ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第242回 懐かしさ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

人間には喜怒哀楽といった区分け以外にも繊細で多様な感情がある。そのなかでも僕は「懐かしい」という感情がとても好きだ。過去を美化するわけではなく、ただただかつての出来事を懐かしむ。ほろ苦さも失敗した経験も、ときには反省や痛恨の念にとらわれながら振り返る。当たり前だが、いつかはすべてが過ぎ去った出来事になる。過去になる。だからこそ、現在を目一杯に生きたい。あらゆる記憶が過去になったとき、なるべく後ろめたさがないように、人を傷つけず、目の前の人を大切にしようと心がけていく。

TBSラジオの深夜番組「文化系トークラジオLife」のプロデューサー・長谷川裕さんは、『週刊東洋経済』2014年8月2日号に掲載された連載のなかで、自身のことを「筋金入りの思い出マニア」としている。小学1年生の頃から、幼稚園時代を懐かしんでは涙ぐんでいたそうだ。「『現在』は思い出作りの材料にすぎない。しかし思い出のアルバムを充実させていくには、この『現在』のベストショットを撮り続けるしかない。そのためには、それなりに『絵になる』現在を用意していく必要がある。だから、日々の仕事だってつまらないものにしておくわけにはいかない」。僕は、そんな長谷川さんの考え方が大好きである。

小説家・吉田修一の最も優れた作品は、長崎の高校水泳部員たちの夏を舞台にした「Water」(文春文庫『最後の息子』収録)だと思っている。「Water」には以下のような、忘れがたい美しいシーンが描かれている。

「フラれたとか?」
とおじさんが、声をかけてきた。ボクは返事もしないで運転席の後ろの席に座った。真っ暗な県道にぽつんと光るバスの中で、じっと自分の手を眺めていた。運転席に戻ったおじさんが、エンジンをかけながら、
「坊主、今から十年後にお前が戻りたくなる場所は、きっとこのバスの中ぞ! ようく見回して覚えておけ。坊主たちは今、将来戻りたくなる場所におるとぞ」
と訳の分からぬことを言っていた。

もちろん、僕にはこのおじさんの気持ちがよくわかる。このシーンを読んでから、街で青春を謳歌している若者を見るたびに、同じことを言いたくなる衝動に駆られるのを、なんとかおさえている。しかし、その真っ只中にいる人にとっては「今、将来戻りたくなる場所」にいる実感を抱くのが意外と難しい。

来年3月に40歳になる僕も、高校生からみれば歴とした「おじさん」である。だが、僕は思うのだ。バスの運転手のおじさんにも、「将来戻りたくなる場所」がかつてあったからこそ、そのことを教えたのだろうと。そして、ほかならぬおじさんにとっても、運転席の後ろに乗った坊主が手を眺めていたこの瞬間を、いつの日か懐かしむことになるのであろうとも。

2020年12月から書き綴ってきた「モヤモヤの日々」も、いつかは思い出になる。椅子に腰掛けるのに疲れ、床に座り壁にもたれながらキーボードを叩いている今すら、もしかしたら「将来戻りたくなる場所」なのかもしれない。連載も残り9回。将来、この日々を懐かしさに浸りながら思い返すことができるよう、モヤモヤを逃さず文章に結晶させていこうと思う。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。