scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第206回 観光地のマグネット(3)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

少し前から編集担当の吉川浩満さんと一緒に、Twitterのスペース機能を使って「週刊モヤモヤの日々」という音声配信を、毎週末(今のところ)に行っている。そこでわかった事実なのだが、僕がこの連載の「200記念トークライブ」で自慢していた磁力の強いヘミングウェイと、自重に耐えられず割れてしまったチェ・ゲバラのマグネットが、まだ晶文社のスタジオ(会議室)のホワイトボードに貼られたままになっているそうだ。なんという幸運だろうか。

僕は観光地で売っているマグネットを買うのが大好きである。とくに誰にも見向きもされてないようなダサいマグネットに愛着を持っている。キューバのハバナで買った、自重に耐えられずにずり落ちるチェ・ゲバラは僕の親友である。僕がマグネットなら同じく自重に耐えられないタイプだと思うからだ。そんなマグネット収集癖についてこの連載で書いたところ、意外なほど反響があった。言葉だけで成立させることを目指している連載なのでお披露目できていなかったが、トークライブは映像配信だったので、ここぞとばかりに自慢した。デビューしたばかりの黒マスクパールのマスクチェーンをして、さも得意げに紹介したのであった。

しかし、僕の性格上、想定できる範囲のミスなのだけど、そのマグネットたちを晶文社に置いたまま忘れてきてしまったのである。そのことをトークライブの翌日、連載に書いて5日間。何度も吉川さんにマグネットがきちんと回収されたのか訊くタイミングがあったものの、なぜかメッセージしたり、話したりするうちに、マグネットの安否について訊くことを忘れてしまっていた。まだ貼られたままになっていることを知ったのは、週末のスペースでのことだった。

トークライブ当日は、チェ・ゲバラなどのほかに、友人が冗談で僕の家の冷蔵庫に貼って帰った「ルート66」のマグネットを持っていった。僕はそんなジャック・ケルアックみたいな場所に行ったことないし、これからも行くことはない。ところが吉川さんはバイクが好きで、いつか「ルート66」を走ってみたいそうなのである。だから配信中に、そのマグネットを吉川さんにあげた。

配信を視聴してくれた読者の方々が、それを書籍化のための「公開ワイロ」だとネタにしてくれた。たった2ドルのマグネットで本を出版できるなら、今ごろ書店に僕の棚ができている。だが、「公開ワイロ」という表現は微妙に当たっていた。利益供与を狙ったのではなく、マグネットが吉川さんの家の冷蔵庫に貼られることによって僕の存在を常に頭の片隅に散らつかせるという、「サブリミナル効果」みたいなものを企てていたからである。きっと効果があるに違いない。

そんなマグネットたち、しかも吉川さんにあげた「ルート66」まで、まだ晶文社の会議室にあるホワイトボードに貼られたままだというのだ。最初は他のスタッフの方にゴミだと間違われて捨てられるのではと心配していたのだが、よくよく考えてみればこんな素晴らしいことはない。晶文社で会議が行われるたびに、あの間抜けなマグネットたちが複数の人の目に留まるからである。他の編集者も営業の方も、あのマグネットたちを見る。真剣な会議の場で、磁力の強いヘミングウェイが睨みをきかす。「宮崎智之を忘れてはいけないぞ」と眼力で訴えかける。

もうそろそろ効果が出てきてもいい頃だと思うのだけど、なかなか書籍化決定の吉報が届かない。それにしても自重に耐えられずヘミングウェイの上に重ねるかたちで貼っておいたチェ・ゲバラは無事なのだろうか。すでに4分の1が欠けてしまっているのに、戻って来る頃には全体の3分の1くらいしか形状を保てていないかもしれない。見事、書籍化を勝ち取り、家に帰還した際にはチェをいたわってあげたい。日本円にしておそらく100円以下。とても偉いマグネットである。

 

Back Number

    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。