scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第246回 犬と赤子

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日でこの連載がはじまってから1年が経った。2歳3か月だった犬は3歳3か月になり、0歳7か月だった赤子(息子)は1歳7か月になった。38歳9か月から39歳9か月になった僕よりも、犬と赤子に起こった変化のほうが、おそらく大きいと思う。赤子は少しずつだが、単語を喋るようになってきた。

犬と0歳児との接しさせ方をどうすればいいのか、去年の今頃の段階では僕と妻はよくわかっていなかった。愛犬ニコルはとても賢い犬で、気性も穏やかである。甘噛みもほとんどしなくなっていたし、同じ犬種の中でも小さく4.3キロしかない。連載開始の時点で、赤子は犬より大きかった。だからあまり心配していなかったけど、何かあったら大変と思い、犬と赤子をどう近づけたらいいかわからないまま、距離をとらせていた。

それでも一緒の家に暮らしているので、犬と赤子が接触する機会が増えていった。何度も言うが愛犬ニコルはとても賢い犬である。問題はどちらかというと赤子だった。ニコルを叩く、毛をむしろうとする。そのたびにニコルは逃げ去った。吠えたり、噛んだりは絶対にしなかった。なんて偉い犬なのだろうか。

赤子はその当時、少しの物音でも起きて泣き叫ぶ(「赤爆」と呼んでいる)ため、僕と妻は寝静まったあとに、ひそひそ声で話をしていた。そうすると、犬もなぜか寄ってきた。たぶん、赤子の情報などを共有する「大人の会話」に自分も参加したかったのだと思う。甘えん坊だったニコルは赤子が家に来て以来、僕と妻の膝に乗るのをせがむ回数が減り、リビングで自分がリラックスできる場所を見つけ、そこで丸くなっている時間が増えた。「いつも我慢ばかりさせてごめんね」と、僕と妻は犬に謝っていた。

1か月くらい前から、ニコルが興奮している様子で赤子にまとわりつくようになった。僕は「ニコル 、駄目だよ!」と注意していた。しかし、よくよく観察してみると、ニコルは我を忘れて興奮しているのではないことに気がついた。そう、犬と赤子は一緒に遊んでいたのである。少しは物わかりがよくなったとはいえ、赤子はニコルが近づくと、まだ乱暴な行動に出るときがある。しかし、ニコルはそれをわかっていて、赤子の遊びがエスカレートしたら華麗に身をかわし、するりと距離をとっていた。念のため用心しながらその様子を観察する日々が続いた。赤子もニコルとの遊び方を、だんだんと理解しだしたようだった。

この1年間、僕はずっと腰が痛いだの、仕事部屋が片付かないだのと喚き散らしていた。その間に、犬と赤子は立派に成長し、今では親友のようになっている。そんな犬と赤子を見て、僕は誇らしく思うと同時に、自分の不甲斐なさをしみじみと感じた。来年は腰痛を治し、仕事部屋をきれいに保とうと心に誓った。

赤子は今でもたまに赤爆するものの、以前よりは一度寝たら朝まで目を覚さない日が増えてきた。多少の物音がしても起きないようになった。ニコルは赤子が寝静まったあと、僕と妻に甘えてくるようになった。僕と妻は、夜になったらここぞとばかりにニコルを構いまくっている。僕は犬と赤子の成長を見守っていたつもりだった。しかし、僕が知らないうちに成長し続けていた。犬と赤子はとても偉いのだ。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。