scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第144回 日傘がほしい

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

それにしても暑い。ちょっと出掛けただけで、どうにかなってしまいそうだ。4連休の最後の日曜日は、昼前に歯医者を予約していた。徒歩5、6分の近場なのだが、少し歩いただけで汗だくになった。日差しが強かった。キャップをかぶり、日焼け止めを塗っておいて正解だった。

途中、日傘をさしている男性を見かけた。そういえば、何年か前、「日傘男子」という言葉が流行って、記事にしたことがあった。調べてみると2018年に記事を書き、その年も、その翌年も僕は日傘を購入している。しかし、バーベキューなど長時間、日光にさらされるイベントでさした以外は、日常的には定着していなかった。そろそろ本格的に導入するときが来たのかもしれない。

日傘をさしてわかったのは、日光を遮るだけではなく、体感気温を下げる効果があることだ。東京のうだるような夏の暑さは、アスファルトからの照り返しも影響しているような気がする。それを防げるため、余計に涼しく感じるのかもしれない。すでに購入した日傘は、どちらも晴雨兼用のものだった。せっかくならちゃんとしたお洒落な日傘を買って使いたい。昨年はコロナ禍の自粛により日傘を使わなかったし、その前に引っ越しもしたので、家に日傘があるのか。探さなければ出てこなそうだ。

ちょっと前までは、男性が日傘をさすことに抵抗があった人も多かっただろうけど、最近ではそうでもなくなっているように思う。考えてみれば、性別で傘をさすか、ささないかが変わるなんて、とてもへんてこりんだ。だいいち、この暑さでは下手すれば命の危険すらある。よし、決めた。もう「日傘男子」なんて言葉は使わない。僕は日傘をさす。しかもお洒落な日傘を。

さて、その日、歯医者では抜歯が行われた。差し歯の土台にしていた歯が駄目になり、抜くことになったのである。歯が1本なくなった。なんとも切ない哀愁を感じた。先生に頼んで、抜いた歯を持ち帰ることにした。もともと土台にしていて駄目になった歯だから、残り滓のような根っこしか残っていなかった。抜歯といってもそんな辛くないだろうと高を括っていた。しかし、痛いのと怒られるのが、なによりも大嫌いな僕である。念のため頓服の痛め止めを5回分、処方してもらった。

帰りは駅前の書店に寄った。それにしても暑い。タイミングとしては早すぎるが、もう抜歯の部分の麻酔が解けてきたような気がした。書店に着く頃には、本をゆっくり眺める精神的な余裕がなくなり、新刊のコーナーだけをチェックして、早々と退散してしまった。そこから家までの道のりで何を考えていたのか、僕は思い出すことができない。とにかく暑くてたまらなかった。そして気のせいなどではなく、やっぱり抜歯の部分が痛みはじめていた。

帰ってからしばらくして痛め止めを飲んだ。僕は思った。僕には日傘を買いに行く体力がない、と。そういえば前に購入した2本も、ネットで注文したのであった。どうすればお洒落な日傘をこの目で見て、触って、さし心地を体験してから購入できるのだろうか。日傘を買いにいくための日傘がほしい。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。