からダイブする度に、ガラガラと石垣は派手に崩れていった。私は、少しずつ石垣を直しはじめた。石は大きさのわりにめちゃくちゃ重い。一体何千年前からここにあるのだろうかと思うと、植物とは違う重みを感じた。その美しい鉱物を持ち上げる私の手は柔らかく、けれど石を持ち上げられている。

私の手は何でもできる。時間さえかければ、頭さえ使えば、どんな重機よりも優れたものであると教えてくれる。

 

レタスの種をまく。昨年採取した直径3ミリほどの楕円形の小さな小さな房の中には、ゴマ粒をスライスしたように黒いぺたんこの物体が何枚も入っている。これがレタスの種なのだった。できっこないだろう。紙よりも薄い、鼻息で飛んでいくようなものから、レタスができるわけがない。だって、この中に何が入っているというのだ。人工知能が入っているわけでもない。雨に打たれ風に吹かれ、昨年はそれでもヒョロヒョロの芽がでて、地植えにすると、しっかりと、あのフレアスカートのようなレタスの形になった。

レタスの種は枝状のさきっぽに小さな綿毛が房と一緒に無数に付いている。この綿毛で遠くまで飛ぼうとしているのだ。とても健気で、儚いものだった。アブラナ科の小松菜などの種に比べるとあまりに非力で、それはレタスの存在の儚さそのものだった。唐揚げのとなりで、レモンを載せてしなりと寄り添う姿。レタスの種を取ったとき、なにか生命のいじらしさと執念深さを感じた。それを手のひらにこそぎとり、土にまく私のしぶとさもなかなかのものだ。

コメリなんかで、しっかりした苗を買う安心感に比べて、この種から仕立てるスリルといったらたまらないわけだ。一応、保険で苗も買っておくけれど、畑の神秘はなんといっても種からの発芽である。風でしおれたり、雨に叩かれたりするので、庭先のプランターで苗を仕立ててから移植することも多いけれど、やっぱり、直に種をまき、まだ寒い春の夜を耐えて発芽した植物はその後も強い。畑には、全ての物語が集約されている。

 

私は、ずっとイノシシと猿のことばかり考えている。野菜を植える前に、まずはやつらを突破せねばならない。そうすると、「夏野菜、何植えようかな」でなく「猿の食べない野菜何かなあ」になる。

 

目的のことをするために、いくつものハードルを超えていく。もしかすると目的なんて生きること以外にはないのかもしれないけれど。もう、半分寝かけでこの原稿を書いている。とにかく、明日は単管を立てて、猿とイノシシを……でなく、自分たちを入れる檻を作る。私達が檻に入って野菜を作るので、少しおかしいけれど、やはり私達は動物界においてのレタスであることを忘れずにいたい。

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、『一生のお願い』(筑摩書房)、『その農地、私が買います』(ミシマ社)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著にエッセイ集『暮らしっく』(扶桑社)がある。

偏愛百景

第7回 おかまいなくの店

東京では作家、愛媛ではお百姓の二拠点生活。毎週やってくる連載の締め切りと愛媛での怒涛の日々を送る。好きなものを残すためなら猪突猛進、実家周辺の景色への「偏愛」から太陽光パネルになる予定の農地を買ったとか。 高橋久美子の原動力は「偏愛」だという。日々の生活が少々不便でも、困ることがあっても、こうしたいのだから仕方ない。 「偏愛」を軸に暮らす様子をつづる、ひとりごと生活記録。

「おかえりなさい」と、家族みたいに迎えてくれる居酒屋さんがある。今日も寒かったですねと言って丁寧にお手拭きを出してくれたりして。最初は照れくさいけれど、こちらの心をじんわりと温めてくれ、いつしかほっとできる場所になっていく。

だけれど、今日は本当に一人になりたいわという日もあるわけで。仕事でもやもやしたり、理不尽なことに巻き込まれたり、お腹が空きすぎて血圧が下がっているときなどなど。一人になりたい。でも家には帰りたくない。かといって行きつけの居酒屋で「ただいま」と元気に言えそうもない。ましてや、カウンターで隣になった人に愚痴りたいテンションではないのだよ。

最寄り駅に到着した私は、蛍光灯の煌々と照らす黄色い看板の元に向かう。

「はーい。らっしゃいませ~」

やる気のない声で、女性店員が口を動かす。

「あ、一人です」

「お好きなところどうぞ」

私は、いつも奥から二番目の厨房のよく見えるテーブル席に腰掛ける。やさぐれたときに来る中華料理屋は、いつも東南アジア系の男女三人が働いている。何度行っても顔を覚えてくれる気配はない。笑いかけてくれることもない。ホールを一人で仕切る彼女は、小柄な体でビールジョッキを何個も運び、また空のジョッキを下げてくる。

「ビールと、小エビの素揚げと、もやしナムルと、タコの唐揚げをお願いします」

「はい」

数分後、運ばれてきた生中をぐびぐび飲んで、小エビを口に放り込む。この店、サイドメニューであろう小エビの素揚げが一番美味しい。その他は、美味しくも不味くもない。ものによっては、まずい寄りである。けれども、やさぐれている日の私にはそのくらいが丁度いい。めちゃくちゃ美味しい店になられては困るのだ。こんな日はあまり期待したくないのだ。

 

周りを見渡すと、私と同じようにむしゃくしゃした一日の締めに、ここで飲んでいそうな人が間隔を空けて座っている。ときどき家族連れもいるが、どのテーブルもただ無心にレバニラを食べて酒を飲んでいた。

厨房では、白いエプロンの料理人が中華鍋からボウッと火を立てていない。Tシャツとジーパン姿の、長身な東南アジアの青年二人がチャーハンを作っている。キャップを後ろ向きに被って。ハーフパンツのときもあるし、クロックスの時もある。公園でバスケでもしそうに、めちゃくちゃラフなのだ。

厨房のテーブルには何かよくわからない白いものが入ったでっかい袋が積み上がっていたりして、それを適当にえいやっと鍋に入れて混ぜている。唐揚げが、チャーハンが、餃子が、レバニラが、八宝菜が、どんどんできていく。カウンターに出すと、それを女性が運んでいく。淡々と繰り返される厨房の平熱を、私はぼうっと眺めている。作った料理が片っ端から、目の前にいる人達の腹におさまっていくのが、すごく健全な気がした。

まるで工業製品でも作るように、今日も明日も明後日も、黙々と繰り返される彼らの日常がここにある。見るからに老夫婦がやっていそうな町中華屋の中に、いつも無愛想な三人組。タイやカンボジアの食堂を思い出す。客もスタッフも平等なのだから、笑ったりせんでもええのだ。

新しい小説が始まりそうだ。けれども客とのハートフルな交流はなさそうだし、三人の仲が良さそうな感じもない。恋愛もの……ないなあ。この三角関係はないやろなあ。もしかしたら二人のボーイズラブの方が良さそうな気もするなあ。中華鍋を持つ二人を見てひとしきり妄想にふける。

とにかく放ったらかしである。お手拭きさえ、ティッシュさえ置いていない。下げてもくれないので皿が積み上がる。でも、不衛生というわけではない。トイレには緑色の液体石鹸もある。今日の私はいっこうに放置で構わない。絡まないでくれて助かっている。私は続いてハイボールを飲み、レモン酎ハイを飲む。

 

30年以上前からある店だと聞いたことがあるので、もともとは地元の人がやっていたのを、今はこの三人がやってたりするのかな。これはバイトで、彼らにもっと他の夢があるのかもしれない。

美味くも不味くもない中華屋を求める人々も、決して話しかけたり常連同士で仲良くなったりもしない。常連という概念もないだろう。それでも、まっすぐ家に帰りたくなくてここで人の平熱に触れていたいんじゃないかな。私もそうだ。食事のためだけでなく、今日できた傷や疲れを誰かの平熱で満たしたいのだと思う。それぞれが、ぼんやりと光る蛍光灯みたいに互いに気づかれない程度の明かりで照らし合っているんだ。

 

「天津飯お願いします」

ある日、散々飲んで食べた最後に天津飯を頼んでしまった。

「ハーフにしますか?」とか、「かなりのボリュームありますが大丈夫ですか?」とか聞いてくれればいいのに、彼女はもちろん何も言わない。やさぐれの私もそんなこと聞かない。

数分後、沼のような天津飯がほろ酔いの私の前に登場する。どう見ても、野球部のための天津飯である。

食べてみると、あれ、美味しい。もしかしたらこの店で一番の美味しさかもしれない。

最近気づいたけれど、どの料理も、行く度に少しずつ美味しくなっている気がする。彼らは本気で料理に目覚めたんじゃないだろうか。

「おかえりなさい」とか言いだしたらやだなあ。いや、でもそれはそれでいいか。

おつりを受け取って、

「ごちそうさま」と言う。

「ありがとざいましたー」といういつもの挨拶を聞きながら店を出た。お腹はぱつぱつ。私の憂鬱は半分に減っていた。

 

 

高橋久美子作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、アーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。著書に小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、『一生のお願い』(筑摩書房)、『その農地、私が買います』(ミシマ社)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。近著にエッセイ集『暮らしっく』(扶桑社)がある。