第9回 複雑な現実は複雑なままに扱う

内田樹先生と三砂ちづる先生の往復書簡による、旧くてあたらしい子育て論。ともに離婚により、男手で女の子を育てあげた内田先生と、女手で男の子を育てあげた三砂先生。その経験知をふまえた、一見保守的に見えるけれども、実はいまの時代にあわせてアップデートされた、これから男の子・女の子の育て方。あたらしい世代を育てる親たちへのあたたかなエール。

第9便・A

人間が太古から物語を使って行ってきたこと

内田先生

こんにちは。

新型コロナパンデミックがまだ続いています。3回目のワクチンを打ちました。2回目のワクチンの後もきつかったのですが3回目も九度の熱が二晩出て、リンパ節やら胸やらが痛み、なかなかのものでした。普通なら副作用と訳されるAdverse effectを「副反応」と訳していますが、そもそもAdverse effectは文字通り訳せば、有害作用、です。せめて、普通に副作用と呼びたいです。けっこうな副作用を普通に健康な人が経験しなければならないのも、なかなか厳しい。打てば、絶対感染しませんよ、というようなワクチンではないし。それでも、入院や重症化、死亡は減らすことができそう。変異株への効果がわかるのはこれからですし、どのくらい効果が継続するのかがはっきりするのもこれからで、まだはっきりしていない。

でも、それはそうです。世界で初めてでてきたウィルス、しかも変異し続けるウィルスに対して、わからないことだらけでも、なんとかできることをやろうとしているわけですから。エアロゾル感染であることが認められて、エアロゾル感染とはほとんど空気感染ということですから、だれでもどこでもかかりうる病気で、しかも致死割合はそれなりに高い病気なのですから、もう全力の対策を打つしかありません。世界中で、やっております。そして、その切り札の一つが、このワクチンなのですから、できるだけたくさんの人に打ってもらうしかない。大きなレベルではそういうことです。個人的なレベルでも、国際保健の仕事で海外に出ていく(具体的に言えば来月、エルサルバドル・メキシコに行きます)ので、個人的に少々副作用がでようが、打つ必要があります。でも、しんどかったです・・・。

まあ、自らを守るためのワクチンで、短期的に結構つらい目をするのは、既視感があり、今では、生涯に一度打てば良くなった黄熱病のワクチンで経験しています。今まで渡航してきたブラジルやコンゴDRCでは黄熱病のワクチン接種が義務付けられる時期もあり、このワクチンを10年に一度打つ必要がありました。人生で3回打っていると記憶していますから、こういう国と30年は行き来してきた、ということです。これがまたなんというか、めんどくさいというか、ワクチンを打って一週間してから副作用が出ます。普通、予防接種を打って一週間もすれば、打ったことを忘れます。忘れた頃に、体調が悪くなる。こちらも毎回、一日二日は寝込むほどだったと記憶していますが、毎回、びっくりします。あれ、なんで体調悪いの?あ、そうだ、一週間前に黄熱のワクチン打ったんだった、という感じ。

それでもこれらの症状はよくなります。良くならない症状が長期的に残る、と疑問を持たれているワクチン、しかも、空気感染でもなく誰でもがかかりうる病気ではないような、さらに他の予防手段があるような病気のワクチンについては、本当に打たねばならないのかというとそれはまた別の話だ、と思っていますから、この新型コロナワクチンを打つことが重要になっている今、他のワクチンも同様に接種が推進できるか、というと、そういうわけではないだろう、とは思っています。

それにしてもそれなりに世界中で使うことができるようなワクチンがこのスピードでできたことで、パンデミックが始まった頃に少なくとも3年はかかるだろうと言われていた収束への道のりは、早回しになったと思います。早回しになってもやはり3年弱かな、という感じはしますね。治療薬も世界中で研究されてはいますがこれこそ切り札、と言える治療薬がある、とはまだ言えないですしね。

言及されていた、カミュの『ペスト』、私もあらためて新訳を読みました。あらためての、ベストセラーですよね。見事すぎるフィクションです。この時代にペストは流行っていないはずだよな、と、わかっていながらも、つい、いや、ほんとはあったんじゃないの、と思わされるような、まことに見事な「感染の記録」で、語り手の存在は最後に明かされるのですが、その緻密さに驚かされます。

ペストには、開発されたワクチンがありません。でも今は抗生物質によって治療できることがわかっているので、それほど怖がられていないかもしれませんが、世界でなくなったわけでは全くなくて、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどでは2000年以降も地域的なアウトブレイクが起こっています。でも、ヨーロッパとか先進国で起こっていないから、話題にもなりませんよね。COVID-19がこれだけ大変なことになったというか、あっという間に世界中で問題視されたのも、中国で最初に発見された後、主に先進国、と呼ばれる国々で感染が広がり、多くの死者が出た、ということがあります。現代の世界の三大感染症というのは結核、マラリア、HIV/AIDSで世界で年間240万の人が亡くなる、と言われていました。これらの三つの病気はコントロールの方法がわかっているわけです。結核には、B C Gワクチンもあるし、治療薬がある、マラリアもとにかく蚊をコントロールすることが大事だとわかっているし治療も可能、HIV/AIDSはワクチンは結局できていませんが、発病を抑える薬はありますし、何よりコンドーム等で予防できる。でも、いわゆる途上国で、これらの病気は全然コントロールできていない。ということは、お金があればできるのだから、やらなければならないことがたくさんある、ということです。それでも先進国の多くはこれらの病気に冷ややかです。自国の問題では、もはや、ないから。これらの感染症を専門にしているヨーロッパ在住の国際保健の友人は、COVID-19感染拡大の初期に、「ヨーロッパで広がる病気だったら、これだけ騒げるんだな、と、つい思ってしまった」と言っていました。そうですね。

「複雑な現実は複雑なままに扱う」と書いておられました。近代医学の功績って外科手術の洗練とか抗生物質の発見とかいろいろありますし、また、功罪、という形で批判をされてもいますけれど、私は近代医学の最も重要だった点というか、素晴らしいところは、「病気をその人のせいにしない」ということだったと思っています。それは、「目の前の患者をただ、患者として扱う」ことで、お書きになっておられるように医師たちの「病気を見ているのではない、患者をみている」という態度に、連綿と静かに引き継がれています。

近代医学は、病気の原因は、ウィルスや細菌などの微生物である、といいました。あるいは、「ストレス」とか、何らかの物質に対する「アレルギー」とか・・・。あるいは染色体異常とか、放射性物質とか。とにかく、その人のうちに原因があるのではなく、病気というのは何らかの形で、外からその人にそれこそ「不条理に」おしつけられたものである、という理解。その人が悪いのではない。それ以前は、病気というものはもっと包括的な、全人的な、霊的な、そんな捉えられ方をしていたと思います。その人の心がけが悪いからだ、ちゃんと先祖を祀らないからだ、生き方に問題があるはずだ、懲罰として病気があるのだ、等々。「ペスト」に出てくるパヌルー神父も当初そのように「罰としてのペスト」を説いていますね。いやあ、ひょっとしたら、そういうこともあるんじゃないか、と、現代人でも時折思うような気もするけど、近代医学では、そんなことは問題にしないことにした。病気になった人を、責めない。病気をその人のせいにしない。病気はその人のせいではない。その病気になった患者の、「今」だけにむきあい、その患者を治療しようとする。

そのような態度に、どれほど救われているでしょう。だからこそ、具合が悪くなると、気軽に病院に行けるのです。具合が悪くて病院に行って、「あなたはガンだが、こうなったのはあなたの心がけが悪い」とか、「脳梗塞を起こしたのは、先祖を大事にしないからだ」とか、「原罪としての感染症だ」などと責められたりしたら、それでなくても病気で具合が悪いのに、もう、救われなくて、つらい思いをするだけになりますが、そんなことは、近代医療の病院では、絶対に、ありません。そんなことを絶対に言われないからこそ、病院に行けるのです。具合が悪くなったり病気になったりするのは、自分が悪いのではない。何か自分の外に何か原因があったのだから、それを取り除いてもらったり、治療してもらったりしに、病院に行く。近代医療のもとに助けを求めれば、あなたがどういう人間であるか、どういう過去の持ち主であるか、ということを問われることはなく、「今このように具合の悪い患者」として、今の状態をよくしよう、と接してもらえるだけです。それは、まことに、素晴らしいことです。

昨今は、生活習慣病、という言い方もされるようになりましたけれども、近代医療の担い手である医者の役割は、患者の生活習慣を治すところにはありません。そもそも、生活習慣というか、その患者の食生活のアドバイスとか、生活改善のアドバイスとか、できるような教育は医学教育課程には、ありません。そんなことまで医者に求めないでほしい。医者としては患者が期待するから、「暴飲暴食やめましょうね」とか、「早く寝ましょうね」とか言ってくれるだけです。医者の仕事は、おそらく今までの生活習慣に原因があったのかもしれないけれどそんなことより、今目の前の患者の問題である糖尿病とか、心臓疾患とかを、さまざまな手持ちの治療手段を駆使して、今の苦しみを和らげようとすることです。

近代医療のいわゆる患者に接する部分、つまり、臨床医学、と呼ばれる分野はそういうことなのですが、患者ではなく、「集団」の健康を扱う公衆衛生もまた、近代医療の枠組みの中にある分野です。疫学は、公衆衛生の最もパワフルな診断道具でありますが、こちらも複雑な現実は複雑なままに扱う、が徹底しており、例えば、食中毒で考えるとわかりやすいのですが、病因物質はわからなくても、原因食品を特定しようとします。つまり、それがサルモネラが原因か、カンピロバクターが原因か、分からなくても、「このソーセージが」とか、「このサンドイッチが」、とか「この辛子蓮根が」とか、原因食品をまず、特定して、対処していくのです。その方が、現場の対処としては、病因物質特定より急がれることだからです。

19世紀のイギリスの医者、ジョン・スノウは1854年、ロンドンにおけるコレラの流行に際して、初めて、流行曲線と、患者の家をプロットした地図を作ります。流行曲線というのは、今、COVID-19パンデミックで我々がほとんど毎日ニュースで見ている、何年何月に何人の感染者、という、あのグラフのことです。ジョン・スノウはそのグラフを作り、さらに、これらが流行しているソーホー地区の地図に患者の家をプロットしていきました。そうすると、クラスター(って、有名な言葉になってしまったから、説明不要ですね)が見えてきます。そのプロットした地図から、ジョン・スノウは、ソーホー地区の、ある井戸の水が感染源であることを突き止め、感染をコントロールしていきます。

当時、コレラの原因はわかっていませんでした。瘴気とかミアズマとかよくわからないものが媒介すると思われていました。コッホのコレラ菌発見は1884年ですから、それより30年も前のこと、「原因物質」はわからなくても「病因物質」である「井戸の水」であることを突き止めた。このジョン・スノウの仕事こそが、近代疫学の始まり、と言われています。つまりは、臨床のみでなく、集団の健康を相手にする公衆衛生でも、複雑な現実は複雑なままに、その「現場の対処」を進化させてきたのです。

原因を探すのではなく、病因をさがす。病因をさがすいっぽう、臨床の現場では目の前の患者をみる。目の前の患者の苦悩をとろうとする。まさに、複雑な現実は複雑なままに扱う。

そのようなブリコラージュなやり方は結局、どこにいきつくのか。それぞれの苦悩を取り除こうとする現場こそが尊重される。それでよいのです。でもそうしていると、今の私たちは使えるものがいっぱいありすぎるようになってきた。科学技術で提案できることがありすぎて、次々に「目の前の人の苦悩」を取り除ける気になるからです。

李琴峰さんの『生を祝う』は素晴らしい小説でした。科学技術の進歩と、同時に、内田先生のお書きになっている「複雑すぎて手に負えないから記号作用を介在される」しか無くなっている性差やセクシャリティーに関する「記号の現実変性力の強さ」について、しみじみと考えさせられるフィクションです。今からおおよそ50年後くらいの社会、外国人との共生も、同性婚も、同性婚でお互いの遺伝子を持った子どもを持つことも、安楽死の合法化も、実現している。死の自己決定権を手に入れた後に人間が向かった先は、「生の自己決定権」で、生まれる前の胎児に出生意思の確認をする「合意出産制度」ができた時代の話です。それこそ記号として正しい「生まれない権利」や「生の自己決定権」が、現実を変えてゆく。臨月の妊婦は全員、胎児の意思を確認し、胎児が生まれたい、という返事をしないと、合法的に出産できない・・・。妊娠出産に関わる、目の前の人の苦悩を取り除いて行った果てに、そして、どう考えたらいいかわからないから、介在させたさまざまな記号が現実を変えていく力の強さに任せた、あり得る未来が展開されています。

カミュが『ペスト』を書いた頃、ヨーロッパでは200年以上ペスト流行が起こっておらず、実感はない病気だった。カミュが『ペスト』をフィクションとして書くことができたように、そしてその力量が、現実にパンデミックに見舞われている私たちに多くの示唆を与えてくれるように、フィクションの世界にこそ、リアリティが見えてくる。現実の苦悩に対処しつつ、同時に概念を使って良いように対応しつつ、「物語」、つまりは、フィクションに、その先の世界を垣間見せられる。そのことによって、ああ、リープしすぎってあるよな、と思いながら、フィクションの展開する先の、らせん状に続く人間世界の思い切り遠くに、振れる、先、をみる。ううむ、やりすぎなのかもしれないから、もう片方の極も残そうとする。具体的にいうと、妊娠、出産について、このような最先端、すなわち体外受精、胎児診断、胎児の「意思確認」、その対処についてのカウンセリング、とか、いろいろ進んで行くと同時に、極北であり得る、「人間は勝手に増えるものだった」という妊娠、出産のありかたこそ、記録され、フィクションにして展開されておくのがよいのかもしれないです。これは実は、人間が太古から、物語を使って、行ってきたことと同じかもしれません。このらせん状のありようが、高みに向かっているのか、地の中心に向かっているのか、私たちには知るすべもありません。

ところで、話は全く変わりますけど。お手紙に、日本の色の名前のことが書かれていましたね。「青」と言っても「浅葱色」とか「瑠璃色」とか「茄子紺」とか・・・と。本当にいいですよね。きものを日常着にしてもう20年になるのですけれど、きものをきてうれしいなあ、よかったなあ、と思うことの一つが、こういう日本の色の豊かさに親しい思いが増し、気持ちをのせていけるようになることですね。一年の8割がた、帯締めは、黄色をつかっています。教師として仕事をしていると、よく着るきものは茶色や藍や黒っぽい紬や普段着が多くなるので、差し色になる黄色い帯締めは、よくあうのです。黄色の帯締めを今数えてみたら、7本ありました。全部違う黄色で、並べてみるだけで美しいグラデーションで、うっとりしてしまいます。色の名前は、黄朽葉(きくちば)、鬱金(うこん)、山吹、支子(くちなし)、浅黄、石黄、蒸栗色。山吹と鬱金はとりわけ気に入っていて、すでにぼろぼろになるまで使ったので、二代目です。季節と、きものと、何よりその日の気分でどの黄色にするか決めます。何という贅沢。ああ、この文化を享受できてよかった、今日をより特別に、楽しくしてくれる、と思う。上野池之端の道明さんの帯締め、いつまでも買えますように、と祈るような思いです。きものの小物のお店が、どんどん無くなっていってしまっていますから。

話、散らかしていいですよ、などと言ってもらったので、本当に散らかしてしまいました。

今日はこの辺りで。引き続きご自愛ください。

三砂ちづる 拝

 

 

第9便・B

自分が自分に釘付けにされていることの不快

三砂先生

こんにちは。内田樹です。

お手紙ありがとうございます。今回もまことにインスパイアリングな内容でした。

お話をうかがって、いろいろと思いついたことがあるのですが、「とっ散らかったまま」に書いてゆくことにします。妙に小細工をして話をまとめないままただ散らかるままに任せた方が話は深まるような気がします。安藤さんは気が気じゃないと思いますけど。

お手紙を読んでいて、思わず膝を打ったのは、近代医学の最も素晴らしいところは「病気をその人のせいにしないこと」だと書かれていたところです。ほんとにそうだと思います。

僕はもともと虚弱な体質なので、よく病気になるんです。身体大きいし、うるさいし、活動的なので、「虚弱だ」と言うと「嘘つけ」と言われますけど、ほんとに弱いんです。病気ばかりしている。昔はひどい頭痛持ちで、よく夜中に頭痛で七転八倒しました。そういうときに、なんとかして痛みを軽減して、眠りを確保しようとして、脳は「物語」を作るんです。それはこの「痛み」が僕の内部に根拠を持つものではなく、「外来の邪悪なもの」だというストーリーです。悪い奴がいて、そいつが「ふふふふ、お前の頭を痛くしてやるぞ」と言って、「痛み」を僕の頭にねじ込んで来る。僕はそれから逃れようとして、身をよじったり、頭に手を突っ込んで「痛み」をつかんで取り出そうとする…そういう夢をよく見ました。その夢のおかげで少しだけ頭痛はその「切迫」度を減じるということがあるんです。自分の姿勢の悪さとか血流の悪さとかが原因で内因的に起きている不調を、「外部から到来する邪悪なるもの」との闘いというふうに読み替えると、少しだけ楽になるんです。

エマニュエル・レヴィナスは、人間にとって最も耐え難い苦しみは「自分が自分に釘付けになっていること」だという卓見を述べています。レヴィナスが採り上げているのは不眠と恥辱と吐き気なんですけれども、これらの不快はいずれも「われわれが自分自身と手を切ることができないことから生じる」ものです。

例えば不眠というのは「眠り方を忘れてしまう」ということですけれども、よく考えると、僕たちは実は「眠り方」なんて知らないのです。いつも気がついたらもう眠っていた。「眠り」は不意に訪れる。だから「私はいま眠れずにいる」というふうに今の自分の状態を正確に把握し、精密に記述しても、それによって不眠が亢進することはあっても、眠りが訪れるということはありません。どこかで自分を手離さないと眠りは訪れない。

たぶんレヴィナス自身、子どもの頃から不眠症で苦しんでいたのだと思います(僕もそうでした)。そして、あるとき不眠の苦しみは何かの欠如ではなく、何かの過剰であるということを理解した。「眠る能力」や「眠りの本質についての理解」が欠如しているせいで不眠の苦しみはもたらされているのではない。不眠の根源にあるのは、不眠で苦しんでいる自分をつい観察してしまったり、その原因を探ったり、その病態を仔細に記述したりしている自分自身だということに気が付きます。自分が過剰なせいで、眠れない。どうにかして自分を遠ざけ、自分の支配を弱め、自分への執着を手離さないと人間は眠れない。

僕が頭痛から眠りを奪還するために採用したのは「自分」と「頭痛」を切り離すことでした。頭痛は僕の生活習慣や遺伝形質によってもたらされ、それゆえ僕に製造責任があり、僕にはそれを統御する義務があります。でも、その真実を受け入れると痛くて眠れない。そこでこれは「邪悪なもの」が僕の意に反して押し付けてくる外来の痛みであるとみなすことにした。するといくぶんか痛みが耐え易いものになる。

なるほど、そういうものかと思いました。

ですから、医療でも、医療者と患者が一致協力して、外因性の「邪悪な痛み」と戦い、それを遠くへ押し戻すという「物語」に回収すると、少なくとも患者にとっては、身体的苦痛は一時的にではあれ、その「耐え難さ」を減じることができるんだと思います。

医者が不調を訴える患者に向かって「それ、全部あんたの遺伝形質と生活習慣のせいだよ」と言い放つというのは、たとえそれが事実であっても、やってはいけないことだと思います。

病気の原因はその人のうちにあるのではなく、「何らかの形で、外からその人に不条理におしつけられたものである」というのが近代医学の「癒しの物語」だとしたら、それは長い経験と深い人間理解に基づいて採択されたものだと思います。そういう物語のうちに身を置くことで、患者の気分が楽になり、よく眠れて、食欲も進み、生きる意欲が湧いて、自己治癒力が高まるなら、それは立派な治療法だと思います。

僕はすごく不調な時もお医者さんにかかると、それだけで半分がた治るということがよくあります。特にお医者さんが退屈そうに「よくある病気です」とさらさらとカルテに病名を記すのを見ているだけで、「なんだ、よくある病気なんだ。症例もいっぱいあって、治療法もとっくに確立しているんだ」と思い込むと、それだけで何となく気分がよくなる。近代医療の枠内で治療を受けているんですけれど、まだ処方された薬も飲んでないうちから治り始めるのだとしたら、僕においての「治癒の物語」は立派な「前近代」です。

救急車で搬送されるというのも、それだけでもうかなりの治療行為だと思います。ストレッチャーに載せられて、脈をとられたり、心電図をとられたりして「まないたの上の鯉」状態になると、それだけでもうほっとする。「もうこれからあと僕の病気は僕の手を離れて、医療人たちの管理下に移管されたのだ。もう、僕は自分の病気を自分で管理する義務から解放されたのだ」と思えるからです。統計的なデータがあるかどうか知りませんが、救急車から降りるころには「なんか気分よくなりました。救急車なんか呼んですみません」と謝って家に帰る人って、けっこういるんじゃないでしょうか。

だから、近代以前の医療でも、同じような「患者を救う物語」がいろいろ用意されていたと思います。「あなたの病は霊の障りである」というのもたぶんその一つで、これは「だから除霊すれば治ります」というかたちで病苦を外在化する。もちろん悪魔祓いをしても祖霊を供養しても、病気そのものは治りませんが、物語のレベルでは、病気と自分を切り離すことができる。それによって「自分が自分に釘付けにされていることの不快」はいくぶんか緩和されると思います。

三砂先生のお書きになったイギリスの医者、ジョン・スノウの話、ご教示ありがとうございました。「複雑なものは複雑なまま扱う」好個の事例だと思います。「原因物質」はわからなくても「病因物質」がわかればいいというのは、ウイルスの発見と似てますね。僕の頼りない医学史知識によると、19世紀の末頃にロシアのドミトリー・イワノフスキーという人が陶板の細菌濾過器を通しても感染性を失わない「見えない物質」があることを発見しました。のちにこれが「ウイルス」と呼ばれるようになった。

この「見えない物質を発見した」というところが科学の骨法だと思うんです。「観察できないけれども、そこに『観察できない何かがある』と仮定するといろいろなことのつじつまが合う」場合には、「手持ちの観察機器の精度が低いから」という説明は二重の意味で合理的だと思うんです。一つは「そう仮定するといろいろなことが説明できる」からで、もう一つは「そう仮定すると計測機器の精度を高めることへのモチベーションが生まれる」からです。僕は「計測機器の精度を高めることへのモチベーション」を刺激するということがこういう「見えないものを発見する」という知的アクロバシーの一番生産的なところじゃないかという気がします。

「オレはオレの目に見えるものしか信じない」というのは、一見すると骨のあるプリシンプルみたいですけれど、これで押し通す人においては「オレの目」の精度を上げるということは優先的には配慮されない。「顕微鏡で見えないものの存在をオレは認めん」と言い張る人が顕微鏡の精度向上のために汗をかくという風景はなかなか想像できません。

世に言う「リアリスト」というのは「自分が知っていることの重要性を過大評価し、自分が知らないことの重要性を過少評価する人」というふうに定義していいんじゃないかという気がします。僕はこれを「リアリストもどき」だと思っています。「真のリアリスト」というのは「今はまだ感覚に感知されないけれど、遠からず可知化しそうなもの」や「今は現前するけれども、遠からず消失するもの」を含む広いスペクトラムの中で「リアル」というものをとらえる知的習慣を備えた人のことではないかと僕は思います。

ジョン・スノウやイワノフスキーの例が教えてくれるのは「今はまだその存在を確認する手段がないけれど、『それは存在する』という仮説を採る方が『それは存在しない』という仮説を採るよりも説明できることが多い」場合には、「それは存在する」仮説を暫定的に採用する方が生産的だろうということです。

なんだかややこしい言い方ですみません。でも、三砂先生には僕が言いたいことは分りますよね。

疫学の話からずいぶん逸脱してしまいました。でも、「リアリスト」とは何かということがとりわけ気になってきたのは、ウクライナで戦争が始まってからです。さまざまな「専門家」たちの話を聞きながら、「真のリアリスト」と「リアリストもどき」の語り口の違いを興味深く観察しています。「自分が知らないことによって世界は満たされている」という無能の自覚の上に立って「今起きていること」「これから起こりそうなこと」を観察している人の言葉に僕はつい耳を傾けてしまいます。

今回も相変わらず話は散らかったままですけれど、まだもう少しいいですよね。安藤さんがご心配されていると思いますけれど、そのうちにちゃんと企画書の線に戻ると思います(希望的観測)。

では。

内田樹 拝

内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。凱風館館長。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に『「おじさん」的思考』『こんな日本でよかったね』『コモンの再生』『日本習合論』など多数。『私家版・ユダヤ文化論』で第六回小林秀雄賞を、『日本辺境論』で2009年新書大賞を受賞。

三砂ちづる(みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。京都薬科大学卒業。ロンドン大学Ph.D.(疫学)。津田塾大学多文化・国際協力学科教授。著書に『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』など多数。

第8回 「母性なるもの」をめぐって

内田樹先生と三砂ちづる先生の往復書簡による、旧くてあたらしい子育て論。ともに離婚により、男手で女の子を育てあげた内田先生と、女手で男の子を育てあげた三砂先生。その経験知をふまえた、一見保守的に見えるけれども、実はいまの時代にあわせてアップデートされた、これから男の子・女の子の育て方。あたらしい世代を育てる親たちへのあたたかなエール。

第8便・A

母性に活性化スチッチが入るとき

内田先生

こんにちは。お便りありがとうございます。少子化が社会問題になって、その対策をすればするほど少子化が進む、という最後のお話がずっしり、胸に残っています。

「それはたぶん「子どもを産む」という本来人為の及ばない、自然との共同で行う営みを社会的な「効用」と相関させて、人為に従わせようとする態度そのものが母性の活性化を傷つけるからではないでしょうか。」と書かれていました。本当にそうです。

「母性の活性化」、という言い方、いいですね。

以前のお便りでは、男性性、女性性、というものは、あるいは「父性」、「母性」というものは、性別に関わらず、全ての人たちが持っている、と書いてくださっていました。ある条件の元では「母性」が活性化する。例えば、内田先生は父子家庭になってから自分の中に豊かな母性が存在することを「発見」なさったのだという。母性とは、「活性化」したり、「発見」されたりするものなんですね。もちろん父性もそのように、活性化したり、発見されたりする。今、ここに、あるか、ないか、ではなく、あれ、知らなかったけど、こういうことが自分のうちにあったんだ、と気付かされるようなもの。

「母性」なんか、ないんだ、そのように、ない「母性」を押し付けられて、女性たちが抑圧されてきたんだ、という文脈で、長いこと語られてきました。人文科学、社会科学の分野では「母性」ということを口にするだけで、顰蹙を買うような雰囲気がありました。今もあると思います。私が仕事をしてきた、公衆衛生や地域保健、国際保健、といった医療の関わる分野では、「母性」という言葉は、よく使われていました。母子保健、つまりはお母さんと赤ちゃんの保健に関する分野のことは、英語でMaternal and Child Health、と言います。MCHと略されたりします。Child Healthの方は、小児保健、Maternal Health の方は母性保健、と言われていて、「母性衛生学会」とか学会の名前にもなっています。だからあんまりタブーじゃないと思います。といっても、だから、なんなの?という感じですよね。たかが学会の名前、されど、学会の名前、80年以上続いてきた「民族衛生学会」はさすがに時代錯誤であるいうことになり、「健康学会」と名前を変えました。だから「母性衛生」も変わるかもしれませんが、少なくともここまででは、話題になってきませんでした。ともかく、医療の分野は別にしても、「母性」は押し付けられることで、女性を苦しめているもの、ということになっています。

でも、「母性」って、もともとなくても、ないと思っていても、「活性化」されたり、「発見」されたりするものなんですよね。そもそも、自分のありよう、って不変のものじゃなくて、いつも移ろっているもので、一体どれが本当の自分か、なんて、わかりません。今の時点でできないからといって、将来の自分もできない、ということではない。人間が変わっていって、キャパシティーが大きくなること、違う方向に成長していくことって、いつ何どきでも起こりうることですから。学生さんが、「今、自分一人だけでも大変なのに、これで結婚して結婚相手ができたり、子どもができたりしたら一体どうしたらいいのかわからない」とかいうので、いやいや、心配ないです、結婚したり、子どもができたりしたら、自分のフェーズが変わり、今の自分と同じではないですから、今の自分と同じだと思わなくていいです、みたいに返事してきました。一人で仕事をしていた時には、3時間かかっていた書類作りの仕事が、子どもが産まれると、なぜか30分くらいでさっとできるようになった、みたいなことって、誰でも経験しているのではないでしょうか。人間って変わるのです。

だから、「母性」が今、なくても、いい。でも、今、なくても、今後、発見されるかもしれないし、活性化されるかもしれない。「母性」は女性にも男性にも全ての人にあるけれど、やはり女性の体を持っていると、「母性」は発現しやすい仕組みになっている。「母性」にはスイッチみたいなものがあって、今まで全く考えたこともなくて、子どもの育て方なんてさっぱりわからなかったけれど、ある出来事で、まるでスイッチが入ったように、子どもが育てられる親になったりする。これは、スイッチによって母性が「活性化」されたんですね。内田先生も、お子さんと「二人世帯」になった時点で、あるいはなんらかのきっかけがあって、あるいは、徐々に、「活性化」スイッチオン、となった、というわけです。

私はずっと出産にこだわってきたんですけれど、それは、やっぱり出産というのが、ものすごく重要な「母性活性化スイッチ」であり得るからなんですね。いわば、スイッチNo.1。助産婦さんの話を聞いていると、お産した女性は一瞬で変わる、っていうんですね。妊娠中は大丈夫かなあ、この人、みたいに思っていても、出産を経て、がらっと変わって、しっかりしたお母さんになる、ということが、よく、ある。いくつも助産院や産院の手記を読んできましたが、出産直後に書かれた文章は、まさに、踊っています。「痛いけど、気持ちよかった」、とか、「こんなに人に受け止められた、と感じられることは初めてだった」とか、「陣痛の合間には、引き込まれるように眠たくなった」とか、「宇宙の塵になったみたいに感じた」とか。理性では理解できないようなインパクトの高い経験がいくつも記されている。そして、急に社会性が出てきたりするのです。「日本の皆さん、この素晴らしい助産婦さんを次の世代に残すために学生実習は受け入れてあげてください」、とか、「私の産んだこの子が生きていく世界をより良いものにしたい」とか話が大きくなっていきます。また、「子どもがかわいくてかわいくてしかたない」、「ああ、またすぐもう一人産みたい」みたいな感じにも、なる。自然なお産、というか、自分の体を使って、赤ちゃんの力を信じて産んだお産、というのは、とにかく「母性が活性化する」。その言葉がぴったりです。

活性化した母性を使って子育てすると、ラクなんです。そりゃそうです、今までなかったもの、ないと思ってたもの、が急に活性化したんだから、その活性化モードに乗っていればいい。日本の助産師さん、とりわけ開業助産師さんたちはそういうことがよくわかっているから、できるだけ女性にそういう、自分の体を使い、赤ちゃんの能力を生かしたお産の経験をさせてあげられるように尽力なさっておられるわけです。そうはいっても、今は、出産とは、できるだけ医療管理された場で行うことこそが良いお産、という理解が広がっているし、産む側にも、自分の力で産む、とかあまり考えない人も増えてきたので、自分の力と赤ちゃんの力を最大限活かしてスイッチNo.1をオンにできないまま赤ちゃんを迎えることになる人だって少なくない。そこでまた、助産師さんたちが、できるだけスイッチオンになるように、あれこれがんばってくださっている。助産師、っていう職業は、「母性活性化」職能集団なのかもしれない。

そこでスイッチNo.2、母乳輔育です。ああ、でも、「母乳」、っていうだけで、これまた「母性」みたいな拒否反応が広がるこの国は、本当に大変です。母乳の、健康上、母子関係上のアドバンテージはあまりにも明確で、ゆるぎはありません。当たり前です、哺乳類ですから。でも生まれたばかりの赤ちゃんを、新生児室とかに連れて行って、お母さんと物理的に離すと、母乳は出なくなる。だから世界中で、生まれたての赤ちゃんはお母さんと「母子同室」なんですけど、日本は、なんの科学的根拠もない新生児室がどこにでもある、という奇妙な国で、それこそ世界中では、小児科医のドクターたちが粉ミルクの商業主義に反対して、母乳輔育推進にがんばってきたものですが、そういう話も日本ではあまり聞かないですね。大体、母乳で育てると、本当にラク。ミルクを買う必要も、哺乳瓶を消毒する必要もないし、何があっても母親さえいれば赤ちゃんは大丈夫、という状況は、この災害の多い国にあって、安心を提供してくれます。完全母乳で育てていると、出産でオンにならなかった人も、夜中におっぱいを吸う赤ちゃんと二人で時間を過ごしていると、「母性活性化スイッチ」No.2が入って、何の理性的な理由もないのに、赤ちゃんが可愛くてたまらなくなったりして、それで、またそういう状態になると赤ちゃんといる時間が愛おしくて、楽しくなって、子育てがラクになり得る。結構パワフルなスイッチです。

出産でもオンにならなくて、母乳でも育てられなくて、という時には、母性活性化スイッチNo.3、「おむつなし育児」の出番があると思います。スイッチNo.1もNo.2も女性の体に根ざしたことですが、No.3は、違います。そしておそらく、No.1とNo.2はパワフルだけど、そこが機能しなくても、「おむつなし育児」をはじめとしてきっといろいろ隠れたスイッチがあるのです。おむつなし育児って、別に私の発見でも発明でもなく、人類が昔からやっていたことなのですが、これに、おむつなし育児、という名前をつけて、改めて母子保健研究の俎上に載せ、トヨタ財団とか文部科研とかから助成してもらって2009年ころから研究しまして、そのシンポジウムで内田先生にもお話ししていただいたことがありますね。その節は、本当にありがとうございました。

おむつなし育児、とは、おむつを全く使わない育児、ではなくて、「赤ちゃんがおしっこ、うんち、したそうなことに気づいたら、おむつを外して、おむつの外でおしっこ、うんちさせてあげる」ことです。世界人口の3分の2くらいがいまだにこうやって子どもを育てしていると言われるし、日本もふた世代前まで、ごく普通にやっていたことで、「しーしーとーとー」とか、縁側で赤ちゃんをささげておしっこさせてあげることに既視感がある世代もまだ生きております。大体、この「気づいた時にはなるべくおむつの外で」排泄させるようにしないと、布おむつの洗濯は大変過ぎますから、紙おむつのなかった頃の親は、できるだけ、おむつを汚さないように、おむつの外で排泄させていたものなのです。これがね、男女を問わず、結構、「母性を活性化」させるところがあるようなんですね。だから母性活性化スイッチ、No.3。

野生の菌を使ってパンやビールを作っておられるタルマーリーの渡邊格さんは、赤ちゃんが朝起きた時、おむつを外して庭に連れて行ってシャーっとおしっこしたのを見て、うわー、おもしろい!と思った、ウンチしたそうな時にオマルに座らせると、ウンチしてくれた、この瞬間に感動が湧き起こって、すごい、おもしろい、育児が楽しい、と思えた、と、おむつなし育児で「母性活性化スイッチ」がオンになった瞬間について、著書「菌の声を聴け」[i]で、的確に描写してくださっております。

タルマーリーさんのことを最初に伺ったのは、隣町珈琲で平川さんと3人でおしゃべりしていたときに、内田先生が「タルマーリーのパンレスキュー」の話をなさった時のことでした。新型コロナパンデミックの影響で、丹精込めて作られたタルマーリのパンがどうしても売れ残りそうな時に、「うちに送ってもいいよ」と登録しておくのが「パンレスキュー制度」らしくて、内田先生はそれに入っておられて、パンを受け取った、という話をされていました。それなら私も入ろう、と思って、タルマーリーのパンレスキューを申し込んだら、渡邊麻里子さんから電話がかかってきて、「三砂先生!おむつなし育児の本、読んでます!」って、言ってくださって、そこからタルマーリーさんたちが今活動なさっている鳥取県智頭町とのご縁の糸が、さささ、と伸びてきたのです。2021年は10月11月と続けて智頭町に行って4回も講演会やったり、町が場所を提供された助産院に泊まったりすることになりました。「森のようちえん」、「サドベリースクール」のある智頭町には、移住して母性活性化スイッチオンになった男女がたくさんいて、なんだか楽しそうに暮らしてらっしゃいます。お子さんが3人、は普通で、4人、5人といる方もおられる。そういうところですから、ぜひ、生まれるところからこの街で……ということで助産院もできたのです。なんだかとてもおもしろいことがあれこれ、進みつつあって、目がはなせません。春には、タルマーリーさんがカフェや宿泊できるところをオープンされるそうで、楽しみですね。

でもね、スイッチ1も2も3も、パワフルではありますが、別に、なくてもいいし、必要不可欠でもない。それぞれの人にはそれぞれの別の活性化スイッチがあり、それはスイッチとして意識すらされていなかったかもしれない。スイッチ、という言い方のようにパッとついたりするものではなくて、段々に活性化して行ったのかもしれない。だからこれらのスイッチにこだわらなくてもいいのですが、でもやっぱり経験的にスイッチになってるものは、使えればラクなんですよね。

今は逆です。女性にとって負担だ、という言い方で、自然なお産も、母乳哺育も、おむつなし育児も、「一層手間がかかって女性に負担をかける」ということになっている。で、結果としてどうなるかというと、母性のスイッチが入らないままでの子育てを女性と家族がやることになって、それこそが本当にしんどいことなのではないか、と思うのですね。

ついつい、こういうことだとやっぱり饒舌になってしまうのですが、ひとまずここで筆をおきますね。

三砂ちづる 拝


[i] 渡邊格・麻里子「菌の声を聴け」ミシマ社、2021年.

 

 

第8便・B

「〈それ〉を何と呼ぶか」よりも、「〈それ〉をどう扱うか」

三砂先生

こんにちは。内田樹です。お手紙ありがとうございました。

母性の話は三砂先生と最初に知り合った時から、ずっと続いている話題ですね。僕と三砂先生はこの件についてはだいたい同意見だと思いますけれど、それでも「母性」について発言すると、三砂先生がお書きになっている通り、しばしば論争的なことになります。なにしろ「母性などというものは存在しない」と断言する人たちが一方にいて、「母性を実体化して語ること自体が臆断である」と言われてしまうと、対話がなかなか成り立ちません。

でも、僕はどんなことについても「それは原理の問題ではなくて、むしろ程度の問題ではないのか」というふうに吟味することを習慣にしていますので、「母性問題」についても同じように接近してみたいと思います。つまり「母性なるもの」が実体としてあるかどうかは確定できないけれど、「母性」の機能というものは経験的には存在する。だから、「母性なるもの」が何であるかを論じるよりも、「母性の機能」のどういうところが危険で、どういうところが有用なのか、どういうところが不毛で、どういうところが豊穣なのかについて、経験的にわかっていることをていねいに腑分けしてゆく。そういう作業の方が生産的なのではないかと考えています。

問題になっている概念をまず一意的に定義してから話を始めようという人がいますけれど、僕はそういう人とはうまく話が噛み合いません。無理だと思うんです。だいたいある概念が「問題になっている」という事実から推して、その概念については複数の「氷炭相容れざる」定義がすでに並立しているわけですよね。それについて「まず概念を一意的に定義してから」というわけにはゆきません。それは「結論を出してから、議論を始めよう」というようなことなんですから。

僕は学校教育について論じる時に「学校教育の目的は子どもたちの成熟を支援することである」という定義から出発しますけれど、この定義はまだ一般性を獲得していません。だから、「あなたの『学校教育』の定義は間違っている」という人も当然います。そういう人と教育を論じる時に(あまりそういう機会は訪れませんが)「一意的な定義をしてから」というわけにはゆきません。

母性もそれと同じだと思うんです。僕にも母性とは「こんなふうなものだ」という考えがあります。でも、それは僕の個人的なとらえ方ですから、一般性を獲得していない。それがある程度の広がりを獲得するまでにはまだまだずいぶん時間がかかるだろうし、もしかしたら、まったく広がりを得られないかも知れません。でも、だからといって諦めるわけにはゆきません。実際に母性の危険と生産性についてはともに経験知があるわけですから。それを語ることを「止めろ」と言われても困る。いろいろな人のいろいろな経験知を「パブリック・ドメイン」に並べておいて、必要な人はいつでもどれにでもアクセスできるという状態を達成するというのがとりあえず望みうる割とましな事態ではないかと思います。

アルベール・カミュの『ペスト』はパンデミックになってからずいぶんたくさん読まれました。僕もこの間に出た新訳を二つ読んで(中条省平先生と三野博司先生の訳)、改めて「深い物語だなあ」と思いました。

その中に感染初期に、この感染症はペストか否かについて専門家たちが議論する場面があります。行政官はもちろん判定に慎重です。都市封鎖になるわけですから、判定をつい先延ばしにしがちになる。法に定めた感染症対策を発動するためには、この流行り病がペストであるかどうかを確定することが必要だと人々は主張します。その中にあって、物語の語り手である医師リウーだけはただちに防疫対策を講じることを提案します。

「君はこれがペストだということに確信があるのか?」と問われたリウーはこう答えます。

「それは問題の立て方が間違っています。これは言葉の問題ではなくて、時間の問題なのです。」(Albert Camus, La Peste, in Théâtre,Récits,Nouvelles, Gallimard, 1962,p.1258)

「これは言葉の問題ではなく、時間の問題なのだ(Ce n’est pas une question de vocabulaire, c’est une question de temps)」。

言い換えると「これは原理の問題ではなく、程度の問題なのだ」ということです。自分たちが直面している疫病が「何であるか」を確定するよりも、その疫病に感染する死者を「一人でも減らす」方が優先する。

今回のパンデミックでも、何人かの医師から「私たちは病気を相手にしているのではない。患者を相手にしているのだ」という言葉を聴きました。

母性の問題も、それと同じ筆法で論じるべきではないかという気がします。「〈それ〉を何と呼ぶか」ということよりも、「〈それ〉をとりあえずどう扱うか」の方が優先する。現実に〈それ〉で苦しんでいる人/それで救われている人がいる以上、その苦しみを軽減し、悦びをもたらす手立てを実践する方が時間的には優先する。

目の前にある現実をどう呼ぶのかというのは、恣意的な記号操作です。例えば、虹のスペクトルを日本人は7色に分節しますが、これを3色に分節する言語集団も存在します。日本語でも、「青」という色は自存するわけではありません。僕たちは「青」と「緑」を厳密には切り分けていません。交通信号は「緑」色でも「青信号」と呼ぶし、木が茂っている状態を「青々と茂っている」と言います。

男性と女性、父性と母性も、それに似ていると思います。現実には、ジェンダーというのはアナログ的な連続体であって、それを二項対立的に切り分けているのは、あくまで「便宜的に」です。性差は現実そのものであるのではなく、現実を記述し、解釈し、変成するための記号だということです。

「ペストだ」と命名すれば、法律が適用されて都市封鎖がされる。命名しなければ都市は封鎖されない。でも、人間が名づけようと名づけまいと疫病がそこに存在して、人を殺し続けることに変わりはありません。ペスト菌は法律も行政区分も認識しませんから。だったら、名前をつけることよりも患者を救う方が先だろうと僕も思います。

僕が「原理主義者」ではなく、「程度問題主義者」であるのは、要するに虹のスペクトルなんて、いくらでも好きに分節すればいいと思っているからです。虹を2色に切り分けたいという人がいたら、「好きにしたら」と言います。でも、色彩名詞について言えば、分節の仕方が複雑で豊かな言語集団の方が、わずかの色彩名詞しか持たない集団よりも文化的に「豊か」であるということは間違いありません。もちろん色彩名詞が多いと面倒です。「浅葱(あさぎ)色」とか「瑠璃(るり)色」とか「茄子紺(なすこん)」とかは文字の画数も多いし、色を同定するのにもそれなりの経験が要ります。でも、「面倒だからいやだ。『浅葱色』なんか『青』でいいじゃないか」というような「合理主義者」の言い分にうっかり頷くわけにはゆきません。

ジェンダーについても僕は同じように「文化的な豊かさ」を配慮したいと思っています。前便でも書きましたけれども、僕は一人の人間の中においても、ひとりひとりに個性的な、異なるジェンダー・バランスが「配剤」されているような気がするんです。

僕は子どもの頃、平川君と親友になるまでは、親しい友だちは女の子ばかりでした。そのあと自分の男性性を意図的に強化しようと努力しましたけれど、父子家庭になって「母親」を演じるようになったら、自分が「母であること」を楽しんでいることを発見しました。

ですから、同じように、自分の社会的な高い能力を最大限に発揮して、競争社会で男たちと戦って、のしあがることに高揚感や幸福を感じる女性もきっといると思います。家族や下僚に対して家父長的にふるまうと「気分が落ち着く」という女性だってきっといると思います。それでいいと思うんです。要するに「いろいろあるよね」ということで。

でも、それがなかなか許されない。どれか一つに「型」を選んで決めろとせっつかれる。僕はそれ嫌なんです。僕たちの文化において、性差、特に女性性がことさらに記号的に強調されるのは、それが記号だからだと思います。男たちの多くは、現実に目の前にいる女性ではなくて、その女性が記号的に表象する「意味」を欲望したり、所有したり、格付けしたりする。そういうふうに記号的にふるまうことが「男性性」の記号だからであるという「入れ子構造」になっている。ややこしいですね。

性に関しては、しばしば記号の方が現実よりリアルです。記号の方が強い「現実変成力」を発揮することがある。それは記号作用を介在させないと、性差というものが複雑すぎて手に負えないからだと僕は思います。複雑な現実を複雑なままに扱うことができないので、しかたなく話を簡単にする。あらゆる場合に僕たちがしていることです。それと同じことをジェンダーの場合でも適用している。

でも、僕は経験的には、複雑な現実は複雑なままに扱う方が話は早いと信じています。これはカミュが言う通り「時間の問題」なんです。

娘と二人暮らしが始まった時に、まず三食を僕が作らなければならなくなりました。その時に「男が家事をするとは、どういうことなのか」というような意味づけとかどうでもいいわけですよね。現に目の前にお腹を減らせている子どもがいるわけですから。美味しいものをさっさと作って食べてもらうことが最優先する。「言葉の問題じゃなくて、時間の問題なんだ」というのは、すごく平たく言うとそういうことじゃないかと思います。

プラトンが『饗宴』の中で、太古男女は「三種類いた」という話をしています。男男・男女・女女の三種類いたんだそうです。顔が二つ、手足が八本、性器が二つで単体を形成する。図像的にはかなり想像しにくいですけど。この生き物はたいへん力が強く、傲慢にも神々に対して挑発的であったためにゼウスはそれを懲らしめて、これを二つに切り分けた。そのせいで、すべての人間はかつての自分の半身を求めるようになった、という話です。もとが男男の場合は男と男が求め合い、もとが女女では女と女が求め合い、もとが男女では男と女が求め合う。プラトンはこの切り裂かれた半身が残る半身を求める激しい欲望を「エロス」と名づけました。

果たしてプラトンの時代に、この神話がどれほどのリアリティーをもって語り継がれてきたのか、僕には想像もつきません。でも、「男性女性の二種類しかない」という性差についての見方よりも、この話の方がなんだか開放感があると思いませんか。僕はプラトンはこの話をしながら、ジェンダーを過度に二項対立的に、つまり記号的にとらえる態度を諫めていたのではないかという気がちょっとするんです。

ああ、今日もまた話がひどくとっちらかってしまいました。すみません。でも、お返しに三砂先生も、もっともっと話を散らかしてくださって結構ですよ。あとで二人でのんびり回収しましょう。

ではまた。

内田樹 拝

内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。凱風館館長。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に『「おじさん」的思考』『こんな日本でよかったね』『コモンの再生』『日本習合論』など多数。『私家版・ユダヤ文化論』で第六回小林秀雄賞を、『日本辺境論』で2009年新書大賞を受賞。

三砂ちづる(みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。京都薬科大学卒業。ロンドン大学Ph.D.(疫学)。津田塾大学多文化・国際協力学科教授。著書に『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『オニババ化する女たち』『死にゆく人のかたわらで』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『少女のための性の話』など多数。