フェミニズムでは救われない男たちのための男性学
- 第2回 「オタク差別」は存在するか?――「覇権的男性性」と「従属的男性性」 2024-12-06
- 第1回 「弱者男性」──男性には「特権」があるのか、それとも「つらい」のか 2024-11-20
フェミニズム恋愛論
- 第5回 性革命は何を目指してきたのか──脱恋愛ではなくセクシュアルポジティブであるという話 2024-11-01
- 第4回 性的情熱とは区別される恋愛的情熱とは何なのか──美と恋愛について 2024-10-11
- 第3回 「愛」はどのくらい必要なのか──愛着から考える 2024-10-04
- 第2回 現代人にとって「人とのつながり」はどの程度必要なのか——「孤独」から考える 2024-09-27
- 第1回 「ジェンダー平等な恋愛」について考えよう 2024-09-14
ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録
- 第6回 それぞれの人生、それぞれの石丸 2024-08-19
- 第5回 だから私はレスバする 2024-06-04
- 第4回 ケアワーカーとしての編集者 2024-05-15
- 第3回 結婚式なんて大嫌いだ 2024-04-05
- 第2回 とにかく定時に帰りたい 2024-03-02
- 第1回 地獄の釜でたらふく食いたい 2024-01-31
膝の皿を金継ぎ
- 第16回 10月の日記(後半) 2024-11-28
- 第15回 10月の日記(前半) 2024-10-30
- 第14回 着回さない 2024-10-02
- 第13回 シャウエッセイ 2024-08-30
- 第12回 祝いと熊 2024-07-31
- 第11回 犬、カレー、子ども? 2024-06-27
- 第10回 2人もいる! 2024-05-30
- 第9回 牡蠣が見せる夢 2024-04-27
- 第8回 2月の日記(後半) 2024-03-28
- 第7回 2月の日記(前半) 2024-02-27
- 第6回 わからなさとの付き合い方 2024-01-29
- 第5回 サバイバル煮物 2023-12-28
- 第4回 ところでペットって飼ってます? 2023-11-30
- 第3回 喋る猫はいなくても 2023-10-31
- 第2回 夢のPDCA 2023-09-29
- 第1回 ここではない、青い丸 2023-08-31
アワヨンベは大丈夫
- 第12回 アワヨンベは大丈夫 2024-07-17
- 第11回 モンスター 2024-06-17
- 第10回 ごきげんよう(後編) 2024-05-15
- 第9回 ごきげんよう(前編) 2024-04-18
- 第8回 ウサギ小屋の主人 2024-03-17
- 第7回 竹下通りの女王 2024-02-15
- 第6回 ママの恋人 2024-01-11
- 第5回 Nogi 2023-12-11
- 第4回 セイン・もんた 2023-11-15
- 第3回 私を怒鳴るパパの目は黄色だった 2023-10-13
- 第2回 宇宙人とその娘 2023-09-11
- 第1回 オール・アイズ・オン・ミー 2023-08-11
旅をしても僕はそのまま
- 第8回 オルセー美術館のサイ 2024-09-25
- 第7回 受難のメキシコと今村 2024-07-28
- 第6回 ジャワ島のミコの家で 2024-05-03
- 第5回 アシジと僕の不完全さ 2024-01-27
- 第4回 ハバナのアルセニオス 2023-11-15
- 第3回 スリランカの教会にて 2023-09-16
- 第2回 クレタ島のメネラオス 2023-06-23
- 第1回 バリ島のゲストハウス 2023-05-31
おだやかな激情
- 14回目 旅ではないわたしたちの 2024-12-09
- 第13回 踊るように 2024-08-02
- 第12回 わたしの青空 2024-06-01
- 第11回 なめらかな過去 2024-04-04
- 第10回 ちぐはぐな部屋 2024-03-05
- 第9回 この世の影を 2024-02-02
- 第8回 映したりしない 2024-01-11
- 第7回 とばされそうな 2023-12-04
- 第6回 はらはら落ちる 2023-11-01
- 第5回 もしもぶつかれば 2023-10-02
- 第4回 つややかな舌 2023-09-02
- 第3回 鴨になりたい 2023-08-01
- 第2回 かがやくばかり 2023-07-04
- 第1回 いまこのからだで目に映るもの 2023-05-31
- 第4回 うまくいかなくても生きていく──『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ 2023-09-25
- 第3回 元恋人の結婚式を回避するために海外逃亡──『レス』アンドリュー・ショーン・グリア 2023-04-21
- 第2回 とにかく尽くし暴走する、エクストリーム片思い──『愛がなんだ』角田光代 2023-01-17
偏愛百景
- 第12回 捨てられない物 2024-01-10
- 第11回 響け、鍵盤ハーモニカ! 2023-10-13
- 第10回 高校野球を見ると泣いてしまう大人たち。 2023-08-09
- 第9回 毒をもって毒を 2023-06-21
- 第8回 春うららと畑仕事 2023-04-05
- 第7回 おかまいなくの店 2023-02-20
- 第6回 A面B面 2022-12-27
- 第5回 割れ物注意 2022-10-13
- 第4回 うちわの少年 2022-09-08
- 第3回 夏の月とラジオ体操 2022-08-08
- 第2回 ありがたい人 2022-06-24
- 第1回 賞味期限 2022-05-23
B面の音盤クロニクル
- 第10回 過去とはつながれていない誰かに──Keith Jarrett,”My Song” 2024-07-29
- 第9回 それが自由でなくてなんなのだろう──Aretha Franklin, “Amazing Grace” 2024-06-06
- 第8回 その日はあいにく空いてなくてね──Bobby Charles, “Save Me Jesus” 2024-03-08
- 第7回 クリスマスのレコードはボイコットする 2023-12-22
- 第6回 とうとう会得した自由が通底している 2023-05-06
- 第5回 あれからジャズを聴いている理由──”Seven Steps to Heaven” Feat. Herbie Hancock 2023-04-04
- 第4回 「本質的な簡素さ」の歌声──Mavis Staples “We’ll Never Turn Back” 2023-03-01
- 第3回 我が家にレコードプレイヤーがやってきた──Leon Redbone “Double Time” 2023-01-08
- 第2回 手に届きそうな三日月が空に浮かんでいる──Ry Cooder “Paradise and Lunch” 2022-12-07
- 第1回 きっと私たちが会うことはもうないだろう Allen Toussaint “Life, Love, and Faith” 2022-11-04
- 第16回(最終回) 「本物の詐欺を見せてやるぜ」@ジョン・ライドン 2022-07-04
- 第15回 文明化と道徳化のロックンロール 2022-06-10
- 第14回 ミスマッチにより青年は荒野を目指す 2022-06-02
- 10 もうひとつの現実世界――ポスト・トゥルース時代の共同幻想(後編) 2021-07-06
- 9 もうひとつの現実世界──ポスト・トゥルース時代の共同幻想(前編) 2021-05-03
- 8 あるいはハーシュノイズでいっぱいの未来 2020-05-05
第6回 それぞれの人生、それぞれの石丸
気の迷いと偶然で飛び込んだ出版の世界。そこで直面した矛盾と葛藤。マイノリティを支援し社会的な課題の解決を目指すことと、商業的に利益を上げることは両立可能か? 毒親もヤフコメ民やアンチフェミニストからのクソリプも飯のタネ。片手で社会的ルールを遵守しつつ、もう一方の手で理不尽な圧には抵抗する。宗教2世、精神疾患当事者、ポリアモリーという特質をそなえた編集者(見習い)による、「我らの狂気を、生き延びる道を教えよ」の叫びが聞こえるエッセイ。
職場の同僚や友人との会話では、政治と宗教の話はご法度とされている。しかし、私はこの一カ月ほど、どうしてもこの話題を振ってしまうことが多い。東京都知事選挙で旋風を巻き起こした第二候補・石丸伸二氏について――より精確には、石丸伸二氏を見た瞬間にその人が思い出した、「あの時、あなたの人生にいた石丸伸二」についてだ。
私はふだんYouTubeもTikTokも見ない生活を送っているため、都知事選に投票した10代~20代の約4割の支持を得た石丸伸二氏という個人について、誠に不勉強ながら全く知らなかった。顔も、名前も、見たことがない。そんな人物が歴戦の大物野党議員である蓮舫を抑えて2位の得票数に躍り出てきたというから、開票日の夜、私は猛然とテレビ、ラジオ、インターネット上の選挙特番で彼の言動をつぶさに追いかけることになった。
石丸氏と記者とのやりとりで強く印象に残ったのは、些末な言葉の定義にこだわり、質問に質問で返し、論点をズラして相手を見下し、場をコントロールして質問者の口を封じようという姿勢だった。彼にはすべての質問者が「敵」に見えているようだった。彼に質問していた記者やアナウンサー、司会者の多くが東京都民であり、有権者であるにもかかわらず、だ。そのような構えは、様々な動画や報道を確認する限り、少なくとも前職の安芸高田市長であった頃から続いているようだった。
私は呆気に取られた。そして、思わず「まだいたのか――。」と呟いた。そのような思いは、開票日間際になって初めて石丸氏を認識した多くの大人たちも同様のようだった。彼の動画を見て、ある人は高圧的な予備校講師、ある人は前職の苦手な上司、ある人は二度と一緒に仕事をしないと誓った取引先のことを思い出したようだった。みな、SNS上でも、リアルでも、石丸氏は人々を饒舌にする。
私はどうしてもウマの合わなかった小学校の教員たちを思い出していた。四時間目で私語をしていたやんちゃな男の子ふたりを給食の時間まで延々と立たせて説教することを日課にしていた堀先生だ。確かにふたりはスカートめくりなど迷惑行為が絶えなかった。しかし、だからといってクラス全員の前で𠮟責する必要はない。人が叱られているのを前に、誰がおいしくごはんを食べられるだろうか。「恥を知れ! 恥を!!」という石丸氏の決め台詞は、帰りの会の時間になっても彼らを吊るし上げる堀先生の、歪んだ口の端を思い出させた。
幸いにして私はいま、堀先生のような人に遭遇することは少なくなった。そういう人がいる場所から積極的に逃げてきたとも言える。会社に堀先生のような上司がいたら、今頃すたこらさっさの転職一択である。ありがとう、理解のある上司くん。
とはいえ、石丸氏に投票した人々を私は笑うことはできない。なんて嫌な記憶の蓋を開けてくれたんだ、とボヤキはするけれども、こうした強い態度の、根拠がなくても絶対にひるまないタイプの人間が支持を得るのは世の常である。私が大学生の時は、実業家の堀江貴文氏の自己啓発本が爆売れしていた。十数年前の話だ。思い出したくない同窓生が多いかもしれないがあえて蒸し返すと、当時は堀江氏のような「起業家」がもてはやされ、学生起業も華やかりし時代であった。結局、多くの知人・友人はそうした「ベンチャー企業ブーム」を追い風に学生時代のベンチャー企業でのインターン経験を「ガクチカ」に掲げ、めちゃくちゃ手堅い大手企業に就職する道を選んだが、私もその風に全く当たらなかったわけではない。あれから約10年。コロナ禍のさなか、彼が同伴者がマスクを着用していないという理由で入店を断られた餃子店の店主を怒鳴りつけている動画を見た時に、一瞬でも彼のような人間を「最先端で格好いい」と思った経験を持つ自分を大いに恥じた。
10代・20代前半の私は、自信がなかった。社会的には何の実績もなく、自分ひとりで自分を食わせたこともない。両親との愛着も不安定だった。「いま・ここ」にいるための理由を常に探し回っていた。痛みを押し殺して、やたらとハイヒールを履きたがった。世間で「強い女が身にまとうもの」とされているアイテムをカスタムすれば、脆弱な自己を覆い隠せるような気がした。詭弁でもいいから、相手を言い負かすパワーがほしかった。精神的、物理的、性的虐待を繰り返す両親に言いくるめられ、初めてできた彼氏に破局後、周囲にストーカーだと言いふらされた。それらが不当な処遇だと気がついたのは、ごく最近のことだ。ずっと私は自分が弱いせいで負けているのだと感じていた。
「あなたも親になったらわかる」。そう繰り返し両親には言い含められてきたが、自分が当時の親の年齢になるに従ってわかったことは、ちゃんとした大人はやたらめったら怒鳴り散らしたりしないということ。非力な子どもを目の前に物に当たったり、長時間正座をさせたり、手帳を勝手に見て予定を管理したり、信仰を無理強いしたりしないのだ。同様に、「強い大人」は質問をまぜっかえしたり、公衆の面前で相手をせせら笑ったり、罵倒したり𠮟責したりしない。相手にわからないことがあれば丁寧に教えるし、どうしても注意が必要な際には個室に呼び出して切々と説明をするし、なるべく穏やかに和やかにコミュニケーションを図る。どうしても怒らなければならない時は、自分を含む誰かが不当な暴力や差別にさらされた時で、その怒りは共同体の公平・公正に資するもの。隣人は敵ではない。誰もが共に生きるコミュニティの構成員であることを自覚して、長期的な目線を持っている。
私がハイヒールと詭弁を手放すよう努めるようになったのは、就職して、己の知力・体力、キャリアの限界を知ってからだった。私は経営者ではなく労働者だ。何かあれば罵倒する側ではなく、される側だった。限界を知ることは弱さを認めることでもあるが、自分の役割を自覚することでもあり、そのことによって逆説的に私は自信を得た。自身の「傷つき」を認めることによって、自分を傷つけるものからいつでも逃げ出す選択肢を得た。
商業施設での車椅子介助の是非をめぐって議論が起きるとき、必ず「そのために人員を配置したり、施設をリフォームしていたら店の経営が成り立たない」という人がいる。99.99%経営者ではない。経営者目線でものを申せば一瞬だけ自分が強くなったような気になれるかもしれないが、あなたは決して経営者になれることはない。経営者目線を内面化することによる副作用は、あなたの仕事の成果が思うように出ないとき、それが本来はあなた自身の責任ではなく、原因が組織の欠陥にあるとき、あなたの中の経営者が労働者としてのあなたを苛むだろう。「お前の能力が低いせいだ。強いやつは傷つかない。傷つくのはお前が弱いせいだ」。
だから私は、今日も労働者目線で本を作る。土日のメールは見ないし、ノルマをスルーし、能力主義にもとづく自己啓発書、個人の「運」を無理やり引き寄せようと画策するスピリチュアルの本を作ることを拒否し、せっせと個人の権利を訴える書籍を作る。大学生の時に嫌悪した、己の弱さと怠惰さがいまの私の健康を支えてくれている。
ごめんね、社長! 作った本は売れるように、できるだけ頑張っています。定時内で。