ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第181回 彼岸花

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日は仕事が思うように進まなかったのと、赤子が昼寝の時間に愚図りはじめたので、赤子と僕の気分転換にもなるだろうと考え、ふたりで散歩に行った。ちょうど金木犀が咲き始めたというニュースを読んだばかりだった。赤子に、あの金木犀のいい香りを嗅がせてあげようと思った。

金木犀の香りと言えば、フジファブリックの楽曲「赤黄色の金木犀」が有名だ。金木犀は住宅街の庭木にもよく見られ、ふとした瞬間に鼻を突くあの切なくてほのかに甘酸っぱい匂いを嗅ぐと、たしかにたまらなくなる。だから、僕は赤子を前に吊るし、住宅街を池尻大橋から目黒川沿いにかけてうろうろ歩き回った。かなり歩いた。トータルで2時間近く歩いたが、なぜか昨日は金木犀が見つからなかった。いつも、ふとした瞬間に匂いで場所を教えてくれるあの花はどこにあるのだろう。

途中、僕と赤子は目黒川沿いにある「COW BOOKS」に寄って、『続 酒に呑まれた頭』(吉田健一、番町書房)と『島村詩集』(島崎藤村、新潮文庫)を購入した。『酒に呑まれた頭』はオリジナル版と「新編」は持っていたが、「続」があるとは知っていたような、知らなかったような。いずれにしてもいい買い物ができた。金木犀は諦めて帰ろうと思い、その前に店先のベンチで一休みすることにした。

目の前に真っ赤な花が咲いていた。彼岸花である。僕は彼岸花がけっこう好きだ。少し不吉で、しかし吸い寄せられてしまうような危ない魅力、そして金木犀が匂いで一気に人の気持ちをさらうように、彼岸花はその真っ赤な色で人の目線を釘付けにする。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。金木犀ばかりに気を取られすぎて、足元に目がいかなかったのだろうと思う。帰り道を歩きながら足元に注意を向けてみると、あちらこちらに真っ赤な彼岸花を発見したのであった。

万葉集には、柿本人麻呂による以下の歌がある。

路(みち)の辺の壱師の花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻を

歌意:路のほとりの壱師の花のようにはっきりと人はみんな知ってしまった。私の恋しい妻を。

一説では、壱師(いちし)とは彼岸花のことだという。この和歌は漫画家・オノナツメさんの作品『ふたがしら』でも引用され、同作品の主人公たちが立ち上げた盗賊一味の名前も「壱師」である。路の辺に、目が眩むような鮮やかな赤で咲く彼岸花を赤子に見せられてよかった。

ところで、帰ってから思い出したのだが、昨年、愛犬ニコルと駒場東大前辺りを散歩しているときに、金木犀の庭木を見掛けたような気がする。今度はその道を散歩してみようと思う。

(※)『万葉集 全訳注原文付』(中西進、講談社文庫)第三巻より

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。