ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第5回 入院は家庭崩壊の危機(前編)

大学三年の二〇歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、十三年間の闘病生活を送った著者。その間、いろんな年代のいろんな家族の内実を、見聞きするつもりはなくても、たくさん見聞きしてきた。病室という、ある種、非日常な空間で、人がどんな本音を垣間見せるのか、人生がどんな別の顔を見せるのか、家族がどんなふうに激震に耐えるのか、その悲喜こもごもを書き綴る物語エッセイ。六人部屋という狭く濃密な空間で繰り広げられる多様な人間模様がここに。

「特別な人生には、ちがいないだろう」
「たしかにね、俺たち、普通の人生じゃないな、
と思うこともありますよ」

(『男たちの旅路  山田太一セレクション』里山社

六人部屋ならではの離婚模様

六人部屋に入院している間に、何組もの夫婦の離婚をとめた。

二十代の男には珍しいのではないだろうか。

相手はいずれもかなり年上だった。五十代から四十代くらい。子どものある夫婦も多かった。

普通なら、長年連れ添った夫婦の離婚問題に、未婚の二十代の男が口の出しようもない。むこうも相手にしないだろう。

こういうことが起きるのもまた、病院の六人部屋ならではだ。

ヒビの入った家庭に激震が走る

私は男性だから、私が見てきたのは主に、父親や夫が入院した場合だ。

父親や夫が、突然、病気になって入院する。しかも、すぐには退院できない。あるいは、もう元通りというわけにはいかないかもしれない。

そうなると、その一家にとってはかなりの衝撃だ。

自分の家庭にだけ、突然、大地震が起きるようなものだ。

被害の程度は、同じ揺れでも、家庭によってちがう。

揺れる前から、どの程度のヒビが入っていたかによる。

そもそも、まったく何の問題のない家庭というのは、まずない。もともと何かしら問題は抱えている。どこかにちょっとしたヒビくらいは入っている。

それでも、何事もなければ、それくらいのことでは、特に問題なくずっとやっていけたかもしれない。

しかし、家庭に激震が走ったことで、そのヒビが大きくなってしまう。

ずっと抱いていた疑念

たとえば、私が最初に離婚をとめた夫婦の場合には、夫のほうが再婚で、前の妻との子どもが三人もいた。

といっても、なさぬ仲でもめていたということではない。妻はとても好人物で、子どもたちをかわいがり、子どもたちからも慕われているようだった。自分たちの子どもはできなかったようで(あるいはつくらないようにしたのかもしれない)、前妻の子と自分の子を差別するようなことも起きようがない。

夫は、三十代後半くらいのときに、最初の妻に病気で先立たれ、三人の子どもを抱え、仕事もあるし、とても困っていたようだ。

そして再婚したのが、今の妻なのだ。妻のほうは初婚であったが、子ども好きで面倒見もよく、専業主婦となって家庭を支えた。他人の子どもを三人も育てるのは大変だっただろうが、そういう愚痴を言うような人ではないし、そういう人生を選んだことを後悔してもいなかった。

そういう女性は、さがしてもなかなかいないだろう。じつにやさしそうな善良そうな人だった。なるほど、こういう人なら、三人の連れ子のいる相手とでも素敵な家庭を築けるだろう、と納得させられるものがあった。

ところが、じつはそのことが、妻のほうの悩みだったのだ。

自分が気の好い人間に見られることは、自覚があった。そして、容姿にはあまり自信がない。人柄のよさがにじみ出ていて、誰からも好かれるタイプではあったが、女性としてモテるタイプではなかった。

夫のほうは、三人の子どもを抱えて困っていたし、そういう条件では、結婚できる相手も限られてくる。普通に、好きだから結婚するというのとはちがってくる。子どものこととか、いろんなことを考えて、相手を選ぶことになる。

その結果、自分が選ばれたのだろう。そういうふうに、妻のほうはずっと気になっていたのだ。つまり、三人の子どもの世話を見てくれる人が欲しくて、それにうってつけに思えたので、夫は自分と結婚したのではないか。そこには恋愛感情はあまりなかったのではないか。もし自由に相手を選べたとしたら、自分のことは選ばなかったのではないか。そのことが、心のどこかで、ひっかかりになっていたのだ。

しかし、夫に聞くことはできない。否定されても、本心かどうかわからないし、肯定されたら、どうしていいかわからない。

それでも、ずっとうまくいっていたのだ。入院したとき、夫のほうは五十代半ばくらいで、妻のほうは多分、四十代後半くらいだったと思う。つまり、二十年近く、うまくやってきたのだ。

そんなに長く家族をやっていれば、もう盤石なのではないかと、二十代の私は思ったが、そうもいかないようだった。

ヒビはいつまでもヒビとして残っていて、入院という激震で、そこからどんどん亀裂が入ってしまった。

イライラと怒り

そもそも病室では家族とケンカをしやすい。

息子や娘とのケンカもあったが、いちばん多いのは妻とのケンカだ。というか、妻とまったくケンカをしなかった人は、数人しか目にしていない。ほとんどの人は妻とケンカをする。それも激しく。

入院中の患者は、医師や看護師に対しては、とても気を遣っている。なにしろ、命を握られているから。内心は怒っていたとしても、とてもにこやかに感じよく接している。

最近はモンスター患者の話も耳にするが、外来ではともかく、入院中は私は出会ったことがない。看護師の言うことを聞かないくらいの人はいるが、医師や看護師に思い切り怒りをぶつける人は、いなかった。そうしてやりたいと願っている人はいたが……。

六人部屋の他の五人とケンカをするわけにもいかない。長期間に渡って、二十四時間ずっといっしょにいなければならないのだ。怒って出ていくわけにもいかないし、「出て行け!」と相手に言うわけにもいかない。もめたら、もめた相手とそのままずっと同じ部屋で寝食を共にしなければならないのだ。これは気まずい。だから、極力、もめないようにする。それでも、ケンカはたまにあったが、よくよくのことだ。

しかし、入院中に、本当に機嫌のいい人はいない。なにしろ、人生の大ピンチだ。そして悩みが続出する。病気のことはもちろん、それにともなって、仕事のこと、お金のこと、将来のこと……さまざま難題がふりかかる。さらに、なにしろ体調がよくないのだから、それだけでもイライラする。「どうしてオレだけがこんな目に……」というような理不尽さへの怒りもある。

 世の中でいちばん善良な顔をしてバスの後ろの座席で身をすくめていても、お母さん、握りこぶしでガラス窓をたたき割りたかったのです。

                            ハン・ガン(「私の女の実」/『ひきこもり図書館』斎藤真理子訳 毎日新聞出版)

この文を読んだとき、六人部屋を思い出した。

普通に生きている人でも、こうしたどうしようもない思いにとらわれることがある。病室ではなおさらだ。

病院にお見舞いに行ったことのある人は、病室にいる人たちが意外に明るいことに、少し驚くのではないだろうか。みんな暗く落ち込んでいるかと思ったら、案外に平気そうで、にこにこしていく。

でも、内心は、やり場のない、いらだちや怒りに満ちている場合もある。それを晴らすことが難しい。いわゆるストレス解消とか気晴らしとか、そういうこともできない。どこかに出かけるわけにはいかないし、趣味とかも、病室では無理なものが多い。

毎日毎日、医師や看護師や病室の人たちに気を遣い、病気の心配と、それにともなうさまざまな心配をして、将来への不安や痛みなどにも耐え、ストレスを発散できるようなことは何もなく、ただただ黒い感情がたまっていく。

これはどうしたって、いつか爆発しないではいられない。ぐっとフタをおさえられたまま、火にかけられた鍋だ。

夫の気持ち、妻の言い分

その相手が、妻になってしまいやすいのだ。

もちろん、妻にぶつけようと思って、やっているわけではない。いちばん本音で接することができる相手だから、話しているうちに、つい抑えていた感情まで吹き出してしまう。

いったん吹き出してしまうと、とめるのが難しい。さんざん振った缶ビールをプルトップをちょっとあけてしまったようなもので、吹き出すのはちょっとではすまない。一気に出てきて、とめようがない。

きっかけは、くだらないことであることが多い。怒ろうと思って怒っているわけではないのだから。頼んでいたものを持って来なかったとか、「その言い方はなんだ」とか、ベッドに寝たきりの場合には、ティッシュの取り方がよくなかったというようなことでも、大声で怒鳴ってしまうことがある。自分では何もできないだけに、いちばん身近な人が、ひどく気がきかないことをすると、とてもイライラしてしまうのだ。

怒りをぶつけられた妻のほうは、びっくりする。何もそんなに怒らなくてもと思う。病気でイライラしているのはわかるし、八つ当たりしたくなる気持ちもわかる。だから、ある程度は、耐えようと努力するが、たび重なると、耐え難くなってくる。こっちだって大変なのに、それがわかっていないと思う。自分ばかりつらがって、八つ当たりして、それはない、と思う。

だいたい、病人の面倒を見ている家族は、病人よりも自分たちのほうが大変だと思っている。家族どうしが談話室などで、よくそういう話をしている。

「あの人は寝てるだけだけど、こっちは家のこともやって、子どもの面倒も見て、それで病院にも通っているんだから、もうへとへとなのに」

「そうなのよね。そういうこと、ぜんぜんわかってないんだから」

妻どうしが、共感し合って、自分たちの大変さ、むくわれなさを嘆いているというのも、病院でとてもよくある風景だ。

妻のほうとしては、「いろいろすまない。よくやってくれて、とても感謝しているよ」というような、ねぎらいの言葉をかけてほしいくらいなのだ。それが、何をやってあげても当然のような顔をして、ちょっと何か気に入らないことがあると、すぐに不機嫌になって、怒ったりする。冗談じゃない、という妻の側の言い分も、またもっともなことだ。

夫も、妻も、自分の大変さで手一杯で、相手の気持ちは理解できていないことが多い。

なぜこんなに怒られるのだろうという疑問

私が最初に離婚をとめた夫婦でも、これが起きた。

つまり、夫がちょっとしたことで妻を怒るようになっていった。

夫のほうは、もともとやさしい感じの人で、おだやかそうだった。三人の子どもの面倒を見てもらっているという思いもあってか、妻にあまり声を荒げたこともなかったようだ。

それが、ちょっとしたことで怒るようになった。さらに怒鳴るようにさえなっていった。妻のほうは、驚き戸惑いながら、ただ我慢していた。

妻は身体が丈夫な人のようで、あまり病人の気持ちがわからず、たしかに、ちょっと行き届かないというか、気のきかないところがあった。といっても、怒られるほどのことでは、もちろんない。なぜこんなに怒られるのだろうという疑問が、どんどんたまっていった。

そこで、もともとひっかかっていた疑念が、あらためて頭をもたげてきてしまったのだ。夫が自分を選んだのは、三人の子どもの世話を見てくれる人としてであって、自分の妻としては、もともと不満だったのではないか。それを表に出さないようにしていたのが、病気をしたことで、つい本音が出てきてしまっているのではないか。病気をして、自分の人生を振り返ってみたとき、こんな女と結婚したことを後悔し、悔しく思っているのではないか。

いったんそういうふうに思ってしまうと、夫の言動の端々がそれを裏付けているように思えてくる。自分を見るときの、いまいましそうな目つき。世話をされてもまったく嬉しそうではなく、ふれた手をふり払われたりする。

夫が怒っている間も、ずっとベッドのそばのパイプ椅子に座って、ただ黙って耐えていたが、だんだん病室ではなく、ぜんぜん関係ないところで妻の姿を見かけることが多くなっていった。

あまり人のいない廊下の椅子にぽつんと座って、静かに泣いていたりする姿を何度か見かけた。病院には来るものの、夫のそばにいるのがつらくて、別のところでいろいろ考え事をしていたのだろう。

怒っては後悔する夫

じつは、夫のほうは、妻に怒ったり怒鳴ったりした後、いつも落ち込んでいた。ベッドに座って、がっくりとうなだされて、「また怒ってしまった……」と深く反省していた。

次こそは怒らないようにしようと、自分に誓うのだが、またやってしまって、また落ち込むのだ。これを毎回、くり返していた。

じつは、これは彼だけのことではない。たいていの夫がそうだった。夫も、他にぶつけどころがなくて、つい妻に対して怒ってしまうだけで、妻に本当に不満があるわけではない。怒ってしまった後は、ああ、またやってしまったと反省する人が大半だった。

もちろん、反省すればいいというものではないし、反省が次に生かされないのだから、意味がないと思う人もいるだろう。

しかし、ともかく、反省はしているし、その姿はどの妻もまったく知らない。

知っているのは、同室の他の五人だけである。

私は若くて、まだ妻もいなかったから、そういうものなんだなあと、興味深く見ていた。

なぜか未婚者が相談相手に

その頃から、この夫婦の双方から、それぞれに相談を受けるようになった。

これを不思議に思う人も多いだろう。五十代と四十代の夫婦が、自分たちの夫婦関係について、なぜ二十代の若僧に相談するのかと。

これは私もすごく不思議だった。

私はこの夫婦の向かいのベッドで、いちばん二人の様子をよく見ていた。とはいえ、他の四人の患者はすべて五十代くらいだったから、相談するなら、そういう人生経験があって、同じように妻子のいる人たちのほうがいいに決まっている。

パソコンの操作がわからないときに、パソコンを使ったこともない人間に聞いても仕方ない。にもかかわらず、他の人たちには相談せず、未婚の私にだけ相談してくるのだ。

(この項続く)

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。