scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第6回 最後に知る秘密

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

今年の初め、浴室から出るときに初めて転んだ。なぜか足拭きマットがなかったが、気にせず足を踏み出すと、ツルツルの氷の上を踏んだかのように鮮やかに滑り、全身が宙に浮かんだ。

生命の危機を感じたとき、時間は、映画「マトリックス」の世界のように超スローに切り替わる。(昔、車で軽い事故を起こしたときにも体験した。)

このまま倒れたら、この硬い角に後頭部を強打して死ぬかもしれない。 助かっても脳へのダメージは深刻だ。出かけている夫が帰宅して、とんでもない格好で死んでいる私を見つける。警察が呼ばれ、何人もの男性警官が私を取り囲んで見下ろす。検死の写真も撮られる……。げっ?!

空中にいた1秒ほどの間に、そんなことを考えていた。(でもそれは普段話している言葉とは、仕組みが違う言語のようにも思える。)

突然生命が危うくなると、脳は、危機突破モードに切り替わるのだろう。超人的速度と特殊な手段が発動されることで、1秒が何十秒にも引き伸ばされて感じるのだろうか。脳は時間を操れるということだ。

そんなことを考えたのは、ずっと後のことで、宙を舞った私は、気が付くと、床の上で激痛にうめいていた。なぜか横向きで猫のように丸まっていた。空中で頭を守ろうと体を丸め、90度回転して腕から落下したらしい。とりあえず頭は無事だ。元運動部でよかった。

けれども体が痛くて、まったく動けなかった。あまりに痛くて息も吸えない。体は濡れたままだし、冬の脱衣所の冷たい床の上で、急激に体が冷えていくのがわかる。せっかく頭を守ったのに、このままでいたら次は低体温症だ。

震えながら、やっとのことで這い上がった。骨が折れたかと思ったが、ただの打ち身だった。その後、右半身の上から下まで見たこともない大きな青あざができて、ホルスタインの入れ墨みたいだった。

この家に四半世紀も暮らしていて、滑って転んだのは初めてだ。笑えない。

右半身の青あざがすっかり消えるまでの長い間、入浴するたびに自分の老いと衰えを見せつけられ続けた。

この1年、歳をとるということは、思った以上に大変だと気付かされることが多かった。

コロナで家に引きこっている生活もまずいのだろう。筋力の衰えを自覚することが増えた。最近は、冷蔵庫を一度で開けられないときがある。餓死しないように冷蔵庫を開けるための筋トレをしなくてはいけない。

2人分の布団を干すのも大仕事になってきた。ぐいと持ち上げて、ベランダの柵にかけるのだが、一度ではいかない。「はっ!」と掛け声を出して勢いで布団を持ち上げ、柵に引っ掛ける。全部干し終えるとクラクラして座り込む。これをまた午後に全部寄せるということが信じられない。

おいおい、おまえは、何歳だ?

その肝心の自分の歳も、実は、よく間違える。ニュースで犯人の年齢「46歳」と見て、「ああ、私と同い歳なのか…」となにも考えずに思ってしまう。直後に、「ん?  私、46? 違う! 一周りも違うじゃないか!」と一人で慌てている。

別にサバを読んでいるわけじゃない。私には、時間感覚の障害があって、今が何月か、よく考えないとわからない。6月に真夏日になれば、簡単に「8月だ」と思うし、10月に急に冷え込めば、「もう年末?」と混乱する。もちろん、日や曜日などわかるはずもない。

今年は何年だろうと考えるときに、最初にパッと浮かぶのは「1900」だ。やはり「ん?」と違和感を抱く。「2020年にオリンピック開催」という記憶を引っ張り出して、やっと「今年」にたどり着く。怖いのは、2021年になっても「オリンピックイヤーは2020年だから…」と更新されない記憶で考えそうなことだ。

子どもの歳は、もういくら考えてもわからない。生まれた年は覚えているが、そこから計算することができない。別居していて、誕生日にろうそくを買ってくる必要もないので、別に何歳でもいいやと今は思っている。

そんな具合なので、私に「いつ?」という質問はNGだ。出来事の記憶は、だいたい覚えているつもりだが、いつのことなのかは、まるっきりわからない。

家族4人分の厚い布団を鼻歌まじりに軽々と干して、「このお日様の匂いが最高だね〜」としあわせに浸っていたのは、何年前のことなのだろう? 引っ越しでは、大きな家具を一人で動かして夫に驚かれた。

子育て中は、10kg近い子どもをおぶって、さらに重い子をベビーカーごと持ち上げて駅の長い階段を一人で歩いて上った。

今はもう、なにもかもが、現実ではなかったように思える。

まあ、でも、若いときは、なんだってできるのだ。徹夜しようが、引越ししようが、瞬く間に回復する。そのことの凄さも健康の意味も、私には、1mmだってわかっていなかった。

当時、経験と知識が足りないのは仕方がないとしても、常識すらまったくなかったと、今は、わかる。そのくせ有り余るエネルギーと体力だけはあるから、わさわさと動き回っては、いろいろなことをしていた。無知が人間の形をして走り回っていたのだ。今、振り返ると恐ろしい。

そこから20年経ち、40代に入ると、自分の無知を自覚できるくらいにはなった。でもそのとき既に、私は、健康を失っていた。(レビー小体病をうつ病と誤って診断され、薬の副作用に苦しみながら「うつ病」患者として闇のなかで6年間を過ごした。)

人間はもともと、何もかも同時には持たないようにデザインされているのかもしれない。そうでなければ、私など、すぐに付け上がりそうだ。

疲れを知らない健康な肉体、太陽のように湧き起こるエネルギー、豊富な知識と経験と悪知恵を持つ人間が、あらぬ方向に突き進んだら怖い。どこかここか欠けた人たちが集まってできている社会だからこそ、まどろっこしく見えても不思議とバランスが取れるのかもしれない。

この世にいるすべての人が、若さを手放し、いつか健康も手放す。脳も体も自然に衰え、自立して生活する術(すべ)も手放していく。誰もが、ゆっくりと少しずつ、幼児のように弱い生き物に還っていく。そして誰かの手で世話されながら静かに死んでいく……。

一生が、そんなふうに設計されていることにも、きっと私がまだ知らない大切な秘密の意味が隠されているんじゃないかと想像している。それは自分の体を使って、自分自身で体験してみるまでは、きっと知ることのできない秘密なのだ。だから人生最後の秘密を見つけるために、とにかく死ぬまでは生きてみようと決めた。

残念なのは、その発見を書き残せないことだ。でも、病み衰えた私が、「大発見をした!」とその干からびた肉体の奥で歓喜に躍っている姿を思い浮かべるのは楽しい。

80半ばになった叔母が言う。「ピンピンコロリっていけばいいけど、なかなかそううまくはいかないよね〜。生きるのも大変だけど、死ぬのも大変」

うん。どちらも同じくらい大仕事なのだ、きっと。そして「大変」は、たぶん、人間の「通常モード」なのだろう。「大変じゃない」ほうが例外だったんだなと、2020年の今は、思う。次々と湧いてくる、簡単には解決できない問題にヒーヒー言いながら、愚痴りながら、今日も私たちは、生きている。