ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第4回 私は限界を感じたら別の道を行く

アーティスト、イ・ランによる世界初(?)のAI翻訳日記。韓国語で書いた日記をPapago翻訳機で日本語に翻訳する。誰かに会えなくなってしまうきっかけは日常に溢れている。今すぐ会えない誰かとつながるために「あまり役に立たないチング(友達)」を使ってつづられる、人間とAIの二人三脚連載。

私がしている数多くの仕事の中で私が一番したくてすることは、
1.日記を書く
2.いがらしみきおさんに手紙を送る
3.小説(あるいはシナリオ)書くこと だ。

歌を作るのも、歌うのも好きだが、普段はただ頭の中でさまざまな物語を思い出しながら「この物語をつくりたい、あの物語をつくりたい」そういうことばかり考えている。歌は自転車に乗る度に歌うんだけど、 そのくらいがちょうどいい。

日記を書くことは鏡を見る行動のように「私が生きている」と再び考えることができるので、欠かさずに書きたいのに、本当に日記を書く時間がない。最近は特に、韓国で8月23日に5年ぶりの正規アルバムを発表するので、それを控えてやることがあまりにも多い。初めて会社なしに自主的に製作したアルバムなので、今回多くの制作過程がわかってきている。そして自分のアルバムを自分で作ってみたら、これからは他の人のアルバムを作りたいという気がし始めた。

 

今日の夜11時頃、私と同い年の友達で大好きなミュージシャンのピュア・キム(Puer Kim)と1時間ぐらい通話をした。私がピョル(ピュア・キムの本名だ)のアルバムを制作したいと話をしたら、ピョルもいいと言った。ピョルは2012年に私の初アルバムショーケースにゲストとしてステージに立ってくれた義理堅い友達だ。ほぼ同じ時期にピョルもピュア・キムファーストアルバムを発表していい反応を得て、2013年に有名なメジャー会社に入った。でも残念なことに、その会社でこれといった作品活動もなく、2018年に静かに出ることになり、今10年ぶりに2枚目のアルバムを作りたいという時点だ。インディーズシーンでファーストアルバムを質素に作ってすぐに大きな会社に入ったため、ピョルはアルバム制作過程について全く知らないと言った。お金がいくらかかるのか、どんな過程を経なければならないのか。ただピアノを弾きながら歌うデモ曲だけ持っているだけだった。私は一人でシングルも出して、今度正規アルバムも出すからできることが多くて、たくさんの人脈も持っているから、ピュア・キムの2枚目のアルバムを成功させることができるという確信を持った。とにかく早く私のアルバムを発表して、ピュア・キムのアルバム作業に移りたい。参考にピョルは、私を「泣き虫戦士」と呼ぶ。 私は実際に泣きながら何でもやってのける。

 

今まで生きてきた年齢の中で最も高い年齢(35歳)で2021年を生きながら、だんだん自分の話ではない話に関心が湧いてくる。そのせいか、今月発表するアルバムに私が歌う人ではない曲がいくつかある。1枚目のアルバムと2枚目のアルバムでは、どうしても私と恋人、私と家族、私と社会、私と仕事、私と映画のような話をすらすら詠んだが、今は他の人がどんな話をしているのかがとても気になる。この文を書きながら私の新しいアルバムの曲を再び流してみたら、計10曲のうち私が歌う人ではない曲が一、二、三、四つあることを数えてみた。あ、どうも5曲らしい(1番、2番、5番、8番、9番トラックです)。
最近は曲を作る時、私ではない他のある人を想像しながら、その人が言いそうな言葉や行動を思い浮かべ歌詞を書く。これは映画やドラマのシナリオ、あるいは小説を書く時によくやってきたことなので、それほど新しくはないが、これまで歌に関してだけは私を慰めるために日記を書くように作ってきたので、私の歌に対する態度の変化が一味違う。今ではそれこそ「創作作業」として歌に接しているようだ。

 

それでは私が今、私を慰めるためにすることは何だろうか?
最近は夜に運動場に行ってサッカーをしている。うーん、サッカーというよりは……サッカーシューズを履いて、サッカー靴下を履いて、サッカーボールを蹴りながら走り回ること。本当に汗をかいて楽しい。20代前半から30代前半までは、さまざまな舞踊(主に現代舞踊)ワークショップに参加して即興的に踊るのが一番好きだったが、最近はダンスより運動がもっと面白い。なぜならダンスもしきりに踊ると、私はいつも似た動作をすることが分かって、その限界がちょっとつまらなくなったからだ。

 

私は限界を感じたら面白くなくなる性格のようだ。
最大の例として、ギターを弾きたくないのがそれだ。私はギターのメジャーコードだけを覚えているが、それもバンドのメンバーたちが教えてくれて知ったことで、その前に一人でいた時はコードが分からないまま指の形で記憶しながら作曲をした。他のミュージシャンの友達は本当にいろんな方法でギターを弾いていたのに、私はメジャーコード7つを覚えてから、その後ギターを楽しむことができなかった。メジャーコード7つ後はそれこそ「限界」だが、別にその限界を超えたくなかった。私が弾ける7つのコードだけで作曲してもいいからだ(たまにバンドのメンバーたちが教えてくれる不思議なコードを1、2回書いたりもするけど……)。

 

2018年に仙台のバンドyumboとの共演を準備しながら「鬼火」という曲を歌うことになったので、日本へ旅立つ前に家で一人でその歌の練習をしてみようと思ったが、教えてくれたコードがとても複雑で一言も弾けなかった。というわけで、私は結局その歌をギターで弾くことはあきらめて、私の楽なメジャーコードをざっくりと弾きながら「鬼火」のようなメロディーでyumboの澁谷さんに送る歌を作った。実は、あの歌を歌いながら映像を撮って澁谷さんに送ろうとしたんだけど、その時はあんまり親しくなかったので、もしかして怒らないかと思って送らなかった。あの時作った歌の歌詞は「澁谷さんはかっこよく見せたいんだね、こんなに難しいコードで歌を作るなんて〜澁谷さんはどうしてこんなに難しいコードを使うんだろう? ただこうやってメジャーコードだけで歌を作ることはできないのかな〜」そんな歌詞だった……。

今では澁谷さんとだいぶ仲良くなってその映像を送れそうだが、どうやらその映像を私が消してしまったみたいだ。そしていざ仙台で会って知り合ってわかったことは澁谷さんはピアノで作曲するからコードが複雑なのだった。自分勝手に「かっこよく見せようとする」と判断したのがすまなかった。

澁谷さんは本当にいい曲をたくさん作る天才作曲家だ。私はもう作曲するのもあまり面白くなくて、できれば次のアルバムの全曲を澁谷さんに作曲してもらいたい。歌はいくらでも歌えるので、澁谷さんが作曲さえしてくれれば私がかっこよく歌えると思う。歌詞もいくらでも上手に書ける。

澁谷さん、もしこの文を読んで私に曲をくださる気があればぜひ連絡してください。 あらかじめ、よろしくお願いします。

 


(このページはPapago翻訳で翻訳されました。機械翻訳は完璧性が保障されていないので、翻訳者の翻訳の代わりにはなりません)

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。