scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第191回 二代目・朝顔観察日記(6)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日は久しぶりに徹夜だった。頼まれている原稿を徹夜でも終わらせることができず、僕はとりあえず寝ることにした。もう午前5時30分だった。東京の街も、徐々にだが動き始めている。ふとベランダを覗くと、赤紫色の花が咲いているのに気がついた。そう朝顔である。

青色の花を咲かす朝顔「ヘブンリーブルー」は発芽せず、ブランド朝顔「団十郎」は、最後に2021年の青空に大見得を切る予定だったが、滅んでしまった。どちらも品質が悪いわけではない。一代目・朝顔が強風で崩壊してから種を植えたため、季節外れだったのだ。

開花したのは、やはり高速道路のパーキングエリアで売っているような素朴な朝顔だった。ほかのエリート朝顔たちにはない雑草魂というか、「多少の悪条件だとしても私は花を咲かせますよ」といった粘り強さを感じる。薄田泣菫は、『泣菫随筆』(谷沢永一、山野博史、冨山房百科文庫)に収録されている随筆「朝顔の花の動悸」で、朝顔についてこのように書いている。

朝顔は夏の暁の薄明かり、「夢」と「うつつ」の交錯揺曳(ようえい)する国から生まれた、(…)朝顔の感受性はその培養者の感情と丹念とを細かなところまで現してゐます。いや、培養者の丹念のみではありません。ぽっぽ、ぽっぽと鳴く水鶏(くひな)の声の聞こえなくなつた夏の夜のしらじらあけから、日がやや高くなるまでの時の移り変わりを感じて、それを細かく自分の感情に反映し、表現してゐるのは、この花のほかにありません。

あまりにも大好きな文章だったため。多めに引用してしまった。そして随筆の後半は「(…)朝顔の花と向ひあつてゐる時ほど、花の呼吸といふものを、ありありと感ずることはありません。(…)その呼吸が深くなり、浅くなり、また気ぜはしくなりする敏感さ」は、ちょうど、異性と向き合っているときの動悸と呼吸とを思わせると続く。僕が毎年、朝顔を育てている理由は、こうした花や草木などの自然から、人間の心象風景を想起させる表現を獲得したいからである。

さらに、1度目は失敗してしまったこの朝顔観察日記を諦めず、2代目まで頑張って咲かせようと思ったのは、僕にとって朝顔を毎年咲かすことが、ままならない日常生活に杭を打ち、その確かさを実感する大切な意味を持っているからである。特に今年は例年よりも強く、朝顔を咲かせたいと思った。この、ままならない2021年の東京の夏に、もうひとつの戦いが東京都目黒区にあるマンションのベランダで行われていたことを、せめてこの連載の読者の方々だけは、覚えておいてほしい。どんなときでも、どんな時代でも花はたいてい咲くのだ。

とはいっても、これから種の収穫などもあり、まだ2021年の朝顔観察日記を書くかもしれない。今朝、赤紫色の花はやや元気がなかった。今日の日光を目一杯浴びて元気を出してほしい。薄田泣菫いわく、培養者の感情と丹念とも朝顔に影響するらしい。僕も元気に過ごしたい。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。