第5回 留学生から聞くシリアのオタク事情4

内戦下のシリアは、実はアラブ諸国の日本アニメ放映での翻訳拠点だった。ラブライブ、鬼滅、ジョジョ、宇崎ちゃん……日本で流行っているアニメは、シリアのオタクのなかでも流行っている。内戦下でもたくましく、したたかに活動するシリアのオタクたちの日常を通して、知られざるアラブ世界のおたく事情を伝えるレポマンガ&エッセイ。遠く離れたシリアに自分たちと同じオタクがいて、そんな彼らが、自分たちとまったく同じものが好きで、同じアニメを見ていると考えると、なんだか平和が近づいている気がしませんか?

 


 

【一言コラム】

日本の学校楽しそう?

以前、あるシリア人オタクがSNS上で、「学園もの」の日本アニメの画像とともに、「学校生活は、アニメの中だけで輝いている」という「格言」を投稿したことがありました。この投稿のことを私に教えてくれたオタクの女性は、ダマスカスで有名な公立女子高の卒業生でしたが、「学校ではいい友達に巡り合えたけれど、学校での良い思い出、というと思いつかない。学校行事と呼べるものが無いから・・。日本の女子高にはお祭り(文化祭)があるというのを、アニメで知ったときは驚いた」と話していました。

シリアの公立学校には、基本的に文化祭や体育祭、クラブ活動がありません。課外活動としてスポーツをやりたい生徒は地元のスポーツクラブに入り、音楽をやりたい生徒は、与党バース党青年部のブラスバンドに入るか、教会のスカウトのブラスバンド・合唱隊に入る(生徒がキリスト教徒の場合)選択をします。全校生徒が参加する学校行事といえば、独立記念日や、戦勝記念日を祝賀する行事ですが、形式通りのスピーチ(現政権を称賛する内容)の後、大統領や軍をたたえる歌を歌うといった内容で、この行事を楽しむ生徒はほとんどいません。

ある仕事で、シリア人の学生と一緒に日本の漫画を翻訳していた時のことです。作業を始めた当初は順調でしたが、「先輩」「後輩」という言葉が出てきたとき、困ってしまいました。「先輩」「後輩」にあたる適当なアラビア語がなかったのです。仕方なく、二語以上を用い訳しましたが、この時共に作業をした学生に「そういえば、学校の『先輩』たちのことをほとんど覚えていない。唯一覚えているのは、同級生のお兄さんぐらいかな」と言われました。

シリアの社会にも上下関係はもちろん存在しますが、学校においては、クラブや委員会活動が無いので、上級生・下級生が接する機会がほとんど存在せず、「先輩」「後輩」の関係が生まれないのです。加えて、同じ学年でもクラスが違うと「同窓生同士」という意識もほとんど生まれないようです。親族や近所同士などでは濃密な人間関係が見られるシリアですが、公立学校における人間関係はドライなもののようです。

シリア人オタク達は、「時に厳しく、時に優しい先輩」の存在に憧れていますが、シリアの学校でもこうした関係が生まれることを望むか聞いてみると、「うーん・・親戚や隣近所同士でいろいろな付き合いがあるから、この上、学校で濃い関係が生まれると結構面倒かも・・」と、複雑な思いを抱いているようでした。

 

天川まなる

大阪府在住。漫画家。アラブ文化エッセイ漫画を中心に活動。漫画家アシスタントシェアグループPASS代表。漫画講師。アラビア語、アラビア書道、イスラーム全般を勉強中。イスラーム圏のシリア、エジプト、マレーシア、ブルネイなど漫画ワークショップの経験あり。長年の漫画家アシスタント技術を生かし、中田考との共著『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』(サイゾー)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)。

 


條支ヤーセル

東京都在住。中央大学卒業。同大学在学中、シリアの国立ダマスカス大学(文学部アラビア語学科)に留学。卒業後に再びシリアに渡り、ダマスカスに8年間居住。日本とアラブ諸国間の貿易業のほか、日本のメディアの取材コーディネート、リサーチ、通訳業務を担当。現在は東京に居を移し、アラブ諸国との間を往来。

第4回 留学生から聞くシリアのオタク事情3

内戦下のシリアは、実はアラブ諸国の日本アニメ放映での翻訳拠点だった。ラブライブ、鬼滅、ジョジョ、宇崎ちゃん……日本で流行っているアニメは、シリアのオタクのなかでも流行っている。内戦下でもたくましく、したたかに活動するシリアのオタクたちの日常を通して、知られざるアラブ世界のおたく事情を伝えるレポマンガ&エッセイ。遠く離れたシリアに自分たちと同じオタクがいて、そんな彼らが、自分たちとまったく同じものが好きで、同じアニメを見ていると考えると、なんだか平和が近づいている気がしませんか?

 


 

【一言コラム】

シリアの日本アニメオタク第一世代

シリアの人々が日本のアニメを観始めたのは1980年代前半。まもなく40年が経とうとしています。この40年で、シリアでの日本アニメの知名度は非常に高くなり、シリアの国営・民間の放送局で放映された日本アニメの数も相当数に上りますが、「オタク」という言葉が、日本アニメを愛するシリアの人々の間で知られ、やがて自らも「オタク」を称するようになったのは、いつ頃なのでしょうか?

私はこれまで、複数の「オタク」を自称するシリア人に、この質問をしたことがあります。すると、20代後半から30代前半の人々が「自らこそがオタクの第一世代」と名乗ったのです。そのうちの1人は、「2011年前後に『フェイスブック』上で『オタク』という言葉が紹介され、友人たちの間でも使われ始めた。その後2013年に『フェイスブック』上に、日本アニメを愛するシリア人達のコミュニティ-『Syrian Hardcore Otaku』が開設され、千人規模のシリア人がこのコミュニティーに参加したことで、『オタク』という言葉が定着し、『オタク』を自称する人が急増した」と語りました。

2011年以降にシリアで「オタク」が「誕生」し、増加していった背景には、シリア国内のインターネット事情の変化、そしてSNS利用者の増加があると考えられます。

2000年代前半、インターネット回線を自宅に引くには煩雑な手続きと高額な使用料がかかる上、接続速度は非常に遅いものでした。2000年代後半に手続きが簡略化され家庭にインターネット回線が普及、使用料の値下げ、接続速度の向上(動画も視聴可能に)が実現し、SNSユーザーも急増しました。2011年に「フェイスブック」を通じ反体制デモが呼びかけられるようになると、当局は「フェイスブック」の閲覧をブロック、インターネット回線の遮断も頻繁に行なわれましたが、都市部での反体制デモが下火になり、反体制武装勢力との戦闘も政府側に優位になっていく過程で「フェイスブック」は解禁となり、回線も安定するようになりました。シリア国内で「オタク」が急増したのは、この直後でした。

 

私の母も日本アニメが好きです!

「小さい頃、家族全員で日本のアニメを観ていた」「私の母も日本アニメが好き」-オタクを称するシリア人の中には、日本のアニメを好きになったきっかけとして、「家族が観ていた」ことを挙げる人が少なくありません。オタク達の両親の多くは、1950-60年代に生まれていますが、彼らが20代の頃、日本のアニメがアラブ諸国で放映されるようになりました。

以前、ダマスカスに住む、あるオタクのお母さん(1958年生まれ)と会った時、「1980年代の初め、当時住んでいたカタールで『レディー・オスカー』や『アドナーンとリナ』を欠かさず観ていた」という思い出話を聞きました。「レディー・オスカー」は「ベルサイユのばら」のアラビア語吹き替え版、「アドナーンとリナ」は、「未来少年コナン」の吹き替え版のタイトルです。「ベルサイユのばら」「未来少年コナン」とも、クウェートに本拠を置く番組制作会社GCCJPPIが翻訳、編集を行ない、アラブ諸国のテレビ局(当時はほとんどが国営)に配給していました。

「レディー・オスカー」の最終回に涙したというそのお母さんが、「あの頃はシリア人の声優を雇わなかったのか、登場人物が皆イラク訛りだったのが印象に残っている」と話していたので、GCCJPPI配給の2作品の声優陣を調べたところ、ほぼ全員がイラク人ないしクウェート人でした。クウェート在住のイラク人俳優として当時有名だったムサーフィル・アブドゥルカリームさん(1952年生まれ)は、「ベルサイユのばら」のアンドレ・グランディエ、「未来少年コナン」のラオ博士を演じたことで知られています。しかし、彼は湾岸戦争終結直後の1991年2月、イラク軍によるクウェートを占領期(1990年8月-1991年2月)に、イラク側に協力したとしてクウェート当局に逮捕、処刑されるという最期を遂げました。


※13 ベルサイユのばら
池田理代子により1972年から73年にかけて週刊マーガレットに連載された歴史漫画。フランス革命の時代を描いており、作者はこの作品によってフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章が授与されている。
解説文 松城(liliput)

天川まなる

大阪府在住。漫画家。アラブ文化エッセイ漫画を中心に活動。漫画家アシスタントシェアグループPASS代表。漫画講師。アラビア語、アラビア書道、イスラーム全般を勉強中。イスラーム圏のシリア、エジプト、マレーシア、ブルネイなど漫画ワークショップの経験あり。長年の漫画家アシスタント技術を生かし、中田考との共著『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』(サイゾー)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)。

 


條支ヤーセル

東京都在住。中央大学卒業。同大学在学中、シリアの国立ダマスカス大学(文学部アラビア語学科)に留学。卒業後に再びシリアに渡り、ダマスカスに8年間居住。日本とアラブ諸国間の貿易業のほか、日本のメディアの取材コーディネート、リサーチ、通訳業務を担当。現在は東京に居を移し、アラブ諸国との間を往来。