scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第1回 地獄の釜でたらふく食いたい

気の迷いと偶然で飛び込んだ出版の世界。そこで直面した矛盾と葛藤。マイノリティを支援し社会的な課題の解決を目指すことと、商業的に利益を上げることは両立可能か? 毒親もヤフコメ民やアンチフェミニストからのクソリプも飯のタネ。片手で社会的ルールを遵守しつつ、もう一方の手で理不尽な圧には抵抗する。宗教2世、精神疾患当事者、ポリアモリーという特質をそなえた編集者(見習い)による、「我らの狂気を、生き延びる道を教えよ」の叫びが聞こえるエッセイ。

私は編集者という仕事をしている。「編集者」と一口に言っても、Webの記事、雑誌、新聞などさまざまな媒体に関わる人がいるが、私は書籍編集者。本を作る仕事だ。

小さい頃から本は好きだった。小学校1年生で「ハリー・ポッター」シリーズにドハマりして以降、「バーティミアス」三部作、松原秀行の「パスワード」シリーズ、はやみねかおるの「夢水清志郎」シリーズ、シャーロック・ホームズやアガサ・クリスティー……。司馬遼太郎と浅田次郎にハマったのち、彼らにオイディプス・コンプレックスを発症し、大学でジャニス・ジョプリンに惚れ込んでバンドサークルに入り浸るようになって、しばらくの間は読書から離れたが、大学院に進学してからは、國分功一郎や上野千鶴子、東畑開人などのいわゆる「人文・思想」「心理」「社会学」などのジャンルのノンフィクションを広く浅く、好んで読んでいた。読書好きが高じて『図書新聞』という書評紙に寄稿させてもらってもいる。

しかし、私はこれまでの人生であまり積極的に「本に関わる仕事がしたい」と思っていなかった。私はいわゆる「宗教2世」で、親の信仰を継ぐことができなかった物分かりの悪い一人っ子で、虐待の対象だった。なので、独立したら最後、実家には二度と頼ることのない人生を歩みたいと思っていた。「好きを仕事に」なんて生温い考えはもってのほかで、誰よりもつぶしの効く、汎用性と専門性の高い、給料の良い仕事に就きたかった。大学は文学部ではなく法学部を受験した。

私が「編集者」になったのは、気の迷いと偶然だった。弁護士を目指して司法試験浪人をダラダラと続けること3年。新型コロナウィルスが蔓延しはじめた。生命線だった塾講師のアルバイトや法律事務所の秘書のシフトが減らされ、経済的な窮地に立たされた。加えて、司法試験は当時、5年間で5回までしか受けられないシステムで、4回目の受験で確実に「落ちた」手ごたえがあった。まずい。そろそろ何か定職というやつにありつかなければならない。そこで目に入ったのが、コロナ禍の巣ごもり需要で一時的に求人が増加していた、出版社の編集の仕事である。

法律の勉強には疲れ切っていた。大学院に通い始めた頃から、無意識下に抑圧してきた幼少期の虐待の記憶が意識に上るようになり、持病が悪化しはじめていたし、法律の勉強自体、「向いていない」と感じていた。法科大学院の同級生たちは、大学の頃から遊びもせずコツコツ法律の勉強を重ねてきた日本でもトップクラスにストイックで勤勉な人たちばかりだ。私のように大学時代、フラフラと歌い、酒を飲み、海外でぼんやりと過ごしていたような人間が到底太刀打ちできる世界ではなかった。しかも弁護士は建前上、所属事務所との契約が「雇用」ではなく「業務委託」であることもあって、労働法が適用されておらず、明け方の2時、3時まで仕事をする働き方が常態化している。持病持ちが続けられる仕事とは思えない。

一方で、法律の勉強ではほとんど褒められたことがないのに、書評やエッセイのライティングの仕事はわずかな労力と工夫で、クライアントを満足させることができていた。なので、持病の悪化とコロナ禍で行き詰ったとき、この業界なら自分をうっかり拾ってくれるのではないか、という期待があった。

そうしていくつかの出版社に履歴書と企画書を送ったところ、うっかり職を与えてくれたのが、いまの所属会社である。この会社は本当におおらかで、どんな企画も大体通してくれる。ただし、「商業出版」が可能なら――つまり、ビジネスとして成立するならという条件付きで。

出版不況といわれて久しい。スマフォの登場、Netflix、YouTube、TikTokなどの動画メディアの台頭により、雑誌はどんどん廃刊していく。新聞も苦しい。ただでさえ文字は読まれなくなってきている。ましてや書籍になるような長文なんて、まどろっこしくて誰が読むのか。しかも読書好きときたら、「私は知識人でござい」という顔をしていて、本そのもの以上に面倒くさそう。誰が好き好んでそんなコミュニティに近付こうとするだろうか。

しかも私が主として読み、作るのは、出版すること自体が一種の「社会運動」になるような類の本が多い。特に、ジェンダー、セクシュアリティ、児童や若者の福祉、精神医療や心理など、マイノリティの抱える問題の提起や課題の解決を志向した書籍である。それは私が、男性中心社会で生きる女性であり、親から虐待を受けて育った宗教2世であり、精神疾患を抱えた患者であり、ポリアモリーという少し変わった性愛のスタイルを採用するマイノリティであることに由来する。より多くの人からお金を集めて利益を上げることを是とする高度に発達した資本主義社会において、マイノリティ=少数派の支援を目指す本は圧倒的に不利である。こんなの何かしら公のお金、助成金や科研費を使って出版するほうがいいに決まっている。

が、業界未経験の私をたまたま拾ってくれた唯一の版元は「商業出版」を事業としている会社だった。つまり、そういう本も、市場に乗せて売らなければならない。利益を上げなければならない。そうでなければ、会社が潰れてしまうし、自分の食い扶持は稼げない。

正直どうかしている、と思う。何かしらの社会貢献をしたいと思って出版に携わっている一方で、商業出版として利益を上げ、ビジネスとしても成り立たせなければならない。相反することを同時にクリアする。日々、曲芸みたいなことをやっている。いつ破綻してもおかしくないようなこの状況で、正気を保ち、笑って稼ぐ。そんなことがこれから先もできるだろうか? わからない。わからないが、業界に身を投じてきて2年間、なんとかそれをやろうとしてきた、というのは奇特で希少な経験ではないだろうか。

出版という物好きの仕事に従事していない人であっても、いまの社会に矛盾を感じながら、それでもある程度は適応して生き延びなければならない、という人は多いと思う。女性は簡単に昇進できないし、彼氏は避妊してくれないし、賃金は上がらないし、体力とメンタルを削るような残業ありきの働き方は改善されないし、ネトウヨになった親を介護しなければならない。片手で適応しつつ、もう一方の手で抵抗する。そういう「半身」での生き方を、この連載で読者と共有できたらうれしい。

あらゆる不公正がはびこるこの世界で、転んでもただでは起きたくない。毒親もヤフコメ民やアンチフェミニストからのクソリプもネタにして飯を食ってやるという気概で、日々、中小出版の編集という小商いを続けている。地獄の釜でたらふく食べて生き延びたい。あなたもどうですか。地獄の釜で、共に飯を食いませんか。そういう思いで、この連載の筆をとる。

 

Back Number

    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。