scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第4回 秋は実りと収穫の季節

今年1月に刊行された『老北京の胡同――開発と喪失、ささやかな抵抗の記録』は、朝日新聞、週刊文春、信濃毎日新聞、聖教新聞など、各紙誌で大きく取り上げられている。

多田さんの15年間の取材と観察の集大成であるが、本書収録の写真(多田さんのお連れ合いの張さん撮影)も、胡同の魅力と大きな変化を伝えてくれる。張さん自身も胡同育ち。胡同とそこで暮らす人々を特別の思いとあたたかいまなざしで写し取っている。今回は、紙幅の都合で載せられなかったさまざま写真をご紹介する。

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第6回 更紗工場の職人(3)

Calico Factory Artisans - 3-1

工場内にはおよそ10メートルはあろうかという赤い布が作業台の上に敷かれている。職人たちはその布に「版」と呼ばれる模様の型に染料を流し込み、更紗独特の模様を染め付けていくのだ。その「版」を何重も重ねることで複雑な模様が完成していくというのだ。小学校の図工の時間にやった多色刷り版画の要領と一緒だ。

しかしこの染め付けが思った以上に難しい。「版」は二人一組で持って染め付けていくのだが、双方の息が合っていないと、色ムラが出たり、にじんだりするのである。そうなると、商品としては価値がなくなってしまう。そして何よりも納期に間に合わせるため、素早く染め付けていかなければならない。「版」は重く、これを持ち上げるだけでも大変な力を要する。単純そうに見えて繊細な技術と経験と体力を要する重労働なのだ。この作業を職人さんたちは一日中、来る日も来る日も行っているのである。

どの職人たちも先程の休憩時間に見せていた陽気な雰囲気はなく、黙々と真剣な表情でその作業に徹していた。染め付けられた布は次々と工場内の天井にくくり付けられ、うるさく回る扇風機の風に当てられ乾燥させられる。風に煽られてユラユラとはためく更紗はまるで波のように揺れ、職人たちの厳しい表情とは対照的に、じつに気持ちよさげで優雅だ。

それらを撮っていると一人の職人が、

「おい、俺を撮ってくれないか」

と僕にジェスチャーで言ってきた。ついいましがた作業が終わったのだろう、ハァハァと肩で息をしている。手は染料で赤く染まっている。

彼は真剣な表情で僕を見つめ、もうすでにいつ撮っても構わないぞという出で立ちだった。

僕は彼にカメラを向けた。彼の額にはびっしりと丸い玉の汗が浮き上がり、固く閉じられた唇にその汗が流れ落ちていく。微動だにせず、ただじっとカメラを見つめるその男の眼差しは優しそうにも見えるし、厳しそうにも見えた。そして自信と誇りに満ちたいい顔をしているように見えた。その顔をファインダー越しに見ながらシャッターを切り、写真と僕の脳裏に焼き付けた。

撮り終わってから僕は彼に尋ねた。

「仕事は楽しいですか」

「楽しい? 考えたことないな。だってこれは神様が俺に与えてくれたものだから」

人差し指を天井に向けて、ニヤッと笑う男。

僕はゾクッとした。そうか彼らにとってはこの仕事は神から託された使命なのか。僕にはなかなかできない発想だ。もしかしてこの考え方が根底にあるから、あんなに威厳ある表情と眼差しができるのだろうか。それともただ単純に僕自身がそう勝手に感じているだけなのかもしれない。

どちらにせよ僕は「いまここにある生」を神の意思に従って生きる彼の姿に、一つの生き方を垣間みた気がした。そして、そんなことを至極当然のように答える彼の潔さと迷いのない生き方に僕はただただ「かっこいい」と感じたのである。

生きていくということはそう簡単なことではないと思っている。しかし、その生の営みの中に一つ「軸」があればその「生」はまた違った光り方をするのだろう。

僕が出会った更紗職人たちは、その「生」が「はたらく」ことと見事に重なっていい光り方をしていたと思う。

更紗が揺れる工場内は、陽が高くなるにつれて熱気を増していった。それと同時に、職人たちの額に浮かび上がる汗も増えていく。

薄暗い工場内に、妖しく光る更紗と汗の玉が光り輝いて見えた。

 

「一体何を撮りたいんだろう」

その答えを探すためにインドを自転車で旅した僕だが、結局それがわかるまでしばらくの時間を要した。インドから帰国した当初はすべての出来事が刺激的で、濃い記憶として残っていたため、果たして自分の心が最も動いたことが何なのか見当もつかなかったのである。

それがだんだんと時間が経過し、表層的な記憶の部分がはがれて最後に強烈な印象として残ったものが、更紗工場の職人たちを撮ったあの写真群だったのである。ほかで撮った写真と比べてみてもその写真群だけは妙な熱を持っていた。そしてそれをまとめてみると荒々しく稚拙ながらも、僕自身が一番見たかったもの、何を撮りたいのかが立ち現れてきたような気がしたのである。

 

「はたらくひと」を撮っていってみようかな。

ぼんやりと、しかしインドに行く前よりは確かな手応えを感じながら、僕はそう思った。

それにあの現場で職人たちを撮りながら僕が「かっこいい」と感じた感情の正体が何なのかも知りたかった。いまはわからないがきっとその感情にも何か理由があるはずだ。撮り続けていけばその一部分でもわかるのではないだろうか。

とにかく撮っていってみよう。

写真の世界に足を踏み入れて約1年。自分なりの鉱脈にコツンと当たった瞬間だった。

(「更紗工場の職人」了)

Calico Factory Artisans - 3-2

Calico Factory Artisans - 3-3

第3回 「ヘイト」の萌芽

「『空気』が支配する国」だった日本の病状がさらに進み、いまや誰もが「気配」を率先して察することで自縛・自爆する時代に? 「事のまずさを感知しない『空気』」を悪用して突き進む政治家たちと、そのメッセージを先取りした「気配」に身をゆだねることに違和感を覚えなくなってしまった私たち。「日本の心情」を“なんとなく”稼働させてしまう「気配」の危うさをめぐる、『紋切型社会』の著者・武田砂鉄さんによるフィールドワーク、その第3回。 公共の場でなされるヘイト言動には「NO」を言えても、プライベートに近い場ではつい気配を読んでしまいがちな私たち。しかしそこにこそヘイトの萌芽があるのだとしたら……。

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