scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第232回 電話で伝える氏名の漢字

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

電話で氏名の漢字を伝えなければいけない場面がよくある。伝えなくていい場合もあるが、何かのサービスへの予約や公共機関に電話するときなどに発生しがちだ。これについて僕は一家言ある。

この連載の担当編集である吉川浩満さんで考えてみた。比較的簡単なのではないかと思いきや、一文字目でちょっとだけややこしい事態が生じる。「吉」と「𠮷」は間違えられやすい。「吉」が常用漢字で「𠮷」は新字であり、「吉」のほうが一般的なのだけど、この説明は僕も原稿のために調べてわかったことなので、伝え方としては不親切に感じる。僕なら「『きち』という字の、下が短いバージョンです」と言うと思う。「川」は「三本線」「川の字」ですみそうだ。「浩」は「さんずいに告白の『告』」、「満」は「『みちる』の漢字」で伝わるだろうと踏んでいる。

さて、僕こと「宮崎智之」だが、自分の名前については、これまで幾度となく伝え方をアップデートしてきた。宮崎の「崎」は、「﨑」「㟢」「嵜」など意外といろいろなバージョンがある。宮﨑あおいさんは、いわゆる「たつさき」の「﨑」である。しかし、これについてはややこしいことを言わずに、「宮崎県の『宮崎』が一番伝わりやすい。弱点は、僕が宮崎県に行ったことがないのが後ろめたく感じるくらいだ。

最も難儀なのは「智」という漢字である。「『知る』の下に『日』」と説明しても、たまにイメージがわかない人がいる。「美智子様の『智(ち)』で『とも』と読みます」と伝えていた時期もあった。しかし、恐れ多い気がするし、ちょっと大袈裟な伝え方のようにも感じていた。最近では「上智大学の『智』」という技をあみだした。かなり有効的である。しかし、相手が関東の人でないときは、すぐに頭に浮かばない場合もある。

いずれにしてもこの3つのどれかを言えば、確実に伝わるのは間違いない。ビシッと一発で伝えるバージョンをこれからも追求していく。ちなみに「之(ゆき)」は「ひらがなの『え』みたいな漢字」で問題ない。

この手の悩みは友人からもよく聞く。とくに「裕」「祐」「佑」の字を持つ人はモヤモヤするらしく、そもそも読み方も「ひろし」「ひろ」「ゆう」「ゆたか」などバリエーションが多い。「祐」の漢字を「しめすへんに『右』」「カタカナの『ネ』のような部首に『右』」と丁寧に伝えても、郵送物には「裕」と書かれているケースがあるという。なんとも難儀なことである。

今日のモヤモヤは語り出したら止まらなくなってしまう。興味本位で「斉藤」の「斉」のバリエーションを調べてみたら、頭がクラクラしてきた。「斉」「斎」「齊」「齋」だけでもややこしいのに、まだ種類があるらしい。一度、ある「斎藤」さんに訊いてみたことがあるのだが、「どの漢字を使われても気にならなくなった」と達観していた。そういう訳にはいかないだろうと思いつつ、カッコいいと思ってしまった。斎藤さんのご苦労に思いを馳せ、宮崎県と宮崎駿さんに感謝するのであった。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。