scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第102回 生まれて初めて

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

昨日はこの連載の100回記念トークライブを、担当編集の吉川浩満さんと一緒に配信した。そのことを書けばすぐに原稿が完成するのだが、それだとあまりに芸のない人間だと思われるのではないかという謎の被害妄想に取り憑かれたおかげで、また提出がすっかり遅い時間になってしまった。ひとつだけ昨日のモヤモヤに触れると、僕と吉川さんは黒いTシャツを着ていた。家を出る前に、黒か青かで迷って黒を選んだだけに、なおさら悔しい。でも、家に帰って映像を見てみると、ペアルックみたいで悪くないなと思った。そんな感じである。

さて、なにを書こうか。普通に考えれば昨日のイベントについて書くのが正解なだけに、なぜ書かないという制約を設けてしまったのだろうかと、二段落目にしてすでに後悔している。しかし、人間は制約があったほうが、クリエイティブになれるとも聞く。たしかに、何を書いてもいいと言われるのが、書き手としては一番困る。この連載にはテーマの制約もなければ、文字数の制約すらもない。そして、そう決めて吉川さんに頼んだのは僕である。

なんだか、自分で自分の足を引っ張ってしまっているようだが、僕にはマゾヒズムの傾向は一切ない。この世で一番嫌いなのは痛いこと、二番目は怒られることである。かといって、サディズム的な性格でもないような気がする。そんなにパキッと二項にわけられるほど、人間は単純な生き物ではないのだ。よく飲み会でSかMかといった話題になることがあるけど、あれほど非生産的な議論はない。「僕はドMなんです」と言っていた人がいたが、僕の想像するドMは、それは大層えらいことになっている状態を指すので、本当かどうか疑っている。あ、文章をなんとなく書いていたらモヤモヤを発見してまった。自分で自分の足を引っ張るとは、どういう状態なのだろうか。今、試しにやってみたけど、とても難しい。比喩だとはわかっていても、きちんとやってみるのが僕の美点である。左肩がもげそうになった。

どうも論点が定まらない。やっぱり普通にイベントのことを書くべきだっただろうか。もう掲載時間が迫っており、今さら書き直すわけにはいかないので仕方ない。でも、こういういじけた感じも含めて、素の自分を出していきたいと話していたのが、昨日のイベントではなかったか。その通りではあるのだが、こんなに終わらせ方のわからない原稿も生まれて初めてである。生まれて初めてだというのは、なんにせよ目出度い。赤子は、ほとんどのことが生まれて初めてであるため、本当に凄いと思う。そう言えば、昨日のイベントは疲れていて思考のブレーキが効かなくなっていたせいか、いつもよりさらにペラペラと饒舌に語っていたのだけど、それがよかったのかYouTubeのコメント欄に「初めて出会うタイプの天才!」と視聴した方が書いてくれた。「すごい。天才って言われたのなんて生まれて初めて。これを一生の励みにして頑張ろう!」と喜んでいたところ、吉川さんがすぐさまスクリーンショットを撮って、僕のメッセンジャーに送ってくれたのだった。まったく世話の焼ける僕である。

 

Back Number

    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。