scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第3回 いつでも死ねるんだ

うつ病、自殺未遂、貧困、生活保護、周囲からの偏見のまなざし……。幾重にも重なる絶望的な状況を生き延びた体験をまとめた『この地獄を生きるのだ』で注目される小林エリコさん。彼女のサバイバルの過程を支えたものはなんだったのか? 命綱となった言葉、ひととの出会い、日々の気づきやまなびを振り返る体験的エッセイ。精神を病んだのは、貧困生活になったのは、みんなわたしの責任なの?──おなじ困難にいま直面している無数のひとたちに送りたい、「あなたはなにも悪くない」「自分で自分を責めないで」というメッセージ。

精神病院に入院して2週間以上経つがまだ外に出られない。ゆみちゃんに外出や散歩をしたい時は、ナースルームの前にある木箱に要望を書いて入れておくということを教えてもらったので、小さな紙に散歩の旨と名前を記入して投函した。先週も投函したのだが、結果はダメだった。毎週月曜日の朝が看護師たちの会議らしく、午後には外出や散歩ができる人の名前が廊下に張り出される。

入院患者たちはそれをとても気にしていて、張り出されるとみんなが集まってくる。

「まだ、散歩できないのか……」

とうなだれる人や、

「やった! 外出だ! 駅前のデパートに行ってくるぞ!」

など歓喜の声をあげる人。

「山田さん、退院するんだ。いいなあ」

と羨む人。

それはまるで大学の合格発表のようだ。

今日はおやつがある。喫煙所のメンバーが、

「今日のおやつは何かな」

とぼんやり呟いた。

「どうせバナナかみかんだよ」

と私は呆れた調子で答える。

「果物なんかおやつじゃないよね」

と、ゆみちゃんが言う。ゆみちゃんはおやつの話に入ってきているけど、摂食障害なのでおやつが食べられない。

3時になったので、みんなで食堂へ移動した。しかし、今日のおやつはみんなの予想を裏切って、茶色い薄皮にあんこが包まれた饅頭であった。入院をしてから、食事で甘いものが出たことは一度もない。私が饅頭にかぶりつくと頭の中に快楽物質がドバドバと溢れ出る。あんこに含まれた砂糖の人工的なそれは、外の世界で味わっていた甘さだ。私は二口目を口の中に放り込む。ゆっくりと咀嚼し、あんこの甘さを余すところなく噛みしめながら、私は幸せを感じた。けれど、この幸せは精神病院の中で制限がかかっているから感じる幸せであって、外の世界から見たら、ひどく惨めで滑稽なのだと思う。

食堂を出ると、数人がリビングの隅に集まっていた。ゆみちゃんもいた。私は輪の中に入った。中央の女性を見ると、彼女の手の中には先ほど食堂で見かけた饅頭がある。

「私、あんこがダメで。よかったら誰か食べない?」

みんな、戸惑っていた。なぜかというと、病院では食べ物を人に渡すのは禁止されているからだ。食事中にも自分のおかずを人に譲ってはいけないと看護師に言われている。看護師に見つかったら怒られるだろうし、退院が延びてしまう恐れがある。

食べたい、けれど、食べたら後が怖い、みんなお互いの顔を見ながら戸惑っている。しばらく沈黙が続いた。

「私、食べる」

ゆみちゃんが静寂を破る。みんなで個室に移動して、カーテンの陰に隠れたゆみちゃんを守るように立った。看護師に見つかりませんようにと祈る。

過食嘔吐のゆみちゃんは、食べ物の味をどう感じているのだろう。食べて吐き、吐いて食べる彼女にとって、すでに食べ物は味わって食べるものではなくなっているはずだ。私はゆみちゃんが饅頭を美味しいと思って食べてくれたらいいなと思った。

精神病院では私たちは徹底的に管理されている。それを感じたのは病院内で出るコーヒーだ。コーヒータイムという時間があって、患者たちにコーヒーが配られる日があるのだが、それは「デカフェ」なのだ。デカフェとはカフェインが入っていないコーヒーである。

確かにカフェインは頭が冴えてしまうから大量に取るのは良くない。だからと言って一切禁止するというのもおかしい。微量であれば生活にそんなに支障はないだろう。そして、私はデカフェをこの病院で初めて飲んだが、あまりにも不味くて閉口した。けれど、長い間入院している患者さんたちは「美味しい」と口々に言っていた。

それは本当の意味での「美味しい」でなく、「この病院で飲んだり食べたりできるものの中では美味しい」なのだと思う。私も入院が長くなったらデカフェを「美味しい」と言って飲むのかもしれない。そんなことをふと思った。

ナースルームからひときわ綺麗な女の子が現れた。新しい入院患者だ。体にぴったりとしたカットソーを着て短めのスカートを履いている。入院患者らしからぬ服装だ。看護師となんやかや話して個室に消えた後、しばらくしてタバコを吸いに現れた。私は話しかけた。

「今日、入院してきたの?」

綺麗な女の子は私を一瞥した。

「うん。さっき来たばかり」

彼女はメンソールのタバコに火をつけながら答えた。

「なんで入院して来たの? 私は自殺未遂で入院することになったんだ」

私は自分の過去から話した。

「私はネットで青酸カリを買ったんだけど、親にみつかっちゃって、そのままここに入院」

綺麗な子は表情を変えず、かなり凄いことを話しだした。

「青酸カリってどうやって手に入れるの?」

私はタバコを手にしたままなるべく平静を装って聞いた。

「覚えてない? ドクターキリコの事件。ネットで青酸カリを販売してたやつ。いつでも死ねるお守りとしてドクターキリコは売ってたんだよね。私は自分のネックレスのロケットに青酸カリを入れてたんだ」

私は事件の渦中の人物が目の前にいるということに驚いてしまって言葉が続かない。あとで他の人から聞いたら、彼女の名前は大道寺マキと言い、大きな企業の社長令嬢だそうだ。若くて、美しく、お金もある彼女がなんで死にたいのかはわからない。人は持っているものが多くても悩みが多い生き物であるらしい。

自殺したいという人の気持ちをどれくらいの人が理解しているのだろうと時々思う。私はマキちゃんの死にたい気持ちを完璧には理解できないけど、なんとなく分かる。他人からしたら大したことではないと言われてしまう悩みは、本人からしたら死を覚悟するくらいのボリュームに感じてしまうことがある。悩みの重大さは結局のところ、本人にしか理解できない。お金がなくて自殺未遂した私のことをもっと他の手段があっただろうと責める人もいるだろうし、学校に行きたくなくて飛び降りる子供を大人は理解できない。

10代の頃、進路を親に反対された私は死にたくて、自殺の仕方を調べていた。そして、こうすれば確実に死ねる、という方法を見つけてホッとしていた。いつでも死ねるんだということがわかると無理に死ぬのを急がなくてもいい気がしたし、ギリギリのところまで生きてやろうという気持ちになった。

私にとっては「死」というものは輝く希望だった。自分が感じている苦痛を魔法のように片付けてくれるのだから。マキちゃんにとってネックレスのロケットに詰め込まれた青酸カリは自分を勇気付けて励ましてくれるものだったのだろう。いつでも死ねるという状態はとても自分が強くいられるものだ。

マキちゃんは青酸カリをお守りにしていたような子だが、明るい子だった。鍵をかけられた個室の奥で、

「友達が欲しい!誰か友達になって!」

と叫んでいる患者さんに対して、

「友達になります!」

と返してあげていた。ドアの向こうから、

「あなたの名前は!?」

と問いが来ると、

「マキです!」

と元気よく返した。

「苗字もつけて!」

とマキちゃんは怒鳴られていたが、ちゃんと苗字をつけて返答してあげていた。

母は3日に1回お見舞いに来る。母は東京の私のアパートに滞在しているそうだ。私は母にお見舞いの際には、ネギトロ巻きとサイダーを持って来るようにお願いしていた。入院中は生物が食べられないからだ。サイダーは刺激物が飲みたかったのと、病棟内では絶対に炭酸飲料を飲むことができないからだ。病棟内は食べ物の持ち込みは禁止で、食べていいのは面会室だけになっている。

お見舞いに来た母と面会室で向かい合う。母は自殺未遂をした私を責めることはなかった。兄や父はどうしているか、天気はどうか、など、当たり障りのない話を話す。私は兄とは不仲なので、会いたくはないが、父には少し会いたいと思っていた。けれど、父は一度も面会に来てくれない。父は親であるという実感がないと昔よく私に言っていたので、面会にこないのも仕方ないのかもしれない。ネギトロ巻きを頬張り、サイダーを喉に流し込む。病院の食事に慣れきった舌には刺激的だ。3日に1回もお見舞いに来ていたのは私の母くらいで、他の人たちは1ヶ月に1回くらいだった。私はそんな母の愛を当たり前のように受けていた。子供の頃に母から家庭内で苦痛を強いられていたので、それくらい受けて当然だと思っていた。

私の父はとても酒飲みで、家の中でよく暴れていた。父がテーブルを蹴っ飛ばし、我が家の今夜のおかずが宙を舞うのは珍しいことではなかった。大人になってから母から聞いたところによると、お給料も半額しか入れていなかったらしい。私の家はとても貧しく、学校の教材が買えなくて、私はお菓子の空き缶をお裁縫箱にしていた。私はそんな父と結婚した母が嫌いだった。離婚できるならすればいいのに、と思っていた。

けれど、父が暴れた夜、ふすまを開けて、寝ている私を起こし、「エリちゃん、お父さんと離婚していい?」と必死に問いかける母に何も言うことができなかった。まだ10歳かそこらの私は今の生活が壊れてしまうことを恐れて、「離婚したら嫌だ」と泣いた。それからずっと母は父と一緒だった。60歳を過ぎてから母はやっと離婚した。私は母を憎んでいるというより、女という性、専業主婦という存在、家父長制というものを憎んでいるのかもしれない。

病棟内をずっと一人で歩いているおばあさんがいる。病棟の端まで行っては、また戻ってくるのをずっと繰り返している。入院患者は20代や30代くらいの人が多かったので、お年寄りは珍しかった。長く入院している患者さんに聞いたら、もう、おばあさんの病気は良くなっていていつでも退院できる状態なのに家族が引き取りたがらないらしく、退院ができないそうなのだ。私はそれを聞いてびっくりした。おばあさんは家族からこの病院に捨てられたと言ってもいい。どうにか退院できないのだろうか、病院の人たちは家族にどう働きかけているのだろう。いろんな疑問符が頭をよぎるが、自分はただの患者であるという事実が虚しかった。おばあさんは何年もこの病棟を歩き続けているが、もしかしたら、帰るべき自分の家を探し続けているのかもしれない。

病棟内には電話が一台置いてある。だいたいいつも誰かいて、どこかに電話をかけている。ある時、首に点滴を打っている男性が電話をかけていて

「俺は狂ってなんかいないよ。ここから出してくれよ。」

と電話の向こうの家族に訴えていた。

私も電話は良くかける。主に母にかけていた。ここにいると、話すことに飢えるようになる。もちろん、入院患者同士でも話すが、外の世界の人と話すことは自分が外に繋がっているという安心感にも繋がるからだ。

私の電話の後にはマキちゃんが待っていたのだけれど、マキちゃんは私の電話の長さにイライラしていた。私の電話が終わった後、マキちゃんは、

「電話が長すぎるだろ! 後ろで私が待ってんのに気がつかないの!」

と大声で怒鳴った。私はびっくりしてその拍子に目から涙が溢れた。溢れてくる涙が止まらず自分の部屋に駆け込んだが、マキちゃんは追って来て、私の部屋の前で何やら私を罵倒した。私は布団をかぶって泣き続けていた。

ここの生活は常にストレスがかかっている。一日中外に出られず、食べたいものも食べられず、見知らぬ人と四六時中顔を付き合わす。ちょっとしたことで、張り詰めていたものが弾けてしまう。彼女が100パーセント悪いとも言えない。

夕食の時間になって、私はノロノロと食事をとった。食事が終わると服薬の時間になる。看護師がカートに薬を積んで現れる。私たちは薬を飲むために看護師の前に一列に並ぶ。

薬は自分の手で口に入れてはならない。看護師が私たちの口に入れるのだ。薬を水で流し込んで飲み込んだ後に、口を大きく開けてちゃんと飲んだかどうかを看護師に確認してもらう。私たちは自分で薬を飲むことができず、薬を飲まないと疑われている。しかし、実際に薬を飲みたくない患者は舌の下に薬を入れて隠し、後から薬を吐き出しているそうだ。

精神病の患者には薬が必要であるという知識や、薬を飲まないと病気が悪化したり、再発したりするということを学ぶ場を作ることが大事なのではないか。そういうことをしないから、看護師が一方的に口に薬を放り込み、患者が薬を吐くのである。

服薬の後、女の子たちが廊下の隅っこでヒソヒソと集まっていた。なんと、ポテトチップスを持ち込んで来てみんなで食べていたのだ。

「面会の時に持って来てもらったの」

そういって私にも差し出した。私はちょっと迷ったが、袋に手を伸ばした。みんな食べているからいいや、という気持ちだった。口にポテトチップスを放り込むと、パリパリとした食感と、しょっぱい味が口の中いっぱいに広がる。

私たちはこっそり、ポテトチップスを食べながら笑いあった。やってはいけないけど、重大なことではないとわかっているからだった。看護師たちが私たちを管理しようとしても完全には管理できない。ポテトチップスを食べることや、薬を飲むのが嫌なことは、悪いことなのだろうか。そして、精神病院に入院している私たちには本当に管理が必要なのだろうか。

 

(★編集部注:本連載における精神病院の描写は、著者が入院されていた1990年代後半の状況を反映しています)