scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)

第9回 思い出の医師・看護師たち(1)

大学三年の二〇歳のときに潰瘍性大腸炎を患い、十三年間の闘病生活を送った著者。その間、いろんな年代のいろんな家族の内実を、見聞きするつもりはなくても、たくさん見聞きしてきた。病室という、ある種、非日常な空間で、人がどんな本音を垣間見せるのか、人生がどんな別の顔を見せるのか、家族がどんなふうに激震に耐えるのか、その悲喜こもごもを書き綴る物語エッセイ。六人部屋という狭く濃密な空間で繰り広げられる多様な人間模様がここに。

「特別な人生には、ちがいないだろう」
「たしかにね、俺たち、普通の人生じゃないな、
と思うこともありますよ」

(『男たちの旅路  山田太一セレクション』里山社

見えない人

『見えない人』という短編がある。ミステリー小説の古典的な名作だ。有名なブラウン神父シリーズの中でもとくに有名な作品で、江戸川乱歩はベストワンに推している。作者のチェスタトンは、人間心理の盲点をつくのがとてもうまいのだが、この短編もまさにそうだ。

内容を簡単に説明すると、4人の人間がずっと見張っていた家の中で、殺人事件が起きる。家の中にいたのは、殺された男だけなのに。見張っていた4人は、誰ひとり出入りした者はないと証言する。

いったいどういうことなの? という謎だ。

もう100年以上前の1911年に書かれた古典だし、ネットでもたいてい結末まで書いてあるから、ここでもネタバレさせてもらう。

犯人は郵便配達夫だったのだ。郵便を配達しにやってきていたが、それは当然のことなので、見張っていた4人は怪しい人物と思わなかったし、出入りした人間の数にも入れなかったのだ。

郵便配達夫は、目には見えても、心理的には見えない人だったのだ。

医師と看護師にも、こういうところがある。

つまり、医師、看護師としては認識されるけれども、どういう顔をして、どういう個性を持った人間かというのは、認識されにくい。

もし何かの事件の犯人が医師や看護師だったら、目撃者は「白衣を着ていました!」ということは確実に証言できるだろうが、どういう顔で、どんな感じの人だったかは、逆におぼえていないだろう。

医師や看護師のほうでもそうだ。患者の〝病気〟に対応しているので、患者がどういう人間かは、その背景になってしまう。患者の顔を見ても思い出せないが、傷を見れば思い出せるということもあるだろう。

何回か病院に通う程度の病気やケガだったら、お互いにそんなつきあいですむ。どちらにとっても、それで充分だ。

しかし、何カ月も入院したり、入院退院を何年もくり返したり、一生病院に通うというようなことになってくると、そうもいかなくなってくる。

医師は病気だけ診ていればいいかもしれないが、看護師は患者の個性にも対応する必要があるし、なんといっても患者の側は、医師や看護師の人格によって、自分の命が左右されてしまうこともあるから、見えない人ですませるわけにはいかず、じっくり見つめて、見きわめようとしてしまう。

そういうわけで、私も長い入院生活、通院生活の中で、記憶に残っている医師や看護師が何人もいる。

感謝の気持ちとともに思い出す人もいれば、封印して思い出したくない人もいるが、ともかく、思い出すままに、何人かについて書いてみたいと思う。

最初の人

難病になって最初の医者というのは、やはり強く記憶に残っている。

それまでも風邪とかで病院に行ったことはあったが、そういうときの医師のことは、まったく記憶にない。やはり、病気の重さによって、医師への認識も変わる。

しかし、それだけではない。この医師は、個性を感じずにはいられないような男だった。

当時大学生だった私にこの医師は、「女の子とチャラチャラ遊んでいるような大学生は大嫌いなんだ!」と吐き捨てるように言った。

どうして私のことをそう思ったのか、いまだに謎だ。私は茶髪でもなかったし、服装も地味だったし、なにしろ痩せ衰えて、貧血がひどく、高熱を出し、意識がもうろうとしていたのだ。女の子とチャラチャラ遊んでいるような感じは皆無だったと思うのだが。実際、まったく遊んでいなかったし。

そもそも、医師なのだから、当然、大学を出ているはずだし、大学生の中でも医学部はモテる。なぜそんな恨みを抱いているのかがわからない。

しかも、この医師は、なんと自分がまさに「女の子とチャラチャラ遊んでいる」タイプだったのだ。

私の診察をしながら、看護師を口説いたりする。

「今度の休み、何してんの?」
「えーっ、何もしてませんけど」
「じゃあさあ──」

などどデートに誘いながら、人の腹を触診したりするのだ。

そして、とてもモテていた。誘惑される看護師たちはみんな嬉しそうで、ナースセンターでもいつもちやほやされていて、医師たちの中でもいちばん人気のようだった。

まだ30代前半くらいで、顔もなかなかだし、背も高く、自信のある態度で、高そうな赤い車に乗っていた。

のちに、私がドストエフスキーの本を病室で流行らせたときに、それを知ったこの医師は、
「ドストエフスキーを読むような学生とは知らなかった。申し訳なかった」
とあやまった。

これもまた驚いた。

ドストエフスキーを読んでいたら、あやまるのか? 真面目そうだからということ?

あやまるということは、やはりひどい仕打ちをしていたのかと、それもぞっとした。

「普通、麻酔するんだけど、いいよね」と、麻酔なしで腕の血管をメスで切られたり、中心静脈栄養という特別な点滴の管を心臓近くまで通したとき、「普通、ちゃんとできたかレントゲンとって確認するんだけど、いいよね。管が肺に刺さっていると大変なんだけど」と省略されたりしたが、みんな嫌がらせだったのだろうかと、疑心暗鬼になった。

性格はよくないけど、手先は器用

こんな性格に問題のある医師だが、手先は器用だった。

大腸内視鏡検査というのがある。大腸ファイバーという、胃カメラのようなものを肛門から入れて、大腸全体をさかのぼっていくのだ。

これが痛いかどうかは人による。そして、医師の腕による。痛い場合は、大変に痛い。

今は麻酔をかけてやることも多いが、当時は麻酔なしだった(これもこの医師の嫌がらせだったかもしれないが)。

当時は初めてだったから気づかなかったが、この医師は、この検査がとてもうまかった。少し気持ち悪いくらいで、ほぼ無痛だった。くやしいが、これまでのたくさんの医師の中で、いまだにこの最初の医師がいちばんうまい。

なんで、こんなやつがいちばんなのかと、とても残念だ。

人格と手先の器用さには関係がないから、しかたのないことだけど、性格はいいのに大腸内視鏡検査は痛いということもあり、こういうことは一致してくれているといいのにと本当に思う。

この医師が、休日に野球をやって、右腕を骨折したことがあった。

私の大腸内視鏡検査の直前だった。

「いやー、これじゃあ、検査はとても無理だから、別の人に代わってもらうね」

私のベッドにやってきて、そう言った医師は、右腕にギプスがはまっていて、首からつり下げてあった。それなのに、こう言いながら、なぜかニコニコ顔だった。

「代わりの先生は、不器用なんだよねー。覚悟したほうがいいよ」

と、すごく嬉しそうなのだ。

この野郎と思いながら、この野郎に検査してほしいと願う自分が悲しかった。

くし刺しの刑

代わりの医師というのは、骨折医師より若く、まだ経験不足なのか、もともとの性格なのか、とてもおどおどしていた。しかも、暗くうつむいている。

暗くうつむいて、おどおどしている人に、お尻からファイバーを入れられるというのは、とてもおそろしい。
しかし、「代わりの先生のほうがうまかった」くらい言ってやりたいと思っていたから、できるだけ我慢するつもりだった。

ところが、検査室でお尻に少しファイバーを入れたとたん、私は「ぎゃーっっっ!」と絶叫していた。

その若い医師も「えっ」と驚いていた。なにしろまだ少ししか入れていないのだから。

しかし、とてつもない痛さなのである。まるでくし刺しの刑なのだ。このとき以来、くし刺しの刑と聞くと、とてもいやな気持ちがするようになった。許しがたい刑だ。どんな犯罪をおかしたにしても、そんな刑に処してはいけない。

ともかく、とても続けてもらうわけにはいかない。拝んで、手をすりあわせてでも、やめてほしかった。

その医師のほうも、どうしていいかわからないという状態で立ちつくしていた。

すると、例の骨折医師が、検査室の中に入ってきた。外で見ていたらしい。

「しかたねえなあ。オレでなきゃダメか」

と言って、若い医師から大腸ファイバーを受け取って、自分がやり始めた。

右利きで、その右腕を骨折しているのに、左手だけでやろうというのだ。

これもまたこわい!

やめてくれと言いたかったが、あわあわしているうちに、こっちの同意もとらずに検査を続けられてしまった。

ところが、まったく痛くないのである……。

くやしいけど、すごく楽なのだ。さっきのくし刺しの刑とは、天と地の差があった。

「おおっ、やれるね」

と医師も楽しそうな声をあげた。

やるれかどうかわからずに始めたのかと、そのいい加減さにまた腹が立ったが、助かったのだから、文句も言えない。

「右腕を骨折していても、左手一本でやるなんて、オレって天才じゃない!」

などと笑って、そばの看護師に自慢している。

なんとも調子にのっているのだが、反論できない。

検査が終わって、ナースセンターの前を通りかかると、いかに自分がすごいかということを、看護師たちに自慢していた。

看護師たちも、「すごーい!」とかきゃーきゃー言っている。

そして、骨折医師は、若い医師のことを、「あいつはぜんぜんダメで」とけなしていた。

若い医師は、ナースセンターの隅のほうで、絵に描いたように、うなだれていた。無言で、暗い目をしていた。

ああ、この若い医師がこんなふうなのは、日頃から、骨折医師にダメだダメだと言われているからなのかとわかった。

あんなやつ、見返してやれよ、と言いたかったが、とにかくあまりに痛かったので、この医師に診てほしいとは、申し訳ないけど、思えなかった。

医師も年期が入ってくると、人格と腕前にある程度の比例関係があるように思う。やはり研究熱心で、患者に親身な人のほうが、腕が上がっていくからだろう。

しかし、若いうちは、もって生まれた手先の器用さとかに左右されるところもあるから、そこは当人も楽だったりくやしかったりすることだろう。

実験台をさけようとして、実験台にされてしまう

この医師には、さらに大きな恨みがある。

この恨みは命にかかわる。

筑波から東京に移ることになって、病院を変わったのだ。

そのとき、これまでの検査データなどをもらって行った。

すると、そのデータを見た新しい医師が、すぐに。

「こんなに注腸検査をしたらダメだよ! 危険だよ!」

と言った。

注腸検査というのは、胃の検査でも使うバリウムを、肛門から大腸の中に入れて、レントゲンで撮影するという検査だ。

大腸は長いので(長い人は2メートルくらいある)、1回の検査で撮影するレントゲンの枚数もかなり多い。
これを私は1週間か2週間おきくらいにずっとやっていた。

苦しくてつらかったが、なにしろ初めて病人をやるのだから、検査の回数が適切かどうかなんて、わからない。

「検査しすぎだったんですか? そんなこと知らなくて」

と新しい医師に言うと、

「これはたぶん、この医師は論文を書こうとしたんだね。それでデータを集めようとしたんだよ。実験台にされてしまったね。こんなに頻回に検査すると被曝量がね……」

と後は言葉をにごした。

これはショックだった。

必要以上に被曝してしまったのだ。

命にかかわることだ。

難病の上に、被曝。しかも、論文のための実験台にされて……。

私はじつは、大学病院に行かなかった。大学に通っていたのだから、大学病院がいちばん近いし、治療のレベルもいちばん高かったはずだ。

しかし、当時、「大学病院に行くと、学生とかインターンの実験台にされるよ」と、学生の間ではよく言われていた。「勉強する場所なんだから」と。

なので、私は大学病院に行くのがこわくて、いちども行かなかった。大学生であるだけに、同じ大学生をまったく信じることができず、そんな手にかかるのは、恐怖だった。

それで、大学病院ではなく、近くの中規模の病院に行ったのだ。

そういうところなら、医者の卵もいないだろうからと。

たしかに卵はいなかったが、とんでもない雄鳥がいたわけだ。

実験台にされるのをおそれて、不自然な選択をしたことで、かえって実験台にされてしまったのだ。

もし大学病院に行っていれば、過度に検査をするなどという個人の不正は、組織の中で許されるはずもないから、こんな目にあうこともなかった。

穴をよけようとして穴に落ちるという、まさに典型的な愚か者のあがきだった。

この医師でなければ重症化しなかった

そもそも、病気になって病院に行って、医師から「検査するか?」と聞かれたとき、内心、これはもう検査するしかないかなと思ったのだが、どんな検査か気になって、「どんな検査なんですか?」と聞いたら、

「カエルのお尻にストローをさして、ぷーっとふくらませたことある?」
「ないですけど」
「そんな検査なんだよ」
「苦しいですか?」
「そりゃ、苦しいよ。カエルの気持ちを聞いたことはないけど」

と答えて、検査をする気をすっかり失わせたのが、この骨折医師なのだ。

この医師が、こんなカエルのたとえとか出さず、「そんなに苦しい検査じゃないですよ」と言ってくれていたら、そのときに検査してだろうから、重症にならない前に治療を開始できて、その後の私の人生もまったくちがったものになっていただろう。

その上に、その注腸検査を、何回も何回も、不適切なほど多く、やったわけだ。

これで恨まない人がいるだろうか。

それなのに、大腸内視鏡検査が痛いとき、「ああ、あいつはうまかったな」と、つい思い出してしまう。くやしい!

罵倒看護師

看護師は、やさしい人たちが多かった。

もちろん、やさしい人ばかりのはずはないが、そういう人でも、やさしく接するよう、感情労働をしてくれているということだ。ありがたいことだ。

しかし、なかには感情労働をしない人もいる。そういうひとりで、とくに印象に残っている人がいる。

ひどい人だったから印象に残っているというのではなく、かなりひどいことを言うのに、いやな気がしなかったからだ。こういう得な人がときどきいる。

その看護師は、年上に対しては普通に接するのだが、年下にはひどくストレートなものの言い方をする。といっても、当人も20代後半くらいだから、入院患者に年下は少ない。

私はまだ20歳か21歳くらいのときだったから、年下だった。なので、のっけから、「なに青白い顔して、元気なくて、あんたみたいな人、わたし、大嫌い」と言われた。

しかし、青白いのは血便がつづいて貧血になっていたからだし、入院してきたのだから、元気なわけがない。病院に、血色のいい元気な人なんて、入院してこない。なんて無理なことを言う人なんだと思った。ジムに行って「みんな元気よく運動していて不愉快」と言うようなものだ。

だけど、看護師から、こんな言われ方をされることはまずないから、不愉快に思うよりは、とにかくびっくりしたし、面白くも思った。

ベッドに寝ていると、「暗い顔をして寝てるんじゃない」と言われて歩かされ、かといって、点滴の交換のときにベッドにいないと怒る。

トイレで小便をしていると、後ろに立って、「どうせあんたなんか、こうして音を聞いてられると、おしっこできませんとか言うんでしょう」と嫌がらせをする。

こちらが小便を始めると、「なんだ」と、つまらなそうに去って行く。

さばさば系ともちがうのだが、とにかく本心丸出しという感じで、本心のひどさがこれくらいなら、まあいい人のほうなのかもしれないと思わせるような、不思議な人だった。

他の看護師から、「そんなひどいことをいっちゃあ」と止められても、「いいのよ、こんなやつ」と、とくに私はあつかいがひどかった。

ただ、採血や点滴の注射はうまかったし、医療面でひどいめにあわされることはまったくなかったから、それがなんといっても肝心だ。

病院の外で患者と会いたくない

この看護師と、病院の外ですれちがったことがある。外出許可が出て、私が私服に着替えて病院の外を歩いているとき、この看護師が病院にやってくるところで、やはり私服で歩いて来たのだ。

声をかけようとしたら、無視して、さっさと通り過ぎた。

気がつかないはずはないんだけどと不思議に思って、病院に戻った後で、その看護師に聞いてみた。

「今日、外の道で会ったのに、無視したでしょ」
「わたしはね、患者さんと外で会っても話をしないの」
「どうしてですか?」
「私服の患者は大嫌いなの」
「なんでですか?」
「なんとなく、偉そうで、いやなの」

そばにいた別の看護師が同意した。

「わかる気がする。退院した人が、後日、スーツ姿とかでお礼にやって来ると、なんか別の人みたいで戸惑うよね」

なるほど。いつもパジャマ姿で、弱っていて、「今日は何回、おしっこに行きましたか?」などと聞いていた相手が、普通の社会人としてやってくると、どういう感じで話しかけたらいいのか、困るのだろう。

患者と外で会うのが気まずいというのは、医師にもそういう人がいた。

医師と患者という関係では、よくしゃべる人だったが、私服のときに外でたまたま出会うと、気づかなかったふりをして、足早に去る人だった。

私服だろうがなんだろうが、つねに医師としてふるまい、他の人間はすべて患者と思っている人もいるから、それに比べると、ずいぶんナイーブだ。

医師と患者という関係は、やはり人と人のつきあいとはちがうということだろう。治療者と病気(病者ですらなく)、立っている者と横になっている者、さわる者とさわられる者、メスと肉、命を握る者と握られる者……。対等な人間どうしとして向かい合うのは、何かちがうわけだ。

名医の存在ほどありがたいものはない

名医の話もしておこう。

患者会に紹介してもらって電話したところ、最初は診察時間以外のときに会ってくれて、診てもらえることになった。

最初のとき、前の病院での検査のデータを持って行った。注腸検査のレントゲン写真も。

普通、病院が変わると、いくら前の病院の検査データを持って行っても、「うちはうちでちゃんとやらないといけないから」と言って、注腸検査、大腸内視鏡検査などをすべてやり直すことになる。

今回もそうだろうと思って、「あらためて検査する必要がありますよね?」と聞いたら、「なんで? ちゃんと前のデータがあるのに、そんな必要ないよ。検査は負担になるから、なるべくしないほうがいいから」という返事で、びっくりした。

しかも、この医師は注腸検査はいっさいしなかった。大腸内視鏡検査のほうがよくわかるし、注腸検査は被曝するからということだった。例の骨折医師と、なんというちがいだと感激した。

この医師は、なんと外来で大腸ファイバーで直腸をのぞけるように、ずらりとベッドを並べて、仕切りを作り、大腸ファイバーもたくさん用意してあった。粘膜を診れば、潰瘍性大腸炎かどうかは一目瞭然だから、これがいちばんなのだと言っていた。

たしかにその通りで、患者としても、見て診断してもらえれば、確実な診断でありがたい。大腸ファイバーで直腸をちょっとのぞくだけなら、痛みはまったくない。下剤をかけたりするわけではないから、そういう負担もない。便の状態からも病状がわかるということだった。

この方式は、いいことづくめなわけだが、たくさんの検査用のベッドを並べるスペースが必要だし、大腸ファイバーをたくさん用意して、それをどんどん消毒していかなければならないのも大変だ。

だから、この先生がいなくなった後は、この方式はすぐに取りやめになった。じつに残念なことだった。

この医師は、院内で薬も作った。大きな大学病院だから、できたことだろうが、この薬がとてもありがたかった。

一般にはない薬で、副作用が少なく、治療効果は高かった。

この薬も、この医師が退官した後、作られなくなって、このときにはずいぶん困った。

私のほうから、この医師に、「こういう薬を作ってほしい」と提案の手紙を書いたこともあった。普通の医師なら、素人の患者から、そういう提案をされるのは、ただうるさがるだけだし、怒る人も少なくないと思う

しかし、この医師は「参考にさせてもらう」という丁寧な返信をくれた。

じつは、そういう薬がその後、出た。私の案が生かされたわけではないだろうが、どんな意見にも耳を傾ける、こういう名医や研究者がいてくれるからこそではないかとは思う。

カードは同じでも、どう切るかで勝負は変わる

この医師が言っていたことで、とくに印象に残っているのは、こういう言葉だ。

「この病気に使える薬や治療法は、ある程度、決まっている。だから、どの医師も手持ちのカードは同じだ。でも、そのカードをどう切るかで、結果はぜんぜんちがってくる」

たしかに、カードゲームをするとき、最初の手持ちのカードは同じでも、それをどう切るかで、勝負はぜんぜんちがってくる。まさにそれこそが、ギャンブラーの腕のちがいだ。

ということは、「薬や治療法は同じなら、どの医師にかかっても同じ」ということはなく、どの医師にかかるかで、病気の治り方はぜんぜんちがってくる、ということになる。

実際、その通りだった!

薬や治療法はこれまでと同じだったが、それの使い方がちがっていて、治り方がまるでちがった。どんどんよくなっていく上に、副作用がとても少なかった。これは本当に助かった。現代でも、やっぱり、名医っているんだなあと思った。

私が名医と思っただけでなく、この人は大学病院の病院長にもなったし、高貴な方の手術も担当した。

そういう人って、政治力ばかりの黒い人物という思い込みがあったが、まったくそういう感じでなく、誰もひきつれずに病室にやってきて雑談したり、とても気さくな人だった。

私が手術に踏み切ったのは、この医師が退官してしまうから、ということも大きかった。

迷って、当時の担当医師に、「あなただったら、どうしますか?」と尋ねたところ、「自分だったら、あの先生がいるうちに手術する」と即答された。

この名医に、ある患者が「手術のときは、どんな気持ちなんですか?」と聞いたことがある。私も答えに興味があった。

名医はこう答えていた。

「手術台の上の患者の身体を前にすると、さあ、ここが自分が力を発揮する舞台だ、という感じがする」

この医師に手術された患者たちは、この答えに、私も含めて、すぐにリアクションをとることが難しかった。自分の身体が舞台にされてしまうのは、ちょっとつらいものがあった。しかし、そこまで自信を持って活躍しようとしてくれるのは、たのもしくもあった。

若い医師たちの勉強の材料になる

私が大学病院に通うようになったのは、この医師に診てもらうようになってからだ。

かつて、実験台にされるとおそれていた大学病院に、入院、通院することになったのだ。

で、どうだったかというと、もちろん、医師の卵のような若い人たちもたくさんいる。しかし、そのせいでひどいめにあわされたことはない。

重い病気のときには、素直に大学病院に行ったほうがいいというのが、私の経験から導き出される教訓だ。
もちろん、大学病院にもいろんな医師がいるから、誰にあたるかというのは運で、これはとてもおそろしいことだけど。

大学病院ならではだなあ、と思ったのは、あるとき、この名医が若い医師たちをたくさん連れてやってきて、急に私に「上半身、裸になって」と言った。

私はベッドの上で、上半身、裸になった。

すると、名医が、

「ほらね。この病気の人には、こういうふうに色の白い人が多いんだよ」

と若い医師たちに説明した。で、またぞろぞろ去って行った。

ちょっとひどいよねと、六人部屋の他の人たちは言っていたが、私は別に不愉快ではなかった。色が白い人が多いということは、私も耳にしていた。そのせいで、潰瘍性大腸炎の女性には美人が多いなどという、おかしな風評まであった。色の白さと、何か関係があるのかないのか。治療につながりそうな話でもなかったが、どこからどんな意外な事実が判明しないとも限らない。

痛みとか被曝とか、身体に被害のないことなら、研究材料にされるのは、むしろ歓迎だ。医学の進歩のために、患者としてもできるだけ協力したい。

つづきはまた次回に

まだ数人の話しかしていないが、話が長くなったので、つづきはまた次回に書くことにしたいと思う。
みなさんの心の中にも、思い出の医師や看護師のことが、きっと浮かんできているのではないだろうか?

 

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    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。