scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第2回 NHK (2)

失踪をくり返す父を撮り続けた衝撃の作品『father』を世に問うた若き写真家、金川晋吾さんが、「ひとのわからなさ」「わからないひと」との撮影の日々を描く。
シャッターを切る「まえ」と「あと」で生まれ出る世界とは。

 

 

9月4日

富士本さんからお詫びのメールが届く。「穴があったら入りたいです…」と書かれていて、まあそれはそうかと思う。

「カメラマンとは異なる写真家というものがどういうものか少しわかったような気がしました。もっと金川さんのことを見ていたいというか、お話を聞きたい気持ちが大きくなりました」

とあったので、興味をもってもらえたのはよかったと思う。「この2日間で撮った写真を見せてもらいたい」ということなので、東京で会う約束をする。

 

9月20日

19時に渋谷で待ち合わせ。この日の富士本さんはこれまで会ったときとは様子がちがった。この前の撮影のことや、でき上がった写真を見た感想を積極的に語ろうとはしないのはいつもどおりなのだが、どこか地に足がついていない印象だった。

話の脈略とは関係なく、私の髪型についていた寝グセのような妙なハネを指摘してくれたり、私の手の爪がツヤツヤであることを誉めてくれたりした。

そんな富士本さんを見て、私は「もうこの人はやる気をなくしてしまったんじゃないだろうか。この前の撮影を見た結果、『やっぱり番組にするのはむずかしい』と思ったのかもしれない。どうすればいいのか富士本さん自身もよくわからなくなっているのかもしれない」と思った。

夜勤明けでかなり疲れていたのもあって、私の気持ちも低調だった。中村屋でカレーを食べたのだが、話すこともなくなったので1時間ほどで店を出て別れた。富士本さんはこの後もまだ仕事があるとのことだった。

数時間後、富士本さんからメールが届く。

「今夜も金川さんの大切な時間を割いていただいたのに、ろくなもんじゃない感じでほんとにすいませんでした。金川さんに会うのに、だいぶ前から緊張していたのですが、結果ただの酔っ払いになってしまいました。いつも番組に直結しない取材でごめんなさい」

とあった。今、富士本さんはフランスのワインを扱う番組の制作に携わっていて、今日私に会う前にもその番組の打ち合わせがあって、ワインをしこたま飲んでいたらしかった。「深海のように反省しているので、またお会いしていただけると幸いです」とメールの最後に書かれていた。

私はまたもや富士本さんが酔っ払っていたということにかなり驚き、どうして前回のことがあったのにそんなことになるのか、富士本さんが何を考えているのかよくわからなかった。でも考えているうちに「こんなことは全然たいしたことではなくて、この世界の至るところで起こっていて、こんなことに驚いている自分がまちがっているのかもしれない」という気持ちにもなってきた。よくわからないので、この出来事に意味を与えるのはできるだけやめようと思った。

翌日、また富士本さんからメールが届いた。撮影と写真の感想が書かれていた。

「金川さんの写真には見ている人がそこに入っていけるような余地、空白があると思いました。撮っている金川さんなのか、撮られている父や伯母なのか、どちらにその空白があるのかはちょっとよくわかりませんが、たぶん金川さんのほうじゃないかと思いました。血をつながっている人を撮っている写真なのにそういう感じがするというのは妙で面白いと思いました。金川さんの作品づくりと私たちの取材を入れ子の構造にしたみたいな番組ができたらと思っているのですが。ちょっと上司に相談してみます」

富士本さんがやりたいと思っていることに、私も共感した。私はNHKに取材されるということ自体がこの「father」という作品の内側で起こっている出来事であり、この出来事は「father」という作品に内包されるべきものだと思っている。 富士本さんにはなんとかして企画を通してもらいたいと思った。富士本さんはとらえどころのない不思議な人だけれど、この人なら見た人に戸惑いを与えるような妙なドキュメンタリーをつくってくれるかもしれないという期待を私はもち始めている。

 

10月8日土曜

作品を出品している「悪い予感のかけらもないさ展」でのアーティストトークがあり、富士本さんも聞きに来てくれた。トーク終了後、中華を食べに行くことにした。

この展覧会で伯母さんの写真を初めて展示したのだが、富士本さんはとてもよかったと言ってくれた。自分としてもいい展示になったと思っている。

富士本さんから「企画書を書いて出してみました」という報告を受ける。企画会議でも議論されたが、おおむね好評だったらしい。それを聞いてほっとする。富士本さんは「どういうふうに番組としてまとめればいいのかはまだ正直よくわかってはいないのですが、おもしろいものになるという予感だけはあります」と言った。

富士本さんにこれまでどういうドキュメンタリーを作ってきたのかを聞いた。東京勤務になる前にいた鳥取で、「働きたくない2人」と「仏に恋する女の子」という2本の番組を作ったとのこと。

「働きたくない2人」というタイトルがものすごくいいと思う。

内容は、できるかぎり働きたくないと思っていて、田舎でならお金があまりなくても生きていけるのではないかと考え、東京から島根に移住してきた20代半ばの男2人組のドキュメンタリーらしい。最後は片方は山の奥深くへと移住し、もう片方は画家を目指すべく関西空港からニューヨークへと飛び立つところで番組は終わる。ただ、あとでわかったことだが、画家志望はニューヨーク行きのチケットを当日空港で買うつもりだったがそれが果たせず(予約がいっぱいだったのか、気が変わったのか、理由はわからない)、結局ニューヨークには行かなかったらしい。

「今でもたまに電話をくれるんですよ。今はたしか東京にいるんじゃなかったっけ。よくわかりませんが」

と富士本さんは言った。これは絶対に見てみたいと思ったので、今度DVDをもらう約束をする。

 

NHKの取材が現実的なものになりつつあるので、前から考えていたことを富士本さんに言ってみた。

「晶文社という出版社から声をかけてもらっていて、とりあえずウェブの連載から始めてみることになったんですが、その連載でこの一連の取材のことを扱いたいと思っています。その連載ではこの取材のことだけじゃなくて、伯母のことや、長崎の撮影のことなど、自身の撮影に関する経験を題材にしてテキストと写真を合わせて見せていくということをやろうと思っています。富士本さんが酔いつぶれたこととかも、僕は面白がって書いてしまうと思います。『書いてもいいですか』って訊かれても困ると思いますが、とりあえずそういうことをやろうと思っているということはお伝えしておいたほうがいいかなと思いました」

富士本さんは「そんなことはやめてくれ」とは言わないだろうと思っていたが、案の上「私のことはお気になさらずに好きに書いてください」と言ってくれた。

「私はこれまでいろんな人の人生をネタにして番組を作ってきました。我々の業界ではこれを『他人の人生で飯を食っている』と言うんですが、自分の人生がネタにされるときには、なるべく口を出さず黙って料理されようと思っています」

富士本さんのこの言葉はとてもありがたかったが、その一方でわずかだけれど違和感が残った。

その違和感というものが、他人を題材にしたドキュメンタリーをつくることを「他人の人生で飯を食う」と呼ぶことに対してなのか、「自分は他人をネタにしているから、自分がネタにされる場合は黙って料理される」という態度に対してなのか、あるいは私の側の問題として、実際に生きている他人のことを書くときに生じるその人の気持ちやプライバシーを慮らないといけないという問題に直面して、何となく面倒なものを感じて嫌な気持ちになっただけなのか、あるいは、その問題を処理するためにおこなった今日の自分のやり取りに対する違和感なのか。

よくわからないが、そもそも私は生きている他人のことを書くことに伴うもろもろとどのようにつき合うべきなのか、まだよくわかっていないというか、覚悟を決めかねているようなところがあるのだろう。自分が撮影対象になるのは初めてのことであり、自分のことを対象として扱おうとする富士本さんに対して、思い上がりのような、あるいは甘えのようなものが自分のなかにあるような気がする。