ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第214回 3日前の晩ご飯

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

生活をきちんとできているかどうかの基準として、「3日前の晩ご飯を覚えているか」というものがある。「5日前の晩ご飯」「1週間前の晩ご飯」などいろいろなバージョンがあるが、記憶力が悪い僕はハンデをいただき、「3日前の晩ご飯」に基準を設定している。メインのおかずに限定して自分で設定した。

ここ3日は仕事が立て込んでいたのでそれに集中させてもらい、妻が美味しい晩ご飯をつくってくれた。昨日は「鰤(ぶり)大根」。脂がのった鰤の肉厚に、頬がとろける思いをしたものだ。2日前は「鯛の煮付けごぼう」である。これも絶品で、鯛の味がしみ込んだごぼうのしっかりした歯応えを、今でも忘れることができない。それで3日前は、とても旨いおかずだった。前日の「鯛の煮付けごぼう」に勝るとも劣らないほどの贅沢なおかずを食べたはずなのだけど、どうしても思い出せない。

なんということだ。妻が一生懸命につくってくれた晩ご飯を忘れてしまうなんて。人でなしである。2日前の「鯛の煮付けごぼう」の歯応えが印象に残りすぎているせいなのかもしれない。それにしても、たった3日前である。仕事が忙しかったとはいえ、僕は生活ができていなかったのだった。

今朝からずっと頭を悩まして考えていた。やっぱり思い出せない。妻に訊いてみようか。いや、伝えなければいけないのはむしろ感謝であり、そんな薄情なことを訊くなんてもってほかである。だが、どうしても知りたい。モヤモヤする。正直に話そう。ジョージ・ワシントンの桜の樹の例もあるではないか。と思って調べてみたら、その逸話は真偽が疑われているらしい。真か偽かどちらの説が正しいのかは、僕の手元にある資料では判断できない。どうすればいいのだろう。

迷った末、やっぱり正直に話したほうがいいと思い、上記のような内容を妻に伝えたうえで訊いてみた。すると妻はゲラゲラと笑いながら、「ごめんごめん」と言った。「鯛とごぼうが余っていたから、使わなきゃもったいないなと思って、3日前も『鯛の煮付けごぼう』だったんだよ。ほら、智くん(僕のこと)も忙しいし、買い物に行く時間もなかったからさ」。妻が謝る必要なんてまったくない。そもそも僕が家の冷蔵庫事情を把握していなかったのがいけないのだし、あの「鯛の煮付けごぼう」は、本当に絶品だった。何度でも、いつでも食べたい。

僕は妻に感謝を伝えた。そして僕は生活していたのだった。ずっとモヤモヤしていたのだが、妻に正直に伝えられたことで、リビングには和やかな空気が流れていた。正直に言うべきかどうか迷ったときには、「宮崎の『鯛の煮付けごぼう』の例もあるではないか」と思い出してほしい。この話は間違いなく真実である。

 

Back Number

    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。