ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第238回 赤子の習い事

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

先週の金曜日、赤子(1歳6か月)と妻と僕とで、幼児教育の体験に行ってきた。僕は小学生の頃、習字教室でドラえもんばかり描いていて破門されそうになったり、母が勧めてくれたピアノの習い事を「死んだふり」して拒否したり、といった具合だったので、まさか自分が赤子の幼児教室に興味を持つとは思わなかった。人生とは、つくづく不思議なものである。

赤子は保育園に行っていない。妻と僕はほとんど家にいる。同年代の赤子や幼児と一緒に遊んだ経験が少ないのがちょっとだけ心配だった。一番親しい友達は、愛犬ニコルであろう(それと、ぬいぐるみ)。妻と僕も保育園には行っておらず、幼稚園に馴染むのに苦労した記憶がある。だから何かを習わせたいよりは、同年代と触れ合わせたいという動機のほうが強かった。

もちろん、赤子ひとりで通うわけではない。保護者同伴である。音楽を取り入れた有名な教育法を行う教室を近所で見つけて、体験入学に申し込んだ。基本的には赤子ひとりにつき保護者ひとりの組み合わせで通うのが普通のようだったが、夫婦で体験に参加させてもらった。

教室に着くと、前の時間帯の赤子や親たちがちょうど帰り支度をしていた。簡単な手続きを済ませ、妻がベビーカーを折り畳んでいる間に、僕と赤子は教室に入った。視線が僕に集中した。前髪が長く、左髪のインナーが白髪になった怪しい人間、だと思われないように、僕は「本日体験にうかがいました。よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。赤子に名札を付けているときに妻が合流した。同じ教室に通う保護者たちは少し安心したようだった。

早速、ピアノが鳴り響き、一連の習い事が始まった。僕は猛烈に参加したかったのだけど、やはり赤子ひとりにつき保護者ひとりを想定してカリキュラムが構成されている。ふたりがかりでやると赤子を甘やかしすぎてしまうし、だいいち身長178センチある僕が輪に入ってはかさばって仕方ない。そして、教室内に成人男性は僕ひとりしかいなかったのである。

僕は教室の端で見学していた。赤子は妻と手を繋ぎ音楽に合わせて行進したり、両掌を頭の上に置いて「うさぎピョンピョン」したりしていた。先生と母親がジェスチャーをして見せ、赤子がそれを真似していた。慣れた赤子は、自主的に「うさぎピョンピョン」していた。

せっかくの体験入学なのに、壁にもたれかかって腕を組んでいるだけなんてもったいなすぎる。僕も輪から外れた端っこのほうで行進し、「うさぎピョンピョン」もやってみた。たったひとりで頑張っていた。楽しかった。赤子も楽しそうだった。ただ、このクラスで赤子は最年少らしく、折り紙で手紙をつくってポストに入れに行く、などといった難しいことはできず、妻が赤子を抱えながらポストに投函させたりしていた。ほかの赤子は大したものである。

終わったあと、先生から「ちょっと年齢があわなかったようですから、小さいお子さんが多いクラスをもう一度、体験してみてはいかがでしょうか」と提案された。日程は年明けになってしまうが、それがいいと妻と僕は思ったので、先生にそう伝えた。僕は汗だくだった。

「あの、妻ではなくて、僕が連れてくる日もあるのですが、大丈夫でしょうか?」と先生に訊いてみた。先生は「もちろんです。今日はたまたまお母さんだけでしたけど、一年を通してお父さんと一緒に通われているお子さんもいるんですよ」と笑顔で答えてくれた。ちょっと変わった性格の先生だなあと思っていたがいい人である。向こうもそう思ってくれていたならいいのだが。

赤子は音楽が大好きである。家に帰ってからも、音楽が流れるとうれしそうにダンスしていた。赤子の体力は無尽蔵だ。僕は妻に「ねえ、すごく疲れなかった? すでに全身が痛いんだけど」と訊いてみた。「平気だよ」と妻は答えた。来年は、赤子の習い事のおかげで体力が向上しそうである。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。