scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第222回 読書の悦楽

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

言葉だけでつくられた世界に没頭する。それが読書のすべてだと思う。読書は、ほかにあまり見つけ得ないほどの多幸感を僕にもたらしてくれる。僕にとって読書は生きることと似ている。

読書にどれだけ救われてきたかわからない。あのとき、あの瞬間、あの本に出会わなかったら自分はどうなっていたのか。そんな経験が、読書家なら一度や二度は必ずあるのではないか。「活字中毒」という現象は、本当に存在する。僕がいまだに戦っているアルコール依存症の厄介なのは、アルコールを過剰摂取する行為によって社会生活に支障が生じることである(もちろん、それだけではないが)。その点、活字中毒になっても社会生活が極端に破綻するケースは少ないし、そもそも僕は本を読むのが仕事のひとつなので、それでもある程度はいいのだ。なんと素晴らしいことか。

僕は書評の仕事をする際、その作品だけではなく、その作家のすべての著作を読む。著作が膨大な場合は断念するときもあるが、なるべくそのルールを守ろうと思っているし、時間に余裕があれば、その作家の著作だけではなく、関連した本にも手を伸ばす。そんなことをしていたらギャラに見合わないのでは、と思うかもしれない。しかし、そうやって全著作を読破した作家が増えることによって仕事の質は高まるし、次に同じ作家の著作を書評する際、代表作を読み返すだけでも質が担保できる。自分の中の引き出しが増えるため、全体の書評仕事によい影響が生じる。目が鍛えられる。書評以外の仕事、たとえばラジオ番組で本について語る内容にも多様さと深みが出る。

そしてなにより、僕は読書が大好きなのだ。アルコール依存症と診断されたとき、医師から「ほかに夢中になれるものを探しましょう」と言われた。これはもう読書しかあり得ないと思った。もともと読書には没入感を覚えていたが、酒をやめればより一層、本に没頭できる。読書は僕にとってアルコールと同じくらいの悦楽を与えてくれる。よし、これからはさらに読書に励もう、と医師の助言を聞いて思った。実際に活字中毒になった僕は、それ以来、酒を一滴も飲んでいない。

ずっと楽しみにしていて、なかなか読めずに積読してしまっていた川本直さんの話題作『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(河出書房新社)を、昨夜から読み始めた。まだ冒頭しか読んでいないけど、きっと川本さんも僕と同じく読書に悦楽を覚えているタイプの作家なのだと直感した。同書は主要参考文献の一覧も入れると396頁ある。当分、作品の世界に没頭できるのがうれしい。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。