ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第13回 夫の逆立ち、わたしたちのサーカス

「ムーミンはふたつ前の誕生日の前日、とつぜんうちにやってきた。身ひとつで。インターホンを鳴らして」……。水があふれる寸前のコップの如く、あやういバランスで保たれていた日常が、突然の訪問者でさざ波がたちはじめる。歌人にして国語科教員、初の著書『せいいっぱいの悪口』で注目を集める著者による、希望と不安、孤独と安堵が交錯する日々を綴るエッセイ。「カバでも妖精でもなく、今ここにこうして生きているもの」  

アパートのベランダからは、小学校の校庭がよく見える。おーい、と手をふれば声が届きそうなほど、だから暗くなってからは目を凝らせば職員室の明かりのなかに人がいるかどうかも見える。もし子どもがこの小学校に通うことになれば、体育の時間にベランダから「がんばれー」と声援を送ることもできるかもしれない。平日なら仕事があるか。五年後六年後、まだ教員をつづけているだろうか。そんなことをぼんやり思う。

今日は校庭の奥にズラリと子ども用の自転車が並んでいる。体育座りの子どもたち、先生に、警察官。どうやら自前の自転車を使っての交通安全指導のようだ。先生の「手遊びしないよ」というお叱りがここまでしっかり聞こえてくる。
午前十時、ぐずりながらも寝つかない子を抱っこしながらその様子をしばらく眺めていた。警察官の話は長く、自転車の出番はなかなかやってこない。

今の子どもたちはみんな、ひとり一台自分の自転車を持っているものなのだろうか。自転車のない子は肩身の狭い思いをしないだろうか。余計な心配をしながら、自分の子どもの頃は塾に行くときもピアノのレッスンも、もちろん友だちと遊ぶときにもいつだって自転車に乗っていたことを思い出す。

フリーマーケットで入手したピンクの、ずいぶん古い型の自転車。みんなのとは違ってなんだか車輪がひと回り小さいのがすこし恥ずかしかった。サドルが低く感じるようになってからは、イトーヨーカドーの入口前に並んで売られていた七色のもの。赤を選んだ。どちらの自転車にも、後ろにはしっかりした作りの荷台があって、友だち数人と連れだって出かけるときに自転車のない子を後ろに乗せるのはわたしの役割だった。凹凸の多い道のハンドルの取り方、車道から歩道への段差のちょっとした衝撃、ゆるやかな勾配へ差しかかるときの、右脚の踏んばり方。風にのってきれぎれにやってくる、後ろの荷台に跨った友だちの話し声。そういうものを覚えている。

そうして友だちばかりをたくさん乗せて、いつか恋人を後ろに乗せて一緒に学校帰りなんかに寄り道したい、と思うようになったのは中学生の頃だったか。しかしその後高校生になっても後ろに乗せる人はおらず、長い坂道をいつしかわたしは両手離しで自在に操縦できるようになっていた。ひとりの自転車を持て余して、不必要かつ危険な特技を身につけてしまったのだ。「二人乗り厳禁」とかなり厳しく言われるようになってからは人を乗せることも、とんとなくなった。だから、夫を自転車の後ろに乗せたこともおそらくない。

「もうこの紫陽花はいよいよ今日まで、といったところでしょうか」と背後からムーミンの声がする。ベランダから校庭を眺めながら、子もいつの間にか目を閉じて、ぼんやりしてしまった。

ふり向けばたしかに、食卓に置いた花瓶の紫陽花は萎れている。近くの道の駅で買った紫の紫陽花は、色が吸い上げられたように所どころ、セピア色に変わっている。つい一昨日あたりまでは元気だったのに。数日水遣りをさぼってしまったからかもしれない。ムーミンはすこし、悲しそうだ。

新人賞への応募など、いくつかの締切が重なり、ただおろおろと泣き言を浮かべていたのは先月末で、その間花への水遣りを怠るばかりか家事や子守のほとんどを夫が引き受けてくれていたのだった。特に夜間、よく眠りなよと言って別室で一人で寝かせてもらったおかげでなんとかすべてを無理やり書き上げ、六月は晴れやかな気持ちで迎えることができた。やあこれでゆとりもできたのだし、みんなで公園にピクニックにでも繰り出そうかという折、夫が熱を出した。

夫がこんなにしっかり風邪を引くのも珍しいが、今回は加えてなかなか熱が下がらない。原因はおそらく重なった疲労と寝不足なのだろうけれど、それにしても。もう四日も寝込んでいる。翌日近所の内科へ行き、しかし検査はなしにコロナではなく風邪でしょうと言われさらなる養生を言い渡された。

そんなの、検査もせずに決めつけて、熱だけこんなに長引くなんておかしいと、それを夫にぶつけてつまりはわたしもこの状況に疲弊していた。先の見えないワンオペレーションフル育児は二人体制にすっかり慣れた身にはわりあいしんどく、イライラをまとめて弱った夫に投げつけてしまう。そんなことしたってどうにもならないのに。もう知らないよ、とかなんで治らないの、とか一番困っているのは夫なのにそんなセリフを毎晩浴びせ、おやすみもろくに言わず子と切れ切れの浅い眠りを繰り返した。

果たして夫は徐々に回復した。自作の離乳食盛り上げソングを歌う高らかな声が聞こえてきたときには安堵したし、久方ぶりに夫の逆立ちが見られたときは完全に元気になったのだと確信した。夫は出かけた先で逆立ちをする。なぜだかいつの間にやらそういうルールができて、ゴミ出しのついでに、公園やドラッグストアの広い駐車場で、夫は毎回ほいっと逆立ちをした。それをわたしは記録して、ツイッターに上げたりしている。そういう日常が戻ってきて、うれしい。

されど、なんとこのチームの脆いことだろう。ひとりが倒れれば、そこへ覆うようにしてわたしは文句を垂れ、空気はさらにギクシャクし、すこしの子どものぐずりさえ一切が一瞬間に嫌になってしまう。誰かが大変なときこそ、というのが家族というチームのかくあるべき姿ではなかったか。夫はわたしが締切に追われているとき、不機嫌な顔ひとつせずにすべてを引き受けてくれた。なのにわたしときたら。自分の大変さだけ声高に主張して、それだってもとより好きでやっていることなのに。

そもそも家族って、と思う。たしかにわたしたちは四年前、夫婦になることを選択した。もしも今もう一度選び直す岐路に立つのなら、どうするだろう。結婚という制度に乗っかって二人、同じ名前で、生きたいだろうか。なぜわたしたちは同じ箱に入ることを選んだのだったか。家族とは、家とは錆びついた檻なのだろうか。その錆は、もう力尽くでこすり落とすことはできないのだろうか。

例えば、誰とでも写真に収まってしまえば家族に見えるのだろうか。家族写真が家族たらしめているものってなんだろう。(植本一子『個人的な三ヶ月 にぎやかな季節』)

植本一子さんの新刊にドッグイヤーしていたこの文章を思い出す。ベビーカーを押して、買い物袋を提げて、おしゃべりしながら歩くわたしたちはきっと家族然としている。わたしたちが自分たちのことを家族であると意識することがないのは、それを疑うことなく生きる、そういう毎日を送っているから。家族に見られることは、安心できることなのかもしれない。だれにも変に思われないから。だれからも、指をさされないから。でもそれは、ほんとうに自分のためなのだろうか。

家族という響きは揺るぎない。吹けば飛んでゆくような、やわなものじゃない。そう、思ってはいないか。だれって、そうわたし自身が。

ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」のなかで、一番目の元夫である田中八作(松田龍平)が「夫婦なんて、強いとこじゃなくて弱いとこで繋がってるものなんじゃない」というシーンがある。それに主人公大豆田とわ子(松たか子)は「そうかもね」と微笑んで返す。これは実際には「もしもあのまま夫婦であり続けたとしたら」という二人の想像で、そして二人はそうなることを、選ばなかった。

でも、もちろん頷ける。町を歩くわたしたちはどこにでもいる夫婦、家族で、もしかすると幸せそうだ、と思われることも場合によってはあるかもしれない。けれどこんなにもその内実は脆く壊れやすく、近づいてみれば張りぼてのようにちょっと中が透けている。なかにあるものは。なんてなにもいいものは入っていない。こんな毎日いったいいつまで、と立ち止まって途方に暮れるような変わりのない一日いちにちと、だからふり向いたってなにがあったか、本人たちも覚えていないこだまのような残像のいくつか。

全員の機嫌がいいときなんて、滅多にない。日々はシーソーのようにあなたが不機嫌ならばわたしはちょっとだけ張り切っている。わたしが落ち込むときは、あなたが逆立ちをして見せてくれる。地面を蹴ってしばらくの間、宙に浮かんでそのとき見える瞬きの景色を、わたしたちはすぐに忘れてしまう。

「紫陽花の花言葉をご存知ですか?」とムーミンが言う。知らない。「なんなの?」と聞くと「移り気、冷酷、などもありますが、家族、団欒、和気藹々なんかもそうですね」とのこと。

家族団欒和気藹々。ふーんと思う。漢字ばかり並べてみればなんだか暴走族の当て字みたいだ。みな繋がっているようで、家族だから団欒するわけでも、家族だから和気藹々なわけでも、ほんとうはない。たしかにわたしたちは家族で、はじめはそう意志して夫婦になった。意志して? いや、「流れで」というほうが正しい。好きになったのも気づいてみればそうだったじゃないか。結婚だってその流れのうちでしたことだ。他人同士がそうして気づけば一緒になって、自分を象る輪郭は、相手と手を繋ぐことによってのみ、はっきりとする。わたしたちはほんとうには、はじめから終わりまでをひとりで、けれどもこうして一緒にいる。握る手の力を強めたり、緩めたりしながら。

もうすぐお昼、空腹も感じながら脱力してベッドに身体を蹴伸びするように、滑らせる。すこし前にシーツを夏仕様のひんやりしたものに替えて、摩擦する腕や腿がそのまんま、さらさらとして気持ちいい。うつ伏せの状態から顔を窓のほうへ向けて、梅雨の真ん中、ここ何日も晴れがつづいている。

水色のシーツには紺のほそいストライプが入っている。腕を伸ばして手のひらで大きく表面を撫でればストライプは波打ってそれがゆるやかなカーブになる。道みたいだ。昔よく、車道の白線からはみ出さないように自転車を走らせた。そういうひとりの遊びのようなもの。ちょっとだけ遠くを見るとはみ出さずに漕ぐことができた。べつにこれはなにかの比喩なわけではない。わたしは自転車で、両手離しだってできる。夫はその横で逆立ちのまま、なんだかサーカスみたいだ。子は最近獲得したハイハイで応戦する。だいたいが不機嫌でつまらない毎日を、三人で暮らす。夜露死苦、唯我独尊、喧嘩上等。いいじゃないか、ヤンキー文化。なんかすこしかっこいい。三人でガン飛ばしながら、スーパーへ行こうか。

サーカスよ いくたび生まれ変わっても辿りつけないつばさを見せて 平岡直子

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。