膝の皿を金継ぎ
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- 第3回 喋る猫はいなくても 2023-10-31
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アワヨンベは大丈夫
- 第8回 ウサギ小屋の主人 2024-03-17
- 第7回 竹下通りの女王 2024-02-15
- 第6回 ママの恋人 2024-01-11
- 第5回 Nogi 2023-12-11
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- 第3回 私を怒鳴るパパの目は黄色だった 2023-10-13
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- 第1回 オール・アイズ・オン・ミー 2023-08-11
旅をしても僕はそのまま
- 第5回 アシジと僕の不完全さ 2024-01-27
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- 第3回 スリランカの教会にて 2023-09-16
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- 第1回 バリ島のゲストハウス 2023-05-31
おだやかな激情
- 第10回 ちぐはぐな部屋 2024-03-05
- 第9回 この世の影を 2024-02-02
- 第8回 映したりしない 2024-01-11
- 第7回 とばされそうな 2023-12-04
- 第6回 はらはら落ちる 2023-11-01
- 第5回 もしもぶつかれば 2023-10-02
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- 第1回 いまこのからだで目に映るもの 2023-05-31
- 第4回 うまくいかなくても生きていく──『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ 2023-09-25
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B面の音盤クロニクル
- 第8回 その日はあいにく空いてなくてね──Bobby Charles, “Save Me Jesus” 2024-03-08
- 第7回 クリスマスのレコードはボイコットする 2023-12-22
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- 第3回 我が家にレコードプレイヤーがやってきた──Leon Redbone “Double Time” 2023-01-08
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- 第1回 きっと私たちが会うことはもうないだろう Allen Toussaint “Life, Love, and Faith” 2022-11-04
- 第16回(最終回) 「本物の詐欺を見せてやるぜ」@ジョン・ライドン 2022-07-04
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- 10 もうひとつの現実世界――ポスト・トゥルース時代の共同幻想(後編) 2021-07-06
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第181回 彼岸花
昨日は仕事が思うように進まなかったのと、赤子が昼寝の時間に愚図りはじめたので、赤子と僕の気分転換にもなるだろうと考え、ふたりで散歩に行った。ちょうど金木犀が咲き始めたというニュースを読んだばかりだった。赤子に、あの金木犀のいい香りを嗅がせてあげようと思った。
金木犀の香りと言えば、フジファブリックの楽曲「赤黄色の金木犀」が有名だ。金木犀は住宅街の庭木にもよく見られ、ふとした瞬間に鼻を突くあの切なくてほのかに甘酸っぱい匂いを嗅ぐと、たしかにたまらなくなる。だから、僕は赤子を前に吊るし、住宅街を池尻大橋から目黒川沿いにかけてうろうろ歩き回った。かなり歩いた。トータルで2時間近く歩いたが、なぜか昨日は金木犀が見つからなかった。いつも、ふとした瞬間に匂いで場所を教えてくれるあの花はどこにあるのだろう。
途中、僕と赤子は目黒川沿いにある「COW BOOKS」に寄って、『続 酒に呑まれた頭』(吉田健一、番町書房)と『島村詩集』(島崎藤村、新潮文庫)を購入した。『酒に呑まれた頭』はオリジナル版と「新編」は持っていたが、「続」があるとは知っていたような、知らなかったような。いずれにしてもいい買い物ができた。金木犀は諦めて帰ろうと思い、その前に店先のベンチで一休みすることにした。
目の前に真っ赤な花が咲いていた。彼岸花である。僕は彼岸花がけっこう好きだ。少し不吉で、しかし吸い寄せられてしまうような危ない魅力、そして金木犀が匂いで一気に人の気持ちをさらうように、彼岸花はその真っ赤な色で人の目線を釘付けにする。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。金木犀ばかりに気を取られすぎて、足元に目がいかなかったのだろうと思う。帰り道を歩きながら足元に注意を向けてみると、あちらこちらに真っ赤な彼岸花を発見したのであった。
万葉集には、柿本人麻呂による以下の歌がある。
路(みち)の辺の壱師の花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻を
歌意:路のほとりの壱師の花のようにはっきりと人はみんな知ってしまった。私の恋しい妻を。
一説では、壱師(いちし)とは彼岸花のことだという。この和歌は漫画家・オノナツメさんの作品『ふたがしら』でも引用され、同作品の主人公たちが立ち上げた盗賊一味の名前も「壱師」である。路の辺に、目が眩むような鮮やかな赤で咲く彼岸花を赤子に見せられてよかった。
ところで、帰ってから思い出したのだが、昨年、愛犬ニコルと駒場東大前辺りを散歩しているときに、金木犀の庭木を見掛けたような気がする。今度はその道を散歩してみようと思う。
(※)『万葉集 全訳注原文付』(中西進、講談社文庫)第三巻より