scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第1回 できる人には、できない人が、なぜできないのかわからない

誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体型認知症という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。

「コロナ時間」が明けるとニュースが伝えている525日に扉を開くので、家から出てもいいという。突然「いい」と言われても、どのくらい安全なのか、危険なのかも見えない私は、扉の前に立って、きょとんとしていた。 

私にとっては、ずるずると這うような、それでいて、何をしたのかもわからないうちに1日が終わっていった「コロナ時間」。長かったのか短かったのかもよくわからない。  

集中治療室にいる人々にも、その家族にも、命をかけて働いていた人々にも、仕事も住む場所も奪われ屋外で眠るしかなくなった人々にも、学校に行けない子どもたちにも、大学をやめようかと悩んでいる学生さんたちにも、時計は同じ速さで針を進めてきた。9時は誰にとっても9時で、3時間経つと全員が12時を迎えた。全然違う状況に置かれた人たちに、まったく同じ速さで時間が進むなんて、なんだか信じられないことに思える。   

私はといえば、「コロナ時間」の始まりとともに仕事がなくなった。カレンダーにパラパラと書かれていた講演の予定は、中止を告げるメールが届くたびに二重線で消していき、まもなくすべて消された。気がつけば無職だ。友人と会う約束も帰省もやめたから、出掛けて行く場所、ゼロになった。 

3年間骨身を削って書いた本(『誤作動する脳』医学書院 シリーズ ケアをひらく)が3月の頭に出たけれども、本屋は閉まり、ネット書店も流通が滞っていた。本が出たこと口で伝える機会もゼロ。ゼロという言葉のインパクト。それはあまりにも大きくて、かえってサバサバした気持ちになった。 

仕事がない。でも屋根も布団もあるし、食べ物もある。そして目の前には膨大な時間が転がっている。これはすごいことじゃないか。じゃあ、このあり余る時間を使って、私は、何をしよう? 何を発信しよう? と考えているだけで、時間はどこかに消えていった。 

ネットでは、さまざまな人が、驚くような発信をしている。隣の家のおじさんみたいな普段着のヨーヨー・マが自宅からチェロを奏でてくれる。ミュージカル俳優たちが、大勢でレミゼラブルを高らかに歌い上げる。歌舞伎だって観られる。高いお金を払わなければ観られないプロのパフォーマンスが、あっちこっちに惜しげもなくあふれている。プロでなくてもセンスの良い人たちが、動画で、イラストで、写真で、惚れ惚れするような作品やためになる情報を次々と惜しみなく発信している。私はパソコンに向かって拍手したくなる。 

「そうだ。私は、レビー小体型認知症がわかるようなものを作ってみたらいいじゃないか」とある日思い立ち、人の真似をしてイラストを描き始める。まるでパッとしない。こんなヘタなイラスト、誰も見ない。 

仕方がないので無料のイラストを探し、スライドを作ろうと決める。以前作ったものを改良すれば早いし、そんなに大変じゃない。泥のように重く澱んでいた私のコロナ時間動き始める。私だってまだ捨てたもんじゃない。そう思えるとうれしくなる。元気も出てくる。 

ところが、あろうことか、そのスライドがない。削除した記憶はないから必ずあるはずなのに、どこを探しても見つからない。シュルシュルと気力と自信が抜けていく音が聞こえた。 

私の頭の中同様、パソコンの中もぐちゃぐちゃで、何が何だかわからなくなっている。これでは今後、どんどん支障が出るきちんと分類し、タグ付けし、いつでもさっと取り出せるようにしなければいけないと思い始めてから、もう何年経つだろう……。なにをどうすればいいのかわからないまま、ただ書類もデータも増え続けている。 

50歳のときにレビー小体型認知症という診断名がついて治療を始めた。病気になってから視界から消えた物の存在が頭から抜け落ちるようになったので、大事なものは、何でも身の回りに置くようになった。でも、それも結局、なんだかわからない山になっていく。パソコンも同じで、忘れたくないものは全部デスクトップに置くので、スクリーンが埋め尽くされて、壁紙モネの睡蓮が見えない。余計探し出せなくなっている。   

スライドを1枚、また1枚と見ていって、やっと目的のスライドを見つけ出した。レビー小体型認知症に早期に気づくための初期症状を集めたものだ。そこに、私にもある嗅覚障害を付け加えるだけで完成する。簡単だ!  

ところが、今度は、どうしたら付け加えられるのかがわからない。ここの四角の囲みは、どうやって作っただろう? 以前、自分がやったことなのに、どこをクリックしても同じ四角の枠を出すことができない。なぜ?!  

一歩も進まないうちにぐったりと疲れ、横になって眠った。私の脳は虚弱なので、すぐ疲れてしまう。特に、なにかに失敗したり、わからなくなると、瞬く間にフリーズする。この困った脳と体は同期しているので、脳がダウンすると全身のスイッチオフになる。スライドを見つけただけの1日が暮れていく。 

こんなことが、増えている気がする。毎日いじっていたときには問題なくできていたはずのパソコン操作が、久しぶりにやろうとすると全然できない。突然現れるメッセージの意味がわからない。「・・すると・・になりますが、いいですか?」などと訊ねられると、脅迫されているようで体が固まる。いいか、悪いかなんてわからない。どうして私にわかる言葉で説明してくれないだろう 

スマホを初めて買った80代の父が、触るたびに「わっ!変なのが出てきたぞ!なんだ、これは!? どうしたらいい!?」と大騒ぎする姿を見て笑っていた自分を思い出す。ほぼ同類じゃないか 

できる人間には、できない人間が、なぜできないのかわからない。 

パソコンで「できない」と思ったことがなかった私は、できなくなる日が来ることを想像していなかった。もちろんパソコンを初めて手にした30代の健康な私も、その操作は知らないことだらけだった。でも、なんでもチャカチャカといくらでも検索し、躊躇なくあちこちいじり回しているうちになんとかなった。できなかったことができるようになるのは楽しい。新しいサービスを見つけると、考える前に登録して、使い始めていた。 

新しいサービスやアプリの仕組みを理解するとか、子どものように片端からクリックして何が起こるか試してみるということが、わくわくする楽しみではなく、考えただけで気が重くなる苦役になる日が来るなんて 

でも、もちろんそれが全部病気のせいだなんて思ってはいない。病気ではない60代の夫も年々スマホが使いこなせない人になっている。使い方を調べることもなく、「このスマホは頭が悪い!」と怒っている。   

ネットの世界を見渡せば、「できる人」でいっぱいだ。私にはどんなに頑張ってもできないなと思うことを華麗にこなす人たちであふれている。すごいな〜、素晴らしいな〜と心から思いながら、一方で、そのどれもできそうにない自分がちっぽけに思えてくる。 

あぁ、こういう世界の中で自信を持つって、ほとんど不可能なんじゃないだろうかと考える。学年で一番絵の上手な子どもだって、スマホを覗けば、同い年の天才小学生の絵を見つけてしまうだろう。 

ありとあらゆる物事に、「上には上がいる」「もっといいものがある」「もっとすごいことがある」と、見せつけられ続ける世界。自分の持っているどんないいものも、色あせていくような気がする。 

パソコンも携帯電話もデジカメもなかった子どものころ、好きだった教科は、体育と図工だった。体を動かすこと、絵を描くこと、何かを作ることは無条件に楽しくて熱中できた。体育は、中学高校と進むにつれて教師が威張るので嫌になったけれども、美術の時間は、高校まで一番の楽しみだった。でも高校を卒業してから、絵を描くことがなくなった。何かに感動して、思わず描いたことはあったが続かない。私は、自分に絵の才能がないことをわかっていた。  

晩年になって水墨画を始めた叔父がいた。ハガキに絵と字をかいてはせっせと送ってくれた。私は、それを受け取ると「ありがとう」と返事を書いた。  

「あのハガキを喜んでくれるのは、直ちゃんだけだよ」と叔父の家を訪ねたとき、叔母はこっそりと言った。絵心を置き忘れて生まれてきた叔父の描く絵は、私がこれまで見たどんな絵よりも絵に見えなかった。そこに字下手気にせず筆で書き添えられた字は、字に見えなかった。「下手なりの味」も見えず、ただただ見事に下手だった。すごい。誰にも真似できない。しかも大量生産だ。 

叔父は、心臓を悪くしていたので自宅で過ごしていた。画材を広げたテーブルの前に座って、やつれた叔父は、愉快そうにいろいろな話しをしてくれた。外見は病人なのに、中身は今までのいつよりも健康そうに見えた。 

「今度は、魚を描こうと思ってるんだ魚をな、俺は、生きているように描いてみたいんだ」 

そう言ったときの叔父の顔を私は忘れない。衰えていた叔父の目、強い光を放っていた。清々しかった。カッコいいと、心から思った。上手いとか下手とか、才能があるとかないとか。それがなんだろう。本気でおもしろがっている人間にはかなわない。  

今、私は自分に聞いてみる。 

「お前、楽しんでいるか?」 

「うん。書くのはね。しんどいけど、書くのは楽しいよ」 

私が答える。 

「おぅ。それなら書けばいいじゃないか」 

叔父が生きていたら、きっとそう言ってくれるだろう。 

世の中には、自分よりもできる人たちが無数にいる。いつの間にか年をとったけれども、自分は下端だという意識だけは変わらない。若くて健康だったときには当たり前のようにできていたことが、もう、できない。それがだんだん増えていく。 

でも、いいよ。 

私は、私が楽しいと思うことを続けていこう。私は、また毎日書いていこうと思う。