scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第5回 あらためて門を眺め直す。

佐藤直樹さんは2013年3月、荻窪6次元で初の個展「秘境の荻窪」を開いた。中学2年生のときに1年間住んだことのある荻窪を歩きなおし、建物や木々、動物、地形などを木炭で描いたもの。長らくデザインの現場に身をおいてきた佐藤さんだが、それ以降、少しずつ絵を描く機会を増やしてきた。3331コミッションワーク「そこで生えている。」や、Tambourin Gallery Presents 「佐藤直樹と伊藤桂司の反展」では、毎日、会場へ通って、少しずつ絵を描いていって、その過程を披露していた。そのような試みは、純粋に、「絵ってなんだろ?」という疑問から出発している。

「絵画」というと、美術館の中だったり、画商が扱うものだったり、どこかありがたいもの、身近なものではないものに思える。でも本来は、幼児の頃、うら紙やダンボールに○や□や線を描いたり動物らしきものを描いたのも、絵のはじまりかもしれない。個人ではなく人類で考えてみると、ショーヴェの壁画はどのように描かれたものなのか? 人間がもつ根源的な欲求である「何かを描く」という行為とは何かを、自らが「絵画」を描く行為、「絵画」に入門しながら考えてみる、そんな連載である。佐藤さんの実作もお楽しみに。

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第2回 バングラデシュのレンガ工場(2)

第2話①DSC_1177

「どこ行くんだ? 写真撮れたか?」

小屋から出て工場内をフラフラ歩いていると、若い男がにっこりと笑って近寄ってきて親しげに話しかけてきた。

「あぁ、ありがとう。写真撮れてるよ。それにしてもこの煙突の数すごいね」

僕がそう言うと、

「そうだなあ、ここだけで100くらいはあるんじゃないかな」

若い男が大きく手を振りかざしながら言った。

その手の向こうには一体どこまで続いているのから分からないくらい無数の煙突とレンガの山が建ち並んでいる。その一つ一つが工場なのだ。

この工場に来て、すでに2日が経とうとしていたが、何度見てもやはり圧倒的な景色だった。僕が今立っているところが半年前までは水没していたなんて考えられなかった。

「俺たちはここで12月から6月まで働くんだ。それ以外は田舎に帰るんだ」

整然と並ぶレンガと煙を吐き出す煙突達に見とれていると、男が拙い英語で一生懸命話してくれた。

2日前にカメラ1台だけを携えてこの工場にズカズカと入り込んできた僕に対して、排除するわけでもなく、むしろ温かく迎え入れてくれたレンガ工場の労働者たち。その中で、数少ない英語話者がエクボルという若い男だった。

自然、エクボルが僕の通訳となり僕が一体何者で、なぜここに来たのかを皆に説明してくれるのだった。

「アキ、日本にもイータバータはあるか?」(※イータバータ=ベンガル語で「レンガ工場」の意)

エクボルが僕に尋ねる。

「いや、こんなの見たことないよ」

そう言うと、エクボルはニンマリと笑い、他の労働者たちに通訳する。

すると、皆 “日本にはないのか!わはは” と誇らしげに笑い、嬉しそうだ。

「もしあったとしても、日本では機械で作ると思う。手作業で作るなんてありえないよ」

そうつけ加えると、またエクボルが通訳してくれる。

すると今度は“どうだすごいだろう”と言わんばかりに腕の筋肉に力を入れてマッスルポーズをする労働者たち。

盛り上がった力こぶに太い血管が走り、まったく無駄のない美しい山を描いている。触ってみると鉄のように固い。僕も腕まくりをして力こぶを作り、触ってみるが軟弱そのもの。どんなに力を込めても男たちのように固くならない。

彼らはそれを見て“話にならないな”という表情を作り、笑っている。僕も自分の情けなさに笑いが出てくる。笑いながら改めて彼らの身体を眺めた。

無駄の一切ない、引き締まった肉体。厚い胸板。ゴツゴツと角張った骨。まるでギリシアの古代彫刻のように美しい。それはまさにここで「働くため」の身体だった。

それもそのはず、重機など一切使わずに己の肉体のみを酷使し、一つ一つ手作業でレンガを作っていくのだから、自ずとそういう肉体になっていくのだ。レンガの原料となる粘土を運ぶ作業、それを型に入れて成形していく作業、窯にレンガを入れる作業、火入れ、焼成したレンガを窯から運び出す作業、それら全ての工程を人間の手だけで行っていくのである。数にすると1日およそ1万個ものレンガを人力のみで作り上げていくのだ。

この工場に来てまず一番驚いたことはそのことである。どこまでも果てしなく積み上げられているレンガが人の手によって一つ一つ作られているなんて最初信じられなかった。

しかし実際に粘土からレンガを成形し、焼成、運搬される工程が人間の手によって行われ、製造されていく様を自分のこの目で見た時の名状し難い感情を忘れることが出来ない。現代日本に暮らす僕からするとそれは見たこともない前時代的な光景だったのだ。

 

「アキ、向こう行ってみよう」

エクボルに促されて工場内を歩いていく。

工場は煙突を中心に半径15メートルほどの窯が円形上に形成されている。その窯に日干ししたレンガをバケツリレー方式で渡しながら規則正しく積み上げている労働者たち。火入れの時にまんべんなく火が回るようにするためだ。

遠くでその様子を見ながら、シャッターを1枚2枚切る。すると、

「ほら、見ろ」

と、エクボルがさらに遠くを指差す。その方向を見ると、赤茶けたレンガを頭上に何十個も載せて運んでいる3人の男たちが見えた。

「うわ、すげー」

昨日初めて見た時も思わずそう言ってしまったのだが、何度見てもやっぱりこの光景はすごい。僕は急ぎ足で彼らの方へ向かい、窯の中へ入っていった。

火入れが終わり、赤く焼けたレンガがまだそこには大量に残っていた。赤茶けたレンガの粉と黄色い砂煙が窯の中で舞い上がり、ただそこにいるだけで全身ほこりまみれになる。もちろんカメラだって。口から鼻からそして目にも砂煙が入り込むため、絶えず唾をペッペと吐き、目を細めながらカメラを構える。

ファインダー越しにその作業の様子を見て、やっぱり改めてすごいなと思う。

両手にレンガを1個ずつ持ち、それをひょいと頭に載せていく彼ら。1段、2段とそれを繰り返し、5段ほどの高さになるともう手の届かない高さにまでなる。

しかしそこで終わりではない。そこからさらにレンガを頭上に放り投げ載せていくのである。両手から放り投げられた2つのレンガはまるで魔法のように綺麗に並んで積み上がる。重力を無視するかのように、ひょいひょいと頭上に積み上げたレンガは結局12段(24個)もの高さになった。

そうしてようやく窯の外に運び出すのだが、彼らがバランスを崩してレンガを落とすなんてことはなく、小走りで急いで窯の外に運び出していくのであった。

「すげー、ほんますげー。うわーかっこいい!」

興奮気味に日本語でそう言いながら、何とか彼らと一体となってその姿と魂を写真の中に定着させたくて、前のめりになって彼らに近付いていく。

「ハッ!」

「フーッ!」

「ハッ!」

至近距離まで近付くと彼らの息遣いが聞こえてくる。と、同時にレンガを積み上げる音も彼らの汗の匂いも、手の皺も、レンガの粉をびっしりとまとった顔もまつげも近付けば近付くほどにリアルに、生々しく感じられる。

その情報は体全体を駆け抜け、最終的に眼を通して感動が伝わってくる。そしてその瞬間にシャッターを切る。

シャッターを切りながら一人の人間にこれだけの力が備わっていること自体に驚きを隠せないでいた。と、同時に完全に人力だけでモノが作られるこのような世界が現代に残っていることが不思議でたまらなかった。

しかし考えてみれば、太古の昔から人間はこのようにして働いてきたのだ。それが大きく変化したのは18世紀にイギリスから始まった産業革命以後だ。それまで人間が人力でやってきたことを機械に託して生産するといういわば工業化が押し進められ、多くの国々は近代国家へと成長していった。その結果、どれほどの仕事が機械にとって変わり消滅しただろう。もちろんそれまでなかった新しい仕事も誕生した。ただ、それによって僕たちの働き方そのものが劇的に変化したことは間違いないし、同時に本来人間が当たり前に持っていた身体性も失われていったのではないかと思う。

そういう意味で、まったく機械化されていない旧来の世界の中で働く彼らの姿は、僕の眼に新鮮さとどこか懐かしさを伴って映るとともに、労働の根源的な姿、労働の深さに思いを至らせるのだった。

(つづく)

第2話②DSC_4974

第3回 粉房琉璃街の子供と看板

今年1月に刊行された『老北京の胡同――開発と喪失、ささやかな抵抗の記録』は、朝日新聞、週刊文春、信濃毎日新聞、聖教新聞など、各紙誌で大きく取り上げられている。

多田さんの15年間の取材と観察の集大成であるが、本書収録の写真(多田さんのお連れ合いの張さん撮影)も、胡同の魅力と大きな変化を伝えてくれる。張さん自身も胡同育ち。胡同とそこで暮らす人々を特別の思いとあたたかいまなざしで写し取っている。今回は、紙幅の都合で載せられなかったさまざま写真をご紹介する。

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