ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第27回 ソーセージは美味しい

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕の持論に「美味しくないソーセージはない」というものがある。38年間生きてきた人間の平均値くらいはいろいろなソーセージを食べてきたが、今まで不味いソーセージに出会ったことがない。カロリーや脂質はそれなりにあるだろうから、常に食べているというわけではないものの、買えば美味しいことがわかっているので、エース選手を温存しているような余裕を食卓にもたらしてくれる。

だから、キャンプやバーベキューをするときには、必ずと言っていいほどソーセージを買っていく。そこら辺にあるスーパーで売っている粗挽きソーセージが、2、3袋もあれば十分である。銘柄などにもこだわらなくていい。ソーセージは、いつ、どのタイミングで食べても美味しいので、はじめに焼いて、とりあえず小腹を満たすのもあり。忘れた頃におもむろに焼くのもあり。たとえ、最後の締めに焼いたとしても、あれだけジューシーで食べ応えがある食材にもかかわらず、だいたいは売り切れる。歓談に夢中になっている人たちさえも、ソーセージを焼くと火元に戻ってくることがある。

僕は特別食通でもないし、どんなソーセージも美味しいので手を出したことはないが、世の中には高級なソーセージもある。食べればソーセージに対する見方がさらに広がるのではないか、と予感している。でも、結局はそれも「美味しくないソーセージはない」の持論を補強する要素になる。

珍しくこんなに断言しているのに、お前はなにに対してモヤモヤしているんだと思うことだろう。僕がモヤモヤしているのは、ソーセージに対してではなく、「美味しくないソーセージはない」と同じような事象が世の中にはほかにも溢れているはずなのに、どうしても「これだ!」としっくりくるものが思い浮かばないことだ。すぐに思い付いたのは、「可愛くない犬はいない」だが、これは僕が人より特別に犬が好きだからであり、犬が苦手な人はたくさんいるだろうから、一概には言えそうにない。

あとは、「やまない雨はない」や「明けない夜はない」や「終わらない原稿はない」とかを思い付いたけれど、どうも違う気がする。「終わらない原稿はない」に至っては、ただの希望的観測である。

さらに気づいてしまったのは、僕は魚肉ソーセージが嫌いで食べられないということだ。でも、普通、ソーセージと言ったら豚肉、牛肉などの食肉加工品を思い浮かべる人が多いだろうから、魚肉は省いていいのではないか。それとも魚肉に失礼だと怒る人が出てくるだろうか。僕は怒られるのがなによりも嫌いなので(あと痛いのも)、もしそうならば、この話はなかったことにしようと思っている。

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。