scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第5回 アシジと僕の不完全さ

いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。体験的紀行文学の世界へようこそ。

ローマから列車で約2時間かけて到着したアシジ駅。駅前は閑散としていて何もないし誰もいないので、そのうち観光バスくらい来るはずだけど……、と思いながらも4km離れているという旧市街に向けて歩き始める。

暑い日差しの中、視界の開けた幅の広い砂利道を歩く。青い空には雲ひとつない。この心細さが旅なのだと思う。右にも左にもオリーブ畑が見える。

15分ほど歩くと、丘の上に広がるアシジの町並みがその全貌が姿を現す。町の左側にはサクロ・コンヴェントの白い回廊が細長くはっきりと見えて、ゾクゾクする。僕はこのアシジという町に特別な思い入れがあったんだっけ。

その年の冬、大刀洗の実家に帰省したときに、父がアシジには行ったほうがいいよと言った。それを聞いて僕はなんとなくアシジに行くのは必然として決まってるんだと思った。そして僕は実際にアシジにやってきた。人間は偶然に身を委ねるなんてことがほんとうにできるかどうか疑わしい。その点僕は、むしろ必然に身を重ねるという快楽を知ってしまったらしいのだ。

その日は旅程14日ぶんの大きな荷物を持って歩いていた。30分以上歩いても町に着く気配がないので、大変なことになったと思った。夏休みの陸上部みたいに全身汗まみれだ。そしていつの間にか、オリーブ畑に代わってブドウ畑に包囲されている。

町は丘の上だから行程の後半は当然坂道で、フィアット500に乗った家族連れが汗だくの僕を尻目にビューンと通り過ぎていく。テディベアを胸に抱えた女の子と目が合う。後部座席に座る涼しげな彼女と、炎天下を汗だくで歩く僕の人生はいまここですれ違って、そしてまたたく間に離れていく。僕が8年後のある朝に、知床の森の中で絶望して死んでも、彼女の人生には1ミリも影響を与えないし、彼女が12年後の夏の夕方に、モハーの断崖で恋人を突き落としても、僕はいつもどおりに生徒たちの前で質量保存の話をするだろう。それでも、僕と彼女の人生は一度この場所で交錯した。そのことに意味を与えることができるのは僕だけだ。

坂を上って右に曲がると急に目抜き通りに出て、目の前に町が現れた。ついに到着したらしいのだ。町の表玄関と思われる路地の角には庶民的な聖母像のタイル画で飾られた建物があり、そこの半地下に居座っているトラットリアに入る。「喉が渇いているからまずはスティル・ウォーターをください」とお願いしてごくごくと一気飲みした後、甘口のスパークリングワインがあるというのでそれを頼んで、さらに、タリアテッレ・アラ・ボロネーゼを注文する。

店の奥にはひとり黒髪の女性が座っていて、ふと目を向けると親しみのこもった笑みを返してくれるので、僕もにこりと笑みを返す。僕のにこりはうまくいったのだろうか。

料理はあっという間にやってきた。太陽のようなオレンジ色のパスタ。日本のパスタよりずっと堂々としている。店独自のアレンジらしきものが見当たらず、素材の風味だけしかしないのに、本当に美味しいのだ。

ワインの追加を尋ねてくれたスタッフに「地震は大丈夫でしたか?」と尋ねる。アシジといえば、1997年の震災被害が知られるが、僕がこの地を訪れた数か月前にもイタリア中部で大きな地震が起きたばかりだった。「揺れたけど、この町はほとんど被害がなかったの」と彼女は言った。彼女の喋り方には異国人に伝わりやすいようにという穏やかな配慮を感じる。「あなたはどちらから来たの?」と尋ねられたので、「日本です。福岡という都市」と答える。「まあ、フクシマ…」「いいえ、フクオカです。日本には4つ主要な島があって、その中で一番南の九州島にある最大の都市」

彼女はわかったと小さく頷いて厨房に戻っていく。水分と食料が次第に体に染み込んで、体内に熱いエネルギーを作ってくれていることを実感する。そうだ、この店を出たらそこはアシジの町なのだ。そろそろ出ようかなと思って会計をする。

黒髪の女性が近づいてきた。彼女は20年ぶりの友人との再会を祝うように親しげに僕の目の前の席につく。肩の下に優雅に垂れる黒髪にはわずかに白髪が混じっている。ほっそりとした顎のラインには、最近までそこにぜい肉があった痕跡がある。

「私はあなたがここに来るのを待っていました」

彼女はそう明るい声で言う。彼女の日本語には澱みがない。

「トバカズヒサさんは福岡からローマに来て、そしていまはウンブリアをひとりで旅しています。」

僕が面喰って「なぜ僕の名前を…」と言いかけると彼女は遮るように話し続ける。

「あなたは若者を助ける仕事をしています。ふだんは学問を教えているけれど、時に若者たちの命を守ることもあります。神に授けられた仕事をしていらっしゃいます。」

「え? 僕は別に助けているわけではなくて……」

彼女は平坦な声でまた僕の言葉を遮る。「私は、私の意志で話しているのではなく、神のおぼしめしのままに話しています。だから、少し静かに聞いていただけますか。」

「私はある方からトバカズヒサさんのお話しを聞きました。ある方とはフルノミノルさんです。ミノルさんは私が大切な記憶を失くしていることを知っています。だから、記憶が戻ったときに私が困らないように、頼っていい方を私に教えてくれました。その頼っていい方がトバカズヒサさんです。トバカズヒサさんは、ミノルさんにとって大切な人です。ミノルさんは、トバカズヒサさんのことを尊敬し、愛しています。だから私にトバカズヒサさんの名前を教えた上で、「トバカズヒサさんはきっとあなたの力になってくれますよ」と励ましてくれました。残念ながら、私はトバカズヒサさんのことを知りませんでした。でも、ミノルさんはトバカズヒサさんについて少しの情報を伝えてくれました。トバカズヒサさんは、数年後に鳥の本を出して名が知られるようになります。あなたはここウンブリアでただ時機が来るのを待っていたらよいのです。そうすればなすべきことはわかります、と」

僕はもう何も言うまいと思って、彼女が望む通りに黙って聞いていた。彼女は恍惚の表情を浮かべて、興奮気味に話す。

「ミノルさんは司祭ではありませんが、神に仕える方です。アシジに毎日通い、いくつかの聖堂、特にサン・ダミアーノ教会でお祈りしているようすをたびたび見かけます。カトリックの教理に精通していて、聖職者たちにも一目置かれているようです。私はトバカズヒサさんがキアーラと話し始めたとき、今日、私はトバカズヒサさんを待つためにここにいることに気づきました。」

「でも、僕はミノルさんを知りません。」

僕はたまらずに言った。黒髪の女性は嬉々とした顔色を一転させ、苦しみの表情が顔を覆う。

「トバさんはそのようにおっしゃるだろう…と、そのように言うしかないのだと、わかっていました。」

「いや、そうではなく、本当に僕はミノルさんのことを知らないのです。それに、鳥の本なんて、僕は書かないだろうと思います。」

「……そうですか。すみません……。私はとんでもない勘違いをしてしまったようです。ミノルさんが教えてくださったトバカズヒサさんと、鳥羽和久さんを私は混同してしまったようです。無礼をお赦しください。」

黒髪の女性は急に涙ぐんで答える。

「いいえ。僕がミノルさんのことを知らないというのは、さして重要ではないのかもしれません。だいたい僕の記憶も定かではありませんし。とにかく何かのご縁ですから、またお会いする機会があれば、そのときにお話ししましょう。」

僕はそう言ってそそくさと店を出る。会計を済ませてすでに33分が経過していた。

もう14時を回っていて、僕は明日の朝にはこの町を出るんだから、旅行者らしくできるだけ多くの場所を回らなくてはいけない。サクロ・コンヴェント前の広場に出たあと、サン・フランチェスコ聖堂でジョットのフレスコ画を見る。あの有名な「小鳥への説教」もある。僕がもし本を出版することになったら、表紙は鳥の絵がいいと思った。

僕が名だたる聖人の中でもフランチェスコのことを信頼しているのは、彼がいわゆる改革者ではないところだ。フランチェスコ会はやることが極端だったから危うく異端扱いを受けることがあったけど、あくまで彼らはカトリック教会の規範の中で動いた。必要なのは改革ではなくて、もっとシンプルにカトリックの深化、徹底が足りないのだと、百折不撓の精神で父なる神と向き合う道を選んだ。

当時、教会には腐敗した司祭たちが多くいたが、フランチェスコは「どんな司祭だろうと、自分の主人としておそれ、愛し、尊敬するだろう」と言い、さらに「彼らの罪を見ないつもりである、彼らを神の子と思うから」という言葉を残している。そのわけは、司祭はキリストからその体と血を受け、それを他に分け与える神秘の存在であり、この世でそれ以上に崇め尊ぶべきものは他にないからである。つまり、腐敗した司祭たちのパーソナルで人間的な罪を咎めて糾弾することよりも、彼は聖職者の職能こそを重要視したのである。フランチェスコは「小さき者(ミノレース)」として生きることを選び、自身が司祭になることを注意深く斥けながら、生涯にわたって教会と聖職者が持つ機能と職能を重んじることを徹底した。

彼が改革ではなくむしろ旧態依然の方法を徹底するというやり方で、組織の内部に極めてラディカルな思考を生み出すに至ったことは示唆的である。

僕たちがあらゆる専門家、例えば裁判官や検察官、政治家、医者や博士たちを批判するとき、専門性という地層に対する敬意を失っていないか。単に人間を批判するよりも、専門家の専門家たる所以を守る、そういう「保守」の在り方こそが改革よりずっとラディカルなのではないか。彼の姿勢からは、そんなことを考えさせられる。

地下の聖堂に寄った後はぐんぐん歩いてコムーネ広場に出て、ローマ神殿の柱を持つサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に立ち寄る。そしてそのままルフィーノ聖堂へ。さらに小さな坂道を下って、サンタ・キアラ聖堂に辿り着く。ここから見下ろすと、ウンブリアの土地がどこまでも広がっていて、先の方はぼやけて見えない。「あっちがペルージャ? いや、ペルージャはこっちだよ」と老夫婦が左や右を指差しながら喋るのが聞こえる。

泊まる予定のホテルからは遠のくけど、この際どこまでも下ってやるんだと思って駆け足で辿り着いた先にあったのがサン・ダミアーノ教会。窓に飾られた赤いバラの花が鮮やかだ。ここは、例のフルノミノルさんがよくお祈りをしているという教会だ。もしかして彼はいまここにいるのだろうか。いたとしたら僕に気づくだろうか。

入ったとたん、僕はここに来たかったんだなと思う。体がすっぽりとその空間に収まる感じがする。母胎みたいだと思う。教会ではたった30人ほどの信者を前にミサが行われていて、僕が教会のオルガンの傍に跪くとすぐに、腰が曲がった丸眼鏡の神父が説教を始めた。

「今日は、アウグスティヌスのパラドックスのお話しをいたしましょう。」

神父がこのとき話し始めたのは、自己の存在証明についての話だった。

皆さんは、「私自身は存在している」そのことを疑ってはいないかもしれません。しかし、自身の存在を論理的に説明することは、非常に困難な作業を伴います。私たち人間の存在は、それを明らかにしようとしたとたんに、はじめから矛盾を含んでいるということに気づかされます。

私たちは、自分のことをAはAであると言い表すことができません。それは、同語反復以外の何ものでもないのです。これはつまり時間についての話です。実際、人は自分のことをAである、と表明している矢先に、変質してAではなくなるのです。人が死ぬことは、その変質に由来しています。人がたったいま、この瞬間も死に向かっているということは、変質してAでなくなっている証拠です。ほら、まさにあなたもこの瞬間に、死に向かって変質している。それほどに人間は不完全な存在です。

だから、私たちは決してAはAである、と自分を定立することはできません。AはAであった、とか、AはAでありうる、とは辛うじて言うことができます。しかしながら、AはAである、とは決して私たちは言い得ることがないのです。

まさに僕もこの瞬間に、死に向かって変質している。僕は自分の両手の骨が開いたり閉じたりするのを見ながら、そのことを考える。

この世において己をAはAであると表明できるのは、唯一、神のみです。ヨハネの福音書の18章を思い起こしてください。ここには、イエスが「私は私である」と言ったとたんに、イエスを捕らえようとした人々が後ずさりして、しまいには地に倒れてしまいます。人々は「私は私である」と言う神の子イエスの全能性に圧倒され、自分の非力を全身で思い知らされるのです。そこでは「私は私である」という言明さえも適わない人間存在の本質的な脆弱さが露わになります。

一方で、神は完全であり損なわれることがありません。神は、「AはAである」と言うことができるがゆえに、完全な存在です。

僕は、神はなにゆえに完全な存在であるのか、と問うてみる。あくまで、僕たちが不完全であることの対照物としての完全さなのであろうか。

ですから、神のようにAはAである、ということを定立することができない人間は、それが不可能である以上、AはA´(Aダッシュ)であるという形、つまりAに非ざるものによって自身の同一性を回復するしか術はありません。

だから、そこで考え出されたのが「関係」です。他者と相互に類比関係を結び、他者との交わりの中で、他者から与えられた眼差しの交錯によって、自身の実存を取り戻すのです。イエスが福音書で述べた掟、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」は、ここにおいて意味を成します。

もしあなたたちが、自分の存在を疑っておらず、しかも私は私である、というふうにそれを証明することができるなら、互いに愛し合う必要はないのです。そうではなく、私たちはそもそも、いずれ死に至る不完全な存在であるがために、不完全な存在としての孤独が宿命づけられているがゆえに、神はお互いに愛し合うことを人間に命じているのです。イエスは、自身の実存さえもままならない私たちの生を見抜き、これを掟としたのです。ですからあなた方も、他者と交わり、愛し合いなさい。アーメン。

実存さえもままならない、不完全な存在としての孤独。このことが僕たちの「原罪」なのだ。そう思うと、これまで僕を苦しめてきた罪のひとつをほどいてもらったような気持ちにもなった。

僕は幼いときから「罪」に苦しめられてきたのだと思う。カトリックには「告白」という制度があって、自分が犯した罪を定期的に神父の前で詳らかにしなければならない。告白という制度は、自らの罪を常に問い続けなければならなくなるという理由でとても厄介な代物だ。四六時中、これは罪だろうか、また罪を犯してしまった、そういうことを考えながら、いつでも頭の隅に罪悪感を抱えたまま生活をすることになる。自分が一日に何回嘘をついたのか、その数を勘定しながら日々を暮らすのである。

しかし、どれだけ「告白」をしたところで、自分の罪はなくなることがない。告白を終えたとたんに別の罪が蘇生する。あれも罪だったのではないかと思い起こされる。告白をして赦されることで、新たな罪が呼び覚まされるのだ。罪は目に見える行為だけでなく内面にも存するものなので、心が罪を犯すことは避けがたく、いつでも罪悪感が心を絞めつける。そして、その罪悪感は鋭い自己否定に繋がる。

質素な聖堂の中で幼いころの罪の意識を思い出していたとき、突然に、ああ、これは自分にとって案外苦しいことだったのだな、と気づかされた。そのときまでは、こんなものだと思っていたことが、こんなに苦しいことだったなんて。僕はいままで、苦しいことを認めることができる、という可能性自体に気づいていなかった。

「原罪」が不完全な存在としてこの世に生まれおちる僕たちの宿命を示すならば、一方で「罪」とは不完全さを満たそうとする僕たちが、そのための行為を誤ることを指すのかもしれない。その行為を誤ると決して満たされることはないから、たやすく自己否定のループに陥ってしまうのではないか。

僕は罪という実体を恐れ、それに苦しめられてきた。しかし、罪というのは必ずしも実体を伴うものでなく、自らの不完全さに対する対処を誤るということなのではないか。自らの孤独を深めることをせずに、一時の享楽に甘んじるということなのではないか。

行為を誤ることで満たされない。これを繰り返して神を遠ざけることは不幸だ。そうやって僕たちに不幸を呼び込むものを「罪」と呼ぶ。

一方で、僕たちの不完全さは、それ自体は罪ではなかった。僕たちの不完全さは、僕たちを愛で満たすための器(うつわ)そのものだった。

 

駅からしばらく歩くと、アシジの町が見え始めた


●参考文献
若松英輔、山本芳久『キリスト教講義』(文春学藝ライブラリー)
J.J. ヨルゲンセン/永野藤夫訳『アシジの聖フランシスコ』(平凡社ライブラリー)

 

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。